2021年(令和3年)3月15日(月)
時々通院しているT歯科医院の隣にある駄菓子屋「ももや」です。小学生だけでなく、中学生、子ども連れのお母さんたちも見えています。
いつも気になっていましたが思い切って入ってみました。目に飛び込んできたのはお菓子よりも先に機関車の写真や駅のグッズです。
何とご主人は宮崎さんという元駅長さんでした。久留米駅長を最後に退職されたそうです。話し好きの明るい方です。
今はご夫婦でされていますが、元は亡くなったお姉さんが長いこと切り盛りされていたのを引き継がれたとことでした。
陳列棚も賑やかです。
奥様が書かれたという「むかしのあそび」の詩が張ってあります。挿絵も素敵です。
近くの小学生が先生に連れられて見学に来るそうで、お礼の手紙もほのぼのとしています。
値段も駄菓子屋にふさわしく手頃です。子どもだけでなくおとなもついつい手を伸ばしたくなります。
こんなクジもありました。
買ったお菓子です。手前の2本はご主からがサービスだと貰いました。
近くには今は廃院になっているレトロな建物があります。ちょっとタイムスリップした感じです。
「ももや」の西隣のT歯科とは薪歯科(大島町3丁目)のことで
今の先生のお父様は中学校の校医さんでした。
放課後、検査がすんでから、良く運動場に出てきて
野球の練習に参加して「オレにも打たせろ」とバッターボックスには入ってこられましたよ。
田尻医院のような建物は四山神社近くに田伏医院もありましたね。今は跡形もありません。
蒸気機関車の写真が飾ってあったり 楽しい駄菓子屋さんですね。
しかも店主が元駅長さんだったり。
お通いの歯医者さんは大島にありますか?
レトロな建物は 見たことがあるような、と見たら
田尻医院と書かれていますね。なつかしいです。
かわいがっていたのが昔の駄菓子屋さんですよね。
今もその伝統は受け継がれているようで良かったです。
三角クジなどは1等など初めから抜いているのも知らず
夢中になって買い続けて、スカばかりだったことも
今となっては懐かしい限りです。
そうそう、映画館でも駄菓子をポリポリと食べていました。
大型ショッピングの店の駄菓子屋、
どこにでもあると言うことは需要が多いということですよね。
一躍流行語にもなりましたからね。
ああ、これだったんだと思いましたよ。
元駅長さん、現役時代も乗客から親しまれておられたことでしょうね。
あのキャラクターですから、モテないはずはありませんね。
「大町」のことは初めて聞きました。
検索してみて規模の大きさにびっくりしました。
子どもたちのたまり場になっていましたよね。
今のようにきれいに包装されてなくて
じいちゃん、ばあちゃんが素手で取ってくれ
それを泥だらけの手で受け取っていましたからね。
それでも私なんか、腹痛を起こしたことはないです。
そうそう、大型商業施設内でも駄菓子屋さんがありますね。
ところでJRの時刻表は駅にも置いてなくて
HPなどでダウンロードしてくださいと掲示されていましたよ。
JRもコロナで苦しいのでしょうかね。
思い切って入ってみて良かったと思いましたよ。
こんな素晴らしい店舗が見られただけでなく、
美味しいお菓子にもありつけたのですからね。
それ以上に素敵なご夫妻と面識が出来、幸せな気分でした。
おっしゃる通り、どこにでも駄菓子屋さんがあり
子どもたちが群れていましたよね。私もそうでしたよ。
ハイカラなお店でしたよ。
「momomamaさん」に「ももやさん」、親近感が湧きますね。
奥様は口数の少ないお方のように見えましたが
字も挿絵もなかなかのものでした。
こう言うお店に見学に連れてこられる先生も偉い!
そう思いませんか!?
この人がまあ人なつこくて、
話をしていて心が癒やされるお方でしたよ。
多分、お店を訪れる子どもたちも
店主のおじさんとの会話を
楽しみにしていることでしょうね。
私も子どもだったらお小遣いがなくても
毎日通ったことでしょうね。
昔は家から5分内のの近所にも
こうした駄菓子屋が6軒ほどありましたよ。
学校前だけはしていますがそんなには大きくはないです。
奥さんが言うにはやはり中には悪さする子がいてね~~とよく話していましたが・・
でも毎日来るから可愛くてと・・
大きい駄菓子屋さんは映画館のそば孫と行くとかなら映画館に入る前に買いこんで映画を観ながら良く食べていました。
大型ショッピングのお店にも必ず手広く駄菓子屋さんは有り中々の盛況です。大人も子供も楽しい場所ですね∻∻∻
こちらでも渋野日向子さん行きつけの駄菓子屋さんが有名になりました。
まだ頑張っていらっしゃるのですね!
元駅長さんとは・・・子どもが寄りたくなりますね!
近くに日本一の駄菓子屋と銘打っている「大町」があります。
京阪神方面からも観光バスでやってくるような倉庫のようなお店です。
社長は東日本大震災からの復興を支援する活動などもなさっていて先日も福島と繋いでリモートで交流をしていました。
三味線の蝦名先生が司会でした。
以前いた家の近くの八百屋さんに駄菓子も
売っていたので良く買いました。
けど、胃腸が弱かったので駄菓子を食べると
よくお腹を壊していましたね。
今、ゆめタウンの中に駄菓子屋さんのお店が
テナウントとして出ていますよ。
そにはまだ入った事はありませんけど!
気になるところは入ってみるものですねえ😉
本物の駅長さんにお会いできるとは意外でした。
駄菓子屋さんは子供たちには嬉しいお店ですね♪
私が子供の頃も有りましたし、私の娘が小さい頃も
お婆ちゃん(1人)のお店が近くに有りました。
10円、20円、小さな手に握りしめて、自分で買いに行ける楽しさは今も覚えています😄
レトロな建物は今も診療中なのですね?
早くも桜の季節になってまいりましたね♪
美しい春をお楽しみくださいませ。
なにより お店の名前がいい・・・ももやさん🍑ですか~
子供の頃 こんなにきれいじゃないけど 駄菓子屋さんがあって
お店の名前は いつまでも 爺さん婆さん でした。
今考えると 今の私よりも ずっと若い。。
むかしのあそび 懐かしいです。。
子供さんのお礼のお手紙 嬉しいでしょうね。
今日もいいことありますように・・・
キット~ドンコさんですから、話も弾んだことでしょう。
駅長さんも、第2の人生を切り開き、居場所つくり奥さんとイイデスネ・・・・・・・。
機関車、お礼の手紙、お子さんたちの喜びそうな写真機関車展示の数々で心が和みます。
山育ちの縄文人は、お店そのものがありませんでした。
・我達は野山川狩り山遊び (縄)
・駄菓子とは1文菓子が始まりと (縄)
銭一文は、現代の12円に相当するとか・・・・・。
お金を握りしめ、駄菓子屋に走った幼き頃の思い出。
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