平成27年1月24日(土)
玉名温泉のある同市・元湯通り(通称)に映画看板が設置されていました。催しの案内の看板が立っていました。看板制作者は玉名市在住の映画看板絵師松尾寿夫さん(77)だそうです。色々な地域のイベントのために描いたものを提供したものです。
祭の4日前に行ってみました。公園内の片隅にも立っていました。映画ファンにはたまらないものばかりです。
通りに面した看板は圧巻です。
1枚ずつアップしてみました。
ほとんど映画館で見たものです。「君の名は」はモノクロでした。
片隅には「しらさぎの足湯」があります。若い女性がひとり本を読みながら足湯に浸かっていました。
「カサブランカ」のハンフリー・ボガード、ナイスガイでしたね。イングリッド・バーグマンは日本で言えば原節子的存在でした。裕次郎の甘い低音は一世を風靡しました。ご当地「玉名ラーメン」のスタンプラリーの案内も出ていました。玉名ラーメンのルーツは久留米だと言われています。豚骨ラーメンですが店独自のスープを味わうのもまたいいでしょう。
祭の当日です。ちょうど、のど自慢大会の最中でした。
この後「足湯de上映会」も予定され、郷土出身の名優・笠智衆の出演映画も披露されました。
玉名温泉のある同市・元湯通り(通称)に映画看板が設置されていました。催しの案内の看板が立っていました。看板制作者は玉名市在住の映画看板絵師松尾寿夫さん(77)だそうです。色々な地域のイベントのために描いたものを提供したものです。
祭の4日前に行ってみました。公園内の片隅にも立っていました。映画ファンにはたまらないものばかりです。
通りに面した看板は圧巻です。
1枚ずつアップしてみました。
ほとんど映画館で見たものです。「君の名は」はモノクロでした。
片隅には「しらさぎの足湯」があります。若い女性がひとり本を読みながら足湯に浸かっていました。
「カサブランカ」のハンフリー・ボガード、ナイスガイでしたね。イングリッド・バーグマンは日本で言えば原節子的存在でした。裕次郎の甘い低音は一世を風靡しました。ご当地「玉名ラーメン」のスタンプラリーの案内も出ていました。玉名ラーメンのルーツは久留米だと言われています。豚骨ラーメンですが店独自のスープを味わうのもまたいいでしょう。
祭の当日です。ちょうど、のど自慢大会の最中でした。
この後「足湯de上映会」も予定され、郷土出身の名優・笠智衆の出演映画も披露されました。
わが町は今は航空自衛隊基地ですが
子供のころは米軍基地でした。
人も多く繁栄してたんでしょうね。小さな町に3つの映画館がありました。
映画館の看板を描くお店があって
そこで描いてるのを毎日見ていました。
でも映画館には行けませんでした。
どんこさんと違って 私 規則は破らなかった。
大人になって映画に行く時はもうバスや電車でした。
皆さん 足をとめて眺められたことでしょうね。
思い出の映画は違っても・・・
この中で 私が懐かしいのは・・・・若大将で~す
今日は 楽しいあしや会で~す。。。
どんこたちも良く眺めていました。
規則?小学生の時も中学生の時も
大人と一緒でなければ映画を見てはいけない、
などと言う野暮な規則はありませんでしたよ。
小学生同士、中学生同士堂々と行っていました。
ある時など妹と映画に行っていたら
途中でストリップの実演があり
と思ったら
妹が「出よう!」と泣きそうな顔をしたので
渋々後ろ髪引かれる気持ちで出ました。
ストリップの実演があるとは
全く知らずに入ったのですよ。ほんと、ホント。
あしや会、おしゃべりに花が咲いたことでしょうね。
西大寺の小さな町にも当時5館もありました。
だからではありませんが、西大寺高校へ行きました。
親戚の叔父さんが「一平社」と云う看板屋で、映画館の入り口で上を見上げては「上手いもんだな~」と感心していたものです。
高校に、体育館が建設中で(講堂に入りきらない?)大福座と云う畳敷きに、桝席で、火鉢が置いてある映画館で「生徒総会」があった想い出があります。
客の聡入れ替えはなかったので
同じ映画を何回も見ることが出来ましたよね。
まあ、盆正月は座って見ることは不可能なほど超満員でした。
とんちゃんさんも映画にまつわる思い出を
いっぱいお持ちのですね。昔は良かった!
どんこたちも高校卒業前の「予餞会」が映画館でありました。
先生方が劇をしてくださったのが印象に残っています。
50年ほど前、映画看板が売り物でしたよねぇ。
今も絵師の方がご健在なんですね。
展示してある看板は新しく描き直されたもの
なのでしょうか?
それとも大事に保存されていたもの?
実にすばらしいです。
もう一ひねりして、何かプラスアルファを付ければ立派な町興しになりますよ。
「玉名ラーメン」を作っているのが裕次郎という
シャレもなかなかのものです(笑)。
新聞に出ていました。
色あせたものには補色したということです。
今はどうか知りません
笠智衆さんの実家のお寺に掲示されている看板は
すっかり色あせていましたね。
この方に手直ししてもらえればと思ったことでした。
市の観光課などが進めてほしいものです。
確かに一過性の催しで終わってほしくはないですよね。
中学生の頃は学校の規則が厳しくて父兄
同伴でないと映画館に入れませんでした。
へぇ~、もう蓮の花さんの中学時代は
そんな規則になっていたのですね。
僕らの時代は大らかで良かったなあ~。
懐かしい映画の看板。
手書きと言うのがかっこいいです。
私が実際見たことのある映画はちょっとしかないですが
どんこさんには懐かしいものが多かったのでは?
あ~足湯でほっこりいいですね~
笠智衆さん、いい役者さんでしたね~
あの朴訥な語り口を思い出します。
町おこしのためにこういう企画をするのは
大変いいことですよね。
また来年もきっと催されるはずですから
それまで元気でいたいと思っています。
足湯に浸かろうと思ったら
タオルを持っていくべきだと言うことを学びました。
笠智衆さんは高校の大先輩でもありますよ。
高校生の頃、笠智衆さんと同級生だったという
玉名市長さんの講演を聞いたことがあります。