明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



すでに着彩を待つだけのはずだった圓朝だが、團十郎を作りながらチビチビ手を入れていたら顔が変わった。 失敗した場合、失敗して良かった、と思えるまでやらないと悔しくて耐えられない。円朝は失敗ではなかったが、あの時完成したつもりで続けていたら今の円朝ではなかった。ああ良かった。と完成が遅れたことを良いように解釈。私は過去に架空の黒人ボクサーを数体作ったが、常に顔を腫らし、しかし勝者の表情。“自分が負けと思わなければ敗者ではない”。というのがテーマであった。当時思い出したように作りたくなったもので、これは今でも作りたくなる。まあ見方を変えれば“諦めの悪い男”といえなくもない。 今の若者は知らないが昭和30年代、東京の下町に育つとどうしてもしつこい、くどい、諦めが悪い、と思われたくない。あっさりした男に見られたい、という見栄が育つ。小学生が「男は諦めが肝心」などとほざいていた。私もご多分にもれすそう思われたいクチであるが、当ブログで諦めの悪さを思う存分披瀝してしまっている。しかし、くれぐれも制作に限ったことである、といっておきたい。たとえば私が部屋の片付けをしているところを見たら、いかにあっさりして諦めの良い男か、というのが10分程度で理解してもらえるだろう。

HP

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