銀行員時代、行内報で紹介されていたエッセイが心に留まり、今でもとってあります。
私自身もシアトル留学時代に、上記と同じ感覚を体験したことがあります。苦手なリスニングを克服しない限り飛躍的な英語力の向上は望めないと悟り、四六時中携帯ラジオでNPRを聞き続けました。歯を磨くときも、トイレに行く時も。そして、渡米して4ヶ月が過ぎようとしていたある日、突然、放送されている英語が何の苦痛もなく理解できるようになったのです。
思い起こせば、銀行員時代、英語以外に得意な分野がなく(といっても当時はTOEIC720点でしたので現在と比較すると素人レベルでしたが・・・)、仕事に自信が持てない自分がいました。そんな時、この文章を読み、当時担当していた住宅ローンのプロになろうと、宅地建物取引主任者試験への挑戦を決意しました。閾値を超えるために、空いた時間はすべて宅建の勉強に費やしました。それを半年続けた結果、試験に合格。その後は、ローンのお客さんのみならず、住宅メーカーさん、不動産業者さんとも対等に交渉ができ、閾値を超える感覚を味わいました。
「できない」を連呼する代わりに、徹底的に自分を追い込んで努力してみる。その先にこそ、新たな自分を発見できるのだと思います。
皆さんは閾値を超えた瞬間がありますか?
その題は「閾値を超える」。以下は引用です。
もう十数年もまえのこと、二ヶ月ほど米国への研修に出させていただいた。あるパーティーで米大へ留学しているという日本人の女学生と出会い、英語に慣れるにはどうしたら良いかという話題になった。彼女は留学するまで英語はからきしだめであったが、米国で暮らし始めてから一年ほどたったある日、突然TVの英語が自然に耳に飛び込んでくる不思議な体験をしたという。それまでの一年間の努力は凄まじいものであったらしく、この時の喜びは一生忘れることはないだろう、と多少興奮気味に話してくれたことが今でも記憶に残っている。
これを「閾値を超えた」瞬間と言うのであろう。「閾値」はもともと医学用語であるが、あるレベルに達しはじめて物事が変わり始める、そのハードルのレベルをいう。
(中略)
ある水準に達するまでは集中的に、そして徹底的に努力することを惜しんではいけない。いくら時間をかけても「閾値」に達しなければ何もしなかったと同じことなのである。
― 引用終わり ―
私自身もシアトル留学時代に、上記と同じ感覚を体験したことがあります。苦手なリスニングを克服しない限り飛躍的な英語力の向上は望めないと悟り、四六時中携帯ラジオでNPRを聞き続けました。歯を磨くときも、トイレに行く時も。そして、渡米して4ヶ月が過ぎようとしていたある日、突然、放送されている英語が何の苦痛もなく理解できるようになったのです。
思い起こせば、銀行員時代、英語以外に得意な分野がなく(といっても当時はTOEIC720点でしたので現在と比較すると素人レベルでしたが・・・)、仕事に自信が持てない自分がいました。そんな時、この文章を読み、当時担当していた住宅ローンのプロになろうと、宅地建物取引主任者試験への挑戦を決意しました。閾値を超えるために、空いた時間はすべて宅建の勉強に費やしました。それを半年続けた結果、試験に合格。その後は、ローンのお客さんのみならず、住宅メーカーさん、不動産業者さんとも対等に交渉ができ、閾値を超える感覚を味わいました。
「できない」を連呼する代わりに、徹底的に自分を追い込んで努力してみる。その先にこそ、新たな自分を発見できるのだと思います。
皆さんは閾値を超えた瞬間がありますか?