明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



養老孟司だったか、人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている、というようなことをいっていたが、脳がそのようにできているのなら、私の親不孝もその仕組みのせいで、私は何も悪くないということにはならないだろうか。 20代に、最初に作り始めた架空の黒人のシリーズで個展をという話があることは書いたが、冗談じゃない、酔狂な人がいるもんだよな、と友人にいうと、意外にも全員がやるべきだ、という。私としてはこう見えても、歩みを止めず、少しずつやって来たつもりであったから、友人等が、作家シリーズに転向してからは、面白くないのを我慢していたのか?といささか凹んだのだが、いや乱歩は好きでも荷風はいまいち、ということもあるだろう。扱う人物が趣味に合うかによる、という。慰められている気があまりしないが。 先日読んだつげ義春の『無能の人』では、壊れたカメラを修理し、これは儲かる、とカメラ商に転向したり、あげくには多摩川で拾った石を売る。私と無能の人の行動様式には違いがないように思われた。身につまされる迷惑な名作である。 それはともかく。冒頭の脳の仕組みは私に『寒山拾得』の拾得が持つ竹箒をそろそろ作り始めろ、といっている。谷中の全生庵が中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺であると知った時、こう来たか。これはもうしょうがない、と観念した。そこへさらに鏑木清方のお菊さんが1世紀ぶりに現れ「あんたはそれでいいのよー清方先生がそういってるわー」。私にはそう聴こえてしまうのであった。

※8月31日まで谷中『全生庵』円朝旧蔵の幽霊画を公開中。それに伴い三遊亭円朝像を出品中。
※8月10日より20日まで深川江戸資料館“深川お化け今昔”にて三遊亭円朝像、及び写真作品「鏑木清方作三遊亭円朝像へのオマージュ」『怪談牡丹灯籠』など6点出品。 別室では11月まで九代目市川團十郎像を展示。

HP

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