仏教的な考え方の講演だ。
青色青光(ショウジキ ショウコウ)
黄色黄光(オウシキ オウコウ)
赤色赤光(シャクシキ シャッコウ)
白色白光(ビャクシキ ビャッコウ)
という言葉をホワイトボードに書かれた。
阿弥陀経の言葉で浄土を表しているということだ。
青は青春で黄色はジジイやババアと例える。
次の行の黄色と赤の場合の黄色は黄金の黄で赤は赤貧(貧乏)の赤。
赤と白の赤は健康白は病気。
それぞれに対比を見せる色。
浄土では、それがそれぞれ輝いているという。
ここ、娑婆(シャバ)では若いことが良くて老化は良くないこと。
金持ちが良くて貧乏が悪い。
健康が良くって老化はいけないこと。
この世はすべて縁(エン)だから自分より背の高い人と出会えば自分は背が低く、その逆もある。
劣等生がいるから優等生がいる。
それでいいじゃないか。
へんな物差しを捨ててしまうのだ。
縁で説明されると私も納得してしまう。
すんなり腑に落ちるのだ。
長い仏教の歴史が私の心にも深く入り込んでいることを確認する。
10年間引きこもりをしていた人の質問に「もう少し引きこもっていたらいかがですか」と言うとニコッと笑ったという。
笑った気持ちが、なんとなく分かる気がした。
引きこもっては、いけないものだと決めつけている私自身も発見した。
幸福だから努力すると言われた。
私は努力したから幸福が訪れると考えていた。
確かに、やはり幸福になることが先決だと思えてきた。
そのまんまというのだが怠惰に暮らせと言っているのではない。
浄土では綺麗な景色や美味しい食べ物だらけ。
シャバからの土産として最も良いのは美しい思い出だ。
苦のない浄土では出来ないこと。
つまりシャバでしか味わえない苦労である。
悲しみに耐えてきた苦労が浄土への土産だというのだ。
「ラム そのまんま ソノマンマ」と3回唱えた。
途中で会場に笑い声が増えたことに気がついた。
皆さん気が楽になって笑顔になってきたのだ。
だが確信を語っているときには、水を打ったように静まり返る。
集中できる、それだけの説得力を感じた。
今のままで、そのまんまで輝けるように生活しようと決心した。
青色青光(ショウジキ ショウコウ)
黄色黄光(オウシキ オウコウ)
赤色赤光(シャクシキ シャッコウ)
白色白光(ビャクシキ ビャッコウ)
という言葉をホワイトボードに書かれた。
阿弥陀経の言葉で浄土を表しているということだ。
青は青春で黄色はジジイやババアと例える。
次の行の黄色と赤の場合の黄色は黄金の黄で赤は赤貧(貧乏)の赤。
赤と白の赤は健康白は病気。
それぞれに対比を見せる色。
浄土では、それがそれぞれ輝いているという。
ここ、娑婆(シャバ)では若いことが良くて老化は良くないこと。
金持ちが良くて貧乏が悪い。
健康が良くって老化はいけないこと。
この世はすべて縁(エン)だから自分より背の高い人と出会えば自分は背が低く、その逆もある。
劣等生がいるから優等生がいる。
それでいいじゃないか。
へんな物差しを捨ててしまうのだ。
縁で説明されると私も納得してしまう。
すんなり腑に落ちるのだ。
長い仏教の歴史が私の心にも深く入り込んでいることを確認する。
10年間引きこもりをしていた人の質問に「もう少し引きこもっていたらいかがですか」と言うとニコッと笑ったという。
笑った気持ちが、なんとなく分かる気がした。
引きこもっては、いけないものだと決めつけている私自身も発見した。
幸福だから努力すると言われた。
私は努力したから幸福が訪れると考えていた。
確かに、やはり幸福になることが先決だと思えてきた。
そのまんまというのだが怠惰に暮らせと言っているのではない。
浄土では綺麗な景色や美味しい食べ物だらけ。
シャバからの土産として最も良いのは美しい思い出だ。
苦のない浄土では出来ないこと。
つまりシャバでしか味わえない苦労である。
悲しみに耐えてきた苦労が浄土への土産だというのだ。
「ラム そのまんま ソノマンマ」と3回唱えた。
途中で会場に笑い声が増えたことに気がついた。
皆さん気が楽になって笑顔になってきたのだ。
だが確信を語っているときには、水を打ったように静まり返る。
集中できる、それだけの説得力を感じた。
今のままで、そのまんまで輝けるように生活しようと決心した。