花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

卒業制作 ランプシェード

2008-01-07 | 文化、文学、芸術
 平成20年1月7日(月)

 昨夏通っていた上級陶芸教室の卒業制作のランプシェードです。手びねりでの制作です。形が出来上がり直射日光の当たらない外でしばらく乾燥させます。
 この後カンナで削りを入れ、形を整え、鳥やトンボ、模様などの彫りました。
素焼きの行程を経て、釉薬を塗り、更に本焼きをして完成です。今回は教室を修了して行く機会がなかったので釉薬は教室のえつこ先生にお願いをしました。先生は素材が生かされるような薄めの釉薬を心がけたとおっしゃっていました。



 台座に黄色電灯を付け、点灯してみました。台座は友人からいただきました。室内での撮影で色が少し濃く写ってしまいました。



 赤色電灯は雰囲気がまた違ってきます。耳許に鶴田浩二の♪「赤と黒とのブルース」が聞こえてくるような気がしています。



 好きな海鳥を彫りました。遠くシベリアやアラスカから飛んできて、オーストラリアへ行く途中近くの海岸へ寄ってくれます。丸い穴は水しぶきのつもりです。



 トンボは上部にあしらいました。海辺でも良く見られます。蝶も海峡を渡ると言いますからトンボもきっとどこか遠くの海へ渡っていくことでしょう。


コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダルマ急須と香炉  どんこの陶芸作品

2007-09-08 | 文化、文学、芸術
 平成19年9月8日(土)

 今回は上級教室の5回目と6回目に作った作品を紹介します。先ず、ダルマ急須です。取っ手がないのでこういう名前が付けられています。指先でつまんで注ぎます。



 蓋を取ったところです。



 次は香炉です。蓋にはマムシをあしらいました。ちょうどこの頃、陶芸教室の先生がマムシに噛まれて退院されたばかりでした。先生から「どんこさんもやるね~」と睨まれましたが、今となってはいい記念になりそうです。







 いつもは優雅な生活はしていませんが、今宵は香を焚きCDで琴の音を聞きながら、ささやかな宴でも催しましょうか。
 陶芸教室の先生は小代焼太郎窯の窯元と娘さんです。息の合ったコンビで指導してもらっています。


コメント (21)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

片口鉢と台付き角皿 どんこの陶芸作品(二)

2007-07-31 | 文化、文学、芸術
 平成19年7月31日(日)

 隔週毎の上級陶芸教室に通っています。前回に続き3回目・片口鉢と4回目・台付き角皿の作品を紹介します。

 片口鉢です。口径は14センチ、高さが8センチです。



 用途は自由です。汁物にもいいし、ちょっとした果物入れにも使えます。



 台付き角皿は魚の煮付け用に適しているかも知れません。刺身もいいでしょう。
 21センチ×16センチ、高さが3.5センチです。



 「融通無碍」(ゆうずうむげ)とは私の好きな言葉で「何物にもとらわれないで伸び伸びとすること」の意です。竹べらで彫って、象眼にしましたが字が小さく、迫力に欠けています。前準備が必要でした。



 次回は「ダルマ急須」「香炉」を紹介出来ると思います。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギャラリー・どんこ  油絵5点

2007-07-05 | 文化、文学、芸術
 平成19年7月5日(木)

 「廃屋」 
 これは山鹿灯籠でお馴染みの山鹿市郊外の、とある廃屋倉庫です。今は取り払われてありません。描いている時、操作を誤った老人のテーラーの下敷きになり、かなりのケガを負いました。幸い、押し倒された下が里芋畑で柔らかかったために死ななくて済みました。老人が5千円握りしめて、これで勘弁してくださいと震えながら言うので「心配しなくていいですよ」と救急車も断りました。
 近くの若奥さんが親切に応急手当をしてくれました。帰って病院にかかったら5千円の何倍もの治療費を要しました。若奥さん宅には後日、傷が癒えてからお礼に伺いました。老人からは1円もいただいていません。イーゼル(画架もパレットもめちゃめちゃに壊れましたが、奇跡的にこの絵は残りました。



 「阿蘇根子岳」
 阿蘇の山では比較的険しい山です。登山家が好む山でもあります。学生時代も良く登りました。
 ひとりで登って下山の途中雨に遭い、濡れ鼠になって温泉宿に転がり込んだら、自殺未遂者と間違われ、階段下の狭い部屋に通されました。食事を持ってきた仲居さんと話しているうちに、この宿が小学生の修学旅行で泊まったことが分かり、途中で2階の眺めのいい部屋に通されました。初めからはっきり言えば良かったのに、泥だらけのみすぼらしい格好が誤解を生んだのでしょう。
 この絵を見るとあの温泉宿の風呂の温かかったことをいつも思い出します。



 「天草の段々畑」
 以前は熊本の天草の島々は天に届くような高さまで、段々畑が耕されていました。狭い耕地を耕し、小麦やサツマイモを植えていましたが、過疎になり耕す人もいなくなり、今は草木が生い茂っています。



 「阿蘇外輪秋景」
 阿蘇には今も気が向くと出かけています。秋の夕陽に照らされる外輪は好きな原景色の一つです。穫り入れが済んだ田んぼを見つめているとそのままこの景色の中に埋没してしまいたいような郷愁を感じます。



 「阿蘇暮色」
 これは最後の勤務職場に退職記念に贈った絵です。ブログ友の^-^ayuraさんが以前アップされたものをお借りしました。私の手元には写真は残していませんでした。たまたまこの職場をボランティアで訪問されて写してくださっていました。



 私の小学4,5,6年のKN先生はスポーツマンで絵の先生でもありました。先生からは絵心を教わった気がします。
 先生は具象絵画の示現会会員です。以前、脳梗塞を患われ右手足が麻痺されましたが、リハビリの甲斐があって傘寿を迎えた現在でも左手で絵筆を握っておられ、絵画教室で後進の指導に当たっておられます。
 私は小学生以後は直接接先生からは教わってはいませんが、時々見せにいき、指導を仰ぐこともあります。人生の恩師と言えます。

 この頃はもう絵筆をとることはほとんどありません。スケッチ程度です。


 


コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸作品・野菜・7月ポストカード

2007-07-01 | 文化、文学、芸術
 平成19年7月1日(日)

 いよいよ空梅雨の様相を呈してきました。この地域は雨の予報なのにもう3日間外れっぱなしです。ちょっと離れている所には降ったという情報もありますから丸っきし予報が外れているとも言えないようです。

 今通っている上級陶芸教室の1,2回目の作品が仕上がりました。1回目は蓋付き湯呑みです。中級から上級まで2年間のブランクがありましたのでまた完全に入門期に戻っていました。



 2回目は鶴首花瓶です。一向にうまくなりませんが素人の楽しみを味わいながら無心に作りました。講習は隔週ごとに7回続きますが最終の8回目は卒業制作で自由に作ることになります。



 いつも親しくしている西隣のKさんちから採り立てのキウリをたくさんいただきました。チョロ・ツーんちへも分けてあげます。見事な出来です。



 なす、ピーマンもご覧の通りです。Kさんは今年立派に育ったのを、奥さんが「牛糞の肥やしのせいだと言うんだよね」とぼやいていました。「いやいや、腕前、腕前」と私は援護しておきました。



 もう7月ですね。新しいポストカードを作りました。






コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「無医村に花は微笑む」  筆者との60年ぶりの手紙での再会

2007-06-16 | 文化、文学、芸術
 平成19年6月16日(土)

無医村に花は微笑む―亡き妻が遺した「花笑みの村」での村医十九年

ごま書房

このアイテムの詳細を見る


 去年の12月8日の記事で、この「無医村に花は微笑む」の著者・将基面 誠氏のことについて紹介したところたくさんの方からコメントが寄せられ、感動一入のものがありました。 記事
 小学校3年次のほんの短い間の出会いでした。ずっと探していた人の名前に巡り会った喜びは言葉では言い表すことが出来ませんでした。

 出版社へ手紙を託す方法も考えましたが、ずっと控えておりましたところ、今年の4月、将基面氏のご子息(次男・匡昭様)から、思いがけなくブログにコメントをいただいたことがご縁となって、かれこれ60年ぶりに、手紙での上で再会を果たすことが出来ました。

ご子息のコメントの記事

 12月8日の記事はご子息の匡昭様がコピーをしてお父様に差し上げられたと伺いました。
 匡昭様とのメールのやりとりをコピーで報告し、4月26日、こちらから先にお手紙を差し上げました。今は公園になっている小学校の跡地や4年生になってからの学芸会の写真等を添えました。3年生次の写真は1枚も写っていません。終戦直後で写真どころではなかったのです。
 私信なので詳しい紹介は出来ませんが、すぐにお返事をいただきました。お母様の故郷と言うことで身を寄せていたこと、平壌の収容所から脱走し、命からがら祖国の土を踏んだことなどが詳しく綴られていました。
 「あまりに身辺の変化が激しくてしっかりした記憶がありません」と綴られていました。やむを得ないことです。

 一家で身を寄せられていたI家のM子さんは将基面さんのいとこだと分かりました。私と一緒に級長をしていた聡明な彼女は中学2年で夭折しました。転居先でこの報せを受けた将基面氏はお母様共々涙を流したと述懐されていました。

 将基面 誠氏が一時転校されて私たちと一緒に過ごした校舎の一部です。学校の百年史(昭和51年刊)より引用しました。



 現在は校舎は新築移転して、公園になっています。昔を偲ぶのはこの榎だけです。



 将基面さんが送ってくださった対談や人となりが掲載されている機関誌等の一部です。



 岩手県では中学校道徳の副読本にもご本人と親交のある津村節子氏の文章「花笑みの村」の格調高い文章が採用されています。



 他の機関誌の関係記事です。将基面 誠氏の業績の一端や人となりを伺い知ることが出来ます。





 44歳の若さでお亡くなりになったお母様は「男は将来命を賭けないといけないような事がある」と諭されていました。そして亡くなられる一週間前の「直情的にならないように」と言う言葉が遺訓になりました。
 「親は尊敬の対象ではなく敬愛の対象」とおっしゃる氏の言葉には説得力があります。

 ブログを読んでくれた多くの方々から、その後、将基面 誠さんとは連絡が取れましたか?著書を読んでとても感動しました、身内にもこの著書をプレゼントしました、テレビドラマは見ました等々多くの反応がありました。

 出会いのきっかけを作ってくださったご子息の匡昭様、気軽にお手紙をくださった将基面 誠様に心からお礼を申し上げます。

 そしていつも応援してくださる私のブログ仲間にはこの稿で報告に代えたいと思います。本当にありがとうございました。





 
 

 
 
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将基面 誠著「無医村に花は微笑む」

2006-12-09 | 文化、文学、芸術
 平成18年12月9日(土)

 戦後間もない小学3年の時、色の白い、背の高い少年が転入してきました。それが将基面(しょうぎめん)誠と言う人でした。満州から引き揚げてきて親戚の家へ寄留していると聞きました。私の隣の席になり、名前が同じで背丈も私と同じくらいだったこともあり、すぐ仲良くなりました。
 ゆったりとした性格で私などよりはるかに大人のような雰囲気を持っていました。引き揚げのどさくさで勉強する時間もなかったろうに、勉強の良く出来る転入生でした。
 ところが間もなく彼は横浜へ引っ越していきました。せっかく友だちになれたのに、別れがつらく、淋しい思いをしている私に、彼は約束通り横浜から手紙をくれました。保土ヶ谷の住所が書いてありました。天気のいい日は富士山がきれいに見える、と書いてあったので、富士山を見たこともない私はとても羨ましく思ったことを覚えています。

 いつしか手紙のやりとりも途絶えてしまいましたが、将基面 誠と言う名前はずっと忘れずにいました。上京する度に東京や神奈川の電話帳でその名を探しました。しかし、見つけ出すことは出来ませんでした。

 ついこの前の11月の下旬、偶然パソコンのサイトで「医師 将基面 誠・無医村に花は微笑む」の項目に出くわしました。まさに青天の霹靂でした。同姓同名かも知れないと思いつつもすぐ書籍を2冊取り寄せました。
 届いた本の写真を見ると、顔の輪郭がそっくりで長身のがっしりした体躯は紛れもなく、九州の片田舎で出会ったあの時の少年を大人にしたような風貌でした。



 私は一気に読んでしまいました。片田舎の小学校の3年のわずかな時の流れの中で、私のそばを通りすぎていった少年が、人々の幸せのためにこんなにも大きな愛の足跡を残す大人になっていたことに得も言われぬ感銘を受けました。
 写真の本は中身は同じですが表装が異なります。左側が定価1,300円、右側が新装版になっていて定価1,000円(いずれも税別)。【ごま書房】から発行されています。



 将基面さんは千葉大医学部をS37年卒業、S47年千葉県がんセンター婦人科医長に就任。しかし、S57年その職を投げ打って無医村だった岩手県田野畑村に夫人と3人の息子さん一家で移り住みます。引越荷の半分は夫人が村に植える梅の苗木だったと言うのにも驚きでした。
 田野畑村へ行く決意をした年に春代夫人が発病(骨髄異形成症候群)されたことが判明しましたが、予定通り一家での転住でした。春代夫人は村に溶け込み、本の表題ともなっている無医村に花を微笑ませるのです。

 辺地で頑張る医師はとかく「赤ひげ」的な存在でヒーロー化されますが、氏は敢えてそれを避け、己の力を「六、七割ほど発揮することで、あとは村民のためなら恥をかこうと心に言い聞かせて、県立病院などと」支援体制を確立していきます。こうした度量のある先を見越した努力が有能な若い村長のもとで結実していくのです。

 着任して7年後、春代夫人は45歳の若さで帰らぬ人になりました。

 巻頭には作家・吉村昭の【本書に寄せて】「すがすがしい読後感」があります。その中の一節です。
 『田野畑村にあってこそ、氏は医学とは何か、人間とは、ということを知り得て、それをしかと身につけた。最愛の夫人の死の葬儀に、遠く三陸海岸から千葉県木更津市まで二百名の村民がバスをつらねて参列したことは、氏と村人たちの美しい心の交流が感じられる』と賞賛しています。

 19年もの長きに亘って田野畑村に腰を据え、医療のみならず幅広く村に愛の灯をともし続けたのです。その足跡の手記が「無医村に花は微笑む」です。
 吉村昭は、氏をモデルにした「梅の蕾」と言う作品を書きました。今年の1月、フジテレビ系でドラマ化され、三浦友和・伊藤蘭で放映されました。私は見ていませんが妻は偶然にも見ていました。

 永年探し続けていた心の友が、今こうして私の中に著書を通して甦ったことに因縁めいたものを感じています。

 私は真っ先にこの本を遠くにいる本好きの中2の孫に贈りたいと思いました。彼が心ある少年ならば必ずやこの本の真髄に触れ、心躍るものを感じるだろうと確信するからです。
 出来れば若者に限らず多くの人々にも是非読んでもらいたいと思います。志を立てるとはどういうことか、人を愛すると言うこととは何か、人を動かすこととはどういうことなのか、この書にはその答えが自ずと示されているからです。

 遠い旧友に手紙をしたためて、出版社に託して届けてみようかどうか、私はまだその答えを決めかねています。





コメント (39)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の写真機材

2006-08-03 | 文化、文学、芸術
 平成18年8月3日(木)

 今使っているカメラなどの機材を紹介します。最近は利便性と経済性からデジタルカメラの使用頻度が高くなりました。
 最初はオリンパスのCAMEDIA2020zoomからスタートし、3030に替えました。キャノン一眼レフD20を買ったのが去年の5月。ついでにデジスコもやりたくてKowaのTSN-664EDと言うスコープと関連の機材を求めました。3030のデジカメがこのスコープと合わず、ケラレ現象が生じましたので、店の勧めで同じオリンパスのμ-40DIGITAL NVを購入しました。
 デジスコは今一、使いこなせずに今日に至っています。

 今最も活躍しているキャノン20Dです。ボディだけ買いました。EF28-105mmのズームレンズと後で紹介の望遠レンズは以前から使用していたものです。



 望遠レンズです。左:キャノンEF100-300mmズーム。中:キャノンEF400mmL。右:通販で買ったBIG61DA 570-1000mmズーム。



 小回りのきくコンパクトで重宝なオリンパスのμ-40DIGITAL NVです。



 まだ活躍の場が少ないKOWAのスコープです。



 最近はなかなか使う機会がないフィルムカメラのキャノンEOS5です。モータドライブ付きです。まだフィルムが入ったままです。



 ちょっと前のキャノンEFbと105mm望遠です。まだまだ使えるのですが、引退しています。



 この他、ビデオカメラはソニーのDCR-PC300、Handycam video Hi8、Panasonic のMACLORD MOVIE MV-M90があります。孫が大きくなるにつれて、休眠することが多くなりました(笑)。
 家族からは「機材は高く、技量は低く」と皮肉られながらも、ひたすら耐え抜いて今日に至っています。










コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感動!坂本繁二郎展

2006-06-06 | 文化、文学、芸術
 平成18年6月6日(火)

 4日(日)に石橋美術館(久留米市)で開催中の坂本繁二郎展へ小2の外孫と行ってきました。この日が最終日、日曜と重なり大勢の人で賑わっていました。知人のYさんがわざわざ招待券を送ってくれました。
 石橋文化センター正門に入ると「みどりのリズム」のブロンズ像があり、噴水越しに美術館の正面が見えます。



 石橋美術館開館50周年記念し開催されたものです。美術館を設立し、絵画コレクターでも著名な石橋正二郎と繁二郎(1882-1969)は少なからぬ因縁で結ばれていますが、ここでは仔細を略します。
 本館、別館を使い、154点に及ぶ作品の展示は圧巻で、思わず絶句するほどの迫力がありました。本格的な展覧会初体験の孫でさえ、「来てよかったね」と感嘆の声をあげました。



 晩年を郷里久留米の八女で過ごした制作の拠点のアトリエは、この美術館の南に移築されています。その八女時代の馬の絵が私は好きです。とりわけ「黄馬」、「放牧三馬」「水より上がる馬」「窓の馬」など忘れられない作品です。以前見た作品もありましたが、大半は初めてお目にかかったものばかりでした。
 美術作品なので、好きな絵を写真で紹介できないのが残念です。

 別館の南の庭にはラベンダーが花盛りでした。九州にもラベンダーが咲くのですね。



 本館南には池があり、花菖蒲やカキツバタなどが満開でした。



 文化センター内には美術館の他に様々な施設があり、大半は無料開放され、市内外からの行楽の場としても親しまれています。
 楽水亭というレストランが池超しに臨め、景観を見ながら散策するルートになっています。



 こういう機会を与えていただいたYさんに感謝しながら帰途につきました。

 石橋美術館
 石橋文化センター



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

"おっぱい博士の”「母乳育児」・若いお母さんにお薦め・

2006-01-04 | 文化、文学、芸術
 平成18年1月5日(木)

 「母乳育児」 それは母と子のねがい ー母乳育児の復権を目指してー
と題する本は浦崎貞子の著書です。かの水俣病の臨床的研究、患者救済、裁判支援で世界的に有名な原田正純現熊本学園大教授から“おっぱい博士”と賞賛される母乳育児の推進者です。2004年3月に刊行されました。



 若くして看護婦、保健婦、助産婦(現在は看護士、保健師、助産師に改称)としての教育を受け、実際現場で経験を積むうちに、育児書はあっても母乳育児についての伝承が確立していない現実に直面し、「臨床的に研究してみたい」と一念発起して、大学、大学院へと改めて進学して、研究と実践を重ねた集大成として、この本が誕生しました。

 文章は簡明で分かりやすく、行間には著者の人柄を反映した暖かい、ふんわりとした息吹が漂っています。挿入されている数多くの写真やイラストも著者の主張の裏付けとなっています。



 「女性は、妊娠も出産も、母乳分泌も、自分の身体を資源にしています。それが、悲しい体験になるのなら、少子化どころの問題ではなく、人類の存続は益々危うくなるのではないでしょうか」と骨太の主張もあります。母乳育児を通して「女性だからこそ体験できる、楽しくて、気持ちよくて、充実した『妊娠・出産・子育て』にシフトを切り替える」ことを切望して締め括られています。

 出産を控えたお母さん、これから結婚ようとする女性、否、女性だけでなくそのパートナーである男性にも一読を勧めたい素晴らしい本です。

 著者 浦崎貞子さん 熊本市・うらさき母乳育児相談所・助産院長
    新潟青陵大学看護学科助教授(母性看護学、助産学)

 発行所 とねりこ舎(熊本市神水本町1-67)
     電話 096-382-2754
     定価 1,400円(税込み)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸作品Ⅲ

2005-12-15 | 文化、文学、芸術

 平成17年12月15日(木)

 曇っていますが、昨日までの北風がやんで、静かな朝です。いつもならメジロが山から下りてきて、庭の残り柿などを啄む頃ですが、なぜかまだ姿も鳴き声も聞こえません。ジョウビタキの声が時折チュルチュルチュルチュルと聞こえるだけです。

 私のつたない陶芸作品の最終編です。左上は言わば処女作。湯呑みを作ったつもりでしたが、高さが足りず、講師の先生から「まあ、花瓶にはなるか!」と言われた思い出の作品です。高さ7センチです。。右は取り皿。直径13センチ。


 干支の文字と絵を象眼にした中級卒業作品です。白い平皿は初級の象眼作品。


 たたらカップ・左下(高さ10センチ)と水差し(高さ9センチ)です。これは二つとも先生に褒められました。


 最後はヒラメの姿をあしらった刺身皿です。長さ28センチの大作!?です。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会証人喚問と陶芸作品Ⅱ

2005-12-14 | 文化、文学、芸術
 平成17年12月14日(水)

 今日も寒い日和です。テレビでは耐震強度偽装問題で証人喚問が中継されていました。天気と同じように寒々とした風景です。木村建設、平成建設は熊本県の会社でした。(過去形なのはもう自己破産したから)。地元の新聞、テレビなどのマスコミはなぜかこの問題では突っ込み不足で、真相追及のキャンペーンもせず、及び腰の感じです。司直の手で、黒と判断されてからワイワイ騒ぐのでしょうか。寒い!寒い!

 庶民はせめて手作りの作品ででも、自らを慰めることにしましょう。座右の銘「融通無碍」の文字を彫った花瓶です。高さは23センチほどです。


 二つめの花瓶です。高さは13センチです。


 これもほぼ同じ高さです。


 知人のM・Yさんからメールで送られてきた書です。繊細で力強い筆致です。充実した精神の境地に裏付けられた作品です。心が洗われます。


 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陶芸教室・私の作品Ⅰ

2005-12-08 | 文化、文学、芸術
 平成17年12月8日(木)

 今日は日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告をした日です。あれからもう64年。歴史はいい方向に向かっているのかどうか、昨今の報道を見る限り、安穏としてはおられない気がしきりにします。

 昨年から市の陶芸教室に通っています。初級・中級を修了したところですが、上級講座は今年は開かれず、来年になる見込みです。作品をいくつか紹介します。この花瓶は初級講座の卒業作品です。たたら製法(板状にした粘土を貼り合わせる技法)で作りました。一輪挿しに適しています。


 講師は地元の小岱焼窯元の親娘で担当され、生徒は20名前後、1講座8~10日位の割で週1回開かれています。市の施設・伝統工芸館が会場でガス窯等必要な設備が完備しています。コーヒー茶碗です。取っ手は意外に面白い作業でした。


 丼、茶碗、湯呑み、箸置きなど生活道具です。


 蓋物は中級講座で作りました。梅干しなどを入れています。自分で作ってみると、諸々の陶磁器を改めてしみじみ眺めて、その良さを再発見できるメリットがあります。上級講座の開催を待ちわびているこの頃です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする