上杉鷹山の先生で、日本の学者の中でも高潔であることで有名な細井平洲を、何時ものねずさんが、何度目か取り上げてくれています。
今回は、何と、あの日本一高潔の逆の辻元を例に取り上げてその違いを教えてくれています。ねずさんの朝鮮半島嫌いは筋金入りだけにこの比較は面白い。
ここでは、辻元に敬意を表して関連するところを取り上げていますが、本当に素晴らしい細井平洲については、一ものように全文をリンク元で読んでください。
細 井平洲が説いた興譲の精神とは
細井平洲は53歳で、徳川御三家筆頭の尾張藩に招かれました。
そして藩校明倫堂(現、愛知県立明和高等学校)の学長になりました。
百姓の小倅(こせがれ)が、徳川御三家の教育掛の学長に就任したのです。
江戸時代の身分制が、世界にあるような固定的なものでなかったということは、この一事をもってしてもあきらかです。…中略
明治以降の日本は、武士という制度が廃止となりましたが、社会にはこうした武士の存在は不可欠です。
それは犯罪の取り締まりをする警察とも、また違った、社会における大きな役割です。
その役割を担う人材を育成するために置かれたのが、かつての師範学校です。
師範学校の卒業生は、社会における立場や地位に関係なく、人の道を、世の道を説き、実行し、不正を許さないという確固とした 信念を持つ人々として社会に配置されていったのです。
そしてそれが正しいこととされる文化があったからこそ、外で悪さをしている子供がいたら、近所のおっちゃんやおばちゃんが、 「コラッ」と彼らを叱ったのです。
戦後は師範学校がなくなり、教育大と名前が変わりました。
結果として、街中での悪事は、目の前にあっても野放しになっています。
このこともまた、戦後社会の大きな欠陥のひとつだと思います。
「自分さえ良ければ」というのは、「思い上がり」であり「自己中」です。
相手のことを考えず、自分勝手な思い込みだけで相手を批判し中傷し断罪する。
「思い上がる」というのは、「自分が人よりも上位にある」とばかり、「相手を見下す」行いです。
カンボジアのPKOで自衛隊が出動したとき、辻本某美はピー◯ボートと称する船を繰り出して現地の自衛隊の駐屯地に行き、そ こで「あなたたちはコンドームを持っているでしょ、出しなさい!」とばかり復興支援のために汗びっしょりになって働く自衛隊 員のポケットを勝手にまさぐったそうです。
隊員たちが唯一の楽しみにしていた数少ない缶ビールを見つけると、「こんなものを隠してた」とのたまって、そのビールを勝手 に飲んでしまった。
阪神大震災のときには、災害支援のボランティアと称して2トン車に荷物を満載して現地にはいったけれど、そのトラックの荷台 から出てきたのは、印刷機とチラシ。
チラシには「災害時でも自衛隊の活動を許してはならない」と書いてありました。
要するに自分勝手な思い込みだけで、まじめに働く自衛隊員を批判し、断罪する。
これこそ思い上がりです。
その思い上がり議員が、かつて民◯党政権のときに、東日本大震災のボランティア担当大臣になりましたが、理由は「ボランティ アの経験が豊富」だからなのだそうでした。
どうして「豊富」といえるのか不思議に思ったら、なんと上に述べたピー◯ボートでの経験を指していたのだそうです。
とんだ茶番です。
茶番ではありますが、世界の国家と国家の関係は、実は、こうした辻元ばりの概念のなかで動いています。
要するに「自分さえ良ければ」です。
残念ながら世界には興譲の精神も、主義もないのです。…以下略
それにしても、教育は江戸時代が一番良かったのじゃないでしょうか。明治維新以後、西洋式の教育を取り入れた事が劣化に繋がり、今や内容も教師も劣化仕切ってしまったと言えば言い過ぎでしょうか。