家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

講師は ささめや ゆき氏

2011-10-08 06:36:30 | Weblog
講師は ささめや ゆき氏 絵描き。

「絵は悲しみを持って描くものだ」と悟ったという。

パリを流れるセーヌ川の中洲にあるシテ島外れの屋根裏部屋でのことだ。

絵を描き続ける動機を軽く表現する。

「ほかにやることがなかったから」とか「せめてこれだけは続けよう」など。

絵の学校の先生が「君ほど才能のない人はいない」と言われようとアメリカでコックとして大成しかけていようと絵を止めない。

絵を続けるのも止めるのもモチベーションが低い。

「僕の人生は、いつもあとちょっとのところで違う方に行く」と普通に言う。

「しかし間違っていなかった気もする」とも言う。

「組合活動をやっていなかったら今頃は退職金をもらって悠々自適だったかもしれない」と少しの後悔も見せた。

描けば描くほど汚れていく絵。

電灯のスイッチを押そうとドアに近づいて振り返った瞬間、汚れた絵に吸い寄せられて画面が「こうしなさい」と教えてくれた。

完璧な作品が出来上がったという。

その時の興奮が味わいたくて描き続けているが、まだ未だにその一度だけだそうだ。

シェルブールで一日36時間絵を描き続けたというエネルギーを感じることは出来なかった。

英国ラジオ放送で流れた美空ひばりの歌を聴き日本を思い出し2番の歌詞で帰国したいと思い3分以内に決心したという即決した、その時の決断力を感じ取れなかった。

だが44年間描き続けていることは事実。

きっと本人にも分からない何か強い力が活発に動いているに違いない。

「君の絵のほうが、あっちの絵より良いよ」と言った青い目の老人。

「君は芸術家になりなさい」と言った白いスーツに紫のカトレヤを付けた画家。

彼らの言葉が、ささめや氏の心の深い部分に熱い物を埋め込んだのだろう。

学校の習字の先生に美術の先生に音楽の先生に言われた言葉を引きずる私。

もう一度習字を始め、絵を描き歌を唄い誰かに誉められれば治るかな。