主役となる被写体は、私が創作した人物であるが、私の頭の中に在ったのは本当のこと。それを被写体にしている、という意味でいえばまことを写している、といえなくもない。しかし写真作品を人間を撮った実写と間違われたことで、まことを写す、という意味の“写真“に過剰に反応し、まことなんて妙なものに関わるなんてまっぴら、と長い年月あらがい続け紆余曲折。その結果、今の私がある。 人間も草木同様自然物、肝心なことはあらかじめ備わっているはず、と考えて来た。禅宗をモチーフに至ったのは偶然のはずだが、そうではないようにも思える。考えるとロクなことがなかったからこうなった。放っておこう。