2020年(令和2年)10月25日(日)
本棚に眠っていた合同句集「漁火」(全633ページ・昭和61年刊行)を見つけました。荒尾の俳句界に貢献した西山胡鬼氏が代表編集人です。
句集から適宜抜粋しました。大月山河・荒尾市増永、昭和52年没73歳。田中津根を・荒尾市府本、昭和56年没68歳。
前田放浪・荒尾市菰屋、昭和58年没、76歳。吉田洋一・荒尾市野原、初代文化センター館長、大正14年生95歳。
足達慶蔵・荒尾市蔵満、平成6年没107歳。足達政子・慶蔵氏の娘、荒尾市蔵満、大正7年生、没年不明。
西山三千代・荒尾市増永、胡鬼氏夫人。大正6年生、没年不明。西村サトノ・荒尾市蔵満、昭和18年生、77歳。
松尾木通・荒尾市一部、昭和36年没45歳。笠間圭子・荒尾市桜山町、昭和5年生、没年不明。
畠田麦子・玉名市三部田、大正10年生、没年不明。斎藤冨士夫・荒尾市大和区、明治43年生、平成15年没92歳。
荒尾茂子・荒尾市府本、昭和22年生73歳。荒尾陽子・荒尾市府本、昭和44年生51歳。
吉田夏川・荒尾市野原、大正10年生99歳。西田工・荒尾市菰屋、昭和2年生。
岡村じゅん・荒尾市菰屋、昭和3年生。志垣としえ・荒尾市大和区、昭和5年生。
昭和53年から始まった少年少女夏休み俳句教室の作品を抜粋しました。(長々とご覧いただきありがとうございました。)
私の印象に残ったのを8句選句しました。
青海苔やあぶりて海の色を呼ぶ
雲海やひとなき如く阿蘇の谷
火の山は飢餓の丘陵草紅葉
白雲は墓標8月15日
割り算であまりし一つ吊るし柿
荒れくれて石だし夜のおぼろ月
土ふるもふらぬも農夫樹のごとく
霜柱一歩踏み出す別世界ぬるむ
選句しました。
俳句の選句は、その人それぞれにより大きく異なり、人間の性格、品格、過去の生活環境などあぶり出されると言いますが私なりに選びました。
夏よもぎ⇒焼土 火のよう⇒飢餓
白雲⇒墓標 中でも農夫を樹のごとくと表現したのにはすごいと思いました。擬人化。
朝の頭の中が空っぽの中で、大変脳に詰め込みました・・・・が、3歩あゆみて忘れますが・・・・。
有り難うございました。
、
この中で1番好きなのは・・・
最年少 ひまわりは 大きな顔で 重たそう
昔 観たり聞いたりした中で メモするノートに書いたのを思い出しました。
碧梧桐 菊がだるいと言った堪へられないと云った
私にとっては有名人でも隣の子でも昔も今も 響くのは変わらないようです、
大人の中では 笠間圭子様 余った吊るし柿 どうなさったかな?
どんこさん たくさんの句を書き写し 写真を入れられた・・
ご遺族 ご家族に 見せてあげたいですね。
気持ちのいい日曜日です。
空の青い事・・・こんな青あったかな~~~と思うくらいの青さです。
どんこさんの所に来たら・・・アララ∻∻∻
芸術の秋・・
この作者さんは皆さんどんこさんの関係者の方ですか??
私も中学生の頃までは書いていましたが今は何も出来ません。
読んでて微笑ましい物‥胸が熱くなることも
荒尾中の生徒さんは教え子さんでしょうか?
可愛らしいですね∻∻∻偉そうなことは言えませんが
皆さん素直な気持ちで作られたんだと思います。
之を編集されたどんこ先生に敬意を申し上げます。
お疲れ様でした。
こんなにたくさんの方がいらっしゃるとは全く
知りませんでした。
今日も良いお天気になったので荒尾干潟にでも
行って命の洗濯をして来ようと思います。
読まれて方の時代を感じたり 荒尾の様子がうかがえたりとっても興味深かったです。
何度か読み返そうと思ってます。
ひょっとしてどんこさんの関係の方がいらっしゃいますか?
子供さんの句はかわいいですね。あらおでも有明小、一中が俳句を作るお子さんが多かったんですね。
こんばんは~♪
荒尾は文化の香りの高いところのようですね!
立派な装丁で、手に取って見てみたいです。
写真をとっても、一句添えられているのを拝見するといいな~と思うのですが・・・
プレバトを見てクスクス笑っているだけでは詠めません!
小学生の句がいいです。
>田のすみに刈り残された稲一本
此方ではやっと稲刈りが始まりました。
縄文人さんらしい選句だと思いましたよ。
きっと秩父の山里を思い浮かべられたことでしょう。
ふるさとは遠きにありて思うもの、ですよね。
暦の上では霜降も過ぎました。
南国のAraoもきのう、きょうと霜が真っ白でしたよ。
今年は庭の渋柿が100個くらいなりました。
近所に2軒ばかり少しお裾分けしましたが
残りは干し柿用に吊しましたよ。
きのう、きょうともう真っ白に霜が降りましたよ。
momomamaさんはかわいらしい句が好きですね。
かわいらしい句と言えば、掲載しませんでしたが
他にこんな句もありましたよ。
犬の子や着物も着ずに寒かろう 清里小 四年 隅倉豊
いなすずめばあちゃん石をにぎってる 平井小 二年 城文子
この子たちも、今はもういいおじさん、おばさんになっているでしょうね。
身体は少々調子が悪くても気分は上々ですよね。
良かった、良かった!
いやいや、もう34年前に刊行された本ですから
編集代表人の西山胡鬼さん初め
かなりの人が亡くなられていますよ。
そうですね、私も今回しみじみ読んだのですが
知人も多くて、懐かしかったです・・・。
荒尾一中の子はみんな教え子です。
西山胡鬼さんは私が授業で作らせた俳句を
毎月地元の新聞社に、選評を入れて掲載してくれていました。
そのスクラップ集は学校火災で大事にしていた和文タイプライターと共に焼けてしまいましたよ。
一つは平井元村の天満宮に、
もう一つは下井手の三宮神社境内です。
いずれも建立年代・建立者の名はありませんが
昔から荒尾の地で発句(俳句の前身)が盛んに行われていた証拠だと言われています。
荒尾干潟の夕陽、うまく撮れましたか?