家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

親の責任

2012-07-27 08:11:24 | Weblog
春野の物置に置いてある物を取りに行くと「ヂヂッ」という音がする。

歩くとしたりしなかったり。

目を凝らしてみるとハチが蝶の幼虫を運んでいるのだった。

たぶん私に獲物を横取りされまいとして警告の羽音をさせたのだと思う。

アオスジアゲハの幼虫はジガバチよりもはるかに大きい。

自分より大きな物を一所懸命に運び、取られまいとしている姿を見て「親の責任」ということを連想した。

この後このジガバチは、どこかの穴にこのアオスジアゲハの幼虫を閉じ込め、同じ穴に産卵する。

ジガバチの幼虫は卵から孵ると、このアオスジアゲハの幼虫を喰って大きくなる。

つまりアオスジアゲハの幼虫はジガバチの子供が自活できるようになるまでの食料なのだ。

それをみて自分の子育てについては、どうなのだろうと漠然と考えていた。

樫の木の薪割りを再び始めた。

樫の木の倒れている付近の草むらに白いカタマリを見つけた。

写真を撮って帰宅して調べてみるとアオダイショウの卵だった。

1個がウズラくらいの大きさで色は白。

20個ほどの塊になっていて全部がくっ付いている。

触ってみると殻があり鳥の卵ほどは堅くない。

押せば少しへこむ。

カラスや他のケモノに食べられそうな場所にある。

私でも見つけたのだから野生動物なら見つけ出すのは簡単なことであろう。

ひょっとしたらニオイを発しているかもしれないし。

大きくなるまで食料の保証をしたジガバチとは、かなり差がある。

だが更にモリアオガエルの親は水に落ちない可能性の高い場所に産卵したのを知っている。

こうなると無責任という他はない気がする。

じゃぁ自分はジガバチと同じくらいかな?

もう子供達は30歳を越えたし私が責任取らなくてはいけないことは、もうないか。

あらためて子育ては終了しているのだと決めて安堵した。