家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

大きなスピーカー

2011-02-03 07:16:33 | Weblog

久しぶりに友人のやっている店に顔を出した。

 

コーヒーも出すしコンサート会場にもなるし録音会なども催している。

 

コンサートを終えたばかりだというのは椅子が乱雑に置かれてあったことで気がついた。

 

店内は展示してある物がいろいろ変わりオーディオも変わっていた。

 

「これ手に入れたよ」と言いながら早速音を聞かせてくれた。

 

バロック音楽をかけてアンプとスピーカーを暖める。

 

良い音。

 

暖まったころジャズに換わった。

 

なんだかウッドベースの中に頭を突っ込んでいるみたいだ。

 

ゴギゴギという弓で玄を擦る音バチンバチンと玄をはじく音。

 

ピアノソロに換わると今度はピアノのフタを開けて頭を入れて聴いているようだ。

 

「そうだ。私は今楽器に振り分けられたマイクロフォンの位置にいるのだ」

 

スピーカーは片側140kgほどの重さだという。

 

心地よい音を楽しむというよりスタジオで使う物として出ている音を確かめるための設計だという。

 

不思議と大きな音であっても喧しくはない。

 

本来の楽器の出す音よりも大きい。

 

そんなことはあり得ないから「虚構」という言葉が浮かんだ。

 

次に別の大昔のスピーカーで当時の音を聞かせてもらった。

 

こちらもジャズだ。

 

サックスが、これ以上ないほど色気たっぷりに吹き上げる。

 

ビブラフォンの音が頭の中で揺れた。

 

まだ音が左右に分かれていないモノラルだ。

 

こちらはこちらで、とてもつややかな音だ。

 

管球式のアンプを使っているというが、その違いは私には分からない。

 

相変わらず音にコダワリを持ち探求している友人。

 

「ラジカセもしくは車のスピーカーから出る音を聴くだけだよ」と私が言うと。

 

「それで音楽は聴けますよ」と答えた。

 

他人に強いることのない友人。

 

シッタカブリをしない。

 

車が購入できるほど大枚をはたいて入手した装置についても自慢しない。

 

大きな音でも心地よいこのスピーカーのように充分な包容力を感じた。

 


親不知(オヤシラズ)抜歯

2011-02-02 07:08:49 | Weblog

親不知を抜くことは決まっていた。

 

妻からのアドバイス。

 

「ものすごくタイヘンだから帰ってきたら寝なさいよ」

 

少し不安になりながら歯科医院の椅子に掛ける。

 

取り掛かる前に先生に

 

「抜いた歯を記念にもらって帰っていいですか?」

 

と聞いてみた。

 

「いいですよ。アルコールできれいにしてからお渡しします」と快く返事をしてくれた。

 

「少しチクッとしますよ」と言って麻酔注射を打つ。

 

チクリともしない。

 

歯茎の奥あたりに重苦しさを感じたので麻酔の液体が入り込んだのだと思った。

 

しばし効きを待つ。

 

「それでは始めましょう」

 

麻酔の効きを確かめて作業を始める。

 

作業を始めて1分も経たないうちに

 

「取れましたよ」と言うので

 

「え?」と驚いてしまった。

 

そんなに簡単に抜けてしまうものだったのか。

 

従業員が歯の形をしているプラスティック容器に入れてくれた。

 

「お子さんの乳歯をお持ち帰りになる方がいらっしゃいますので」

 

と言って渡してくれた。

 

子供の頃に抜けた自分の歯を持った経験はある。

 

しかしこの年になって自分の歯を持つことは想定していなかった。

 

変わった形をしているものなのだなぁと思った。

 

とうに麻酔から醒めているはずの時刻になっても痛みはなかった。

 

夕食のサンドイッチも普通に食べられた。

 

翌朝舌ベロで歯の抜けたあたりを探る。

 

大きな穴が空いているかもしれないという私の予想を大きく外れた。

 

まるで何もなかったかのように歯茎は「ツルッ」としているではないか。

 

止血用ガーゼを比較的長い間噛んでいたことが良かったのかもしれない。

 

舌先が奥歯の裏側をツルリと回り込むことができるようになった。

 

これならきちんと奥まで歯磨きができるわいと思った。

 

まるで指に刺さったトゲを取るかのような些細な出来事だった抜歯。

 

もらってきた自分の親不知はパソコンの横に置いた。

 

近々もう1本抜く予定になっている。

 


ファンファーレ

2011-02-01 07:56:21 | Weblog

実は眠かった。

 

良い子守唄になっていた。

 

だが第二部のウィーン・フィルハーモニー・ファンファーレを聞いて目が覚めた。

 

素晴らしかった。

 

音の切れが金管特有で音の厚さも充分に感じ取れた。

 

ファンファーレは、どこか軍隊っぽいが、それは当たり前だ。

 

カール・ヤイトラー指揮で行われたこの音楽会は、やはりウィーンの音がするのだった。

 

ヤイトラーさん自身の持つ明るい性格のようなものも、楽団員の彼を慕う気持ちも伝わってきた。

 

最後はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でおなじみのニューイヤーコンサートのようにラデツキー行進曲に惜しげもなく拍手をした。

 

北イタリアの独立運動を鎮圧したラデツキー将軍を称えた曲だとは後で知った。

 

音(音楽)と軍隊の結びつきを頭の中で切り離し音(音楽)だけを楽しむ。

 

気さくで有能な友人が出演していた。

 

もう1人最高齢者も知人だ。

 

ヤイトラー氏とは握手をしたことがある。

 

もちろん彼は私を覚えているはずがない。

 

ホールの外は寒い風が吹いていた。

 

暖めた心が気温で冷めることはない。