それまでは出来なかったのに、なぜか「これだけは徹底してやってみよう」と急に思い立ち、最初から最後まで真剣にやった英語の教材ってありますか?
私は高1の時の冬休みの副教材だったヘレンケラーの伝記でした。非常に薄いペーパーバックで、とても簡単な英語で書かれていたのですが、高校入学以来勉強をサボっていた当時の自分にとっては、最後まで読み終えるのは不可能に思えました。
しかし、なぜか「辞書を引きまくって、最後まで読んでやろう」と決意し、取り掛かりました。今でも覚えているのが、祖父母の家に泊まりに行った時、夕食後の卓袱台の上で、祖父がお茶を飲んでいる前で一生懸命に辞書を引いて格闘している光景です。ストーブの上のやかんのお湯が沸騰している音、柱時計が刻む秒針の音・・・。鮮明に思い出します。
そして、その一冊を終えて高2生になった時、高校入学以来苦手となってしまった英語が、再び得意科目となっていました。
それまでの自分を変えるには、何かに徹底して打ち込むことです。それが勉強であれば、これと決めった一冊を徹底してやりぬき、繰り返すこと。他のものでは出来なかったのに、徹底してやりぬくことが出来た時、それまでは見えなかった世界が見えてきます。
私は高1の時の冬休みの副教材だったヘレンケラーの伝記でした。非常に薄いペーパーバックで、とても簡単な英語で書かれていたのですが、高校入学以来勉強をサボっていた当時の自分にとっては、最後まで読み終えるのは不可能に思えました。
しかし、なぜか「辞書を引きまくって、最後まで読んでやろう」と決意し、取り掛かりました。今でも覚えているのが、祖父母の家に泊まりに行った時、夕食後の卓袱台の上で、祖父がお茶を飲んでいる前で一生懸命に辞書を引いて格闘している光景です。ストーブの上のやかんのお湯が沸騰している音、柱時計が刻む秒針の音・・・。鮮明に思い出します。
そして、その一冊を終えて高2生になった時、高校入学以来苦手となってしまった英語が、再び得意科目となっていました。
それまでの自分を変えるには、何かに徹底して打ち込むことです。それが勉強であれば、これと決めった一冊を徹底してやりぬき、繰り返すこと。他のものでは出来なかったのに、徹底してやりぬくことが出来た時、それまでは見えなかった世界が見えてきます。