明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



そろそろ谷中の全生庵にて公開している幽霊画と展示していただいている私の円朝を観に行こうと考えていた。行った人によると、幽霊画を展示している同じ部屋に円朝像が置いてあるという。幽霊とはいえ、円山応挙と同室など、私にとれば快挙といいたいところだが、本日、ネットのニュースで1923年の関東大震災で焼失したとされていた幻の鏑木清方の幽霊図「茶を献ずるお菊さん」が約1世紀ぶりに確認され、全生庵で展示されている、というのでビックリした。制作に集中していると、偶然を呼び寄せることはよくあることなのだが、今回は極めつけといってよいだろう。1世紀ぶりになんというタイミング。これは1年以上にわたり、清方だ円朝だと唱え念じ続けた私への清方と円朝のプレゼントであることは間違いない。 このお菊は顔を隠しているし、死装束でもなし、皿をどうしているわけではないが、事情あり気な美人に“お菊”とタイトル付ければ自動的に幽霊になるわけである、この手があったか、と。私はグロテスクな幽霊をやりたい放題造形してみたいという気はあるのだが、江戸川乱歩で「芋虫」はやれなかったし、自作のグロテスクさに辟易して「盲獣」を書き直した乱歩を想い、バラバラ死体のシーンでさえ、ユーモアを漂わせた。世の中には戦争はもとより、病気、事故、様々な不幸がある。宮崎駿が番組で、若者の制作したグロテスクなアニメーション作品を見て“生命に対する侮辱”だと激怒していたが、無邪気に作れば良いというものではない、という気はする。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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3ヶ月いた病院から介護施設へ転院する。着替えをもっていかなければならない。ヨーカドーへ行き、食事をしながら書類の不備がないか確認し、シャツやら買おうと思ったが、女性物のサイズが各サイズの違いがあまりないようにみえて良く判らない。最近母の見舞いに行ってくれた女性連にメールをするが、昨日の祭りのせいであろう、返事が来ず。ある物だけ持って行く。病院に行くと、すでにナースステーションで、母がなにやら話している。ここへ来て3ヶ月、爺さんはまだ歩いてTVを観に来ていたりするが、母程しっかり喋れている婆さんは観なかった。だいたい訳の分からないことをくりかえしていたり、アーウーいっているだけ、もしくはこんこんと眠り続けている。しかし元気な分、動き回られて何かあっても困る、と拘束用コルセットをされっぱなしであった。介護タクシーにより施設へ。母は私と同居するまで住んでいた場所に近く、地元、といっても良い。しかし、こちらへ来たら一人でどこでも出かけられると思っていたらしく、私と一緒でないと出かけられないと知り、腹を立てていた。もういい加減にしろよ。 最後にこれだけは言っておく。テレビショッピングで何か買おうとしても、すべて受け取り拒否するからな、覚えておけ! 米寿でもあるし、来週寿司でも食べに行こう。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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版画家川瀬巴水の作品を観ていて思うのは、自分のルールを持っていないとならない、ということである。絵画は本来そうしたものであろうが、自分にとって本当のことであることが肝腎であり、自然界のおきて整合性などどうでもよいのである。いや、どうでも良くはないだろうが、その案配のしかたに作家性が現れる。巴水は影を描かなくとも、そこに水があると、それが水たまりであろうと鏡の如くの映りようである。自然を描こうとルールブックは私だ、というわけで、写真を手段とする私も是非そうありたいのである。“自分のイメージに不要な物は取っちまうぜ。それが例え立体の陰影でもな。” 本日深川祭りの最中、深川資料館に行こうとトラックドライバー3人と約束していたら、約束時間を守らず、回転寿司食べてます。という。みんな酒弱いくせに酒飲んで約束などするな、といいたい。運送業界の愚痴は聞き飽きたし。もういいや、と一人で向かう。資料館は一日に800人や900人の来場者だという。結局、円朝と牡丹灯籠のお露とお米の共演は果たしていない。これは1作制作しておこう。 その後K越屋に行くと祭りの真っ盛り。びしょ濡れの男女が出たり入ったり。オヤジも2度目の脳梗塞を乗り越え良かった。他の町会はもう終わったというのに、7時近くになってまだ担いでいる。3年ぶりの本祭りの終了を惜しむ江戸ッ子の未練。亡くなった町内の人の写真が掲げられ、担ぎ手の間から見え隠れしていた。 

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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一日  


深川は3年に一度の本祭りで盛り上がっている。永代通りを歩いているとホイサーという、妙な神輿が目の前を通り過ぎ唖然とする。深川はワッショイに統一していたはずだが。半纏は現在は誰でも入手可能だし、色々な物が混ざってしまうのかもしれないが、深川だけは、と思っていたので非常にがっかりした。ウチの町会はホイサにします、とかいう馬鹿がいたのか。 母が月曜に病院から介護施設に転院するので分厚い書類にハンコ捺したりサインをしたり。こういう作業をちょっとしただけで創作意欲が湧き出て来る私である。一番効くのは“部屋を片付けよう”と思うことである。次の瞬間制作を始めている。 4時近くになり、銀座Art Gallery M84の飾りたいと思う写真展『アートの競演 2017葉月』にお邪魔する。目印の医院は、ついこの間、近所の酔っぱらいが階段でこけて、救急車で運ばれた医院であった。9回目である。最近肺気腫と診断され煙草を止めるといっているが、病気で死ぬ前に事故で死ぬから安心せよ、といっている。こういう私の予言は当たる。引っ越しを手伝った時に、間違いなくこの階段でケガをする。これは『天国への階段』である。といっておいた。 グループ展は様々なアプローチを試みた意欲的な作品ばかりで、興味深く楽しめた。地元へ帰るとT千穂で件の酔っぱらい、傷だらけで余白のなくなってきたおでこを光らせヘラヘラ笑っていた。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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日本画には背景をまったく描かないことがよくあるが。立体である被写体から陰影を取り去ると、そんな背景にも無理なく配することができる。 陰影こそが立体の証であり、そこをどう描写するか、が写真だ、という人がおり、よって私の最新作は写真じゃない、なんて人がいるが、カメラで撮ったものをプリントすればそれは写真であろう。写真に見えない、というのは単に見る側の問題である。作られた人形に念がこもっているように見えるのも、それも見る側の感じ方である。 私は陰影を取り去ってなお、立体を感じさせるレンズ、カメラの実力を改めて認識した。製品である機材に依存せざるを得ない写真に対していささか引っかかりが拭えない部分があり、描写力に感心されるなどまっぴら、写れば良い、と私の使うスクリューマウントのレンズは、かつて世界中で作られ、よって安価で選び放題、という理由で使っていたが、侮っていてすいませんでした。とここへ来て。写真嫌いから始まり、オイルプリントを除けば、もっとも写真に見えないことをやったら、もっともカメラ、レンズの有り難みを知った、という意外なオチとなった。 可能性は探りながらだが、次は幽霊でないポートレイト、また立体といえば、のヌードであろう。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

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朝T屋にて朝食を食べていると。木場のお露ことAちゃんが遅刻する、と慌てて飛び出して行った。母親のお米によると、Aは大学のサークルが忙しくて深川江戸資料館にいけなさそうだ、という。「そうなの?無理することないよ。」会場に行ってみると、まさかの一番奥のど真ん中に一番怖いお露が飾られていた。 愛しい新三郎の部屋にお米とともに浮び現れた場面こそ、切な気な表情であるが、カランコロンと下駄を鳴らして新三郎邸に向かう表情は、欲情にかられた蛇の如し、化け物と化している。勿論こうなることは伝えてはあったが、嫁入り前のAちゃん19歳、あまりな姿であろう。新三郎に一目惚れし、焦がれ死んでしまう、というお露の恋心の激しさを表現した、といいたいが、最初はフェイスブックにテストと称して適当に加工した画像をアップしたら怖い々といわれて気を良くしてしまった。もちろん画像処理の途中の段階を保存してあり可愛い方をT屋に届けたが。きっかけはどうあれ、これでいこうと決めた。後はAちゃんのサークル活動の盛会を祈るばかりである。 3ヶ月入院していた母も14日には介護施設に転院する。昨日見舞いに行ってくれたHさんに下の入れ歯と携帯電話を持って来て欲しいと。携帯は一度ベッドでかけまくり取り上げられたのだが。




※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。

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幕末から明治になり、時代はすでにランプ、ガスの時代であったが、円朝はあえて高座に2本の燭台を立て口演した。そうとう暗かったろう。かつてクライマックスに、蠟燭の芯を切って光量をアップするなんて演出する噺家がいたそうだが、光量アップといったってたかが知れている。そんな時代の雰囲気が出はしないか、と。小さなLEDのライトを蠟燭の炎に見立て燭台を作ってみた。しかし細かい細工の苦手な私は極細のリード線を切ってしまい、追加で注文したら、届くのは明日の午前中だという。しかたがない、届いたらすぐに会場に届けよう。 着彩を終え、タクシーで会場へ。 後ろに金屏風を立て、富岡八幡の骨董市で入手した欅の花台を高座に見立て、という企てだが、昔の挿絵など見ると高座は様々だが。家で見るとこじんまりとはしているが、と思ったが、広い会場で見るといかにも小さい。まあとりあえず。 LEDの燭台は1本だけ着けてみると3ミリのわりに以外と明るい。蠟燭転倒防止のフレームは今回間に合わず。 手漉き和紙にプリントしたのは6カット。用意してもらった額に収めようとすると「石塚さん自分でやる?」「おまかせしちゃっていいですか?」昨年ゴールデンウイークの、ここでの個展『深川の人形作家 石塚公昭の世界』では、会場で作品に色を塗っている始末で、展示はすべてまかせっきり、一言も発することなく終わった。小学生の時、通信簿に“掃除の時間、何をしていいか判らずフラフラしています”と書かれた私はいてもただ邪魔なだけである。 終わったことはいいとして、と酒場で川瀬巴水の画集見ながら寝てしまい、さらに公園のベンチで寝てしまってなんとか帰ってこれを書いている。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。

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明日の夕方搬入ということで、夜中には乾燥が終わっていないとならないが、必ずしも芯まで乾燥できなくても展示には問題ない。 そういう時に限って母が入院している病院の看護士から母が今日来てくれ、といっていると連絡。小遣いがなくなったのでTVも観れないし、おやつも欲しい、ということであろう。夕方まで制作を続け、行ってみると、父方の親戚のオバさんの所へ行くから一緒に外出してくれ、という。この病院は良いから、そのオバさんのために病室を取ってもらっている、という。それは相手にしなかったが前からいっていた。ナースセンターにいっても、口には出さないが『ああその話ですか』的な表情。年寄りには否定せず、はいはい、と訊いておけ、とよく訊くが、担当医、看護士のその反応で、すべて話しは通っている、と母は思い込んでいるのである。昔からそうなのだが、自分が良いと思ったらなんでも人に送ったり勧めたりする。有り難迷惑、ということが昔から判らないのである。私は他人である担当医や看護士と同じような訳にはいかない。ヘソを曲げる母に構わず勝手なことをいうな、と帰る。10日で88歳を迎える母だが、やってやれることと、できないことははっきりさせないとならない。それがしいてはお互いのためである。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など出品。

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暑い中円朝制作。現在エアコン不調で扇風機を使っているが、寝る時もつけっぱなしだが、近所に買い物に行き、帰宅後付けるのを忘れて制作。制作に集中していると、汗を垂らしながらも平気である。これが冬の場合、薄着で制作していて、身体が冷えきっているぞ、何か着た方が方がよいぞ、とどこかで思っているのに手を止められず、判っていながら風邪をひく、という馬鹿なことをよくしてしまう。小学校の図書室で授業が始まっているのに本を読むのを止められず、図書室出禁になったが、始業のチャイムが聴こえないわけではなくて、聴こえているのに身体が動かない。なにしろ椅子に両膝立ちし、お尻は上がっていた。人形制作を中断して廃れていたオイルプリント制作に励んでいた時も、実は写真家でもないのに、こんなこと早く止めなくちゃ。とお尻は上がって、ハラハラしていた。 まあ電気代節約になり良いことであるが、かわりにシッカロールが必要になったりして。私は子供か。昔は汗知らずといった。そんな状態で制作したものだから、明日には乾燥させるところまでいくだろう。

8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など出品予定。

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朝T屋へ。お米に牡丹灯籠プリントを届ける。お露ことAちゃんは、本番プリントのままではあまりにも気の毒。妖気を大分弱めたものを渡す。記念に日本髪のかつらを外した状態も撮影しておいた。帯に短刀をはさんでの撮影は機会はないだろう。本人の感想が訊きたかったがまだ寝ている。そのまま麻布十番の田村写真へ。 手透き和紙にプリント。田村さんの提案であるこのペーパーとは、相性が良い。微調整をお願いしプリント。これがまたまた格別であった。昔からそうであるが、田村写真でプリントし、始めて“私はこういうことをしようとしていたのか”と確認することが多々ある。こちらはもちろんお露の妖気は全開。 深川江戸資料館からプリント、金屏風、高座を取りにくる。一緒に資料館へ。女性職員がプリントを見て怖い々と。それがまた非常に嬉しい。やはり幽霊は怖いのが大原則である。子供の味方などという腑抜けた幽霊や妖怪など、まして可愛いなどとは言語道断である。 プリントに印を捺そうと思ったが、普通の朱肉では色が薄くて見えないわ乾かないわ、これは使えない、と諦め帰宅。自分で朱肉を作ることに。 円朝と牡丹灯籠の共演は、展示には間に合わないが、別に1カット作ろうと思う。これが終わったら、この手法で、泉鏡花、三島由紀夫あたりをまずやってみたいと考えている。

8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など出品予定。

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円朝2体目を制作中である。昔の噺家は身振り手振りをほとんどしなかったという。よって今度の円朝も両手は膝の上。あまり工夫のしようがない。しかし近所の買い物から帰って来たら、圓朝の頭が重みで前にのめっている。慌てて押さえる。 円朝は猫背だったという。その感じは鏑木清方の円朝像に描かれている。日本画にありがちな斜めを向いた肖像画だが、清方は圓朝の座り姿の猫背なニュアンスを描きたかったに違いない。表情などはまったく参考にしなかったが、その辺は参考にさせてもらった。 1作目よりさらに首を突き出し、噺がより佳境に、というのも良いな、と、その調子で行くことにした。何が起きても結果良ければそれで良い。行き当たりばったりさ。 この季節、窓を開けていると、早朝から門前仲町方面から聴こえて来る車の音が、房総の波の音とまったく同じように聴こえる。蝉の声と混ざってリゾート気分に、とは円朝を作っている限りならないが、ビーチボーイズなど流してみた。

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写真を始めた直後から旧いレンズ、ソフトフォーカスレンズ、オイルプリント等々によって写真の身も蓋もなさにあらがい続け、さらに真を写す、という意味の写真という言葉を嫌い、まことなど写してなるものか、と制作して来た。それは自分で作った人物像を撮影することでおおよそ満足させてきたが、ここ数年、かつての日本絵画の発想、自由度、その身も蓋もある表現が気になってしょうがなかった。 立体を作る、ということは陰影を作りだすことに他ならない。それをあえて撮影時に陰影を極力消して撮影してみたら、そうすること自体が目的ではなかったが、日本画のようになった。そこで改めて気付いたのは、写真のレンズは陰影がなくても必要最小限の立体感を描写してくれる優れた道具であると。よって輪郭線は必要ない。 どんな画像処理をしたんだ、と訊かれるが、撮影した時点で80パーセントは終わっており、後は配置して色の調整くらいである。今まででもっとも写真に見えないが、もっともただ写真だというおかしなことになった。 一作目が完成した頃、自分でやっていながらよく把握できず、おいおい検証していき、最終的に始めから解っていて、こうするつもりでいたような顔をするのが常だ、みたいなことを書いたと思うが、そろそろそういう顔をし始めた私である。

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朝までには終わらなかったが、昼12時には昨日背景を撮影した2カットが完成。毎回。最後の仕上げに鬼火を配するのが楽しみであった。一眠りしたら気に入らなくてやり直したが、書道用の筆で50以上描いて、その中からだいたい二つ選んで絡ませた。だんんだんコツが判って来たが、判った頃には終わる。夏休みのアルバイトも人生もこうしたものであろう。正直いうと幽霊には未練タラタラである。まだ作りたくてしょうがない.鬼火のデータはまた必要になることもあるかもしれないので、とっておくことにした。これで10日から20日の深川江戸資料館のイベントには三遊亭円朝像に手漉き和紙にプリントした作品5点前後であろう。河童も1点出して欲しいといわれている。円朝は全生庵にいってしまったので、もう一体を早く完成させなければならない。 先日お米役のT屋のかみさんは母の見舞いに二回も行ってくれた。明日は着物でお世話になったMさん御夫妻が行ってくれるという。有り難いことである。



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川瀬巴水は鏑木清方の弟子であった。 私が写真に持ち込もうとしていた“陰影問題”を絵画(木版画)だけに違和感なくこなしている。真を写す写真だったらこれはヘンだ、となるはずだが、写真という手法はその辺身も蓋もないと思うわけである。もともとその自由奔放さに最初に着目した身も蓋もある手法、浮世絵よりも新浮世絵たる写実的な巴水の新版画は、直接参考になる。私の妄想の中で清方が「あんた私の円朝像のオマージュ作品まで作って日本画の陰影がどうの、といっているようだが、私の弟子の巴水を紹介しよう。参考になるかもしれんよ」。昨日朝、別冊太陽『川瀬巴水決定版』に得るところが大きかったせいか、夕方円朝像を全生庵に届け、帰り際にあろうことか「近いうちに、寒山拾得制作を試みようと思っています。」山岡鉄舟建立の禅寺の玄関先で何を口走っているのか私。 本日牡丹灯籠最後の背景撮影のため、約束の時間まで撮影現場近くの店に陣取り、ノート、書類を前に苦手な計算。数字は私にとって悪魔の文字といってよい。ゴキブリに等しい。今度生まれ変わったら、存在しない世界に生まれてみたい。だがしかし、こんな苦役の後の私は冴わたる。撮影はとっとと終わり、おそらく朝までに予定の牡丹灯籠2カット完成させてしまうだろう。

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