私の浪人時代の恩師である潮田五郎先生が亡くなられたのは、先日のエントリでお話ししました。この連休中、実家に帰る機会があったので、本棚から潮田先生のテキストを手にとって見ました。人間的に最も成長できたのが浪人時代と自分でも実感しているため、実家の本棚には、その当時使った参考書や成績優秀者として名前が掲載された模試の資料などが、いつでも手にとれるようになっています。
私が代々木ゼミナールの潮田先生にお世話になったのは、1991~92年。一浪して明治大学法学部に合格し入学したものの、早稲田を諦めきれず、大学に通いながら予備校にも通ういわゆる‘仮面浪人’をしていた時です。
根っからの代ゼミっ子だった私は、もちろん前年の一浪時も代ゼミに通っていました。この写真は、「91/92 冬期直前講習会(代々木ゼミナール)」の小冊子を撮影したものです。田村秀行氏の「早大現代文」を受講している時のものが、中表紙に掲載されました。当時は予備校業界全盛期。有名講師である田村先生の講義を聴講するために、朝4時半の始発で代々木まで通い、窓から忍び込んで席取りをしたものでした。向かって右側が私。因みに隣に座っている彼(伊那北高時代の同級生)も早稲田大学法学部に合格しました。
何故だか分かりませんが、あの頃は全てが充実していた気がします。やったことが正直に自分に帰ってくる・・・。そんな時代を過ごしたから今の仕事を生業としてやっていけると言えます。
今日は、久しぶりに懐かしい気持ちになりました。
私が代々木ゼミナールの潮田先生にお世話になったのは、1991~92年。一浪して明治大学法学部に合格し入学したものの、早稲田を諦めきれず、大学に通いながら予備校にも通ういわゆる‘仮面浪人’をしていた時です。
根っからの代ゼミっ子だった私は、もちろん前年の一浪時も代ゼミに通っていました。この写真は、「91/92 冬期直前講習会(代々木ゼミナール)」の小冊子を撮影したものです。田村秀行氏の「早大現代文」を受講している時のものが、中表紙に掲載されました。当時は予備校業界全盛期。有名講師である田村先生の講義を聴講するために、朝4時半の始発で代々木まで通い、窓から忍び込んで席取りをしたものでした。向かって右側が私。因みに隣に座っている彼(伊那北高時代の同級生)も早稲田大学法学部に合格しました。
何故だか分かりませんが、あの頃は全てが充実していた気がします。やったことが正直に自分に帰ってくる・・・。そんな時代を過ごしたから今の仕事を生業としてやっていけると言えます。
今日は、久しぶりに懐かしい気持ちになりました。