家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

姉は姉を超えた

2014-10-06 09:45:08 | Weblog
何年か前の母の誕生日に旅行したとき母と姉と妻と私の4人で話していた。

小さな家、裸電球が一つ点いていて姉と二人、両親の帰りを待つ。

60年近くも前の話だ。

姉は父や母が夕方になっても帰ってこないようなとき、とても心細かった思い出を披露した。

私は、そういう気持ちになったことがないことに気がついた。

つまり私は4歳年上の姉の気遣いで心細いと思ったことがなかったのだ。

この時は私が姉にお礼を伝え、母は「そうだったかねぇ。あの頃は忙しかったからねぇ」と、まるで忘却の彼方の記憶を呼び戻そうともしなかった。

その母が夜間救急に運ばれた。

妻と私が病院に駆けつけると救急車に同乗してきた姉が廊下の長椅子で待機していた。

ドアが開き中に通される。

ベッドに横たわる母。

薬手帳を開き医師が飲んでいた薬を確認していた時だ。

母が突然声を出した。

というより絞り出される声とは言えない動物的な音だった。

姉は、とっさに母の頭を撫でた。

母の声は止んだ。

母は、それっきり戻ってこなかった。

それは母の私たちへのお別れの挨拶だったと後になって感じた。

私たちが枕元に駆けつけたことを察して、そうしたのだ。

話にはなっていないが、それでも、いつもきちんとけじめをつける母らしさを感じたのだ。

だが最近あの瞬間に姉が姉の立場から、もっと大きな立場に入れ替わったとも思えてきた。

今姉は、私を、そして家族を守ろうとしている。

両親の帰りを、ひたすら待っていた子供の頃の時のように気まじめに。

だが全く違うのは、もう帰らないことを理解している。

「まだ悲しくなる」と吐露した姉だが今までとはまるで違う強さではなく深さとでもいうものを感じた。

慈愛というものなのだろうか。

母が亡くなることによって姉は変わった。

私には、まるで子供だった頃のように守られている感覚がある。

「それでいい」と母が言っているように思う。