先日久しぶりに蘭渓道隆の首をポケットに入れて建長寺に行って来たが、久しぶりに見て、治す所が目についたので最後に修正を施す。建長寺で、収蔵されている木像が使われた催事のポスターを見て、ポケット内の首は、これに違を唱えることになってしまうな、と思わないでもなかったが、いつものようにに、出来る限り調べた挙句であるから私なりにやるしかない。 建長寺にはビャクシンの樹と並んで創建時に作られた国宝の鐘がある。七百数十年変わらない鐘を背景にしても記念写真にしかならない、と撮らなかった。夏目漱石が〝鐘つけば銀杏散るなり建長寺“を作り、それが元となって正岡子規が〝柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺“を作った。夏目漱石はワシ鼻を写真師に修正させているが、私は騙されなかった。文学上のことはいくらでも議論になるが面相にこだわるのは私だけのようである。