団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

オーストラリアの危うい現状

2016年06月25日 | 国際

  杉田水脈さんの、6月12日 (日)、第 6097回の 「親 日から親中に…オーストラリアの危うい現状」の続きがアップされています。やはり、状況は良くないようです ね。
  日本の政府、外務省はどうするつもりなのでしょうか。相変わらず、何の手も打たずに、ワインを楽しんでいるのでしょ う か。およそ、日本の国の為に仕事をすることには興味がないようです。

  それにしても、杉田さん出ずっぱりですね。こちらは、追いかけるのに精一杯です。お体は大丈夫なのでしょうか。と言 う か、やはり、そこら辺の軟弱な男では太刀打ち出来そうもないですね。
  とは言いながらも、相変わらず地上波の出演はないようなので、ネットでの知名度も一般にはまだ広がってないのでしょ う か。早く、国勢に復帰して貰いたいのですが、今回の参議院には出なかったので、やはり、衆議院狙いでしょうか。それとも、政 治は止めたのでしょうか。まさか、それは無いとは思いますが。

  産経ニュースより    2016.6.20

 【杉 田水脈のなでしこリポート(7)】親日から親中に…オーストラリアの危うい現状を憂えています(その3) 空爆記念 式典 にも変化が…

    ダーウィン空爆記念式典のある「変化」

 1942年2月19日、日本軍は真珠湾を攻撃した同じ艦隊でオーストラリア北部の軍港ダーウィン港を攻撃しました。攻 撃は 1942年から43年にかけて64回にわたりました。

 最初の攻撃でのオーストラリア側の被害者が243名ということはよく知られていますが、これは初日の2回の攻撃による 被害 で、それ以降の攻撃で合計1500名以上の方が亡くなっています。また、日本側の犠牲者もパイロットら空爆時に亡くなった方 が400~500名おり、ダーウィン空爆1か月前には伊124号が撃沈され、乗組員80名余りが亡くなりました。このよ うに 多くの日本人戦没者がダーウィン港の海に眠っていることは、日本ではあまり知られていません。

 ダーウィン空爆が始まった日である2月19日には、ダーウィン空爆記念式典が毎年開催されますが、例年式典に参加して いる 日本人が2016年の式典である変化に気が付きました。

 2015年までの式典では、ダーウィン市長や北部準州(ノーザンテリトリー、略称NT州)主席大臣らが国を守る為に 戦った 人に敬意を表する挨拶をしました。その上で、戦後のダーウィン市が多文化都市として繁栄していることも強調されていました。 特にNT州多文化共生大臣のピータースタイルズ氏のコメントは素晴らしいものでした。

 「私たちは過去を忘れてはならないが、もっと大事なことは和解だ。今日は日本の総領事も来られている。過去は過去で、 未来 へ向かわなければならない。理解を深めることにより再び争いが起こることを防がなければならない。私は今年の1月にハワイの 真珠湾に行ったが、私のツアーの半分は日本人であった。皆、過去を乗り越え、また昔何が起こったかを知るためにそこに来 てい る。ここダーウィンに日本人を見ない。真珠湾攻撃と同じ艦隊がダーウィンにやってきたのに。である。またここには伊124号 という80名の乗組員が乗った潜水艦も沈んでいて、戦士の墓場であり神聖な場所として我々は保護している。73年前は敵 だっ たが、今は同盟国であり良き友である。敵であったとしても和解し、前へ進むことが出来る」

 かつて日本人は「ダーウィン港を攻撃した国の出身」という気まずさから出席しない人も多かったのですが、最近は日本人 の参 加者も増えてきました。とりわけ日豪のカップルが「自分たちの子供たちが両親の母国の犠牲者を慰霊する機会になれば」と願っ て参加するようになっています。

 このように順調に日豪の和解が進んでいたのですが、今年の空爆式典は少し違いました。ジャイルズ首席大臣はスピーチで 「人々の肌は皮がむけ、市民が焼き殺され」というフレーズを使って、生々しい空爆時の被害の様子を描写したのです。式典 に何 度も参加されてきた方は「こんな生々しく、かつ未来につながらないスピーチは初めてで、いたたまれない気持ちになった」と 語っていました。

 記念式典の雰囲気も明らかに変わり、反日的な空気が出始めているということです。2017年はダーウィン空爆から75 周年 になります。第二次世界大戦で被害があった土地で反日活動が行われても、日本の立場上阻止するのは難しく、今後とも注視して いく必要があると思われます。

  ガーデンアイランドでの慰霊

 さて、今回のオーストラリア視察の最大の目的は、1942年(昭和17年)5月、シドニー湾攻撃の際に、特殊潜航艇 「甲標 的」艇長として散華された松尾敬宇中佐をはじめとするご英霊の方々の慰霊にありました。

 このシドニー湾攻撃により、オーストラリア海軍の宿泊艦クッタブルが沈没し、19名の戦死者が出ています。オーストラ リア 海軍は大きな痛手を負ったわけです。

 にもかかわらず、松尾中佐らの潜水艦は引き揚げられ、イギリス海軍から派遣されていたシドニー要港司令官のジェラー ド・ ミュアヘッド=グールド海軍少将は、乗組員4名(松尾大尉・中馬大尉・大森一曹・都竹二曹)の海軍葬を営み、その後遺骨も日 本へ返還されました。

 当然、オーストラリア国民の一部から非難の声が上がりましたが、グールド少将はひるみませんでした。彼は葬儀後のラジ オ放 送で次のように語っています。

 「このような鋼鉄の棺桶で出撃するためには、最高度の勇気が必要であるに違いない。これらの人たちは最高の愛国者で あっ た。我々のうちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の1千分の1のそれを払う覚悟をしているだろうか」

 「戦死した日本軍の勇士の葬儀を我が海軍葬で行うという私に、非難が集中していることは承知している。けれど私は、あ えて この葬儀を実行する。なぜなら、もし我が国の兵士が彼らのように勇敢な死を遂げた場合、彼らにもまた、同様の名誉ある処遇を 受けさせたいためである…」

 装甲の薄い小型の特殊潜航艇で港内深くまで潜入し、敵に発見されるや投降することなしに自沈する松尾大尉らの勇敢さに 対 し、同じ軍人として崇高な精神を共有していたのでしょう。

 「愛国心」は全世界共通です。愛国心の強い人間はたとえ敵国の者であったとしても尊敬の念を持って迎えられるのです。 今の 日本人が忘れかけているものを思い出させてくれる逸話であります。

 我々は、フェリーに乗り、ガーデンアイランドへ渡りました。大勢の中国人観光客と一緒に上陸しましたが、現地係員の 方々は 私たち一行が日本人だとわかるととても親切に接してくれました。「私たちは松尾中佐たちの慰霊がしたいのです」。そう説明す ると「ここがいいですよ。」と教えてくださいました。

 そこで私たちは岸壁に旭日旗を掲げ、「海ゆかば」「君が代」を斉唱し、靖国神社のお神酒をお供えしたのでした。

  ダーウインの詳しい状況は、何時ものように、こちらから。是非、リンク元で読んでください。

  日本は世界を平和に しま すより   2016-06-14

  い よいよダーウィンでも慰安婦を称える動きが

  …略
  
 既にダーウィンメモリアル教会には百人単位の韓国系信者がおり(日本人は0です、ゼロ)、ということで非常に難しい状 況で す、ダーウィンも慰安婦像設置には積極的に動くと思われますが、日本サイドでは外務省を含めこの件に対応している人はおら ず、力の差をひしひしと感じております。…以下略

  折角、コツコツと努力されて良い関係になっていたのに、中韓の逆襲が相当に侵略して来ているようです。民間の方が、 こう やって長い間努力されているにもかかわらず、何の応援もしない外務省には、本当に腹が立ちますね。やはり、今の状況なら、外 務省は必要ないでしょう。
  早急に、新しい組織を立ち上げるべきです。それも、ケントさんなどのように、世界中の日本ファンの方達を集めて立ち 上げ るべきでしょう。

やらないのでしょうね!

★真の救済を成し遂げた日本人

2016年06月25日 | 誇れる日本

 ねずさんがイスラエルを訪問されたというの で、珍し い、何があったのだろうと思ってましたら、訪問記を書いてくれました。これが又、目から鱗の話が一杯で、何時もにまして長文で す。

  是非、リンク元で全部を読んでください。日本人の素晴らしさに感動させられます。

  その中で、私が一番興味深かったのは、一人の女性市長さんの都市造りの素晴らしさです。これは、戦後の日本が間違っ て進めて きた政策を見事に指摘してくれていると言っても良いでしょう。
  もう一度、このやり方を参考にして、日本を再生したいものです。 
  
  小名木善行 ねずさんの ひとりごとよ り   2016年06月17日 

  ね ずさんのイスラエル訪問記(1)

  6月4日から10日まで、イスラエルに行ってきました。
要件は、
1 イスラエル・ネタニア市の日本の斑目先生の寄贈プラネタリウム竣工式出席
2 イスラエル・ネタニア市のスギハラ・ストリートの命名式出席とご挨拶
3 エルサレムの仏教施設「平和の梵鐘」見学
4 エルサレム・聖墳墓教会での動画収録
5 イスラエル・マサダ砦での動画収録
6 イスラエル・トランペルトールゆかりの地での動画収録
の5つです。
 
  …中略
 
  斑 目力曠

  …略 
  
  ひとつ例をあげます。
道路です。
ネタニアの道路は、要所要所に広い路側帯があります。
そこは市民のための無料駐車スペースです。
駐車違反なんて必要ない。
ちゃんと、広々とした駐車スペースがそこここにあるのです。
最初から、車は単に道路を走るだけでなく、駐車するものだという前提で道路が作られているのです。

日本ではどうでしょう。
高度成長時代に、マイカーブームが起き、いまでは車は(特に地方都市では)一家に一台から、ひとり一台の状況になってい ます。
ところがその高度成長期に、日本では主として左翼が、道路を作るといえば反対。
クルマ社会になるこにも反対。
路上に駐停車スペースをつくるなど、ただでさえ道路つくりにそもそも反対なのです。もってのほかとされました。
そして左翼の圧力に屈した行政は、全国の道路のほとんどを駐停車禁止にしています。
道路つくりの計画だけで反対反対。
地価も釣り上がり、気がつけば市道の多くは、ようやく片側一車線、悪くすると1.5車線で車が離合するにも不便を感じる ような道 路ばかりになってしまいました。

なるほど路上駐車はあぶないです。
だからこそ、安全に停めれる駐車帯をたくさんつくる。
ネタニアの行政は、実に合理的な発想だと思います。

いまの日本では、そのようなことをしたら、100円パーキングの会社から猛烈なクレームがつき、反対運動が展開されるこ とでしょ う。
しかし、それがそもそも「公益よりも、自分の利益を優先する」という欲得まみれの社会に、いまの日本が陥っている証拠な のだろう と思います。

ではネタニア市の商業はどうでしょう。
日本では、中山成彬先生らが猛反対をした大店法の規制が取り払われ、全国いたるところに大型ショッピングセンターができ ました。
その結果、地域社会の結合が失われ、商店街はシャッター通りとなりました。
ところがネタニアでは、その大型店の建設を、市の条例が禁止しています。
また商店は、1店舗1品目に限り、一定範囲内には競合する同業店舗の出店はできないこととされています。

つまり、ヤングカジュアルのお店なら、ヤングカジュアルしか扱ってはならないし、フォーマルの婦人服店なら、フォーマル のみで、 Tシャツなんて売ってはならない。
食堂も、洋食屋さんなら洋食のみ、お菓子屋さんなら、お菓子だけしか売ってはならない。
しかも一定距離以内に、同種の小売店舗や飲食店舗を設けてはならない。

こうすることで、誰もが、小資本で商店を開業でき、誰でもお店を持って起業することで、誰もが安心して食べていくことが できるよ うにしています。
そして大型SCは、多くの場合、他の市町村に本社があり、大型SCの売上から生まれる利益からの税収は、その市に落ちず に、その 会社の本店所在地の税収となります。
ところが、零細店舗が立ち並ぶネタニアでは、商店の売り上げから生まれる利益からの税収は、そのまま市の税収となるので す。
そして市の財政が豊かになることで、新しい道路や、公園や緑地の整備などの行政サービスが充実しています。

もちろん大型SCがないことで、消費者は多品種の商品選択の機会を奪われるかもしれません。
けれどそれ以上に、誰もが安心して生活できるのです。
その土地だけの美味しさを満喫することができる。
市民生活が活性化する。
市の財政が潤い、道路他、公共インフラが整備され、市民が清潔で美しい街に住むことができる。
さて、市民にとって、どちらが幸せな姿といえるのでしょうか。

いまの日本では、大店法廃止後、トップが国会議員になるような、大企業のトップだけが豊かな生活ができ、全国の特に地方 における 市民経済は、ずっと沈んだままです。
こんな日本に誰がした、と言いたくなります。…以下略

  道路を駐車場と言うのも素晴らしいですね。これに自転車道の整備を組み合わせると、素晴らしい都市ができそうです。

  それ以上に、イオンなどの反日売国企業によって破壊された日本経済の復活に、この昔ながらの商店街を取り戻す方法は 素晴らし いですね。
  この道路も、商店街も、政治が強い決意でもって取り組まないと、そう簡単には出来ないでしょうが、どうあっても、国 を上げて 取り組むべきことじゃないでしょうか。
  これこそが、日本が目指すべき方向だと思います。そうすれば、中韓の汚染された食品を廃止して地産地消で、健康な食 生活を取 り戻すことも出きるでしょう。 


中国軍艦の尖閣周辺侵入に無反応の沖縄県知事 東京都知事以上に不適任

2016年06月25日 | 沖縄

  舛添はやっと辞めましたが、もう一人の問題知 事は、ま だまだ健在で、日本を中国に売ることを目指して頑張っているようです。沖縄の人達が、東京都民のように知事を排除する気になるの は何時のことでしょう。
  と言うか、都民も今回はマスコミの先導に乗せられただけと言っても良さそうです。自分の目で選べるかどうかは、まだ まだ、怪 しいものです。次の知事だって誰を選ぶことやら。安心は出来ませんね。

  沖縄の人達も、あの2紙に乗せられていることは間違い無いでしょう。やはり、自分で見極める力を付けることが求めら れます。

  ケントさんが沖縄の知事が東京都の知事以上に不適任と書いてくれています。それに、沖縄県民が気がついてくれるのは 何時のこ とでしょう。

  ZAKZAKより    2016.06.18

  【ニッ ポンの新常識】中国軍艦の尖閣周辺侵入に無反応の沖縄県知事 東京都知事以上に不適任

 中国海軍のフリゲート艦が9日、沖縄県・尖閣諸島周辺の接続水域に初めて侵入した。これまで尖閣周辺に姿を見せていた 中華人民 共和国(PRC)の船は、中国海警局という、日本の海上保安庁のような警察組織の公船だった。

 昨年末から、この公船は海軍のフリゲート艦を改造した機関砲搭載の船になった。日本への挑発をエスカレートさせていた が、つい に中国軍艦そのものが登場し、脅威のレベルはさらに一段上がった。

 一連の動きは、「尖閣諸島を武力で奪う準備を着実に進めているぞ」という、PRCの露骨な示威行動だと思う。

 大陸国家であるPRCの海軍は必ずしも強くないといわれている。一方、海洋国家である日本の海上自衛隊は士気と練度が 高く、陸 上自衛隊には米軍の海兵隊的な揚陸部隊もあるので、仮に尖閣諸島を一度奪われても奪還できるはずだ。

 しかし問題は、PRCは物量作戦を用いて2度目、3度目、それでもダメなら、4度目の攻撃を仕掛けるだろうということ だ。 PRCのしつこさは折り紙つきである。

 このようなケースだと軍隊は通常、2次攻撃を防止するために、敵国の軍港や軍事施設、補給ルートなどを攻撃する。

 ところが日本は、第9条というバカげた憲法条文が、自衛隊に「専守防衛」という足かせをはめる。敵国の領域内にある目 標は攻撃 できない。

 例え話をしよう。

 ヒール役のレスラーであるPRCは、リング内の勝負が不利でも、リング外から次々に新しい凶器を持ち込める。ところ が、正義役 のレスラーである日本はリング内から眺めているしかない。

 凶器の供給源を断つ場外乱闘は、日米安保条約によって米軍の役割になっている。だが、米国大統領が「日本の無人島なん かどうで もいいよ」と言ってしまえば、場外乱闘は行われない。リング内の正義役のレスラーはいずれ必ず力尽きる。

 PRCは相手の出方を見ながら、少しずつ相手の権益を侵害して既成事実を積み重ね、最終的に全権益を奪う。南シナ海・ スプラト リー(中国名・南沙)諸島でも同様の、常套(じょうとう)手段なのだ。早い段階で手を打つ必要がある。

 沖縄県石垣市の中山義隆市長は今回の軍艦侵入について「非常に強い危機感を持っている」と語った。当然の反応だ。一 方、沖縄県 の翁長雄志知事からは的確なコメントが聞こえてこない。

 島嶼(とうしょ)部の国土防衛に関心が薄い沖縄県知事は、都民の福祉に無関心に思える東京都知事と同等か、それ以上に 不適任だ と考えるのは、私だけだろうか。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイ ダホ州生 まれ。71年に初来日。自著・共著に『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(PHP研究所)、『危険な沖縄 親日米国 人のホンネ警告』(産経新聞出版)など。

  何時ものように、我那覇さん達が頑張って警鐘を鳴らしてくれています。

  沖縄には、こんな素晴らしい人達もいるのですから、可能性はあると思われます。この方達の努力が実って、多くの県民 の目が覚 めることを期待したいものです。


  ケントさん以上に、沖縄の為というか、日本の為に頑張ってくれているエルドリッヂさんの【日いづる 国より】の続きです。こんなに、日本のことを考えてくれていることに感謝するしかないですね。日本人として、足元にも及ばない自分を顧みて恥じ入るばかり です。

  【日 いづる 国より】ロバート・D・エルドリッヂ、災害大国の危機管理と国際貢献[桜H28/6/10]


★助さん格さん、懲らしめてやりなさい

2016年06月25日 | 誇れる日本

  ねずさんが、2014年10月24日 (金)、第 528 回の「水 戸黄門が終わった訳」で取り上げた考察を、書き足して、より分かりやすく詳細に書いてくれています。これ も、目から 鱗です。

  何時ものように、全文は是非、リンク元で読んでください。日本人の民度の高さに驚かされます。

 と言うことで、もしかしたら、これに気がつかなかったパナソニックの経営陣が単に視聴率が落ちたからと辞めてしまった のじゃな いでしょうか。つまりは、経営陣が、幸之助さんの深い考えに及びもつかずに、切り捨ててしまった何てことじゃないでしょうか。
 そして、そうした、日本人の心に気がつかないような経営者の企業が、凋落し出したのも関係がありそうな気がします。

  もう一つ思いつくのが、シャープです。シャープもCMに経営陣の好みであの真っ赤かの吉永小百合を使い出したこと も、もしか したら、隠れた原因の一つかもしれませんよ。
  ということで、半日売国左翼メディアが作るCMや番組の中身に無頓着な経営者の企業は、もしかしたら危ないかもしれ ません よ。やはり、もっと真剣にどんな番組の提供をするかも考えた方が良いのじゃないでしょうか。
  今や、多くの目覚めた日本人がテレビを見なくなってきています。それも、半日売国左翼の余りにも偏向した番組に気が つき出し たこともあります。そんな 番組をきちんと考えもせずに、安易に提供なんかしていると、会社を潰す何てことになりかねません。やはり、もっときちんと考察し て提供すべきです。
  スポンサーが、そうした態度を見せれば、偏向した、反日売国メディアも変わらざるを得なくなるのじゃないでしょう か。

  経営者よ、ねずさんのこの考えを読んで、真剣に考えてください。会社の未来がかかってますよ。

  小名木善行 ねずさんの ひとりごとよ り   2016年06月13日

  助 さん格さん、懲らしめてやりなさい

  水戸黄門のラストシーンでお馴染みの、黄門様のセリフは、「助さん、角さん、懲らしめてやりなさいっ!」でした。
このセリフ、実はとっても日本的です。

 助さんや格さんが、このとき戦う相手は、武装した悪徳代官や悪徳商人の一味です。
一味の連中がどういう連中かというと、たとえば藩主を廃絶して悪徳仲間で政権を牛耳ろうとしたりしている、いわば政府転 覆をはか ろうとする連中です。
そのために、平気で人を踏みにじります。
要するに我欲のために平気で人を踏みにじるウシハク存在であり、テロ集団です。

 そしてこのようなテロ集団は、水戸黄門が連続ドラマであった時代よりも、むしろ今の日本に数多く跋扈しているように思 います。
水戸黄門の放映が終わるわけです。
まるで自分たちのことを描写されているように感じたのであろうかとも思います。…中略

 ところが水戸黄門は、どこまでも「懲らしめてやりなさい」です。
テレビドラマの黄門様も、石田浩二や里見浩太朗が黄門様役をするようになってからは、監督かプロデューサーが日本人でな くなった ためなのか、「懲らしめる」といいながら、助さんや格さんに、由美かおるや照英まで加わって、バッタバッタと悪人たちを斬り殺す ようになりました。
けれど黄門様を東野英治郎や西村晃が演じていた頃は、悪人たちを殺さない峰打ちでした。

 もっと前の黄門様、たとえば昭和32年の「映画・水戸黄門」では、主演が月形竜之介なのですが、ここでは黄門様ご一行 が暴れ回 る お楽しみ乱闘シーンで、刀を手にした大勢の悪人を前に、助さん格さんは、刀さえ抜きません。
手にしているのは十手です。
黄門様も杖だけで戦うという描写でした。
相手の暴徒たちを斬り殺そうという意思が、そこにまったくないのです。

 暴徒たちを相手に刀を振るうのは、義憤を感じた善玉の武士が、その場に助太刀して、刀を持って暴れるくらいで、すると 悪人たち は、「引け、引け~」といって、簡単に逃げていってしまいます。
要するに、あくまで襲って来たものに対して自衛のために「武」を用いています。

 テレビドラマの黄門様は、東野英治郎の時代には、「懲らしめてやりなさい」と、やや能動的に武力を用いるようになりま したが、 そ れでも、悪人を懲らしめるだけで、殺してなどいないのです。
当然のことです。
日本人にとって「武」は、どこまでも「相手の矛を止める」ためのものなのです。

 ハリウッド映画では、米国の庶民感情を反映して、「弱い者を守るのは素晴らしいことであり、それを守るために行われる すべての こ とは正しい」となります。
ですから「懲らしめる」のではなく、戦い、なぎ倒し、殺します。

 支那映画ですと、ヒーローが、今度は何百何千という敵をなぎ倒します。
まさに白髭三千丈で、話が大げさになります。
映画やドラマというのは大衆芸能ですから、それぞれの国ごとの民族感情が色濃く反映されるようです。

 問題は、日本です。
すくなくとも、昭和30年代くらいまでは、武を手前勝手な都合に用いることは非道であり外道のすることという感情が強 かったので す。
「武」はあくまでも、そういう外道の矛を止めるという「常識」が明確に働いていたのです。

 ところがその後の高度成長期になると、相手を懲らしめるために「積極的に武を用いるけれど、それはあくまで懲らしめる ためのも の であって、殺すことはしない」と変化しました。
バブル期になると「懲らしめるといいながら、殺しまくる」という描写に変わています。

 大衆芸能というのは、大衆が求めるものを提供するからヒットするわけで、提案した作品と大衆の求めるものに齟齬があれ ば、その 作 品は売れないし、テレビなら視聴率があがりません。

 最初のうちは良いのです。
たとえば「子連れ狼」は、時代劇が衰退していく中で、空前のヒットとなりました。
劇画調にバッタバッタと人を斬る。
悪人たちを切り倒す。
現実には絶対にできそうにない、大殺戮、大虐殺が、たったひとりの手によって行われ、鮮血がほとばしる。

 けれど、そうした残酷な描写は、一時的には人目を引いてヒットに結びつきますが、日本人は、そこからすぐに離れてしま います。
ヤクザ映画も同じです。
義理と人情の渡世映画が、次第に鮮血がほとばしる残酷映画に変わっていき、変わっていくことで一時的なヒットは飛ばしま したが、 結局衰退しました。

 そして仁義なき戦いシリーズに代表される、義理もなければ人情もない。ただ怒りと不条理だけが描写される映画が大ヒッ トとなり ま した。
そしてヤクザ映画は、衰退しました。

 「どんな手を使おうが勝てば良い」という思想は、はじめのうちは日本人に「認知不協和」を引き起こして、めずらしいも の見たさ の 人を集めますが、そうした日本人の感情にもともとないようなものは、結果として衰退してしまうのです。

 水戸黄門シリーズも同じです。
不条理に対してただ「懲らしめる」だけだったシリーズが、いつの間にか、懲らしめるのではなく平気で人を殺戮するように なり、つ いに番組終了頃には、なんと黄門様のご一行が、情報を得るために平気で人を騙すようになりました。

 いくら人気俳優を使っても、これではお茶の間に受け入れられません。
結果、夜8時台のゴールデンタイムの黄門様よりも、午後4時からのリバイバルの黄門様の方が視聴率が良くなり、これで局 側も少し は気付くのかと思ったら、結局黄門シリーズそのものが打ち切りになってしまいました。
普通の日本人なら誰もが気付く、自分たちの番組作りの間違いに、彼ら自身はまるで気づかなかったのでしょう。
たた「勝てば良い」という、日本人のような顔をした日本人でない人たちの感覚では、理解不能であったのであろうと思いま す。…以 下略

  日本の企業経営者には目を覚ましてもらいたいですが、韓国系の企業にそれを求めても無駄です。これは、やはり、日本 人が不買 運動で淘汰するしかないでしょう。