家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

モリアオガエルの経過

2014-10-02 07:51:23 | Weblog
モリアオガエル2014としてブログに載せたのが7月13日だ。

http://blog.goo.ne.jp/begonomanagu1324/s/%A5%E2%A5%EA%A5%A2%A5%AA%A5%AC%A5%A8%A5%EB

その後順調に「メダカの餌」を与えて大きくなってきた。

最近は手足が生えてきた者もいる。

手足が生えて俄然カエルらしくみえるようになると少し体が小さくなるようだ。

体が締まるのかもしれない。

ところが、そんな先輩を喰うオタマジャクシがいる。

小さなカエルの見習いを大きな後輩オタマジャクシが喰う。

自然界というのは厳しい世界だ。

先に大人になるということが、すなわち生き残れることではない。

そんな水鉢の中での競争を生き残り、まだシッポはあるが、もう「独立したカエルである」という者は鉢から出ていく。

鉢の縁をよじ登り頂上から下の地面に向けて飛び降りる。

だが本来の自然界の厳しさは、そこからなのだ。

鉢の中は所詮同じオタマジャクシ同士の戦いだ。

泳ぎが上手ければ逃げれるし食欲が旺盛ならば大きく育ち喰われることはない。

鉢から飛び降りたカエルの子は、まだ長いシッポがある。

これは地上で生活するのには、かなり邪魔だ。

飛び降りて苔の上に軟着陸した猛者の様子を見ていた。

すぐさま、どこかに隠れなくてはいけない。

だが、その長いシッポは、どうにも歩きを妨げる。

ジャンプしようにも重いシッポがネックだ。

ヨチヨチと歩いて避難するしかない。

このところ、その水鉢の下からヤマカガシが出てくるのを見つけた。

ヤマカガシにしてみれば食い物が上から降ってくるのだ。

下で静かに落下を待つのは当たり前だ。

そのヤマカガシも幼蛇である。

去年か今年に生まれた者であろう。

それぞれが精一杯生きていることが分かる。

水鉢には、まだたくさんシッポのあるカエルになりかけの者たちがいる。

ある者は一生を終えて水面に落ちてきたセミをつついている。

自分のシッポが消えて動きが良くなってから鉢を出ればいい。

下で待ち受けるヘビは、小食だから運がよければ逃げ延びることができる。

下で待ち受けるヘビは、運がよければ何匹も喰えて生き延びることができる。

「君たちの両方よ。空の鳥にも気をつけろよ」