死の床で、あれも作りたかったこれも作るべきだった、と身を捩って苦しむに決まっている、と長年恐れ続けたが、その原因が小四で読んだ大人向け『一休禅師』の“門松は冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし“だと気付いたのは、昨年、その竹竿にシャレコウベ掲げた一休を制作している時だった。長期の予定は立てず3体まで、などの策を講じていたが、皮肉にもその一休にたまたま陰影を与えたことにより、新たな試みを始めてしまった。その途端、母が亡くなり2度の冠動脈の手術を経て、昨日退院した。結果明らかに死に対する恐怖が薄れており、こうなったら、創作による快楽により、ヨダレ垂らしながら死んでやる、と変化した。本屋の店先で一休禅師を「読んだってわかる訳ない」と反対したことを覚えていた母の母性は、こんな私を全て予見していた。恐るべし、そしてまた有り難し。
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