明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



実家に帰ったついでに、未だに咳が止まらないときがあるので医者に行く。風邪で医者にいくのは気が引けたが、しかたがない。ウイスキーが喉に沁みるので、ただ炎症を起しているだけだと思いつつ、レントゲンまで撮られた。注射一本打ってもらい、即治ることをイメージしていたが、錠剤数種、パッチ、トローチなどが出た。中には眠くなる薬もあったが、なにか一つあれば笑い出しそうだが、所詮風邪薬で期待するほうがおかしい。 数年前に亡くなった、近所の幼馴染Nのお袋さんが荷物を整理中で、Nのカメラをはやく持って行って欲しいということで、うかがう。話を聞くと、埼玉に住んだNの持ち物を、友人知人に持って行ってもらったということで、彼のエレキギターは、すでに誰かが持っていったのであろう。大事にしていたバイクもあったし、1メートル以上ある戦艦大和の模型まであったらしい。Nが亡くなったったのが、父が亡くなり間もなくであり、十数年会っていなかったこともあったが、父についで、幼馴染の死に顔を見る気にはなれず、葬式にも出なかった。そして、誰も引き取り手がなく、残ったのがカメラであった。見せてもらうと、すべてアナログで、ペンタックス67、キャノンAE-1×2、国産初の一眼レフ、アサヒフレックス、オリンパスペン-DとEL、国産スプリングカメラ、その他インスタントカメラ数台に各種交換レンズなどであった。いまどき引き取り手がいないのは判るが、私にとっては別で、ありがたくいただく。 お袋さんには、子供の頃、熱が出たNを背負って模型屋に買いに行き、模型を作らせていると熱が下がったという話をきいた。なにしろ機械いじりや工作好きで、そんなところが私とウマが合ったわけだが、私はメカ音痴で、特に幼稚園の頃は、早生まれの私とは1年近く差があり、プラモデルでも、配線部分は彼に作ってもらった覚えがある。洗濯機のモーターで紙粘土でロクロをやろうとして、高速回転でお宅の庭を真っ白にしてしまった話は忘れているようなので、余計な話はしないでおいた。帰り際、「公昭ちゃん、風邪ひいてるのに素足なんかじゃ駄目じゃないの」といわれた。

01/07~06/10の雑記
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