『慧可断臂図』で壁に向かって坐禅する達磨大師の表情を見せるため、雪舟は真横を向かせ、私は振り向かせた。達磨図は星の数ほど描かれて来たが、表情が隠れるためか、律儀に面壁し、背をこちらに向ける図は見ない。面壁せずに巌窟の外を見ているのがほとんどである。2作目の達磨図は私もそうするつもりである。 しかし初めて本格的禅を日本にもたらせた蘭渓道隆師の坐禅図は、以前から考えないではなかった一手を。面壁する壁に耳ならぬ目があったなら、という試みである。面壁する人物をド真正面に扱うにはこれしかない。陰影がない世界は、巌窟の奥でも光量不足とは無縁でもある。 禅師の背後に巌窟の入り口。その向こうに広がる山々。その上空の雲の中に龍。こちらから見ると禅師の頭上に龍のように見える。実にくどいが、当該モチーフにはくどい先達に溢れている。これも陰影がないからこそであろう。タイトルにはあえて〝面壁“と入れたい。
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