家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

講師は野本寛一氏

2014-10-10 11:25:25 | Weblog
「日本人の自然観・民俗学の視座から」という講義だった。

どのような講義になるかのあらましを示した後、最初の写真は「草木塔」というものだった。

文字通り草木を供養する塔だ。

大きな動物の供養はするが草木に対してもする。

これは仏教伝来以前からしていたという。

ハエや蚊そしてアブまでが供養の対象だという。

なんとも自然を尊ぶ日本人らしい精神じゃないかと感激した。

普段はパチンと叩いて殺したり煙を使って遠退けたりするのだが心の底では彼らの生存を認め同じ自然の中に共存することを目指している。

山の雪が溶け中腹に人の顔ができたらヒエを蒔く。

自然暦を利用して暮らしていた生活の知恵だ。

カレンダーや気象情報だけを頼りにする現代人よりもはるかに合理的な気がする。

欲望の自制ということで全部を取り尽くさず必ず少し未来のために残しておくということもしてきた。

そんな知恵が現在は、なくなりつつあることを講師は憂いていた。

シイタケが工場で作られる現在においても確かにその通りだと感じるものが多くあった。

昔は同じ鍋を皆でつつくのが食事だった。

だが今は一人だけ自分の部屋で食べることもある。

それでは知恵や風習の伝承がうまくいくはずがないし子供の心の発育に悪影響が起こっても不思議はないかもしれない。

雨のおかげで植物が実り我々は恩恵を受けるが、多すぎると、それは災害という形で我々を苦しめる。

その狭間で、うんと苦労しながら生きてきた。

最後に自慢の喉を聞かせてくれた。

同じ歌詞の田植えの唄だ。

だが田の位置について少しテンポの違いが出てくるという。

山の奥深い(北の)地域は気温が低く稲の株分けが少ない。

従って植える稲と稲の間隔が狭く田植えの進みが早いというわけだ。

唄を聴いていると農民の姿が思い描かれ、そのテンポと共にそれぞれの生活があると感じられた。

女性を穢れたものとする考え方があったことを知っている。

だが、その部分については講師は声を大にして、そんなことはなかったと言い切る。

その証拠を、いくつか上げた。

その荒げた声が講師の正義感を表わし、好ましく感じられた。

衣食住の全てに忙しく働く女性に対し月に一度の休息を与える「月小屋」というものが、この遠州地帯には多くあることを聞いて、その子孫であることに誇りを感じた。