明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



それにしても昼間見ると我が寒山拾得、酷い顔である。特に拾得はもじゃもじゃ頭でもあり、新東宝の大友純を思い出した。幼稚園に通う途中、選挙カーに乗り手を振る大友純を見たが、大人達がみんな固まっていた。満面の笑みがまた怖く、選挙の応援になったのかは怪しい。実際は大変良い人だったと聞く。そうでなければ困る。 寒山と拾得は聖俗併せ持つ精霊のような存在であろう。痩せていると書かれているのに肥満体であったり無邪気な唐子調が多いのは、絵師たちによる聖性の表現かもしれない。そう思えば納得がいく。 そこで不気味な寒山拾得に聖性を与える奇手を思い付いた。思い付くのは奇手ばかりという気がしないでもないけれど。そのためには必要な物があり、それが手に入れば、という話である。たった一カットのために、と思うとどうかと思うが、人間思い付いた物を作るように出来ているというから仕方がない。 臨済義玄はあと法衣に色を塗るだけである。



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