帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

見極め

2023年05月23日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

う~~~~~~ 体調が悪い・・・・

日曜日のウインドの時に、ウエットスーツを着ずにラッシュガードとサーパンだったのがまずかったのか?

それとも、渋滞と帰りの長い時間(往復7時間)車のエアコン風に当っていたのがまずかったか?

昨日の夕方から今朝にかけてのどの痛みと微熱がでてしまった僕。

滅多にこうした体調を崩すことが無い翔ですが、子供の頃から喉が乾燥に弱く、 多分車のエアコンが原因かと・・・

 

 

5月6日以降、更新が停滞していたわけですが、色々とありました。

その一つが9日に帰宅した親爺。

1月からホームで生活していたのですが、自宅での生活が可能かどうか?を見極める為、この朝からしばらくは自宅での生活になった。

で、12日までは、順調に生活できていたのですが、13日の早朝に母親から連絡があり、 早朝の2時頃、そして朝の6時頃に親爺が二回程倒れて動けなくなってしまったとのこと。

倒れたと行っても一つは座り込み、もう一つは本当にフラついて倒れた。

 

1回目はトイレに行こうとしてベッド横に座り込んでしまい、そのまま動けずに排尿。

トイレに間に合わなかった訳です。

 

このときは親爺が母親を呼び起こし、母が緊急コールで駆けつけてくれるサービスでナースと介護福祉士が来て引き起こしてくれた。

ようやく落ち着いてベッドに戻ると、 次は朝の6時頃にまた倒れ、 今度はリビングへ入るドアの横に座り込んでいたそうだ。

この時間は母親が大抵起きる時間なので、廊下にいる親爺に気がついて再びコール。

 

このときはトイレで用を足した後だったらしく、床が水浸しというのは無かったのですが、 右の手のひらの小指と、同じく右の足の指を骨折。

内出血もあり、 駆けつけた緊急サービスの方に引き起こしてもらい、ベッドまで戻ったとのこと。

 

その後、朝食は母親に付き添われて何とか食卓にこれたわけですが、 足と手が痛んで結構大変だったらしく、特に右足の小指と、ねえさん指の間を切ってしまいそれがかなりの痛みだったらしい。

二カ所の腫れが著しいことから、8時半に病院へ母親が連絡して、 その病院からケアマネのところに連絡が行き、送迎サービス付きの整形外科に運んでもらった。

 

診断では、両方とも大したことは無く、 それゆえかギブスも無いし、 特に固定処置も無し。

親爺も騒ぐ訳でも無かったので、特に薬も無くそのまま帰宅。

 

母親が僕の方に連絡をくれたのは、病院に行く前の迎えが来るのを待っているときだったのですが。

電話で事の次第を聞いた僕としては「これから行こうか?」と準備を始めた。

すると「聞くと大丈夫だから!」とかたくなに固辞されてしまい、来なくて良いといっているのに押しかけるのもどうかと思い、とりあえず何かあったら連絡してと行って、このときは電話を切った。

 

そのまま、後は連絡が無く、週明けに担当にケアマネさんから電話があり、 今回の事も有って母親にかなりのストレスと疲れが溜まっていたらしく、 この13日の日は、念のために来てくれたケアマネさんの前で立ちくらみが起きて倒れてしまったとのこと。

そんなことから、急遽親爺は16日から22日まで、ショートステイでお泊まりとなった。

18日にケアマネさんから連絡があり、 認知予防のためのパッチが4枚も貼られていた? という話があり、

親爺の話では躯が浮いたようになって上手く歩けないという事から、おそらくはこれが原因と特定。

 

20日の土曜日、特に予定も無く、なら、手すり工事をしようかと実家に向かった僕。

何時も通りに7時に家に着くと、朝食後に昨日までの話を聞くと、想像以上に大変だったらしく、

何より2度倒れて起き上がれなかった事から来る、様々な事がかなりのストレスになったようだ。

 

聞くと、パッチの事は明確で無く、 どういった経緯で多数貼られていたのか?という事はハッキリしないので、

母親には問わなかったけど、母親がお風呂に入れているわけではなく、帰宅前のホームや、ショートステイなど、

貼る場所が人により背中だったり、胸回りだったり、すると、無い物と思って前のを剥がさずに貼る可能性はある。

 

とりあえず、今回のゴタゴタはそのパッチが原因で有る事はほぼ間違いなく、

ショートステイの間はその辺りをきちんと管理してもらうようにお願いしているので、22日に帰宅する時には

基のように戻っているのでは無いかと思った。

母親の方は13日の出来事含めてかなりの疲労だったようだけど、この親爺がいない間に元気になってはいて、ただ、親爺を家で過ごさせたい思いはあれど、 自分自身の身体的な能力の限界も有り、どうにもならないと泣いてしまった。

母親には、 今月末まで見極めして、夜のトイレがどうにもならないという場合、 残念だけどやはりホームで生活してもらうしか無いという話をした。

 

なんせ92才の母親には、親爺にオムツを毎日履かせてそれを又処理するだけの事が、かなりの負担な訳だ。

ひとしきり話をしたあと、ケアマネさんが僕が実家に居るのを電話で知って駆けつけてくれて、この後どうするか?について相談。

 

今月末くらいまでに見極めするという事で話を終わらせましたが、果たしてどうなるか?は実際のところわからない。

 

そのあと、僕の方は手すりを設置開始、

壁の下に隠れている間柱を探してそこに木ネジで固定するわけだが、一部分どうしても固定できない壁が有り、

これは後で補強を入れて取り付けるしか無い。

廊下はこんな感じで、両側に手すり。 右側の扉がトイレ。

寝室の親爺のベッドの、すぐ横にあるクローゼット横にも2本。

後は片付けて終了。

日帰りで帰宅して、 日曜日は今年初めてのウインド。

 

今日は訪問医さんが来てくれ、その後に訪問介護の人が来るので、その時間を狙ってに電話してみた。

 

母親の話では、依然として夜のトイレが駄目で、吸水シートが濡れる状態とのこと。

まだ、パッチの薬効が残っているのか?は判らないけど、13日の事から既に10日近く経っているので、

一人で夜にトイレに行けないとしたら、 完全に家での生活は絶たれてしまう。

 

僕が実家にずっと居れれば、そうした事は問題にはならないのだが、ずっと仕事を休んで面倒を見る事は現実として出来ない。

 

親爺の面倒を見ている母親には大変だろうけど、 実質的に負担となるのは、その夜のトイレの問題。

そのほかは、食事にしても何するにしても支障は無く、しかしながらその夜のトイレ問題は自宅での生活においての最大の障壁となっている。

9日から家に戻り、突然13日に悪くなると言うことはあり得ず、というのは僕が1月から2~3週間に一度程度の割合で親爺を自宅に連れてきて、その時にはほぼ夜中に排尿で失敗したことは無かった。

徐々に失敗する数が増えるというのが老化だが、ある日突然全く出来なくなるはずがなく、

考えられる要因は躯に貼るパッチ以外には考えられない。

 

どの程度の期間過剰摂取による副作用がつづくのか?が判らないが、身体の中の薬効が正常値にもどれば、元に戻るはずだと僕は思っている。

ちなみに、母親だが、 戦中に家をやかれ、防空壕で凍えながらナマの芋をかじったり雑草を食べて生きてきた人間故に、その精神的な強さは半端ない。

大変だろうとは思うが、 本来家で生活できるのに、薬物のせいで出来ないのをもって、自宅での生活が不可能と結びつける事は、 残り少ない人生の中で、平穏な一時を奪う事になりかねない。

母親には悪いとは思いつつも、あとすこし頑張ってもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 


手すり

2023年04月22日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親爺が老人ホームを出て、自宅に帰ってくる方向で話はかなり進んでいます。

 

ケアマネージャーさんとの、幾度に渡る連絡にて、 帰宅後の転倒や、尻餅による立ち上がりが難しい件に関してはすでにクリア。

母親が、毎日親爺と”朝から晩までずっと顔を付き合わせている事からくる疲労感”に関しては、週に二日間の短期お泊まりスティで解放。

なんせ、世話を焼かねばならない事が、昨年の脳梗塞前より遙かに増えているので、故母親も大変なんです。  汗

 

同時に、ある意味ですが、この一年間近い時間を一人で過ごし、母親にしてみれば極めて裏返せばお気楽の生活だった。

 

それが、親爺が帰ってくると朝ご飯、昼食、夕飯と3食しっかり用意しなければならないし、そうなると高齢の母親にとってはかなりの負担。

 

で、こちらの方はデイケアにお世話になることでお昼や入浴、着替え等の負担を軽減。 

 

ということで、日曜日から土曜日まで、 日曜日を除くと、親爺はほぼ毎日ケア施設でお世話になる。

それでも、毎日施設で過ごすより遙かに良いんです。 

 

介護保険の限度は現在でも目一杯で、それは自宅に帰ってきても完全に超えてしまうので、その超えた分は当然自己負担になるのですが、

ホーム入所で毎月かかっていた家賃みたいな物が20万近いので、それを考えれば逆に負担は軽くなる。   はず・・・・ 

 

まあ、色々と複雑な要素が絡むことから、実際にやって見ないと費用含めて色々と判らないんですけど、 ケアマネさんがかなり緻密に計算してくれるのと、

出費が多すぎれば、親爺と母親の様子を見ながらケア施設利用を減らすだけのこと。 

 

予定では5月9日に帰宅させ、そして2週間ほどの様子をみて、 母親に過大な負担がかからず、二人とも生活できると母親自体が確認できれば、

ホームは退去する事になる。

 

親爺が家に帰ってくることで、母親の負担ばかりが増すように見えるのですが、逆に良いことも有ります。

長い一人生活で、ほんの少しですが、母親の認知機能が落ちてきているのを感じることも有り、 一人での生活故にそれも仕方ないのですが、

親爺が戻ってきて、 あれやこれやと世話焼いたり、喧嘩したり、話し相手が常にいることは、惚け防止には最大の効果となる。

 

2~3週に一度、僕が泊りで実家に行って過ごしたところで、 老化の進行というのは殆ど変わらず、 常に親爺が居る刺激?が有る方が良いんです。

 

まあ、そんなわけですが、 僕の方は?というと、 今のところ特にやることも無く、 出来るとしたら親爺の歩行を助ける手すりを

廊下に設置することくらいになります。

 

というわけで、簡単に取り付け出来るセット品みたいな物を探すと、非常に価格が高く、 家の廊下だと多分1~1.5万くらいになる。

トイレが一番問題なので、 寝室からトイレまでと、 トイレからリビングまでの二セットだと一セット5000~7500円位する。

 

で、ホームセンターに行くと、当然のことながらそのくらいの値段が普通。 高っけ~~~~~~!!!!

 

なので資材置き場を見て歩くと、30mmのタモ丸棒が1380円で売っていた。

これ使えるので、 ならと手すりを取り付けるブラケット金物をさがすと 32mm様が 一セット約678円で売っている。

タモの丸棒は長さ3mなので、これをそのまま設置するか、二つに切って使うかで、 一応2分割設置を考えて金物は5セット用意

後は丸棒のエンドぶつけてもぶつけても痛くないように、これは家具スベールを流用して取り付けこれが588円を二セット。

全部揃えて6千円くらいになった。

実際に取り付けてみて、材料が余るようなら幾つか返品するので、特にブラケットが3つしか使わず(910mm感覚で3個)と、家具スベールが一セット不要だと

さらに2000円近く、4千円以下で済む。

 

そうそう、ブラケットは32mmの手すり丸棒用だが、 30mmの丸棒を当ててみたところ全く問題は無し。

なのでこれで行くことにした。

次に実家にいくのは5月1日なので、その日に取り付けをしようかと思っています。

 

そうそう、これまで家のテレビはJ-COMだったんですけど、それをNURO光に変更。

その工事が1日で、平日だと無料、 土日祭日だと3300円、手すり代出てしまうでよ! 

 

変更の理由ですが、まずはJ-COMはテレビ端末の性能が最低で、 毎日連続録画の予約すら出来ないという欠陥品?

”毎日”朝の連ドラ予約をしなければならないという体たらく。

 

数年前に実家近くの営業所が閉鎖され、 何かあると電話して対応をしてもらうしかないのですが、 「現在大変混み合っております、ウンチャラカンチャラ」で

まったく繋がらない。   まじでふざけている。

 

しかもテレビと電話だけで、後で分かったのですが、総合サポートサービスが勝手に契約されていて(で電話つながない)それ含めて月に7500円。

さすがに堪忍袋の尾が切れた僕は、この度光回線のサービスが開始された事から、真っ先にチラシ打ってきたNUROに変更というわけ。

ざま~見ろ! 

 

J-COMはとにかくサービスが最低だし高いだけだし、端末もオモチャだし、何か有って呼ぶとその度にお金取られるというひたすら不快の塊サービス。

二度と使いません、ハイ!  たははは

 

 


親爺を家に帰せるかも その3

2023年04月17日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

いつものように起きると、 まずは、家の庭にある畑の掘り返し作業。

スコップと鍬で、 畳4畳程の面積を掘り起こして、柔らかくします。

この作業をやらないと、母親が肥料を混ぜ込んだり、 種や苗を植えることが出来ません。

 

次に実家に来るのは5月になってしまうので、 どうしてもやらねばならない・・・

 

朝の涼しい内にやってしまうわけですが、作業が終了すると同時に、母親が「ご飯だよ!」と呼びに来た。

朝飯の後は親爺の病院でして、今日はMRI撮影があるのですが、 予約は10時。

 

なので、着替え(下半分)を自分でしてもらおうとするのですが、 なぜかそれが出来ない親爺。ららら?

ボ~ットしているようにも見えるのですが、全然やろうとせず、椅子に座ってコックリコックリしている。

やっぱり疲れるんだろうな~ 

しばらく着替えを促していましたけど、意味不明に機嫌が悪くなり、こちらも少し感情的になってきたので、

”だめだ~こりゃ!”  と、僕が手伝って着替えをソクサクと終わらせると、病院へ。

 

MRI撮影はすぐに終わったのですが、 問題は診察。

いつもより遙かに人が多くて、 なかなか順番がこない。

予約していたのですけど、 45分ほどオーバーで診察室へ。

MRIを見ながら先生と話をしましたけど、 新しい脳梗塞は全く発生して居らず、 非常に綺麗な状態でした。

 

一番心配?していたのは担当の先生でしたが、 結果に大満足のようで、 次は6ヶ月後。

 

病院を出たら、次は市役所でして、 忙しいんです以外と、  でもって必要手続き。

こちらは大した時間も掛らず終わりましたが、 もう12時過ぎ。

 

家に着いたら、天蕎麦 が用意してあって、僕の好物の一つですが、 親爺が食べるのなんのって (笑)

歯ごたえの有る物、 刺身とかの好きな親爺にとって、老人ホームの食事は今ひとつのようで、

そのせいもあるのかも知れません。

 

たべおわって少しユックリしたら、母親と一緒に親爺を送っていきましたが、

可能であるなら家に親爺を帰してあげたい翔ですが、その前に色々と調べなければならない事や、

各所と連絡及び調整が必要。

すぐにというのは不可能ですが、 5月の中頃には何とかしたいと思っています。

 

 


親爺を家に帰せるかも その2

2023年04月16日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

昨日の鬱陶しい雨が収まり、 ただ、まだ空は曇り気味。

 

いつものように朝飯を食べると、その後は買い物。

 

家を出た頃から晴天になり、 気温も一気に上がって来て気持ちが良い。 でも少しだけムシムシする。

 

日曜日という事も有って、ホームセンターの駐車場は爆混みでして、昨日の大雨で買えなかった肥料を初めとして、

母と一緒に買い物するが、 親爺はずっと車でお留守番

 

母親は、「座ったりしゃがんだリが駄目」とか言いながらも、なぜか畑に種をまいて、苗をうえて、肥料を配合したりという事は出来る

 

そんなわけで、一通り終わると、もう時刻はお昼。

お年寄りのペースは非常にゆっくりで、それに合わせていると、とにかく時間の経つのが異常に早く感じられる。 

倍くらい早く時が過ぎているみたいだ。

 

家に帰ると普通にお昼。

食事の時に親爺がこぼした事から、ズボンが汚れたので、丁度良し。

自分で着替えをしてもらうことにした。

 

何も手伝わずに、しばらく見ていたが、時間こそ掛る物の、見事に着替えが完了。 お~~~!!

 

衣類の上は、母親が手伝えるので、これが出来れば家に帰れることになる。

昨日の話の、 訪問介護の緊急サービスで、座り込んでしまって立ち上がれない場合など、

看護師さんが駆けつけてくれるからだ。

 

午後は、いきなり空が曇り始め、&特に何もする事が無く、 親爺と母親は昼寝し始めたので、 僕も少しだけ昼寝。

15分ほどして起きた後は、 テザリングしてインターネットにて調べ物と買い物。

途中から雷の大雨状態。

 

夕方になり、 雷がおわった夕空の下、夕飯の買い出しに僕だけ出て、親爺の好物の刺身を買って帰るけど、

どういうわけか、二人とも起きてこなくて、 夜の7時半頃にまで寝いた。 なはは。

 

僕は?というと、5時頃からビールとか飲んでいたので、すっかりできあがってしまい、 眠くて仕方ない。

 

慌てて起きて来た母親が、やおら夕飯の準備を初めて、久々に8時という遅い夕飯。

 

まあね、 こうしたこともあります。

明日は親爺連れて、 病院でMRIと 主治医の先生のお話です。

 


親爺を家に帰せるかも・・・

2023年04月15日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

15日から17日まで、いつものように親爺を迎えに行って、 今回は3日間に渡り、家に滞在させました。

 

今日は、帰宅してすぐに食事。

その後は、今のホームへ移る前に行っていたデイケアサービスへ。

 

親爺が出た後は、時間が出来ましたので、母親連れて買い物に行きましたが、 朝からの雨が全然降り止まずで、

ウンザリ。

 

帰宅後は、暇していますから、実家の家の収納棚とかを大掃除? 

なんでも溜め込んでしまう、傾向の有る母親ですので、使い古しの物が多量にあり、それをガンガンと分別します。

 

途中で、親爺のケアマネージャーのMさんが来訪。

遙か以前からこの方には大変お世話になっていて、今日来る連絡すでに有ったのですが、”何の話かいな?”と思っていたら、 定例のケアプラン(来月)、そして、親爺が家に帰れる可能性の高くなる話を持ってきてくれた。

 

家の親父は、普通の生活をするに関しては殆ど問題が無く、脳梗塞で細かいコントロールが出来なくなった右腕以外は

普通に躯は動くし、 歩行も多少の心配はあるけど自立歩行が出来なくはない。

 

認知は無く、 食欲は旺盛だし、 下の問題も殆ど無い。

 

で、なんで帰れないのか? ホームにお世話になるしかないのか? という事に関しての最大の問題は、

もし転んだり尻餅をついてしまった場合に、座り込んだまま起き上がることが出来ない、という点にある。

 

他には、衣類の下、 自分でパンツと股引?ズボンを履くことが上手くできない事があるのも問題の一つ。

母親が手伝えば良いか?といと、だいぶ足腰が弱ってきていて、 親爺の世話でしゃがんだりする作業が難しいからだ。

 

で、ケアマネのMさんの話では、 最近出来たサービスで、訪問介護サービスをメインとしながら、緊急時の対応をしてくれるところがすぐ近くに出来たとのこと。

 

親爺が尻餅やバランス崩して倒れたり座ってしまうことは本当に稀で、滅多にはないのだけど。

ただ、その滅多にないが、起きたらどうにもならないわけで、 実家の目と鼻の先にそうしたサービス施設が出来たことで、緊急時に電話一つですぐに駆けつけてくれるらしい。

 

他にも、こうした処が無い訳ではないが、 緊急連絡して1時間とか掛ってたのでは話にならない。

しばらくMさんと話をして、 そのサービスを使うことにより、、残された問題は親爺が自分で衣類の下の方を着替える事が出来るかどうか?だけになった。

 

ケアマネさんが帰ると、しばらくして親爺が帰宅。

家に帰れる可能性が出てきた事を親爺に話し、 実際に着替えを明日してもらうことにした。

 

家に帰りたがっていた親爺だけど、 もしかすると帰れる可能性がかなり大きくなった来た事は、 本人にとってもまた僕にとっても、嬉しい限り。

ただ、 本当にそれが叶うかどうか?はまだ判らない。

 

 

 

 

 

 


ウェディングドレス

2023年03月26日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

*この日記への写真は、載せるかどうか解りません、 娘の許可要りますので。

 

今日は、娘のウェディングドレス写真の撮影日。 

 

既に結婚することは決まっているのですが、 婚約者の彼の転職や、 娘の4月からの仕事の事等が色々とあって、 中々落ち着かない?   のかいな?      本当かい!? (笑)

 

でもって、 彼は1月に新しい勤務先(親方日の丸)、そして娘の方は新しい小学校への配属が決まった。

「若先生頑張れ!」 

 

という訳で、 2人とも完全に登り調子な訳ですが、予定?では夏頃に入籍ということになる、予定?汗汗

 

ただ、 ”結婚式”はまだ先の話でして、 まあ、家のポリシーで、上の息子もそうでしたが、親は挙式に関して一切お金を出しません。 

 

理由は簡単。

”二人の門出は、自分たち自身の力”で行う物で有って、 それが出来ないようなら、この先一生添い遂げることなど出来はしないから。

このポリシーは、僕自身が親から引き継いだ物で、やはり挙式費用は全て家内と二人で賄いました。

懐かしい 

 

親が挙式のお金を出す事は、見栄を初めとして、ある程度余裕が有るのなら余り難しくはありません。

しかし、・・・ それでは二人が駄目になってしまう。

 

僕自身、びた一文出さない親に対し、当時は”厳しい親だな”と思ったりもしましたが、 今になってはその意味の重要性が嫌というほど大きく感じられ、

当然のことながら、それを我が子にそのまま実践しています。

 

息子の場合は、まず先に親との同居を開始してすぐに入籍、 式を挙げたのは、来月小学校6年生になる息子(孫)が

1才位の時だ。

 

娘も同じ様に、まずは親との同居から入籍、もしくは入籍と同時に同居となり、 家計負担の少ない状態でお金を貯めて挙式になる。

 

娘は、以外とドライでして、 結婚式自体にあまり固執は無く、下手すりゃ~やらんでも良い?くらいなところが有って、とは言えど、全く式を挙げる気は無い!という訳でもない。

 

まあ、自分の娘でも、よく判らん物は解らんでよ (笑)

 

そんな感じなのですが、1月頃にウェディングフォトを撮りたいと言い出し、「どしたん?」と理由を聞くと、

親爺のことが絡んでいるらしい。

 

娘にとってはお爺ちゃんな訳だが、 昨年夏に脳梗塞で倒れ、 今年の1月に退院。

今はホームにいるけど、 娘にしてみれば会う度に少しずつ弱くなっていく姿に、かなり心を痛めていたみたいで、

他にも」、92歳になるお婆ちゃんもいる。

 

なので、 挙式を挙げるまでに”もし何かあったら・・・・・、まったく嫁入り姿も見せられないのは・・・”と真剣に考えていた様です。

 

確かに、二人ともかなり前から娘のウエディング姿を見たがっていたのは事実でして、娘も親爺のところに行く度に、

「彼しいるのか?」「 結婚は何時?」と良く聞かれていた。  

 

なので、まずはウエディングドレス姿を見せ、彼氏含めて一家で写った写真を親爺のホームと、実家の家に飾りたいらしいんですね。

大好きなお爺ちゃんお婆ちゃんを喜ばせたいわけです。

 

さすがに、それ専門の処で写真を撮るとなるとそれなりの費用が掛るわけでした、 動機がそれなので、

今回は僕が全面的に費用を出すことにした。

 

自分達を廻りから認めてもらい、始まりとしての意志を示す挙式と大きく違って、 この写真撮影は親爺と母親への純粋なプレゼントなのだから、 費用を負担するのは親爺の息子であって、娘の父親である僕の使命でもある。 

と思っている。

 

さて、朝の4時に家を出て、まずはホームへ。

実家に到着するとまず朝ご飯、 そして次に予約してあった理髪店に親爺を連れて行く。

 

髪の毛を切るのと、 伸びた髭を綺麗さっぱり剃ってもらうためだ。

 

親爺を理髪店から連れ戻すと、今度は衣装の準備。

礼服までする必要はないけれど、一応それなりの格好は必要。

さすがに何時ものジャージというわけには・・・・・ 汗

で、ゴタゴタしている内にもう出発の時間が来た。

 

高速にのると、一路フォトスタジオをめざして高速道路を走行。

左右に見える満開の桜と、一寸したドライブなので、親爺も母親も楽しそうだ。

 

高速を降りて、10分ほど走って到着。

家内が電話すると、息子夫婦は後10分ほど後に到着するらしい。

フォトウェディング|写真だけの結婚式、ブライダルフォト、ウェディングフォトなアンシャンテ ナチュレで (enchante-nature.com)

娘とフィアンセはだいぶ前に着いて、 準備中。

程なくして息子夫婦も到着、 そして親爺と母親を除いて(家で着替えてきたので)、皆着替え。

 

撮影開始。

スタッフに案内されて撮影室に入ると、 彼と娘が出迎えてくれた。

椅子に案内され、娘の姿を見た親爺と母親はすでに涙ぐんでいて、 特に親爺は娘が何か話しかける度に泣いていた。

 

母親の話では、”親爺は男の子では無く、娘が欲しかった”との事で、 しかしながら生まれてきたのは僕と弟

 

期待には全く添えなかったわけだけど、 娘のことを幼い頃より可愛がっていたのは親爺そのもので有る事は間違いない。

そういった物は伝わるのかどうかは解らないが、娘も親爺に関しては特別に見ている様なところが有った。

 

さて、撮影開始となり、 まずは家族が入った写真を、色々とパターンを変えて撮影するけど、

カメラマンは、良くもここまで思いつくな~というほどのパターン構成して写真を次々と撮っていく。

 

もちろん娘と親爺と母親の3人の撮影も有って、 彼氏との撮影もあるけど、まずは家族との写真が主らしい。

 

娘と息子家族、 娘と孫の2人写真等々、 孫は撮影の時になぜか緊張して顔が引きつり気味の撮影 (笑)

 

嫌という程の種類の家族撮影が行われ、それが終わると、やっと彼と娘との撮影開始。

 

これも手を替え品を替えという感じで、結局撮影開始から終了まで1時間半以上を費やした。

「オワ~~~!!」お昼の予約時間が迫る・・・・

 

フィアンセの彼は朗らかで、ユーモアタップリの性格という事もあって、時々笑いを取ったりして、 その度に親爺と母親は笑ったり泣いたり(特に親爺)。

単なる撮影では無く、ショーを見ているようでも有り、普通の挙式よりウェディング姿の娘と接したり話したりする事が出来るし、長い時間触れあえるので、非常に楽しい時間だったようだ。

 

大満足の親爺と母親ですが、 そろそろスタジオを後にしないといけない。

上にも書いたが、お昼の予約していたところが1時~3時までの予約2時間で、すでに30分はオーバーしてしまっている。

二人を置いて先に向かうが、予定外の渋滞も発生・・・・

 

ヤバいな~とか思ってましたが、 何とか2時前には着けました。

後で来る2人分も含んで皆シャブシャブを注文。 

親爺と母親は特別料理。 

 

家族全員が店には遅れてきたのですが、 店の感じはとても良くて、 本来は出なければいけない時間をオーバーしても、嫌な顔をひとつしない、大変気持ちの良い対応をしてくれました。

これには、心から感謝です。

お菜屋 わだ家 つくば店 - 研究学園/しゃぶしゃぶ/ネット予約可 | 食べログ (tabelog.com)

さて、皆お腹がいっぱいになり、ここでお別れ、

僕と家内は親爺と母親連れ実家とホームへ、 他は皆自宅にそれぞれ帰ります。

最後に僕から、皆へ一言お礼を言って解散になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


親の爪を切る

2023年03月19日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

ほぼ一日雨で寒かった土曜日から一転、 朝から雲一つ無い青空&暖かい。

朝ご飯を食べ終わると、「彼岸なので墓参りに行く」というので、車で連れて行きました。

天気が良いせいもあってか、かなり混んでまして + 何をするにもゆっくりな2人ですので、

時間が過ぎるのも早い 

 

帰りの途中にファミレスで食事  しましたが、2人が頼んだのはタラコスパゲティー。

僕は?というとチキンステーキみたいな物。

 

親爺がスパゲティーを頼むとは以外で、又思いもしませんでした。

基本的に親爺は外食を嫌がりますので。

 

家に戻るとすぐにホームに戻る時間。

そこで親爺を着替えさせるんですが、 靴下を履き替えさせている際に爪が伸びていることに気がついた。 

 「ん?」

親爺は、男なのに足のサイズは23.5くらいしか無く、 おそらく貧乏だった幼少期に、小さな靴を無理に履いていたんでしょうね。

そのせいか、全体的に巻き爪気味に伸びてしまうんです。

 

以前は、足の爪を切っている姿をよく見ましたけど、今では自分で切ることが出来ず、 故に1月にリハビリ病院から

退院してきて以降は、僕が時々切っています。

 

親爺の爪は厚みが有って+何故か?かなり硬い。 なんで~~~!?

 

普通の爪切りでは切れないくらい硬いのも有り、その場合はペンチみたいな爪切りが有るのすが、それでカットします。

この場合は、カット言うより、削っているというか・・・ 蹄かい!?

 

巻き爪に近いのは中指と薬指で、指の先端をまるでカバーするかのような感じで、伸びてきます。

この二つを切るのに大変なのは、 爪が分厚いことで、どこまで切って良いかがよく判らず、

なので、爪と指の皮膚の境をよく確かめて切る。

 

やっかいなのは、硬いせいか割れる傾向が有りまして、表面が薄く割れて剥がれるならまだしも、

縦に割れてしまう可能性も高く、正直いってかなり緊張します。

足の指が終われば、次は手の爪。

こちらは足の指より楽ですが、親指のどっちだったかな~? 一つが極端に丸まって生えているのですけど、

これも極端に厚みが有ります。

 

遙か昔の話ですが、親爺がまだ機械加工する仕事をしていた時、うっかり親指の先端を切ってしまった事から指の先端が無くなってしまい、そんな伸び方をしてくるんです。

そんな事も有って、以前の親爺は”ヤクザ抗争の経験者???”にもろ見えた。

*当たり前ですが、そういった系統の方達とは親爺は無関係です。

 

金のかなり太いネックレスをいつもしていて、額に斜めの陥没が有り(タクシー運転手時代の事故による)、親指の先端が無ければ、 その筋の者から見れば抗争繰り返したり、日本刀で斬り合いをした経験があるようにしか見えない。 

*日本刀での斬り合いは、ツバが無いために親指が切断される事が多いんです。

 

そん風体ですから、そういった系の人達が、ヘコヘコしながら親爺と離している姿を昔よく見かけました (笑)

 

向こうにしてみれば、普通の人は逃げるようにして避けるのに、親爺は平気で話しかけて来るし、普通に世間話とかされるれば、どんな人間か?が全く解らない事から、かなり怖いようですだ。

変な意味で、恐ろしいタイプかも知れません、親爺は (笑)

 

まあそんな親爺ですが、 次は母親の爪。

しゃがむのが、このところかなり難しくなってきて、それもあって自分で爪を切るのがかなり難しくなってきているとのこと。

年齢的に、下手に深爪すると大変なことに成りかねないので、皮膚科にいって切ってもらおうとしたところ、

露骨に面倒がられて患者の少ない曜日+時間を指定され、その日に来いと言われたらしい。

日時指定されても、 車の運転が出来ないし、 自転車で行くにしても雨とか降ったらOUT、 歩いて行くには遠すぎるしということで、結局自分で切ってるらしい。

今回、親爺の詰めを切っていたら、そんな話が母親から出てきたので、ならついでに?とカット。

 

親爺と全く違って爪が柔らかくて切りやすいので助かりますが、 自分で頑張って切っているので、そんなには伸びてません。

「次からは、親爺と一緒に切るから」と言いながら、 上手く切られて無かった部分を修正カット。

 

親の爪を切るなんて数年前まではまったく予想だにしなかった僕ですが、確実に2人とも歳を取っているのだと、

こうしたときに実感します。

 

さて、ホームにつくと、 親爺の冬物厚手服を全部し、春物へと入れ替えます。

その後は母親を家に送ると、すぐ帰路につきます。

 

彼岸で天気が良く、 こりゃ~帰り道が渋滞しそうな感じが満々。

なので、いつもより少し早めに実家を離れましたけど、以外と帰り道は流れていました。

 

しかし・・・・・晴天で透き通る青空が、朝から夕方まで続いて、 最高の春の一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 


介護の一つの例、 直接便を掻き出す

2023年03月04日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

ブログに載せ書こうかどうか・・・・・・ 散々迷ったのですが、意を決して載せることにしました。

老人介護には、こうした事も有るのだと・・・、

親を介護する時に起こりえる、現実の一つとして知ってもらえたらと思います。

 

土曜日の朝、 いつも通りにホームから実家に親爺を連れてきた僕、 穏やかな春の陽気で余り寒くは無い。

今日は朝の9時半から夕方の3時頃まで親爺はディケア行き、行っている間に僕は実家の屋根の補修と、駐車場の防水工事をする予定。

いつものように、母親の作ってくれた朝ご飯を頂くわけですが、殆ど食べ物を残さない親爺が、珍しくけんちん汁を残した。

どうしたん? と思ったんですが、そのままキッチンで食器洗いなんぞ始めた僕。

 

程なくして親爺がトイレに行ったんですけど、 特に珍しいことでは無いので、そのまま気にもしていなかった。

時計を見たら朝の8時15分

 

食器を洗い終わったら、母親が親爺のデイケア出来る服を出したりしていた。

 

僕の方は、屋根の補修をするので作業着に着替え、車の中の工具とかを確認していた。

 

9時頃に親爺が余りにもトイレから出てこないので、様子を見に行くと苦しそうで、話を聞くと激しい便秘とのこと。

もともと便秘症の親爺なので、全く無いわけでは無いのですが、かなり辛そう。

 

ホオッテ置くわけにも行かないので、早く楽になって貰うように「浣腸する?」と聞くと、

「うん」と親爺らしくない返事。

 

一本有ったのを出してきて、僕がやったんですが、 全然薬液が入らない。

というのは、 肛門はある程度開いていて、ところが硬く固まった便が出口を完全ブロック状態。

浣腸の先すら入らないんです。

 

このときはトイレで処置したんですけど、 入らずにこぼれた薬液とかが床に出てしまい。

まあ、とりあえずこれで様子見になったんですが、すぐに僕は近くの薬局に行って浣腸と、便が出た後に出血する可能性があるので、 軟膏を購入。

朝は早くから開いている薬局なので助かりました。

 

家に戻るとまだ便は出ていないらしく、時間的には浣腸して20分ほど経過していて、 再度浣腸するかどうか?

と判断に迷っている間にデイケアの迎えが到着。

 

事情を説明して、 「後で僕が連れて行きます」と伝えて、先に行って貰った。

 

再びトイレに行くと、 さっきより自体は深刻化してて、顔色が真っ青な上に、温水洗浄便座で便を壊して出そうとしたらしく、逆にそれで肛門廻りが真っ赤になっていた。

 

しばらく様子を見ていたけど、このままだとまずな、と僕は判断。

 

親爺をトイレから出し、風呂場まで連れて行くと、ズボンと下着を下ろして浴室にいれた。

ここで新たに買ってきた浣腸を試みるがさっきと同じでまったく薬液が入らない。

 

かなりの圧力でやってもまったく入らずで、 そもそも浣腸のノズルが刺さらないし、

ささっても薬液が指で思いっきり押しても全く入っていかない。

親爺の方はさらに状態が悪化してきて、肛門を見ると広がってはいるが、全く便が出る様子が無い。 あちゃ~~~!

ここで急ぎ親爺を病院に連れて行くか、それとも救急を呼ぶか?という判断に迫れた僕。

病院に連れて行けば車の移動と混みで処置まで1時間以上は掛ることが容易に想像でき、その間に親爺はかなり苦しむ事になる。

かといって、便秘で救急車を呼ぶのも憚られ、となると後は自分が便を掻き出すしか無い。

 

実家はユニットバスなので、下が樹脂製であり、 タイルみたいに後で不衛生になる可能性が低く、

便が多量に落ちても問題は無い。

 

状態からノンビリしている時間は無く、ここで決断。

親爺に「少し辛いけど我慢してくれ!」と声をかけると、右手の人指し指と中指を、便の詰まっている横に潜り込ませるようにして突っ込んだ。

当然肛門は切れるわけで、この段階で床には血がボタボタ落ち始めて、ボヤッとはしていられないで、二本の指を奥までさらに突っ込むと固まっている便を割るようにして粉砕。

そのまま掻き出した。

 

出口の一番デカいのがどかっと出て、再び指を肛門に入れるとすぐ次のが来ているので、次から次に掻き出し。

 

ユニットバスの床が、転がった便と血で染まり、 やっと腸から押し出されてくるのが無くなった。

手はというと、血で真っ赤。

 

母親を大声で呼び、バスタオルと、使い古しだけれど汚れていない介護パンツを持ってきてもらい、

床に落ちていた硬い便を手で全て拾い上げると、そのまま可燃ゴミのゴミ箱へ処理。

 

光景見た母親は、”驚きで物もいえず”、という感じで、まあ、普通に考えても肛門に指を入れて内容物を掻き出す、

なんて言うのは医者くらいしかやらないことだろう?とは僕も思う。

 

床に落ちた便は、簡単には潰れない程の堅さだったので、これでは普通に排便でき無い事は良く判る。

歳をとると喉の渇きを覚えるのが鈍くなり、それにより熱中症などに罹りやすくなるわけだが、

親爺も以前に比べて水やお茶などを飲む量は圧倒的に減っている。

 

シャワーで床に広がった血を流すと、 親爺に「痛いかも知れないけど我慢!」といって、

血らだけのお尻を洗浄。

 

一度シャワーを止め、肛門を見ていると少し出血がある。

そこで、買ってきた軟膏(痔の処方用)を人指し指にたっぷり塗り、再び親爺の肛門に指入れて、まんべんなく内部に塗りつけた。

同時に直腸に大きな裂傷や穴とか開いてないかを指の感覚で確認。

 

その後、肛門から出てくる血液の状態をしばらく見ていたけど、僅かに出る程度になった。

便が出るまえに相当踏ん張った事から直腸がかなりうっ血していて、そこに僕が指を突っ込んだ際に小さな傷が出来て、さらに肛門も切れたが、大きな裂傷にはならなかったらしく、 とりあえずは出血が治まった。

 

もう一度シャワーで親爺のお尻から足の先まで流すと、

親爺に「待っていていて」と言って、念のためにと購入していた介護おむつを持ってきて、立ったままで履かせて、

とりあえずこれで処置は終了になった。

 

介護オムツなので、履かせるのは容易で、その上にステテコ、そしてさらにその上にズボン。

ゆっくりとリビングまで連れて行くと、椅子に座らせ、顔色見たら真っ青だった顔色が普通に戻っていた。

再びバスに戻ると、床から壁までを掃除。

 

あれだけ苦しんでいたのが無くなったので、親爺の表情が柔らかくなり大丈夫だろうなと思うのですが、

この後の様子を観察して、必要なら病院に連れて行かねばならない。

とりあえず、デイケアに連絡をして、今日は休ませますと伝えて、全部終了。

 

脱いでいた作業着を着ながら親爺に、「こんな事って、これまであった?」と聞くと、

今回みたいな酷いのは生まれた初めてらしく、 稀に便秘気味にはなる物の、 もんどり打つような苦しさの経験は無かったらしい。

 

と、いうわけで、嵐の様な朝の出来事は過ぎ去り、時計見たら10時15分でした。

 

母親に「親爺の様子を見てくれ!」と頼むと、僕は屋根の補修を開始。

やらねば成らないことは多々あるのです(笑) 

 

前回実家に来た時に、 一枚だけズレていた瓦を直したのですが、それの再確認。

満足のいく状態であるかを確認します。

 

その後は、崩れかけていた漆喰の部分を前回見つけていたので、それを取り除いて再度漆喰処理。

 

次に、シーリング処理を、大棟、隅棟部にある瓦に施します。

こういったトップの瓦にはズレ止めの釘が打たれていて、 それが長年の熱収縮とかで抜けてきますので、

それを再度打ち込むと、その上に雨水浸入防止のシリコン処理が必要なんですね。

釘の上には、職人によって以前(竣工時)施されたシーリングがありますが、所詮は職人ですから、見るもいい加減で適当な施工でして、多少舌打ちしながらの作業でした。

 

昨年の春までやっていた友人宅のリフォームのブログ記事にも書いていますが、僕はいわゆる職人という者を一切信用しません。

 

まあ、そんなわけで、これで当分は大丈夫。 だと思います。

 

さて、親爺がお昼はカツ屋でカツを食いに行きたいというので、母親連れて2人でロースカツ定食。

親爺の方は、その後の問題は無いようで、とりあえずは安心。

 

もどってきて午後は?というと、床の防水処理。

ハイエースが駐められるようにカーポートを解体して取り外してしまったのですが、防水施工しないと、雨が降る度にコンクリート床に染みこんで、コケが出たり、変色したりで、

特にコケ等は危険因子で、 自転車を出し入れする母親が滑ったりしたら大変なことになる。

寝たきりになりかねないわけだ。

 

もうすぐ雨の多いシーズンになりますので、その前にやらないと駄目なのですが、ローラーでまんべんなく施工するのは、しゃがみ姿勢でもあって、それに慣れていない僕には多少重労働。

1回目の施工をして、すぐに防水材はコンクリートに染みこむので、 少し時間を置いてから二度目を施工。

 

これが乾くと、この先コンクリートに水が染みこむ事は全く無くなります、同時にコケ等は生えにくくなる。

土埃などが溜まると其処には多少よごれは出ますが、

 

そんなこんなで、暖かい春の一日でした。

 

 

 

 


記憶

2023年02月06日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

来月4日に、89歳になる親父。

その姿を見ていると、 記憶という物を考えさせられる事がある。

 

母親を交えて色々な話をしていると、 驚くほど鮮明に(覚えている記憶)話をしてみたり、

かと思えば、 つい最近、特に昨年の夏に脳梗塞で入院した以降の記憶が今一つだったりもして、

こうした違いって、どこから来るのだろうか?なんて思ってしまう。

 

特段、認知症が有るわけではなく、 年齢なりなわけですが、 的確な判断はいまだ健在でして、

ただ、それが絶対に正しいのか?というと、曖昧な部分?もる。

 

話を聞いている僕としては、ストーリーの全体を一度分解して、頭の中で再構築しながら、また、ほかの記憶との混在可能性を疑いながら内容を整理&理解しているわけだけど、

仮に二つの記憶が混ざっていたとしても、 その個々はかなりはっきりしている。

 

89歳という年齢の脳は自分が思っていたよりも明確なわけだ。

 

これは、 なんら脳活動に問題ない母親も全く同じで、 二人の姿をみていると、

人の記憶能力は高齢になっても意外としっかりしている物なのだと思わされる。

 

ただ、短期記憶に関しては、 おそらくは若い頃より劣りして、かといって駄目なわけでもなく、

母親に関しては、 一日の会話の中で僕の問いかけた事や、聞いた事等は、はっきり覚えていて、

逆にこちらが忘れていて、 「あれどうした?」と聞かれて、 「なんだっけ?」 という自分もいる。

 

親父の方は、 脳全体の血流が良い時も有れば、 今一つの時が有るようで、 きちっと心臓が血液を

送りだせているかいないか?がハッキリと判るほど、脳活動に差がある。

 

記憶は海馬が司令塔になっているのだけど、今日はやたらとハッキリしているな・・・と思う時の親父は、

当然の様に短期記憶も明確で良く話す。

逆に、なんとなく口開けてボ~っとしている時は、話をふっても、 ロクに返事しないし、一見して認知症の様にも見える。

 

認知症は年齢とともに、徐々に症状が進んでいくのだけど、 アルツハイマーというわけではないので、進み方はゆっくりだ。

 

自分が幼いころの親父の記憶は、 突然頭の上に落ちてくる拳骨と、尻を蹴っ飛ばされる事ばかりで、

もっぱら叱られている記憶が大半。 ばはははは!

 

楽しかった記憶も有るのだろうが、 そうしたのは殆ど思い出せず、 叱られていた時の心の怒りや苦しさ、悲しみばかりが明確に残っていて、

そういった記憶と、目の前にいる老いた親父が織り成す新しい記憶は、どういうわけか頭の中で全く結合せず、

幼き頃の記憶は、単独な物として存在していて、今の新しい記憶は別の違う記録として刻まれている。

 

人は18歳で、生まれてからそれまでの色々な出来事、教育や、親の愛情、その友達や、その他知らない間に記憶に残っている”さまざまな人達”との触れ合い経験をベースにして、 いわゆる基礎人格という物が出来上がる。

そして、それをベースにしてさらに2~3年程度の短い期間を経て、二十歳頃に確立した一人へと完成される。

 

以降は、それがその人なりのコア部分になり、その上に社会経験を積んでいくことで得られる、羽織が重ねられて、

その人なりの 人間という物が出来上がるわけだ。

 

ベース部分の構築が良いか悪いかは、コアの良し悪しにもなり、 結果として基礎的人格に懸念を残すわけで、

毎日たくさんの人達と接触する際に、 他人は”当然”に、 ”そのコア部分がどうなのか?”に関して理屈ではなく、

本能的に感じ入る部分が沢山あり、その受け取る印象で、 後の接し方が大きく変化していく。

 

結果として、 それがその人に対する外部評価になる。

 

誰でも解る事であるとは思うが、 ある人と話をしていると、 吸い込まれるような安心感や、この人にならなんでも話してしまいそうだ・・・と思える人や、 逆に話をするとドンドン不快要素が蓄積されて、 次は話したくもないという人も居る。

 

こうして、 その形は千差万別ながら、その相手に対するイメージなり、感覚なりとして出来上がってしまう。

 

人が同じ人生を歩むにおいて、 前者の様な人であれば、幸せな人生を送れるし、 後者の様な人であれば、

それなりの人生しか送れないのは、 言わずともわかる事だ。

 

ただ、やっかいなのは”自分の事は自分では判らない”という点で、 これはベース記憶を元に出来た、人としてのコア部分が”その人そのもの”なのだから、 自分で自分をみても差異を感じない=一体化しているか故に解るはずもない。

しかしながら、出来るだけ自分から自分を切り離して見る試みを続けた者であれば、 時間はかかるが、修正してくことは可能だ。

 

この自分を見つめる時に、”冷静な視点で、冷静に考えて”、なんてやっていると、そこから出てきたものはゴミみたいなものが多い。

というのは、人は、自分の心が荒れるものを無意識のうちに排除し、 都合の良いものを結果として出そうとする=

都合く処理しようとするわけだ。

 

本来自分を見つめなおすという事は、少なからずとも心が荒れるもので、また苦しいものだ。

腹立たしかったり、悲しかったり、悔しかったりと、心が乱れるのが当然で、”冷静”にやっている!なんていうやつが居たら、それは自分で何ら結果がフィードバックされない、たんなる”格好つけ(嘘)”を言葉にしているということになる。

 

まあ、それでも自分を見つめ直すという事をしている方はまだ増しで、 俺には問題無い!なんて言うのがいたら、

そうした人間に近寄らない方が無難だ。

 

冷静という言葉をやたらと良い物として捉える傾向が有るが、 それは単に感情とは全く無縁の論理活動においての話で、 それ以外のところでは役に立たない。

人間の心や思考というのはそんなに単純では無いからだ。

 

よく、感情で子供を叱っては駄目だと言うが、 冷静に叱る場合は、 単に論理を伝えているだけで、

感情でしかる場合は、心(感情)を伝えている。

 

両方の叱り方を施すことで子供の心は豊かに育つ。

ちなみに、褒めて育てるは、子供に真実(感情や論理)を何ら伝えず、”嘘で相手を導こうとする手段”でしか無く、

そんな物で幼き頃より育てられた人間は正常な感情活動を行えない欠陥人間になる。

 

 

 

若い頃は親父とあまり話をしなかった僕だが、 ここに来て親父と過ごす時間が長くなり、

これまでとは違う方向から、少なからずとも親父の生き方や人生が少しずつ解ってくる=理解が深まると同時に、 自分の知らない原点を親父を通して学ばせてもらっているようでもあり、

これって、一つの幸せの在り方なのではないか?と思う。

 

男は、親であり、兄弟で有り、 ある程度まで成長すると、 深いところでの繋がりが出来にくい。

それは男だからであって、 本能でもあり、 仕方の無い事そのもので、 この辺は女性とは全く違う視点の血縁に対する感覚が有り、

故に太古の昔から、 血で血をあらう抗争のような物が史実として存在し続けている。

 

まあ、別に僕が親父になにがしかの恨みを抱く要素は無く、 特に揉めるような事も無く、 普通に接することが出来るのは、

幸いなのかもしれない。

 

 

 


親爺と風呂

2023年02月01日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

週末、28~30日の3日間を実家で過ごしました。 

 

親爺が19日に入居してから初の実家帰りでして、うれしさ満面の親爺を連れ、ホームを出たのは予定よりも遅い朝の7時半。

 

15分ほどで家に着くと、何時ものように母親が朝ご飯を用意して待っていてくれました。

今回は家で3日間過ごすのですが、月曜日は僕は本来なら仕事で、 ただ、脳のMRI撮影と、担当医の診察、

そして老人ホームに来てくれる内科医の先生との引き継ぎ書類を貰う等々が有り、休みをもらいました。

丁度、 最優良勤務報償をもらった事によるお休みがありましたので、助かった。 へへ

 

短い3日間でしたけど、1日目は早速親爺と母親の喧嘩?  

と、いうのは親爺が”ホームに幾ら払っているのか?”を知りたがり、その説明が母親から有ったのですが、それが原因。

 

毎月支払う金額に驚くと同時に、「バカバカしいのでホームをやめて家で過ごす!」と言い始めて、それで一悶着。 

 

老人ホームの費用は、親爺の年金額で賄える位の額で、 後は介護保険による費用の1割分が必要なのですが、

これは母親の年金や、蓄えもあるので、そこから出してます。

 

僕自身は、ある程度バックアップ出来る余力が多少は有るのでそれを申し出たところ、母親からキッパリと拒絶されてしまい(以前)、

今のところ僕自身は何の負担もしていません。    親不孝者→ 

 

で、「一人で風呂に入れもしない人間が自宅に戻ってきて、もし何か会ったら誰が助けるの!」と、かなり母親から返されてしまったわけですが、 

親爺の気持ちも解らないわけではありません。

 

昨年夏の脳梗塞以降、右腕は箸を上手く使うことが出来ないものの、フォークやスプーン等での食事に問題は無く、

歩行も出来るし、心配していた排泄の問題も一切無し。

寝るも起きるも、夜中のトイレも普通に行けるし、 親爺にしてみたら、これまでとほぼ同じ生活が出来るように思えるわけです。

 

なにより、若い頃からの蓄えを施設で使うことにかなりの抵抗があるようです。

 

一番の問題は、もし尻餅や転んでしまった、転倒してしまった、ベッドから起きるのに失敗して床に転がってしまった等の事態が起きると、

間違いなく自分で立ち上がることは不可能であること。

 

つかまれる物が有れば起きられるという事すらも不可能で、かならず誰かが引き起こさねばならない。

 

92歳になる母親には、絶対にそれを担うことは出来ないんです。

毎月出て行くお金の心配と、 ある程度動く自分の身体が、”単に?立ち上がれないだけ”というたった一つの事実、それだけでホームに入らねばならない現状。

僕でも同じ事を考えるだろうなと・・・・ 

 

まあそんなわけで、軽い言い合い?というか、そんな言い合いがしばらく有ったのですが、喧嘩?で疲れたのか、夕方を待たずして早々の夕寝の親爺。

 

ただ、夕飯はしっかりと起きて、 その後はしっかりと翌朝まで寝ていました。

 

二日目のこと、 ホームのスケジュールをみていたら、 今回の外泊で、最後の入浴介護から次の介護入浴までの期間が、一週間ほど開いてしまうことに気がついた。

土曜日と月曜日、 水曜日が予定日なので、 今回は土曜日から月曜日まで家ですから、それだけ開いてしまうのです。

 

なので、昨日の一件も有り、僕が親爺を入浴させることにした。 母親はヤレヤレ!という感じでして、自分のいう方が正しいのが証明されるわいな! と言いたげ???

「入浴なんて一人で大丈夫!!」と言い張っていた親爺ですが、まあ、夫婦なので色々とあります。

 

バスタブにお湯を湯を張り、親爺の衣類を脱がし、そろそろとバスタブに入れますが、 まずは足があがらない。

左足を手助けして先に入れ、次にフチに座るようにして、今度は右足。

 

脳梗塞の影響で足が上手く動かず、衰えた筋力+曲げると痛みを感じるらしく、やさしく補助してタブに入れますが、下手に足を上げると、今度は上半身が後ろに転倒しかねません。

 

とはいいながらも、足が入れば体も入るわけでして、 これ、まだ立てる親爺だから良い物の、 

まったく動けない人間を一人で入浴させるのはほぼ不可能で有る事を実感しました。

 

身体を寝かせ気味にすると水没(お湯没)してしまうので、身体は垂直の姿勢のままですが、

すると胸辺りから上がお湯からでてしまう。

 

で、どんどんと湯をたして、そして頭から肩までタオルを尼さんみたいに被せると、 ひしゃくでお湯をタオル部分にかけて温めます。

 

親爺が風呂がぬるいというので、温度をあげましたが、 43度だぜよ! 

かなり熱いはずですが、「丁度良い!」というので、 そのままひしゃくでお湯かけを継続。

気持ちいいのか親爺は目を閉じてじっとしています。

 

あんなに有った肩周りの筋肉がすっかり落ち、 老いという物がどれだけ残酷な物なのかと痛いほど判らされれる僕ですが、

”いつかは自分こうなるのだ”と思うと、何とも言えない気持ちになります。

 

しばらくして暖まったのか、親爺が出ようとするので、そこで再び介助。

というか、のぼせてね~かいな???  思わず爆笑してしまいましたが、 お年寄りは熱いお湯に入りたがり、

その後の危険性は、筋肉に力が入らなくなるのだという事もこの時知りました。

 

フラフラしてしまうんですね。

 

とりあえず介助して浴槽から出して、洗い場に立たせる、 僕はズボンだけ脱いで、上は普段着、下はパンツ一丁の姿で、親爺を洗います。

まずは髪の毛、 そしてタオルに石けん付けて、全身。

最後に顔を洗って、 後はひげそり。

 

ただ、ひげが剛毛の親爺は、すでに肌に張りが無く、ある意味プルプルの弱い肌をそるのはマジで怖くて、 二枚刃のカートリッジを新品にして、恐る恐るの作業?

かなり時間かけてやって、無事完了。

 

最後に全身を流す頃には、洗い場の蒸しかえりで、僕はかなりの汗。 

 

親爺は?というと、洗っている間にのぼせたのが丁度落ち着いたみたいで、 洗い場から出るのはそんなに大変ではありませんでした。

バスタオルで全身を拭き、 下着を履かせ、 リビングまで連れて行って服を着させましたが、その途中で座っていた椅子で居眠りを始めた(笑)

 

中途半端にする訳にはいかないので、 声かけて起こすと、最後まで着させます。

眠さが半端ないらしく、 そのまま寝室まで一緒に行きますが、 ベッドに入った途端にねてしまった親爺  

 

布団を掛けながら思うのは、施設ではこうした老人を入浴させる機械や補助装置、各種の器具などがあり、それによって殆ど力も使わず、安全に入浴させることが出来ます。

 

昔は、親の介護は家でするもので、 誰がやるのか?というと、息子夫婦や娘夫婦の女性が多く、他には伴侶な訳です。

ただ、力の無い女性が入浴介護するのは殆ど無理と言って良く、歳をとって体重が少なくなったとは言えど、かなり難しい。

 

子供が居なかったり、遠くで簡単に来れない場合は、 伴侶である奥さんしか居ないわけえすが、 老いるのは男だけではなく、女も同じことですから、 入浴は不可能な為に、 タオルなどで体を拭くだけになる。

 

いつぞやからか?給与から天引きされていた介護保険という物が、 今になってどれだけそれに助けられているか?を今更ながら実感します。

 

普段からスポーツをして、筋トレもしている僕には、大変ではあれど、かといってそんなに重労働ではありませんが、

しかしながら、転倒や怪我などをさせないように気を遣う事から来る気疲れと、 親爺の老いを直に感じてしまった事の、何とも言えない感情が複雑に入り交じります。

 

ただ、久々に家の風呂に入れて、満足したのか嬉しそうな顔をして寝ている親爺の顔は、まるで子供の様。

”老いることは子供に戻って行く事”という言葉を思い出します。

 

さて、最終日の月曜日は、朝から病院。

朝の9時に家をでて、まずはMRI そして診察。

コンピューター処理された画像を見ながら担当医の先生と話をしましたが、 ここ数ヶ月の間に出来た小さな脳梗塞が有る事が判りました。

おおきな脳梗塞を起こす要員となる物は手術で先生に取り去って貰ったのですが、 すべてを取り去ることは不可能な事は僕にも簡単に判ります。

 

それよりも、もっと違うことが起き始めていて、 それは脳自体の全体の血流がかなり悪くなっていること、

これは心臓の力の低下とも関係ありますが、 ほとんど血流が無い血管も有り、ただ、脳自体の血管網は網のようになっているので、それで血流を埋め合わせているような感じで、

もし、この流れがある程度低下したら、 来るときが来るのかも・・・・そんな現実みたいな物を知りました。

 

出来れば長生きして貰いたいと思う僕ですが、 命ある者全ては、からなず死を迎える。

であるなら、 出来るときに出来る事、やりたいことを全てやり、あの時これをやっておけば良かった・・・何て事が無いように、

最後は、自分の人生に満足して天国に行きたい。

 

そう思う自分がいるのも、間違いありません。 

 

家に戻ると、お昼を食べ、 1時半過ぎに家を出発。

母親と一緒に施設に連れて行きましたけど、 一昨日の嫌がっていた姿はそこにはなく、穏やかな顔でしばしの別れをする居親爺の姿がありました。

 

月二回くらいは家で過ごさせてあげたい。

 

その気持ちは今の時点では変りませんが、 一時の感情ほどあやふやでいい加減な物は無い事も知っているわけで、

今の心持ちをどこまで持ち続けることが出来るのか? そう自問自答しながら自宅へ帰る道のりでハンドルを握る僕がいるもの、これまた事実です。

 

 

 

 

 


怒濤の10日間

2023年01月20日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

1月10日に親爺が退院。

そして、その日から19日までずっと実家で面倒を見ていた僕。

たったの10日間でしたけど、 本当に沢山のことを勉強しました。

これは同時に、余りにも多くのことを考える時間でもあり、 それはブログの中の一つの記事として書く事等は到底出来ない量で、

また、全体を通して纏まらない部分や、曖昧な部分も有り、 なので、折りを見て気が向いたら少しずつ書いていこうと思っています。

 

19日に、正式に親爺を老人ホームへ入居させたわけですが、 10日の退院の日に、「19日には施設に入居だよ」と何度も話をしても、

毎日、そして一日に何度も、 「いつ行くんだい!?」と聞いてくる。

 

単純に行きたくはなく、ただ、親爺自身が”もし転んだりしたら自分の力で立ち上がれないこと”をよく判っているし、

また、92歳になる母親も助け起こすことも不可能。

 

親爺自身も10日間の間に否定できない事実として、頭に刻み込まれたであろう出来事も有り、

それが良かったのかどうかは判らないか、実際に施設入居の時には、親爺は特に文句も言わずに大人しく入ってくれた。

 

実は、自分にとって、そして母親にとって、一番最大の難関?ともいえるのが、この入居だった。

昨年の6月末に脳梗塞で入院して、 8月22日にリハビリ病院へ転院。

そして約5ヶ月掛ってやっと退院。

 

入院中に、面会できた際に親爺がこぼす涙に、かなり色々な事を悟らせてくれたわけだけど、

そのまま施設に行くのか、それとも一度は(可能な限り)実家に居させて、その後あたらめて施設に行くのかに関しては、かなり悩んだ。

 

というのは、家に帰れば誰でも施設になど行きたくは無いわけで、誰でも家が一番良いわけだ。

 

ただ、一度戻って、そして果たしてホームに行くことを嫌がらないだろうか? 抵抗しないだろうか?

そしてもし、テコでも動かないという姿勢があったのなら、如何すれば良いのだろうか?

息子として何が出来るだろうか?

嫌がる親爺を説得できるであろうか?

 

そんなことを初めとして、 それにリンクして広がる心配や悩み、懸念というのは、果てしなく広がっていくわけです。

自分自身が完全に定年生活で、 特段やることが無いのなら、 親との同居も出来なくは無いだろうが、

普通に仕事して生活している今の自分である以上は、 一つ間違えると家庭その物を壊すことにもなりかねない。

 

自分の息子や娘、ほか母親や、親爺その他そこから繋がって行き、際限なく広がる人間関係全てのバランスを取り、

どのような形にせよ、 できる限り平穏で、バランスがとれて、 問題も諍いも無く、平穏無事に事を進めていかねばならない。

何一つ判断するにも、ずっと先のことを出来るだけ考え、一言はっするにも最新の注意が必要になる。

 

一言に、老人介護といっても様々な形が有り、 施設一つ入るにしても、 其処には沢山の人達がいて、上記と同じように、

全ての人達にとって、良い方向に持って行けねば、 親爺自身の施設での生活に波風がおきるきっかけにもなりかねない。

 

ホームの生活費は正直安くは無い、そして介護に必要なヘルパーさん初めとして食事など、広範囲に広がる費用もバカにならない。

 

それは親の家計の負担その物だし、同時にこちらの負担でもある。

 

ただそこに居させる訳にはいかず、適度に運動(リハビリ)をさせねば、激的に体力と能力が低下するであろう事はみているだけで言わずとも判るし、

また、リハビリだけでは無くて、 可能な限り沢山の人の居る環境にも、時々行かせてあげたい。

 

かといって、やらせすぎれば、逆に親爺にとって負担になし、ストレスにもなる。

その辺りどう判断して、どのていどやるのか? 親爺がどうおもって、どうのぞむだろうか?

考える事に切りは無い。

 

子供の頃からの記憶と、可能な限り実家に滞在する短い時間の中で、親爺と話をして考え方を探り、 一番良い道を選んでいかねばならないのは、育てて貰った息子としての使命でもある。

 

可能な限り良い環境に親爺を置きたいけど、しかしながら、 そうした活動には金銭的なものが常につきまとうわけで、昔と違って今では介護保険という素晴らしい物はあるが、

それで全てまかないきれるか?というと、そうした物でも無い。

意外にすぐに限度を超えてしまうわけだ。

 

とりあえず、19日に文句も言わずにホームに入居してくれた親爺には感謝しか無い、翔です。