明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



無学祖元の袖口から顔を出す龍龍の指は、上半身しか必要ないのに、針金の下半身を切り離さないまま。どうやらヘソ下三寸に居るもう一人の私が、出番があること予見していたのか、結局、洞窟内で面壁坐禅する蘭渓道隆のはるか背後の上空に飛ぶことになりそうである。法の雨を降らすといわれる龍は、そのために寺の天井画として描かれる。後に日本に渡り禅を広めようという蘭渓道隆に龍は良さそうである。来日前であるし、建長寺の天井画の龍は中国式に5本指なので5本指にしよう。一方円覚寺開山、無学祖元の龍も、来日前の宗時代の話しではあるが、鶴岡八幡宮の遣いという設定であるし円覚寺の天井画は日本式に3本なので3本指にしよう。

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次回の展示は新作の作品数を抑え、それに集中することに決めていた。蘭渓道隆は、実在した人物制作で、今まで得た物を全て投入する必要があった。 『建長寺物語』(高山正俊著)を読んでいて建長寺の開山、蘭渓道隆の本日のタイトルの言葉が目に留まる。噛み砕くと〝外の世界や他人のことに気を取られるな、自分を照らす光は自分自身の中にあるのだから”だそうである。その禅師を〝外の世界にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想”である私が制作している。 〝人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっているはず”とずっと考えて来た私が、仏は己の内に在る、という禅宗をモチーフにするに至ったのは偶然ではないような気がするが、禅師の制作も果たして偶然なのだろうか?

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