家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

ライバル伝説

2012-07-01 15:48:50 | Weblog
「劇場版」ライバル伝説 光と影 を見に行ってきた。

名古屋伏見ミリオン座で6月30日から上映になった。

長男がTBSの番組宣伝として担当したもので、それが映画化された。

江川卓 × 西本聖 そして有森裕子 × 松野明美 の二つの対決の事実だ。

時の経過が彼らの間に有った深い溝を埋めた。

今だから当時のあれを聞いてみたい、という心境。

それは当時を見ていた観客にもいえることだ。

お互いに持ち続けていた語ることの出来ない秘密が解き明かされる。

「憎い」とか「負けろ」という露骨な敵対心。

これらの毒のある言葉はスポーツ選手らしくないと言ってしまうのは甘っちょろいことなのだとわかった。

これほどまでに勝つことに執着してきたのかと恐れ入った。

一流であるには代償も大きく身体のみならず心まで痛めなければいけないのだ。

今でも鮮明に覚えている出来事が、それぞれの口から悔しさ、あるいは憎悪を隠さず語られる。

それぞれに苦しみぬいていた。

今はお互いを理解しあいライバルという呪縛から開放された。

それを確認できた我々も観客としての安堵を覚えた。

久しぶりの名古屋だった。

栄の街を歩いているとランボルギーニがフェラーリが、これ見よがしに駐車し爆音を轟かせてうろついていた。

奇抜な服装の若いお父さんがベビーカーを押しながら「え?」と驚いた表情を見せた。

私も事実驚いた。

和装のおじさんが歩いていたのだが、その帯には刀が挿してあるのである。

幼稚園の子供が遊ぶようなプラスチック製の中が空洞になっているアレである。

「ほほう。名古屋は刀を差して歩ける街なのね」

郊外の駐車場から路線バスに乗っていったのだが行きも帰りもバスの中に車椅子の老人やベッドのままの子供とその付き添いが乗っていた。

見直した名古屋。