明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


一種の逃避行動、いや間違いなく逃避行動だが、部屋を片付けようと頭の隅によぎっただけで、創作意欲が溢れ出てしまう。展示用の作家の人形を用意しなくてはならないし、棚を設置する場所も確保しなくてはならない。作品は着彩を済ませていなければ、積み重ねようが問題はないが、いや多少問題は出て来ている。『虎渓三笑図』の三人は、写らない足は作っていないので、寝転がしているのだが、陶淵明の、中国詩人らしいドジョウ髭は、3回折れた。撮影まで放っておくことにした。飲みに出かける時に、首をポケットに入れて、なんてことも、ここに至ればさすがにやらない。撮影について考える。『豊干虎図』『鉄拐仙人図』『慧可断臂図』を仕舞い、大き過ぎて飾り難い『琴高仙人図』に差し替えることにした。 先日、酔って救急車に乗ったSがもう懲りた、と酒を止めたという。たった2針で?20針超を2人知っているがいずれも懲りた様子はない。

 



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鯉という物は死んだらすぐに臭みが出るので、鱗すら取らないほど処理を急ぐ。もっともその鱗は柔らかく、鯉コクなどそのまま煮込んで柔らかく食べられるという。以前撮影用に使ったイシナギのように、血抜きまでしてもらってという訳には行かず生きたまま取り寄せることになりそうである。円谷英二で瀬戸内のタコを取り寄せた時も、これが新鮮なタコの匂いか、と思っていたが、様々なポーズを付けて撮っていたら、恨めしげな目に臭みにうんざり茹でて冷凍。しばらく食べられなかった。それが鯉となると、撮影も急ぐ必要がありそうである。まあポーズといっても上に乗る琴高仙人を作った時点で決まっている。という訳で、つい鯉について調べてしまうが、仙人まで手を伸ばすかどうか、考えどころである。 毎年三人で木場公園で花見をやっていたが、シートに座って、とはいかないという。私は腰も痛いし、桜の花など最初の10分で、後は樹上でたなびくティシュペーパーを見上げるが如しなので、パスして先に一時半にサイゼリアへ。旧河本常連メンバーと総勢5人。昨日から鼻息が荒く飲む気満々だったSがあんの上泥酔。木場駅でこけ出血。救急車で搬送、なんとか帰ったようだが、パットン将軍の異名を持つ歳下のカミさんに食事抜きなどの仕打ちを受けるにちがいない。



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工芸学校の同級生が地元のYouTubeに出ているというので観た。彼の人柄も感じられ判りやすい。デッサンの試験などあってないような学校であり、だから私も入れた訳だが、にもかかわらず彼は日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞、その作品は日本工芸館に入っており、現在は伝統工芸東海支部の審査員を務めている。 思い出もたくさんあるが、卒業直後に、アパートで女の子と別れを惜しんで飲んでいた。すると彼と現在、中尊寺近くで陶芸家をやっている同級生の声がする。居留守を使っていると、一升瓶をぶら下げているらしい二人の「絶対いるって、ラーメンと酒ばっかりで倒れているかもしれない。」なんて聞こえてきて、裏に回ってガタガタ雨戸を外してしまった。二十歳になったばかりの私はバツが悪く「上がれよ」といってしまうし、私より一つ二つ上の彼らも、そこまでは気を使えず上がってきてしまう。 何が言いたいかというと、こんなことで歴史は変わってしまう訳で、彼らが雨戸を開けて入って来なければ寒山拾得など作っていなかったかもしれない。しかし一方、あの時彼らが雨戸を蹴破ってくれさえしていれば、と涙ぐむよりはマシである。



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一日  


最終的には陰影の無い石塚式念写法での撮影になるが、そのせいもあり、フェイスブックとインスタにアップした寒山は少々遊び過ぎ、まるで乱歩の踊る一寸法師か、という気味悪さである。ブログにはすでに登録済みの画像しかアップが出来ないでいる。 恒例の花見の誘い。たまには出て来い、というが、私のストレスの解消も作ることによってしか成されない。 久しぶりに、ジャズではもっとも聴いたチャーリー・パーカーを聴いていたら、岐阜の製陶工場にいた頃のことが思い出された。陶芸家を目指していたが、技術も経験も何もなく、先行きの長さに呆然とし、酔っ払って田んぼに落ちたりしていた。自分を信じることなどまったく出来ず、感じるどころか考えてばかりで、月を観ずに指ばかり見ていた。嫌な思い出である。戦場に駆り出されないくらいの役立たずになった頃、ようやくイメージした物が目の前に現れるようになる。



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タモリが笑っていいともを長く続けられた理由をネットで読んだ。「目標なんて、もっちゃいけません。目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ。夢なんてなくたって生きていける。」私が笑っていられる理由だと最近気付いたこと、一言一句といって良いほど、まるでそのまんまである。渡世も違うし私とは共通点もなさそうだけれど。 私は生まれつきこうであり、ならば鼻が低かったり短足に生まれた人に何一つ責任がないように、私には一切責任がない、といつもいっているが、何かがぼた餅のように降って来て、私はただそれを受信しているだけのような気分が拭えず、そこにも何も責任がないようなところがあるかもしれない。おめでたく生きるために二重三重の安全装置が設定されているかのようである。あとは植木等の笑いながら歌うという技術か。これは難しいのだと本人がいっていた。



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昨日続きは明日、などと講談師みたいなことをいったが、只今我が身に起きていること、これを異変といわずして何が異変か。実は只今飲酒に対する欲望が、雲霧散消、雲散霧消している。各方面からウソ付き野郎の大合唱が聴こえるようだが。 コロナ禍以降、当然外に飲みに行く機会は減っていたが、家においては昔からどんな酒だろうが、全て生のまま水も氷も全く割らずに飲んでいた。ただ面倒という理由である。工芸学校の卒業制作はニ升徳利。2度目の個展の前にプレッシャーから一年禁酒した後、小学校の図工の先生のお宅で日本酒を飲んで最初で最後の二日酔いをした。原因は何か、2ヶ月前からクリニックの薬が変わったこと、あとはワクチン接種くらいしか思い当たることがない。しかしいずれもそんな副作用は聞かない。 一昨日、飲み仲間のMさんと久しぶりに飲んだ。行きつけの居酒屋の女将さんを偲んで2人で涙ながら、サイゼリアでマグナムを三本空けたことがあるが、一昨日はキンミヤ一本で終わってしまった。幸いなのは、飲みたいのに飲めないのではないことと、検査結果は良好なことである。本日もロングでもないチューハイ缶を飲み残してしまった。異変である。まさか寒山拾得が何かしてる訳ではなかろうけれど。



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ここ何年来不思議に思っていることがある。前半の人生をまるで取り戻すかのように、昔嫌いだった食材がほとんど好物に転じている。元々食材のレパートリーの広さが男の腹の太さ、◯◯の穴の大きさに比例している、と自論を持っており、昔、好き嫌いの多かった亡くなった父を例えて農協新聞に書いたら、農協に勤める父方の親類に読まれてしまってバツが悪かった。 しかし食えば好まない物はあった、かつて不味かった東京のうどん、おでんのちくわぶ、酢、和菓子、コーヒー(ブラック)ひたすら酸っぱい梅干しや、丸のままのレモンはともかく。それが次第に克服していった。酢は、ラジオで深田恭子嬢が餃子を酢だけで食べるのを聴き試して以来、今では薄ボケた醤油ラーメンにまで入れるくらいだし、子供の頃から、ドラ焼などあんこを捨て、がわだけ食べていたくらいだが、今では朝ドラ観ては東京でいう今川焼きが食べたい。コーヒーは本格的ホットコーヒーには手は出ないものの、ペットボトルのブラックコーヒーはガブ飲みしている。という訳で、最近制作しているモチーフを手掛けながら子供時代の心持ちに戻りつつ、何かを取り戻そうとしているのか、と不思議に思っている。だがしかし、この程度のことでタイトルを異変、などとはしない。長くなった。続きは明日。



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昔一度書いた思い出である。妹がアメリカから子供二人を連れて帰っている、というので食事でもしよう、と実家に帰ったら空気が重い。息子二人が妹に叱られ泣いており、妹は叱り疲れている。すると母が私に小声で「◯美(妹)はちょっとうるさ過ぎるのよ。」といった。私は耳を疑った。なぜなら私が幼い頃、母に叱られ泣いていると、祖母が「◯子(母)はちょっとうるさ過ぎるんだよ。」といったのを覚えていたからである。私を笑わすために母と妹が仕掛けたギャグにしては、オチまで40年かかっている。 独学、無手勝流の大変さが身に染みていたある日、博物館に出かけた。古代から現代まで、父から子、師匠から弟子、先生から生徒、精神及び技術が学ばれ受け継がれて来たはずが、現代作品が過去の作品より優れているとは限らず、むしろ逆だったりしている。こんな調子なら、独学だろうと構うこたぁねぇや。気持ちを新たにした私であった。それはともかく。 結局、いくら歴史を重ねても、人間は懲りずに同じ事を繰り返す。ため息の日々である。



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布袋尊の撮影。陰影の有る普通の撮影。七福神としては唯一実在した人物とはいわれているものの、イメージ上の人物に、さもこの世に有るかのように陰影を与えるなんて。こんなことに関し、ただブログでぶつぶついっている。あまり話は通じないだろう。それで良いのだ、それが良いのである。この孤独感こそ私の大好物であり、一般人が家庭の団欒に包まれているような温かい心持ちになる。これは物心ついて以来なので着ける薬はない。 何度も書いているが、やらずにいられない、それがたかだか小さな人形を作り、写真を撮ることであったのが幸いである。やらずにいられない、それがどういうことか、私には判っているので、ある種の犯罪者に対しても同情的である。犯罪者にも明らかに死ななきゃ治らない”考えるな感じろ”タイプがいる。私は冗談めかして良くいうが、”これは生まれ付きなので私には責任がない。脚が短かったり、不細工に生まれたのが、その人の責任ではないように”  余計なことはいうまい。私は自分のやるべきことで手一杯である。



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一日  


ブログなどで食事内容をアップする人が多いが、こんな物を摂取し、私は作られているとの確認だろうか?さすがに大便をアップする人は居ないが、便には健康状態が表れるのでチェックしている人は多い。そう思うと、同じく作品には大便並みに私の成分が現れている。出来た作品を見て『私はこうことをしようとしていたのか。』と感心したり呆れたり、己を知ったりする。特に、無意識に知らないうちに身に着いた物しか役に立たない、という行き当たりばったりの無手勝流で、先日も鯉に乗ってる琴高仙人の髭が、鯉のヒゲ状なのを、指摘頂いて初めて気が付いたくらいである。 ワクチン3回目2月中旬に予約。葛飾区の知人などは一月中にすでに打ったという。コロナのことなど考えている時間が有ったら仙人を作っていたい。

 

 

 



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64年の東京オリンピック以降、東京に何が出来ようとなくなろうと興味が全くない私だが、引っ越し時に、当時の家族や風景が写っていたアルバムを置いて来てしまったことにより、さらに拍車が掛かった気がする。それは同時に、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写に対する思いにも拍車が掛かった気がするのである。 私は長らく死の床であれが作りたかった、これも作るべきだった、と苦しむことは決まっていると想像しては嫌な気分になっていたが、よーく考えて見ると、ただ昨日、今日浮かんだ物をただ作っているだけなので、その点は心配することはなさそうである。 子供の頃に頭に浮かんだ物は何処へ消えていってしまうのか、と悩みそれを消える前に確認しようというのが制作の動機にもなっているが、本当に不思議なのは、何で浮かぶのか、なのだが、それは解明されずに終わるだろう。まあ、頭の中にやっぱり在ったな、と確認する手段を持てた分マシだったろう。



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豊干禅師は虎に乗りながら杖をついている設定なので、後は杖と、握っている左手をを作れば完成である。例によって写る所しか作っていないが、それまで一瞥もくれなかった背後を見たら、後から付け足し、展示も可能かもしれない。今はそんなことをやっている余裕はない。朝起きて、天気も良く良く、と思っていたら、寝違えたか腰が痛くて起き上がるにも産まれたての小羊状態。畳に座布団の生活も、いよいよ限界のようである。64年の東京オリンピック以前の東京をなどと粋がっていたのだが。ちゃぶ台のテーブル化計画も折りたたみの脚も用意してあるが、どうしても作品制作を始めてしまい、そのままになっている。これが完成すれば全て椅子の生活になる。いずれはサーフボードのように立て掛けたままになっている。今はなき木場は『河本』のカウンターにも脚を付けてみたい。



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昨晩は津波警報で気分が削がれてすぐ寝てしまった。本日は天気も良く、豊干禅師というご馳走をむさぼるには最適な日よりである。家にいつもいるくせに天候に気分が左右される。 最近無呼吸用のCPAPを寝る時に装着するようになり、症状は改善されているものの、クリニックに届くデータにより、睡眠時間の短さも判ってしまった。昔は睡眠時間を短くすることは、自発的に長生きすることと同じだ、と思っていたのだが。しかし無呼吸が判明し、CPAPにより異様な眠気が取れると、特に睡眠不足は感じないが、昨晩もそうだったが、昔からの宵っ張りが寝る時間がどうも早いな、とは思ってはいた。まぁ寝不足とは感じないから問題はない。 せっかくの豊干禅師も、完成に向かってしまう。独学、自己流者の悲しさ、イメージが手先に伝わらない長い年月を経たが、今は、私の頭に浮かぶ程度の物は出来るようになった。それ以上の物は必要ない。 高校の夏休み、鉄骨運びのアルバイト、何であんな爺ィに出来ることが、と悔しかったが、コツが何となく分かりかけた頃に夏休みは終わった。あんな爺ィと思った爺ィも今の私より20以上若かかったろう。



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昼間頼まれている物を作る。慣れないことゆえ時間がかかる。結局なんだかんだしていて日も変わる前にようやく豊干禅師に取り掛かる。昔から胴体に最初に取り掛かるのは日が落ちた後と決まっている。 今時地球上で豊干禅師を作っている人間は私だけだろう。というお馴染みの甘美な孤独感。最近のモチーフはこの快感をむさぼるには絶好のモチーフである。以前友人がそりゃどんな感じだ、というから、一般人が家族に囲まれた団欒の暖かさ、そんな感じだと思う。と答えた。しかし実際そんな状況になったら本物の孤独感にいたたまれず、死にたくなるだろうけれども。私の賢明なところは、そんな状況を、試さなくても私を孤独のどん底に叩き込み、快楽を阻害するだけの物だと知っているところである。だからお前にも、友情をもって止めたろ? 豊干禅師の首を芯材に取り付けた所でテレビが津波が来るから逃げろと連呼。快楽をむさぼる気分が削がれて早々に寝てしまった。



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ホームにいる母と電話。小学四年の時、大人向けの一休禅師を買ってもらったのを覚えているか聞いたら、どうせ判らないから、と止めたのに、とそこまで覚えていた。私としても書店の店先でねだれば母もご近所の見栄もあるし、との計算があったのは間違いがない。そこでガロを買うようになったのは、その翌年か翌々年であろう。その書店は配達もしてくれたが、そこの袋に入った石原慎太郎の『スパルタ入門』をタンスに隠していたのを見つけ、敵の作戦を知ろうと、母より先に読んでしまった。以来の石原嫌いである。記憶が確かならば子供に死体を見せろという項があったような気がするが、あれは一理も二理もある、と後に思った。母には今度行く時、一休の首を持って行くよ、といっておいた。 友人等は、ホルモンの作用だか何だか知らないが、年頃になると遠くを見る目になったりしたものだが、私には全くそんな変化は起きず、一休禅師を読んだ頃から、一休を作るまでの間、全くの無段階で今に至っている。



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