昨日の陰影有、無の二刀流を試みたらどうか?というのは、おそらく、意外にも人形の仕上げがスムースに進んだ、その心の隙間に入り込んだ事であるに違いない。しつこいようだが、立体を作る、ということは陰影を作ることに他ならず、それを自らの手で削除するというのは一種矛盾に満ちた行為ともいえ、中々踏ん切りが付かなかった。一作目の三遊亭圓朝は人魂浮かぶ背景にこちらを見ている圓朝で、グズグズと随分待たせたな、という顔をしてこっちを見ている。と当時思った。フェイスブックにより、この石塚式ビクトリアリズムの第一作目の完成は、5年前の4月9日だということも判った。 せっかく作った陰影を、と身をよじるのは私ならではの葛藤であろう。作った所は見せたいというのは人情である。それも陰影有無の二種作れば解決となる。 もっとも、石膏削って中国の山々を、なんていうのは陰影が無いからこその話であるし、例えば鯉に乗った仙人に、実際存在するかのように照明当てて、なんて、まことを写すという写真に抗ってきた私が今に至りするにしては中途半端であろう。
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