明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

姉妹  


アメリカの妹に母の状態を伝えて、今のうちに電話で声を聞いておいた方が良いかも、と伝えると、電話してどうするみたいな反応なので、勝手にしろ、と。見内は時に面倒である。しかし気が強いように見える妹も、実はボケ始めた母と話すのが怖いらしい。なんだ素直にそういえば良いものを?   以前、友人二人と両国に鶴澤寛也さんの義太夫の会を観に行った帰り、道路脇にベンチとブランコ程度の小さな公園があり、ザーザー降りの雨の中、ジャージ姿の女子高生が突っ伏して号泣していた。その異様な様子に私はたじろいだが、友人の一人は姉が4人もいて、よく留雄だ〆夫だなんて名前にされなかったものだが、あからさまな女子の生態を見て育ったので歯牙にもかけず良くある事だ、みたいに平気な顔をしている。もう一人も姉が2人で、小学生の時〝バケモノがいる!”みんなで観に行くと、オタフク風邪でセーラ服姿の姉がガラス張りの通りに面した喫茶店でタバコを吹かしていたと言う。二人揃って大人に至っても元スケバンの姉に苦労させられたようで、明らかにその女性観に影響を被っている。口達者な妹一人がせめてもであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




本日月一のクリニックに行ったら体重が3キロ減っていた。大食いでもないのに体重が増え続けて来たのは、ひとえに運動不足である。これでも幼い頃は多動症を疑われる子供だったが、成長と共に〝落ち着き”を身に付け、運動するくらいならちょっとでも安静にしているべき、と宗旨替えをした。酸化を防ぐためには出来るだけ酸素を取り入れない方が良いに決まっている。 加えて私の運動不足に拍車をかけているのは寺山修司の名言〝どんな鳥も想像力より高くは飛べないだろう”のような気がする。家から一歩も出ず、ひとたび目を瞑れば大空に五輪を描く、ブルーインパルスにトム・クルーズの如き運動量である。想像力は万能である。より高く飛ぶコツは、目を瞑ったまま、あくまで安静にしていることであろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




明日は雪が降ると言われた先日、洗濯物を取り込まなくては、と思いつつ寝てしまい、朝テレビのニュースで降雪を知って取り込んだ。幸い東京では珍しく、ボタ雪前だったのでたいして濡れずに済んだ。子供の頃は、どこからともなく「奥さん雨よー。」と近所から声が聞こえたのを思い出す。 色々な物が値上がりしているが、食料品など何も気にすることなく買っていた。何しろ数字が覚えられない。野菜の値段が覚えられるくらいなら他の事柄も、もう少し何とかなるはずである。しかし量を減らされれば気が付く。なので最近はたまに砂町銀座で買い物をする。引っ越し先を決める時、砂銀が多少頭にあった気がする。駅まで遠く、陸の孤島などといわれたりするが、通勤する訳ではないし、まして出歩くことが減った今日この頃、犬の遠吠えを聞きシミジミしたりする。近所の飼い犬だろうけれど。   一休が後小松天皇の落胤だという説は、賛否あるようだが、宮内庁では正式に認めているという。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




力道山の没年39歳を超えたのに気が付いた時かなり驚いたのを覚えている。中学の時、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』を3本立て150円で観た。2人の男が危険を犯しながら、何事もなかったように別れる。当時別れといえば、友達の転校ぐらいしか知らず、そのあまりの格好良さにサントラ買って聴きながら、しばらくボーッとした。ブロンソンが50になろうという〝老人なのに”その肉体にも驚いた。半年後、整髪料マンダムのコマーシャルで大ブレークした。大人になってビデオを見返して観たが、それほどの感慨はなかった。原因はすでに各種、各分野の別れを経験してしまっていたからに違いない。 その頃だったろう近所の幼馴染のビートルズ仲間と聴いた中に『When I'm 64』があった。〝どんな老人”の歌だと思ったが、いつの間にか超えていた。 限られた持ち時間、限られた能力。これからも、やりたいことの妨げになる事には一切関らず、チューブの絞り残しのないよう行く所存である。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




なんだか変だと思ったら、昨日のブログ2回書いていた。その日のブログを出来るだけ夜の10時までに書いているが、書けない場合は翌日の午前中に。それが間違いの元である。もっとも一日一回の薬を、さっき飲んだのか、昨日なのか、記憶を視覚に頼っているものだから、単調な日常、絵ヅラが殆ど変化がないので区別が付かなくなる。こうやって少しづつボケていくのだろうか。しまいに自分のツバでむせてしまったりすると嫌になるが、足腰が急速に弱ろうと、粘土を捻っていられさえすれば、まぁ良いか、という了見がいけない。アマゾンは玄関先まで粘土を持って来てくれるし。寝床で何故か脛が痛い。暖かくなったらストレッチを始めよう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


コロナには殆ど関心が無く、世間のああだこうだにも無関心である。良い歳をして人見知りにはマスクもかえって良いくらいの話である。呼吸が苦しくなるほど動かないし。そういう事を言ったり顔をするな、と母は言っていたはずである。 余計なことを考えたりしている時間はない、なんていうのも、それなりに不自然で無くなって来て、かえって真面目にやるべきことに集中しているように聞こえるかもしれない。この逃げ口上?は若いうちには使えない。 夜観る夢は僅かな時間らしいが、ストーリーからキャスティングまで、一体誰が考えているんだ、と思うが、同じように、考えていないつもりでも、どこかで何かやるべきことが、まとまりつつあるような気がする。気のせいと言えなくもないが、こういう予感だけは意外と外れないものである。例えていえば、台所から夕餉の支度の香りが漂って来て、次第にオカズは好物のアレだな?という、あの感じに似ている。 毎日ブログを書いているが、特に書くことがないなら書かなくても良いだろ、という話である。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


29日  


いい加減な割に、こう決めたらそうすべき、というところがある。なので今後陰影のない手法一筋で行こう、と思っていたのだが、そのせいでかえって私が一番恐れる、死の床で、あれを作りたかった、これも、と後悔に身を捩ることになりそうだ、と思い始めた。羅漢図まで行ってしまうと戻れないかもしれない。その途端、現金なもので、薄暗い所からドロドロドロドロと迫り上がって来る九代目團十郎の仁木弾正が浮かんで来るわ、子供時代の岡本綺堂が怖くて走って家に帰った、という圓朝の高座が浮かんでしまった。特に圓朝は、あそこを高座に設定し、と考えていたことを思い出した。死の床では間違いなく思い出すだろう。 ホームにいる母は、仕事をしていたせいで社交的が過ぎるくらいで楽しくやってる。友人でも、親が専業主婦は、他人が家に来るのも嫌がるので下の世話までして苦労している。〝夜の夢こそまこと”などとはいっていられないだろう。その母もこの一年でだいぶボンヤリしてしまった。介護認定の再判定を申請しようとしていたら、数千人待ちだった特養ホームから連絡が来て見学に行く。新築で以前住んでいた町で3キロ以内。決まると良いが。夜は恒例の工芸学校時代の連中と忘年会。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




携帯ショップで契約の見直し。何度やっても身に覚えがなく、よって一度も使ったことがない契約が含まれており。説明の中にどさくさに紛れて含まれていたのだろう。街中で平然と詐欺まがいなことが行われている趣きがある。 子供の頃アーケードの入り口でいわゆる泣きバイというのを観たことがある。万年筆工場が火事で仕事を失った、という設定の青年が汚いバッグの中の万年筆を買ってもらおう、という奴である。良き所でグルである男が「坊主、これは物は上等じゃねえか、おじさんが買ってやろう。」なんていう奴である。今から20年くらい前だったか、スーパーの買い物をぶら下げて歩いてると、トラックが止まった。運転手がやおら「時計やるよ。」という。時計?見ると化粧箱に入ったキンキラの腕時計である。「一杯飲めるくらいくれれば良いよ。」サンダル引きずり歩く私は、無防備な田舎出の人間に見えたのだろう。『葛飾は某所育ちに何を言っていやがる。』舐められたものだが、携帯ショップにおいてはアーケードで灰にまみれた万年筆を買わされたマヌケの如しである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




買い物に出かけると一角で良い匂いがする。トイレの芳香剤とは一味違う香りである。見ると口を開けた様々な室内用芳香剤のサンプルが並んでいる。スティック状の物が差してあるので次々と嗅いでみた。男世帯にこんな香りを漂わせてどうする、とは思ったが、ものは試し、一つ買ってみることにした。しかし色々嗅いでいるうち、何がどれだかわからなくなって来る。何往復して一つ選びレジへ。液体ではなく、瓶を開けっぱなしにするワックス状の物にした。某液体をこぼしてはパソコンのキーボードを何十と壊してきた、芳香剤をぶちまけたら大変である。店を出ると指に着いた芳香剤が良い香りがしていた。 買い物を済ませ、ベンチで休みながら芳香剤の包みを開けて嗅いでみると、イメージとちょっと違う。鼻が馬鹿になって間違えたらしい。しかし店に戻って再確認の自信はない。まして店員の鼻先に指を突き出し、嗅いでもらう訳にもいかず。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


手掛ける可能性が高いモチーフは、天台山が聖地と書いたが、何しろとてつもなく古くからあるモチーフ、ある頃からそうなった、そういう見方もある、という感じのようである。実にアバウトである。そんな世界であるから創作の余地がある。私もどこかに居るかどうか判らない架空の人物を気にするところがあるので、存在した事実がないぐらいの方が気楽である。 個展というと判りやすいテーマにまとめた方が良いのではないか、と私なりに考えるのだが、寒山拾得や仙人まで手掛けてみると、もはや好き勝手にしか見えないかもしれない。テーマも何も、私の好き勝手、を作って見せるのだ、ともういってしまっても良いのではないか? 〝考えるな感じろ”なんていいながら、何だか判らないけど作りたくなって作っちゃいました。はあまりにも馬鹿みたいではないか、とつい見栄をはりたくなるのだが、言い訳を考えてる時間は無駄ではある。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




銀座のリコーイメージングでの個展の際、会場に設置してあるコーヒーにより、苦手だったコーヒーが飲めることがわかった。ミルクを入れないと、空きっ腹の時など胃にもたれたものだが、ふげん社で、初めて自分からホットのブラックを飲み、人はこういう味を美味がっていたのか、と初めて判った。寒山拾得といいブラックのホットコーヒーといい、なんとか間に合った。短い一生何事もダメになるよりダメでなくなった方が良いに決まっている。 友人で酔っ払って、たった2針頭を縫って、もう酒は飲まないと決めたなんて愚か者がいる。早く会場に来て、私の『虎渓三笑図』を観ろ、真理の前では禁則など何の役にも立たない、と三人の男が笑っている。    考えるな感じろ。考えるより水槽の金魚をめていた方が良い、と確信していたし、実際それで良かったのだが、それについて明日は何か話さなければならない、となると話が違って来る。感じてばかりいないで、少しは考えておけば良かった。多少は考えておこう、と早めにふげん社を出たのに、向こうから自転車に乗った工芸学校時代の友人がやってきた。明日ギャラリートークのお相手いただくのは東雅夫さんである。”大船に乗った気持ちで“と聴こえた気がして、18からの付き合いの彼と、40年前の初個展の話などで、つい飲酒に耽ってしまった。

Don't Think, Feel! 寒山拾得展
人形作家・写真家 石塚公昭 作家活動40周年記念

10月13日(木)〜11月6日(日)

10月23日(日)ギャラリートーク東雅夫さん

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日は久しぶりにブログをアップしなかった。翌日の昼までには、と思っていたが、気が付いたら昼過ぎであった。以前からトウモロコシの糠漬けを焼いて食べてみたいと思っており、一度やったが、いきなり糠床に突っ込んだのが良くなかった。当たり前の話だが、水分を持って行かれ、焼いてみたがモソモソしてダメだった、が味はそこそこではないか。検索してみるとやっている人がいたが、ラップでチンして一晩。しかし私は焼いて食べること頭にあるので、物足らない。チンしてから漬けると、水分がいきなりほどには失われないかも、と漬けて翌日焼いてみた。いつも、ラップなどせず皮付きのままレンジに放りこむ。その後漬けて焼いた。糠の酸味とトウモロコシの甘味でなかなかの珍味。初めての味である。さすがに醤油には及ばないものの5本に一本の割合ならやってみる価値はあろう。 食べ物は美味いから食うのではなく、食いたいから食うのである。昔、食べる食材の範囲は男の○○の穴や、腹の太さに比例している、と農協新聞に書いた。好き嫌いの多かった父をダメな例としでイメージしたのだが、それが茨城の農協に勤める父方の親戚に読まれてしまった。余計なことは当ブログだけにしておく。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




鉄拐仙人仕上げに入る。同時にペアとなる蝦蟇仙人も。様々な理由で予定とは違ってしまったが、行き当たりばったりの割に的をそれほどはずさず予定の着地場所近くにに着地したのではないか。 昔から使っていたちゃぶ台は、畳生活も限界が近づいている。そこでスチール製の折り畳みの脚を入手していたので、テーブルにしたい。妙に重いと思っていたが、脚を外してみると、思いのほか欅の天板4枚が分厚い。後は脚に塗装してボルトで止めれば良いはずである。もう一つ、早々にギブアップした文机がある。障子越しの光で執筆する泉鏡花が頭にあったのだが、様々意味で正反対の人物をイメージしたのが失敗の元であった。すでに昔の役場の机のような作業机に換え、処分しようと台所に立てかけていたが、天板が欅の一枚板である。ここで私の不治の病いが出る。2枚重ねればギターに丁度良い。高校の試験中、逃避の手段がギターのデザインと、自転車の改造計画であった。以来、一度も作ったことはない。5年前に入手したホンジュラスマホガニーの板も手付かずである。そういえば、三十年以上通った煮込みの銘店は、木場の河本の解体現場から救い出したカウンターも未だサーフボードのように立てかけてある。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




先日、つい自分が何を作るのか以外に関心がない、というようなことをうっかり書いてしまったが、母は治らないなら、せめて正体がバレないように上手くやれ、と私に教え込んだと思う。もちろん具体的にそうは言わなかったが。 亡くなった父は心臓が悪く、何回目かの入院を控え、私に今まで好きなことをやって来たのだから家業を手伝えといった。すると何やらコソコソやっているのを聞きつけた母は、台所から出て来て何を今さら言っている、と父を怒った。朝ドラで借金してまで娘に好きな事をやらせようという母親を見ていてそのことを思い出した。有難いものである。たまたま知り合いが7年も個展をやっていないのだから、と画廊を紹介されたのが2ヶ月前であった。楽器を作るのが嫌で、いざとなればキャンセルをと考えていたが。父の弱り具合を見ると、冗談じゃない、ともいえず、これだけは決まっているのでやらせてくれといった。それにしても7年のうちの2ヶ月である。決めていなかったらどうなっていたか。そして、やれることは全部やってやれ、と初めて写真を展示した。父は無事帰って来たが、のんびりしてはいられない、と翌年作家シリーズに転向した。 あの時の母の気持ちを元気なうちに聞いてみたいが、母は、私が子供の頃、将来とんでもない人間になるのではないか、と憂いていたことは間違いない。あの日の母に私は勝手に感謝しているが、母としては、その挙げ句が、たかだか可愛らしいお人形を作ることに落ち着いたことで、不幸中の幸い、と実はホッとしていたのではないか?と思うのである。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


一種の逃避行動、いや間違いなく逃避行動だが、部屋を片付けようと頭の隅によぎっただけで、創作意欲が溢れ出てしまう。展示用の作家の人形を用意しなくてはならないし、棚を設置する場所も確保しなくてはならない。作品は着彩を済ませていなければ、積み重ねようが問題はないが、いや多少問題は出て来ている。『虎渓三笑図』の三人は、写らない足は作っていないので、寝転がしているのだが、陶淵明の、中国詩人らしいドジョウ髭は、3回折れた。撮影まで放っておくことにした。飲みに出かける時に、首をポケットに入れて、なんてことも、ここに至ればさすがにやらない。撮影について考える。『豊干虎図』『鉄拐仙人図』『慧可断臂図』を仕舞い、大き過ぎて飾り難い『琴高仙人図』に差し替えることにした。 先日、酔って救急車に乗ったSがもう懲りた、と酒を止めたという。たった2針で?20針超を2人知っているがいずれも懲りた様子はない。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »