う~~~~~~ 体調が悪い・・・・
日曜日のウインドの時に、ウエットスーツを着ずにラッシュガードとサーパンだったのがまずかったのか?
それとも、渋滞と帰りの長い時間(往復7時間)車のエアコン風に当っていたのがまずかったか?
昨日の夕方から今朝にかけてのどの痛みと微熱がでてしまった僕。
滅多にこうした体調を崩すことが無い翔ですが、子供の頃から喉が乾燥に弱く、 多分車のエアコンが原因かと・・・
5月6日以降、更新が停滞していたわけですが、色々とありました。
その一つが9日に帰宅した親爺。
1月からホームで生活していたのですが、自宅での生活が可能かどうか?を見極める為、この朝からしばらくは自宅での生活になった。
で、12日までは、順調に生活できていたのですが、13日の早朝に母親から連絡があり、 早朝の2時頃、そして朝の6時頃に親爺が二回程倒れて動けなくなってしまったとのこと。
倒れたと行っても一つは座り込み、もう一つは本当にフラついて倒れた。
1回目はトイレに行こうとしてベッド横に座り込んでしまい、そのまま動けずに排尿。
トイレに間に合わなかった訳です。
このときは親爺が母親を呼び起こし、母が緊急コールで駆けつけてくれるサービスでナースと介護福祉士が来て引き起こしてくれた。
ようやく落ち着いてベッドに戻ると、 次は朝の6時頃にまた倒れ、 今度はリビングへ入るドアの横に座り込んでいたそうだ。
この時間は母親が大抵起きる時間なので、廊下にいる親爺に気がついて再びコール。
このときはトイレで用を足した後だったらしく、床が水浸しというのは無かったのですが、 右の手のひらの小指と、同じく右の足の指を骨折。
内出血もあり、 駆けつけた緊急サービスの方に引き起こしてもらい、ベッドまで戻ったとのこと。
その後、朝食は母親に付き添われて何とか食卓にこれたわけですが、 足と手が痛んで結構大変だったらしく、特に右足の小指と、ねえさん指の間を切ってしまいそれがかなりの痛みだったらしい。
二カ所の腫れが著しいことから、8時半に病院へ母親が連絡して、 その病院からケアマネのところに連絡が行き、送迎サービス付きの整形外科に運んでもらった。
診断では、両方とも大したことは無く、 それゆえかギブスも無いし、 特に固定処置も無し。
親爺も騒ぐ訳でも無かったので、特に薬も無くそのまま帰宅。
母親が僕の方に連絡をくれたのは、病院に行く前の迎えが来るのを待っているときだったのですが。
電話で事の次第を聞いた僕としては「これから行こうか?」と準備を始めた。
すると「聞くと大丈夫だから!」とかたくなに固辞されてしまい、来なくて良いといっているのに押しかけるのもどうかと思い、とりあえず何かあったら連絡してと行って、このときは電話を切った。
そのまま、後は連絡が無く、週明けに担当にケアマネさんから電話があり、 今回の事も有って母親にかなりのストレスと疲れが溜まっていたらしく、 この13日の日は、念のために来てくれたケアマネさんの前で立ちくらみが起きて倒れてしまったとのこと。
そんなことから、急遽親爺は16日から22日まで、ショートステイでお泊まりとなった。
18日にケアマネさんから連絡があり、 認知予防のためのパッチが4枚も貼られていた? という話があり、
親爺の話では躯が浮いたようになって上手く歩けないという事から、おそらくはこれが原因と特定。
20日の土曜日、特に予定も無く、なら、手すり工事をしようかと実家に向かった僕。
何時も通りに7時に家に着くと、朝食後に昨日までの話を聞くと、想像以上に大変だったらしく、
何より2度倒れて起き上がれなかった事から来る、様々な事がかなりのストレスになったようだ。
聞くと、パッチの事は明確で無く、 どういった経緯で多数貼られていたのか?という事はハッキリしないので、
母親には問わなかったけど、母親がお風呂に入れているわけではなく、帰宅前のホームや、ショートステイなど、
貼る場所が人により背中だったり、胸回りだったり、すると、無い物と思って前のを剥がさずに貼る可能性はある。
とりあえず、今回のゴタゴタはそのパッチが原因で有る事はほぼ間違いなく、
ショートステイの間はその辺りをきちんと管理してもらうようにお願いしているので、22日に帰宅する時には
基のように戻っているのでは無いかと思った。
母親の方は13日の出来事含めてかなりの疲労だったようだけど、この親爺がいない間に元気になってはいて、ただ、親爺を家で過ごさせたい思いはあれど、 自分自身の身体的な能力の限界も有り、どうにもならないと泣いてしまった。
母親には、 今月末まで見極めして、夜のトイレがどうにもならないという場合、 残念だけどやはりホームで生活してもらうしか無いという話をした。
なんせ92才の母親には、親爺にオムツを毎日履かせてそれを又処理するだけの事が、かなりの負担な訳だ。
ひとしきり話をしたあと、ケアマネさんが僕が実家に居るのを電話で知って駆けつけてくれて、この後どうするか?について相談。
今月末くらいまでに見極めするという事で話を終わらせましたが、果たしてどうなるか?は実際のところわからない。
そのあと、僕の方は手すりを設置開始、
壁の下に隠れている間柱を探してそこに木ネジで固定するわけだが、一部分どうしても固定できない壁が有り、
これは後で補強を入れて取り付けるしか無い。
廊下はこんな感じで、両側に手すり。 右側の扉がトイレ。
寝室の親爺のベッドの、すぐ横にあるクローゼット横にも2本。
後は片付けて終了。
日帰りで帰宅して、 日曜日は今年初めてのウインド。
今日は訪問医さんが来てくれ、その後に訪問介護の人が来るので、その時間を狙ってに電話してみた。
母親の話では、依然として夜のトイレが駄目で、吸水シートが濡れる状態とのこと。
まだ、パッチの薬効が残っているのか?は判らないけど、13日の事から既に10日近く経っているので、
一人で夜にトイレに行けないとしたら、 完全に家での生活は絶たれてしまう。
僕が実家にずっと居れれば、そうした事は問題にはならないのだが、ずっと仕事を休んで面倒を見る事は現実として出来ない。
親爺の面倒を見ている母親には大変だろうけど、 実質的に負担となるのは、その夜のトイレの問題。
そのほかは、食事にしても何するにしても支障は無く、しかしながらその夜のトイレ問題は自宅での生活においての最大の障壁となっている。
9日から家に戻り、突然13日に悪くなると言うことはあり得ず、というのは僕が1月から2~3週間に一度程度の割合で親爺を自宅に連れてきて、その時にはほぼ夜中に排尿で失敗したことは無かった。
徐々に失敗する数が増えるというのが老化だが、ある日突然全く出来なくなるはずがなく、
考えられる要因は躯に貼るパッチ以外には考えられない。
どの程度の期間過剰摂取による副作用がつづくのか?が判らないが、身体の中の薬効が正常値にもどれば、元に戻るはずだと僕は思っている。
ちなみに、母親だが、 戦中に家をやかれ、防空壕で凍えながらナマの芋をかじったり雑草を食べて生きてきた人間故に、その精神的な強さは半端ない。
大変だろうとは思うが、 本来家で生活できるのに、薬物のせいで出来ないのをもって、自宅での生活が不可能と結びつける事は、 残り少ない人生の中で、平穏な一時を奪う事になりかねない。
母親には悪いとは思いつつも、あとすこし頑張ってもらいたい。