さて今日は大変でした、遅れていたビールの入荷があったのですね、20Kはある箱を1000個は出します。 こればかりは私も運んで荷だしします。
これって普段運動していない人がやったら腰と腕が上がらなくなるな・・・・
等と考えながら、やってました。
すこしずづでも、普段の運動は大切のなのです。
今日の時点で、朝の朝礼は少し顔を見せただけに留まり、新人、鉄火面、だるまたちが出荷予定数に満たない事を言われているのを横目に、事務所で伝票や書類をどんどんと出しては処理していきます。
仕事開始30分前に来て、倉庫の荷物状態を確認し何が入庫していないか、また何が今日来るのかを確認します。
そういえば、今日はこんな事がありました。
バイトに向かう道は混んでいます、私はバイクですから、横を抜けて、止まっている車の前に出る事がよくあります。
ちょうど信号待ちをしていた青い車の前に出ようとハンドルくらいまで頭を突っ込んだところ、車が流れ出し、私も動き始めたわけですが、このとき、この青車の運ちゃん(年齢にして私とほとんど同じくらい)が
、何が気に障ったのか分らないのですが。
私の横に無理やり入るようにして併走しながら私を反対車線に押し出すような形をとったわけです。
まあ、私もおとなしく青車の後ろにさがります。
別に嫌な思いを互いにする必要など無いからです。
しばらく走り、今度は信号の無い交差点で引っかかったのですが、
どういうわけかその青車、前2台分ほどスペースを開けた状態で動きもせずに止まってます。
後ろが使えているので、ホーンを軽くぷ!と鳴らしましたが無視、再びぷ!と鳴らすも再度無視。
動かなければ仕方ないとばかりおとなしく待ってました。
やがて動き始めたものの、その先の信号で再び青車を先頭にして止まりました。
私はいつもと同じく前に出て、信号待ちをしていたのです。
青車がじりじりとギリギリまで押してくるのを嫌な感じだなーと思っていたのですが。
問題は次に起こりました。
信号が変わり、もちろん加速のするどい単車はすぐに引き離します。 すると猛烈なスピードで青車が追いかけてきます、バックミラーにて迫ってくるのがわかるくらいだったので、仕方無しに自分もスピードをあげますが、もとより40k道路、70kも出せばかなり危険です。
一度後ろにピッたりとあおるようにして蛇行し始めたその車、その直後、一度スピードを落として今度は急加速した後、私の後ろ限界でタイヤの音が激しく出るほどのブレーキをかけました。
こうなるとこちらも黙ってはいられません。
左に止まれと腕で大きく合図して、道端によせると、なんとその車、わずかにブレーキを踏んだものの猛加速して逃げていきます。
追突されれば命を失うのはバイクです、「このやろう!」ばかりにこちらも追走します。
案の定次の交差点で前の車に引っかかり停止しました。
バイクを運転席側に留めると「テメー降りろ!」と怒鳴るも、運ちゃん、ひたすら前を向いて無視。
顔には明らかに動揺が呼んで取れましたが、殺されかけたのはこっち、引き摺り下ろそうとしたところで、
信号が変わり発信。 今度は車間を大きく開けて後ろを走ってきます。
次の交差点までこちらが前を走り、しめたとばかりに信号で止まるとバイクをおしてぶん殴りにいきます。
こちとら普段からトレーニングして鍛えてますから、たいてい1分もあれば方が付きます。
ところが降りてこない、なんとしても降りてこない、車のボディに蹴りでも入れようかとも思いましたが、
あまりにも大人気ない、車をゆさゆさ揺らしてもだめ。
そんなわけで、交差点にいた人が緊張して、みんなこちらを見ています。 でも様子が今ひとつ変、
は!と思いだしたのは、その交差点には交番が・・・・・・
うーん・・・・・
仕方無しにあきらめてバイクに戻りました。
何が気に障ったのか今でもわかりません、バイクは機動性が高く、渋滞路で横から車に入ることはあります。 しかし、停止している状態で無理やり入ったわけでもなく、また入ったとしても、すぐにその前にいってしまいますので、長くて数分しかいないわけです。
なんて人間が小さいんだろう・・・・と思うのですが、こんなことでぶん殴るような私も子供ですかね。
どうもバイクの調子がよく有りません。
気温の上昇に伴いエンジンが今ひとつ吹けません。
気温が低いときはよいのですが、高くなるとぼぼぼという感じになる事があります。パーコレーションの可能性もあるのですが、ほとんど熱の塊でもある短所の場合、そのあたりは重分に考慮してあり。
というか今までなかったのですから・・・・
後は燃料ポンプが駄目か、もしくは何かの加減でチョークが半開きか?
いよいよオーバーホールかなとおもいつつもう少し様子を見てみます。
キャブレターをオーバーホールする事自体は簡単なのですが、問題は4連のため、シンクロが面倒です。
バキュームゲージを持っていない事から、少し工夫をしなくてはなりません。 それが面倒です。
まともに買えば万単位する測定器ですから。
今日は朝からベテランの迷彩頭巾と一緒に仕事をします。
箱つぶし、荷だし、はOK伝票もやろうかと考えてましたが、これは頭巾さんがやっているので私が手を出せませんので、全面的にお任せという事ですが、最初の重量物が一通り終了すると、頭巾さんが、事務所に以降というのでいそいそ付いていくと、ピッキングを任せるとのことでした。
伝票の処理と合わせながら倉庫から正確に物を出していくわけで。
伝票やチエックの仕方を一度教わると、すぐにそれに取り掛かります。
私自身はこのピッキングが好きです。
なにしろ仕事が楽、重いものはフォークの人に依頼してもってくればよく、自分は軽いものだけカートに乗せていくだけでよいのですから。
社員の方と連絡しながらミスを確認し、在庫と調整をとり、また、違う会社のひとともめないように話し合いながら今回はこっち次は向こうと言うように出していきます。
荷物を積んだカートを届けながら、ラインの込み具合をみて、すいていれば荷だしをてづだい、新たに箱つぶしに回された人に空き箱を任せていきます。
頭巾さんともすっかり打ち解け、やたら前方だけにぎやかになってしまいました。
いいのかなー・・・・・・・
さて、そろそろ来るかなーと思っていたら、やはりという感じで来ました。
配置換えです、バイトとはいえ見ている人は見ています。
ましてや特に難しいものでは有りませんから、正確にスピードをあげる事を工夫してやれば。
ひとよりぬきんでる事は簡単な事です。
昨日から後方の結束積み込み部隊からラインの荷物を流す事も任され、ラッピングとラインの荷物流しを
同時にこなしていきます。
この時点で70個という目標数はこえておりました、ラインの荷物を流しながら、ただ流すのではなく、
ラッピングのミスを同時に見てきます、毎日新人が来るので、当然にみすがあるわけで、それを見つけては指で指して、小さな声と笑顔で、教えてあげます。
まあ、鉄火面とは全く逆のやり方をするわけです。
こうした作業は誰しもミスしたくてやったわけではなく、ある程度のわりあいでおきるものです。
ですから、それを修正すればよいだけの話でしかないからです。
誰が見ても嫌がる方法があれば、その逆のやり方をすすことが、職場の雰囲気をよくしますから。
さて、途中で前方にいた社員の方時折私を見ていたわけですが、始めも話したように配置の変更いいわたされました。
今度は、今のラインの隣ライン前方で、すなわち正社員と同じ荷だしと伝票処理を任されることになりました。
とは言え、先輩がそこにいるわけですから、初めは荷物を出した後の箱をつぶしてカートに乗せていきます。 ただつむと崩れるし、たいして入らないので、全体的に工夫します。
それを見ていた荷だしの迷彩頭巾さんが、次は荷だしをやってくれといってきます。
ただ出しても無駄な動きを造るだけとなるために、どの方向からあけ、どう出せばよいのかを工夫します。
なんとなく力仕事に変わったための疲れと共に一日が終わりました。
さて、今日は一寸したことがありました。
まあどこにでもあることですが、数日いると人間関係というものが見えて来ます。 ラッピングは女性が圧倒的に多く、ピッキングや伝票関係の要職はほとんど男性というのもそうです。
私のしているバイトは全部で3社派遣会社から構成されており、その中で○○梱包というところから来ている人間がいます。 その会社は割りとこうしたところに人を送っているのか、一応の知識のある人間が来ているわけです。
女性関係の上下というものは私にはよく分りませんが、なぜかそこから来ている一人の肩がやたらと口うるさい、しかも意地が悪いと来ています。
朝の挨拶でも、その会社からの数人だけはけして自分から挨拶しません、現場にてやっている事はどの会社も同じですが、そこによく分らないプライドというか意識を持ち込んでいるのか。 たかがバイトなのですがね・・・・
結局こうした知識は、誰にでも出来るものであって別段優劣を分けるものではないのです。
さて、そのおばちゃんというか顔が鉄火面みたいなので、以降鉄火面と書かせてもらいます。
さて、私は黙りこくって仕事をしているのは苦手で、ときおり、前の女性を笑わせたり冗談を交えながら仕事をしていきます。
まあ、そこだけがにぎやかになるわけで、そこで鉄火面、こうしたやり方が気に入らないのか、何かにつけて私のところにやり方が変ではないかというようなニュアンスで言ってきます。
すでにラッピングも終了し、相当数が流れており、それを知っていながら時間を遅らせる様に言ってきたりします。
バイトはバイト、高度な内容のことをしているわけではありませんから、こちらも許容されたやり方の中にあるルールをつけて、自分の物かそうでないかを分るようにしてみる事にしました。
なるほどという形で、私のやったものではないのをつかまえて目をつけているようで、ようは全員女性の中に一人だけ男性である私がいるためか、作業ががさつだといいたいのかよくは分りませんが。
何かあると私のせいだとばかりの事を言います。
自分のものかどうかは見れば分るわけです、こちらも自分に関係の無いことで言われる筋合いは有りませんかが、とりあえずハイハイとだけ返事をしておきます。
なんてつまらない事をいうんだろうねーなどと考えながら、やっていましたが、このときすでに慣れきっていたために、ラップ自体は目標数を超えています。
当たり前ですが、ボーっとやるのではなく自分なりに工夫すればいくらでも早くは出来るわけです。
午後にはいり、作業中に突然後方の結束積み込み部隊の男性から、ラップしつつラインの荷物を後方までながしてくれないか?とたのまれ、ラップしながらさらに荷物を流すというわけで、結構忙しくなりました。
まあ、同じところにたちっぱなしというわけではなくなったので、このほうが私は楽です。
前から後ろに流しながら、他の女性(毎日新しい人が来ます)のミスをだまって指で指して小声で教えてあげます。
そんなことをしながらあっという間に一日が過ぎました。
あ!鉄火面は結局休み時間にせよ、昼休みにせよ、相変わらず私には態度悪いです、ついでに、もうひとり、若い子ですが、だるま見たいな子がいまして、その自分より年をとった人間に話す言葉を知らないようです、ちなみに鉄火面とだるまは同じところから来ています。
単なる梱包なんですけどね・・・・
バイト二日目です、今日も朝からラッピングに回されます。
今日の相方は二人の子供を持つお母さん、双子の反抗期という事で、結構大変だそうです。
ちょうど家が近く、またこのバイトは大変だけど時給も良いので、よく来るそうです。
自分はこのバイト2度目です、2年前の夏に5日間ほどやりました。
このときは空梅雨で毎日気温が33度という状態、しかも二階でエアコンもなく、やたらへばった事を記憶しています。
今回は倉庫が移り、オンボロながらもエアコンが一応あり、適度に利くいています。
しかしながら、このラッピング作業、とにかくほとんど体を動かさないためにやたらときつい・・・・・
一時間に70個目標でラップするのですが、どうも容量を得ず、40個くらいしか出来ません。
お母さんは爆走状態でやってますので、差は開くなかり・・・・あーいかん・・・
午後になるとだんだんと早くやる方法が分ってきます。
しかし、退屈ですねー 早く出生しておもしろいところを任せられない限り嫌になってしまいます。
2月の事故以来、すっかり体重オーバー気味であるためバイトをする事にしました。
よくスポーツジムやエステなどで汗を流す方がおられますが、私の場合はお金を払ってではなく、お金をもらってという発想です。
懐が豊かになってやせられればそれに越した事無い。
というわけで、木崎湖キャンプ前のダイエットもかねて肉体労働系のバイトを選びました。
今回は、中元に絡んでの、ラッピングピッキング、結束等、もちろんビールの山もあります。
期間は7月2日までやります。
そんなわけで今日は初日、多少緊張しますが、大勢の女性にまじり、朝礼、
すでに慣れている方も多く、ど新人の私はまあ、当たり前というか、ラッピングに回されます。
荷物の一つ一つに包装紙を書け、バーコードの伝票と必要なシールを貼っていきます。
それを、レーンにのせるわけですが、これが結構難しい、自分の前にいた女性がなぜか
無愛想であまり教えてくれません、そうなれば、見て覚えればよいわけで、ひとつ造るのをみて覚え、
自分も同じようにしてやっていきます。
しかし、一日の立ち仕事、結構足に来ます。
まあ、非常に退屈な時間でした。
あさジョギングしていると、カラスが騒々しい。
一時は人の頭の上3mくらいのところを威嚇しながら飛んでいくような事がありました。
このあたりは女性や小学生などがこの季節によく頭の髪の毛を引っ張られたりとするので有名ですが。
このカラス、人間の男と女では明らかに違いを見出しています。 どういったところを捕らえているのからはわかりませんが、とにかく騒々しい。
走っている人の横を電柱から電柱へと移動しながらガアガアと大騒ぎ。
面白いのは、カラスの夫婦により、人への威嚇の仕方が違う事ですね。
仕事しているところは面積が広大ですから、それぞれ違うところに巣を作ってますが。
あるツガイは人へ直接的な行動に出てきます、他のツガイは、口に小枝をくわえてそれを伝染などに打ち付けて威嚇しています、大きめの小枝を振り回して伝染などに打ち付けて音を立てているのですが。
疲れるだろーおまえ・・・・・(--;)という感じです。 他にはとにかく10mくらい頭の上を円状にぐるぐる回りながら騒ぐやつ、遠巻きに見ながらやたらと集まって騒ぐやつと、同じカラスでもそれぞれ個性的です。 たいてい私は無視ですが、頭すれすれにくるような場合、石ころを持って反撃します。
するとカラスは一度石を投げると、それが届く範囲にはこないのですね。
来ても、投げる構えをすると飛んで距離を保ちます。
このー!とムキになる私も子供ですが、そんなやり取りを彼らと2週間ほど続けています。
しかし、今日の朝のことです、いつものツガイ一組に元気がありません。
いつもなら一番先に飛んできて騒ぐはずが、電柱の上で力なくぽつんとしています。
私を見ても、鳴くこともなければ、威嚇もありません。
このとき思い出したのは、カラスの場合、完全に飛べる前に巣から飛びだ巣という独特の巣立ちです。
正確には飛び出すというより、半分おちるわけで、これがカラスの巣立ちでもあるわけです。
まともに飛べないわけですから、猫や犬ににやられたり、車に引かれたりします。
親はえさを与えず、腹ペコになり自分の力で飛ぶのを見守っているわけです。
カラスの一生においての最大の危機でもあり、最大の冒険でもあります。
子ガラスが生きている限りは、とにかく人間などの生き物をちかづけません。
その親ガラスが突然しゅんとしているという事は、子供の死を意味するのですね。
ジョギングの足をふと止めて、見上げた電柱の上にたたずむその姿に、人間と共通した悲しみがあることを感じました。 カラスといえども子を失う悲しみは人と同じなのですね、なんとも複雑な気持ちになった今日でした。
今日の朝はとてもさわやかでした、Tシャツ一枚で風をきるすがすがしさは、この季節ならではのものです。
一番楽しい季節がじき到来しますが、今年はどんな夏になるやら、
そういえば沖縄は今日にも梅雨明けとか・・・・
家内の指は靭帯損傷でした、医者から最低でも一週間は動かす事ならぬといわれ、しっかり包帯と固定で帰ってきました。
ということで、包丁が握れなければ誰かが代わりをやらなければなりません。
私? いいや、やりませんよ、娘がいますから。
たいていキッチンに立つと何かしら、ごちゃごちゃ始まる二人は、土曜日の夜から昨日仲良く食事を作っています。
いちばん困るのが野菜などを切ることで、まあこれは散々経験している娘が要領よくこなします。
いつもこうやって静かだとよいのですがね・・・・・・
土曜日の夜です、娘が息子にビンタされました。
理由は息子の傘を勝手に持ち出し、そのうえ骨を壊してきたのですね。
傘自体は300円傘で、いうなればどこにでもある使い捨てのもの。
娘はまだ物を大切にする事が不十分です、ある部分はしっかりしているが
他の部分はだらしないところが有ります。
女子という事もあり、なぜかしらおにいちゃんのものを使いたがりますし、
下手すると勝手に使ったりして時々叱られています。
息子は自分のものと人のものを明確に区別し、自分の物を大切に管理しています、ゆえに他人の物を勝手に使う事は有りませんが、同時に他人が勝手に使う事を好みません。
使い捨てのような安物傘もそうなのです。
私は傘が嫌いでつかません、家内は車のためにほとんど使いません、
娘と息子が一番使うのですが、娘の傘の使い方はひどく、刀代わりに友達と
ふざけているらしく、よく壊してきます。
言い聞かせてはいますが、自分も子供の頃に良く壊していたこともあり、
さほどは強くいわなかったのですが、その娘に一発息子から飛んだのですね。
息子のほうが私より厳しいですから・・・・
翌朝娘は元気が無く、掃除から始まり食事もだらしなく、そこで私にまで重ねて叱られるしまつ。
そろばんの検定試験のために出かけ、家内と共に帰ってきたのは1時頃でした。
手には新しい傘。 もちろんこうした場合親は絶対に出しませんから、娘の少ないこずかいを貯めていたもの394円と、足らない4円分は家内の肩たたきバイトという事で398円の傘を買ってきました。
きちんと謝罪の手紙を読んだ息子は何も言わずに傘をいつもの場所にしまいました。
夕方には、晴れややかな娘の顔と、穏やかな息子の顔がいました。
教育って親だけが出来るものなのだろうか・・・・ そう思う私でした。
今日の三浦は訳のわからない風でした。
昼頃までは微風の状態で、私も8.0のセイルで出ていました。
微風のジャイブ練習です、すでに娘のほうがジャイブの腕はうえになりつつあります。
すると突然風が入り始め、きゃっほー!と叫びたいおもいのままプレーニング。
数回往復したところで、風が突然爆風へ変わってしまいました。
一度セイルを落としたところどうやってもあげられません。
しばし流されていると風が順風へ変化、チャンすとばかりに浜まで戻りましたが、
このとき砂が飛び回ってます、10mオーバーの風です、という事はさっきは13-15m?
久々に恐怖心が湧きました。
浜で出られずに待っていると落ち着き、再び出たところでまた爆風。
今回は浜近かったので戻れましたが、次の瞬間無風になってしまいました。
なんだこりゃーと言いながら先ほどの爆風で出てきた息子がセイルをはり始めてました。
やがてまた爆風、その次に無風、順風、微風とめまぐるしく変わり。
安心して乗れません。
結局3時間ほど乗り、風が落ちたところで危険なためにやめました。
全体的にはまあまあのウインドでした。
家内が今回中指にヒビがはいったようです、怪我が付き物のハードなスポーツがウインドサーフィンです。
この間、突然有る青年が私の職場に習われました。
現在27歳の彼は、来週から病院勤務ですと懐かしい笑顔を浮かべています。
何も知らない小僧だった彼は、4年間の勉学の末に臨床工学士となりました。
肌の色が異なる事は、医学の世界でもさまざまな事があります。
開腹し、中に手を入れてもらいたくないと思う人間は大陸にありふれており、そうであるなら心理学もしくはこうした臨床工学士など、自分の力を純粋に要求されるところでポジションをつくるしかありません。
訓練中に腹をたてて口も利かなかったり、一緒にいったスキーでボウゲンが出来ずに、教えていた私におこっていた彼は、州兵でありながら、空軍の予備役としてふるさとに戻り、それまで一銭の無駄使いもせずに蓄えていたお金と、衆からの膨大な補助で大学に通いました。
彼の子供時代は惨めで、働きづめの両親と、ベーグルだけを口にしながら育ち、体格は当然の事ながらちいさく、もちろんろくに学校もいってません。
しかし、強固な意思は私を驚嘆させるには有り余るものでした。
義務でこの日本にきていた彼は、帰り間際に訪れてくれたのです。
自由の国、しかし現実の国、富裕もあり、貧困もある、しかしながら無一文であろうとも、銃をとり、正義のためにと戦う事をはじめのステップとして、自分の意思と希望さえあればいくらでも人生が開ける、そしてそうした人間に対しては義務と引き換えながらも医師免許すら取らせてくれる国。
自由と義務は背中合わせというのがこの国の考え方。
今の日本に、無一文からはじまって、希望と意思だけで読み書きできない人間にさえもそうした道がひらけることがあるでしょうか?
夢と希望があればかなう事を保障できないこの国に、ろくな未来などないのでは・・・・
そう考えてしまう私でした。
あと二年間、兵役を続けその後は自由な人生が待っています。
頑張れ!そう応援する私でした。
一見同じように見えるこの両者の根本的な違いは、幼い頃よりどういった教育を親から施されてきたかniにあり、良心と共にきちんと育ててきても、本能が弱いのが非行、虐待や育児放棄、また良心というものを親からもらわなかった子は不良。
校長は、不良を直すことは不可能といいます。 まあこの場合の不良は、完全に人間としての基礎が崩壊している場合と考えるほうが良いかもしれません。 少しくらいの問題は多くの生徒との共同生活にて善悪の判断や区別が付くようになりますから、こうした意味では軽い不良は直せるという事ですね。
非行はきちんとした親の愛情があるわけですから、後は生きる力を強くしてあげれば自然に自分で前を向いて歩むようになる。
私が出会う事のあった親御さんたちは、みんな普通の人たちで、だれひとりおかしな人間はいなかったというのが私の中にある。
それぞれ、さまざまな生活を背負いながらも懸命に子供のためにと頑張っているわけで。
そうした親を誰が責める事が出来るであろうか。
たとえて言うなら、ある子の家は痴呆の老人がいて、それがどれだけ家族に多大な負担をもたらすかは、言わずともわかることで、仕事と生活、そして介護とさまざまな板ばさみのなかで、どうしても子供にまでは気持ちが回らない、子供の純粋な心を親の疲れが遮断するようなことがあったとしても、そうした親の苦しむ姿を目にしていない事などは無く、その姿に自分は何をすべきかを学ばなければならないのは子の務めだ。 しかしながら、現実には、そうした親の大変さなど理解することなく、いや理解しようとも思わず、ただ自分が求めてもなかなか得る事の出来ない親の愛情を、親を困らせる事で振り向かせようというのは、それが子供にとって正等であれ、人間としては正等になりえない。
こうした子供達が問題をおこすと第三者が必ず口にするのが、「親の愛が足らないからだ」とか、「介護の大変さは分るが、子供にはそれがわからないのだから」と軽々しく口に出し、親を攻撃する人間もいる。
しかしながら、こうした考え方はあくまでも子供の理論の側に立つものでしかなく、人間としての理論に立つものではない。 人は人として育てなければならないもので、子供として育てるものではないからだ。
子供の目線に立つという考えが大嫌いなのは、その考え方が、あくまでも子供という目線にたっていることで、人としてどうなのだ、人間としてどうするべきかという目線ではない事にある。
人権という言葉は、英語のヒューマンライトかきており、意味は至極簡単、人として正しい事という意味だ。
宗教的には神という存在がいて、聖書があり、それを規範として人としての正しさを問う、という考えに立つ言葉だ。
すべてこれを基にして善悪や倫理を考えるのが欧米であり、そうしたものがない日本に子の考え方をそのまま導入すればおのずとおかしくなる事は目に見えている。
日本における人権は、それを行使する側が自分にとって都合つけるためのものであり、そうであるのなら、この国の教育を崩壊させた昔の某事件をめぐる名古屋高裁および最高裁で使われた人権無視という言葉は、単に事件においての判決を出すためだけの便宜で使用されたものでしかなく、この国の将来や子供達の教育がそれによりどうなってしまうのかという事などなんら考えることはなかったのだとしが言いようがない。
現実問題として、この判決以降、学校教育が人権の名の元に失われたのは紛いもない事実なのだから。