私の一生を良くも悪くも左右したことは、好きなことさえやっていれば孤独も寂しさも全く感じない、ということだろう。そしてそれに集中している時にのみ溢れ出る快感物質に、幼い時点で中毒者となっていた。そんな私を見て危険を感じた母は学校の先生と相談し、ある検査機関に連れて行ったり、チック症になる程うるさくされた、共働きで、手を掛けられないことが心配の種でもあった。今では母には感謝しかない。快楽の元である、その秘密に関して、日常では極力表に出すことはない。快楽に没頭するには表に出して良いことは一つもない。治らないならならせめて、と母は私に伝えた。 高校の3年間は美術部にも入らず耐えた。これが過ぎたら後の人生は快楽を味わう事だけ考えて生きよう。本能的に、家庭の団欒など、快楽を阻害する最たる物で、孤独のどん底に私をたたき落とすだけのものであることも知っていた。こんな人間は普通だったら家庭に問題があった、といわれそうだが、生まれ付きこんな人間は間違いなくいるのである、なので〝やらずにはいられない”ある種の犯罪者にも私は同情的である。 初個展から今年四十年。私により快楽をもたらす物を、と行き当たりばったり、二年前の快楽の最突端は三島由紀夫であったが、現在は寒山拾得、ということになろう。二年間は、交通事故に気をつけ、クリニックもサボらず通おう、と誓った。本日クリニックで褒められ、明日はパソコンが届く。