朝から若い衆が大騒ぎしています、明日検査があるとかで、そんなの普段からやっておけば何の問題もないもの、ところがそれが出来ないのが若い時。
上へ下へ大騒ぎしているわけですが、ただ騒いでいるだけならこちらに何の被害もありませんが、間にあわないからこれやってくれ、あれやってくれと言い出すわけで・・・・(――;)オイオイ
普段が大事と思うわけですが、彼らはそう思わない。
そんじゃ普段机に座っている時は何してんの??
なんて思うものの、雑巾片手に机の上を拭いている自分がいるのも又事実。
外部から見れば私も同じ騒ぎの一員でしかなく、こうして職場は平和に時がすぎていくわけです。
そんでもって散々大騒ぎした後に腹減ったらしい若い衆、そんじゃとボスが引き連れ外食へ行ったはいいのが、1時間45分を過ぎても返ってこない。
うーんいつも変らない職場の風景というか、なんというか、ほーっほっほっほっほっほっ・・・・
そういえば天気が良いのでちょろりと外て、バイクのスロットルグリップあたりの写真を取りました。
握る部分がのっぺりしていますが、実はこれ、きちんと滑り止めの深い刻みが入っていたはずが長年の使用によって磨耗してなくなってしまったわけです。
おまけに同じところに手のひらの同じ部分が当たり続け、それによる磨耗もありますから、手の形に合わせるように波までうってくれてます、まるで私の手にあわせたカスタムグリップみたいです。(笑)。
10万キロと思っていましたが、メータをみるともう11万キロに近くなっています。 車なら22万キロくらい。
いろいろと物入りで今年の夏以降になれば少しは余裕が出て何とかなるのですが、だいぶガタきてるし・・・
娘がぶち折ってしまった(昨年は2本やってくれました)370のマストですが、これを機にスキニーマストへ変更しようと考えていたところ、幸にも中古良品をネットで発見。
ノーマルからの変更理由は、スキニーマストは折れることがほとんど無いためです。
他にもノーマルマストに比べて重量が軽く、圧倒的に径が細い事から手の小さい娘にとって○ばかり。
幸にも今使っている4.2と5.0はこの370で張ることができます。
出来れば5.9のセイル用に400か430も欲しいところですが中古のいいものが手に入るかどうか分かりません。
ブームは元々スキニー対応で心配なし、後はスキニー用のジョイントエクステンションが必要ですが、何とかなるでしょう、北風が吹くたびにウインドに行きたいとぎゃぎゃー騒いでいる娘ですが、春休みに再び河和の合宿所へいくのだと張り切っていますので、それまでにそろえなければ・・・
やれテレビ故障だ、バイク不調だと連続していろいろ起こる今日この頃、せめて娘だけは安心してウインドを楽しめるようにしてあげなきゃね。
写真は2年前によそ見してぶっ飛んだ原因になった朝の景色の一部分です、
あの時はもっと綺麗でした
昨日の事ですが、帰りにコンビニへ立ち寄り、パーキングから出す際にバイクを大転倒させる失態をやらかしてしまいました。
以前から書いているように、時々低回転時に失火気味となる事があります。ほぼ電装系の劣化(部品単品ではなく全体)が原因だと分かっていますが、まだ交換する程までというかまだ持たせられるというか・・・・
私もバイク暦が長いですから、停車状態からノロノロとバイクを後ろへ押して方向を換えから乗るのではなく、クイッ!とバイクを寝かしこんで停車状態からターンする事が多くあります。
クラッチとアクセルワークを上手く利用してできるだけ小さなRでターンするわけです。 あ!もちろん長く乗っている人なら当たり前のようにできることで別に自慢するようなことではありませんので、誤解しないでくださいね。
隣に車がいましたので、取り合えずバイクにまたがったままトットットと後ろに下がり、そこで反対側に向きを変えようとターンに入った瞬間ボボボ・・・と失火、当たり前ですが、トルクがかからねばバイクはそのまま転倒します。
トルクのかかることを予想して倒しますから勢いの付いた280kgもある車体を支える事はほぼ不可能。
冷や汗が出て反射的にアクセルを開けたところ、今度はいきなりエンジンが吹けあがり、バンクしていることからヒーロー映画のアクセルターンもどきのスライド回転。
「ダー!」思って何とかコントロールしようとしますが、時遅し、約1回転半回って大転倒。
傍の車にぶつからなかっただけでも幸運ですが、バイクは左サイドが破損、私は左ひざが破損しました。(^^;) バイクに乗っていると怪我が耐えません、そうとうに気が強くないと長く乗れない乗り物でもあります。
さて、傍から見ればアクセルターンを失敗した大バカ者に見えるわけでして、店員は心配して出てきちゃうし、人通りの結構多いところですから、場はしらけるわで散々。
これが恰好つけてのしっぱいならいざ知らず、そういった気もないのにそう見えてしまうほど恥ずかしいものはない、メットの中で顔が火を噴いてました。
幸にもそれ以外に怪我や破損も無く、でも泣く泣く家にかえりました。
家内が帰宅後ひざを見せながらその話をしたとたん、だから「買い換えればいいって言ったじゃない、死んだらどうするの!」と一方的に言われて、
本格的に買い換えようかという気持ちになっています。
バイクの10万キロは車の20万キロにあたります、すでに始まっているペイレース(次から次に発生する故障で修理費がレースしているような状態)、は分かっています。
でもまだ車検が来年の4月まで有るし、ボロでもとりあえずはブレーキ系統は完全に整備しているので乗るのは問題ないし・・・・
ソンなことより娘のマストとセイルを買ってあげたいし、パジェロのタイヤを真新しい物にしたいし、どうしょうか・・・・・・・
今度はテレビがぶっ壊れ!
家にある50インチのプロジェクションテレビ、「いきなり青がズレ!」
フロントパネルをはずして映像を写しながら(その間家族はそのままドラマなんぞを見ています)3本あるビーム管等を一つ一つ点検していきます、高電圧が発生している事から、下手に手で触れると電撃でぶっ飛びます。
経験者のみが知るあの何ともいえない感覚 (^^;)タラー ははは
ざっと15分ほど見てみましたが、青だけ、しかも横線にゆがみがあることから基盤の同期回路の故障でしょうかね?、大抵はトランジスタかコンデンサのパンク、そうでなければブラウン管周りのトラブル(寿命)? ソケット周りの半田浮き等も考えられるし、高圧回路だったりもしますが、フライバックトランスは共通なので?異常があるようには思えない・・・・
このテレビ、元々業務用だったのを中古6万で買ってきたものですから、壊れても惜しくないわけですが、できればデジタルに変る11年まで持たしたかった。
そんでもってとりあえずはバラバラに分解しての調査が必要。
週末にでもやってみるかな・・・・
しかし次から次へと・・・・
ただ券があったので、家内と娘&義理母(84歳だけどやたら元気)を連れて見に行ってきました。
お客さんの大半は私と同じくらいかそれより上の年齢がほとんど、映画はなかなか良いもので、自分の子供の頃に当たり前にあった景色と当時の人間がそのまま再現されている?ような映画でした。
ただ、前作とちがって賛否が別れていて、私はどちらかというとGOODのほう、ところが娘は前作と比較して厳しい意見。
その理由は?と、いろいろ話してみましたが、思わぬところでするどい観察を見せていて、「あれ?こんなに洞察力がするどかったかなこの子は?」と思うことが多々。
そうですよね、いつまでも可愛い子供のままでいるわけがない、子供から大人へと激的に変化していくのがこの年齢です。
そのスピードに親の意識と感覚の方が追いつかない、いつまでも子供でいてほしいという我儘な思いと、早く大人になれ!という気持でふらふらしているみっとも無いのが私。
こうした親の中途半端な感情を鋭く読み込んで矛盾をついてくるのが反抗期でして、何か下手に言えば必ず好戦的に来るわけですが、明らかに間違いだという事以外は放って置きますが、そうしているとこんどは逆に「なんで何も言わない?」と来ることも多々ある。
親の心を鋭く読み込むことで、人の心を読み込む事の出来る人間となるために本能がもたらした最終トレーニングがこの時期なわけです。
幼い頃よりたくさん叱り、たくさん褒めてきた、その結果がここにあり、その分可愛くて仕方ない(上の子も同様)。
こりゃ彼氏でも連れてきたらドラマみたいにちゃぶ台引っくり返してぶん殴るような親父になるんかねー? 自分は・・・・。
なんとなく想像して得体の知れない自己嫌悪の私。
(--;)ふー・・・・
今朝のニュースで、出会い系サイトで知り合ったイケ面(捏造写真)の彼氏に1億3千万をみついだ女性の事件報道がされていました。
30歳になるこの女性、自分の恋愛を一寸落ち着いて考えてみれば、おかしな事だとすぐに気づくはずですが、実際はそうではなかった。
マスコミの情報では、どこまで正確に伝えているかはわかりませんが、私にはこの女性の気持ちの方に強く引かれるし、共感を覚えるわけです?
どう考えても悪くは思えないということです。
犯罪に至った経緯には様々な理由が考えられますが、経理をやっていたくらいですから、この女性は知能的にも能力的にもそれなりのものを持ってたはず。
当然に貢いだ額の認識と、それが将来どういった事になるかという事も認識していたはずです。
いくらイケ面で有ったとは言え、そこまでして純粋に思いを貫ぬこうとした彼女に果たして罪は有るのだろうか?
私がこの企業の経営者であったのなら、返金こそしてもらうであろうが、檻の中に送り込むことは出来ないのではないかと思います。
反対に平然と騙していた男に対しては、首に縄をつけ、”私は純粋な女性を騙しましたと看板を立てて素っ裸のままで市中引き回したあと獄門です”(江戸時代かよ今は?)にしてやりたいと思うわけです。
おっと、私がヘドを吐きたくなるほど大嫌いなフェミズム(狂った男女平等主義で、例をあげれば中学校などで着替えをする場合に同じ部屋で男女が一緒に着替えをすることを推進したり、修学旅行で男女同じ部屋に寝かせたり、トイレのサインを女は赤、男は青とする事に反対している連中)によると、こうした私のような感情は男女差別の最たるものだそうで、撲滅すべき顕著なものだそうです。
なぜなら、”女性は弱くて騙されやすいというきめつけ”がそこにあるからだ云々、ずらずらずら・・・・・・しかじか・・・・・そんでもってそれこそが、差別を生む源なのですとのこと。
はいはいそうですか、とこうした人間に対しては、「うるせーんだよテメー!」と正直に言ってしまう私ですが、これは人を愛する気持ちをどうとらえるかという人間の心の問題だと私は思っているからですね。
少なくともこの国の教育を崩壊させた直接原因の一つにそんなこと言ってもらいたくはないわけです。
そういえば袋叩きとなったジェンダーフリーとやらはもう言わないのかね?
昨日と打って変わり快晴となったわけですが、今度は爆風。
信号待ちをしていると、バイクごと風に煽られる始末。
嫌だなと思いながら通帰る途中で、珍しく元気なアンちゃんたちと遭遇、
一台は400ccの新型バイク、もう一台は中古の400ccで、二人乗りですが、後ろに乗っているほうがなぜか新品タイヤを腰巻している状態。
友達同士らしく大きな声で会話していてとにかく元気。
「おおー!こんな元気な子達もいるのか」と半分ニコニコしながら少し斜め後ろにとまって見ていましたが。
新品バイクの方がこちらをチラチラみて、そのあとアクセルを吹かしこんで来ます。 あれれ・・・これってはるか過去に自分がよくやった信号グランプリというやつ。
多分私のバイクのオンボロ加減をみて、あえて勝負というところだと思いますが、大型バイクに変えてからシグナルグランプリを仕掛けられたのは何年ぶりか・・・
初めは知らん顔していましたが、二つ先の信号くらいまで同じ事をしてくる。
こんな元気で好戦的な若い子はひさしぶりなので、ついこちらもその気になってしまいました。
ワンワンふかして来るので、一度ふかして応じる合図、するとその2台のアンちゃんたちは大声で話しながらやたらと元気になって、信号が変るのを待つ間に吹かす事吹かす事(迷惑だなコリャ)。
メットで年齢が分からないから成り立つ勝負(なつかしいけどどうでもいい勝負でもある)ですが、こちらはバイク暦26年、静かに信号が変るのを待ちます。
そして青、昔と違い、変ったととたんに飛んでいく事はせずに瞬間的に左右を眼で確認してから出ます。
当然にその時間差の分、出遅れるので、少し先を走り始めた2台を追うようにしてスタート、エンジン回転数をとりあえず6000回転に合わせてクラッチミート、それ以上で下手にあわせるとフロントが浮きあがりますので危険。
ほぼ一瞬で二人乗りの方を抜き、もう一台の新車も、2秒待たずに後ろへ行きます。 この時点でどのくらい速度が出ているかはわかりませんが。
スペック的には2秒台後半で時速100kmに達しますので、そのまま走ればそれこそ危険。
シフトしていない一速のまま引っ張っていますので、アクセルを戻してエンジンブレーキをかけ、一気にギアを5速までシフト、あとは法廷速度プラスアルファくらいで全体の流れ(というか車はミラーの向こうで点になっていますが)を引っ張るように走ります。
一瞬で抜かれたアンちゃんたちは、そのまま加速して私の前に出て先を走っていきます。
昔はこんなことよくやったよな・・・と懐かしい思い出を回想しつつウインカーをつけてアンダーパスの側道へ入ります。
「へにょー」っと老人みたいにのっているのが今の若者の特徴、こうしたアンちゃんがばかりかと思っていた昨今、なんとなく危なっかしい3人でしたが、まだいたんですねこうした子達も。
事故のないようにと元気な彼らの未来を祈る私でした。
昨日の夜から、今日は雪との予報。
下手に積もった雪の上をバイクで走るは自殺行為。
そんでもって、久しぶりにトラクターを出しました。
おっとトレーラーがついてないので、ただのシェビー
キャンピングカーです。
チェンは数年前に半スタックからの脱出する際にぶっ壊れましたのでありません。
まあ、でかくて重いと結構雪の上を走ってしまうので、バイクよりましかくらいで出しました。
予報ではお昼には雨に変るとのことでしたが、実施はお昼になってもまだ勢いよくふっていて、コリャいかん (――;)
幸にも気温が割りと高めで路面温度も高い為に凍結しなかったのはラッキー
まあ、それでも降り続ければコンビニで弁当を買い込んで、職場の駐車場で酒でも飲みながらのんびりと雪見キャンプでもするべかとおもっていたところ。
やっぱり雨になりました。
帰宅時間ころには、心配していた雪も降り積もらず、無事帰宅となりました。
ただ、さすがに車どおりの少ない私のうちの周りの雪かきをする羽目にはなりましたが。
夕方帰宅し他息子がテレビゲームをやり始めました、すぐ横で私も冷やかし半分でみていたのですが、その向こうで娘がお菓子を作っています。
なんでもチョコレート味のプリンとビスケットをやくのだそうです。
しばらくしてまず出てきたのはプリン、息子は一目見て躊躇、私は早速一口、
美味いようなでもまずいわけでもなく、甘さが足らない・・・・
食べている私をみて息子も、「うん甘さが足らない」といいながら、結局最後まで
食べてしまいました。
しばらくしてビスケットが出てきましたが、「でへへ 失敗しちゃった (^^)」とは娘。
とりあえず食べてみましたが、なんとも表現の仕様の無い味で、
これってオーブンの温度設定間違ってない? といえない私でした。
このところ、引きこもりの子による親殺し、兄弟殺しが連続して起きています。
なぜ引きこもりになるのかという事は実に簡単な理由です。
狂った本能と正しく叱られずに育った事、たったそれだけが理由です。
この単純な理由が各家庭でさまざまな形にアレンジされて子供達の心の成長に大きな影響を及ぼしているわけです。
多くの人はこうして書くと批判するでしょう、「なんで断定できるんだ?」とです。
ところがこうした批判者に「では貴方はどう思うのか?、原因とどうしたらよいのかを明確に説明してくれないか?」と逆に問いかけると全く説明できないか、見当違いの事をいいだします。 もしくは俺には分からないといいます。
説明できない場合はなぜ抗する考えもなしになぜ批判できる?と問いかけ、見当違いの場合は数回細かく質問します。 すると大抵はしどろもどろになります。
結局理解のりの字すらないわけです。
分からないにいたるはすでに論外・・・、結局は自分と無関係でどうでも良いとおもっているのを思いっきり露呈しているわけです。
こうなると、たいていは「それならそんなに単純というなおせる実例を挙げてみろよ」と言い出します。
私は実に簡単に実例をあげ、更には非行や不登校不良まで実に細かく立ち直りまでの実例を挙げながら懇切丁寧に説明してあげます(最後まで聞いてくれれば)。
引きこもり問題は、その子自身、すなわち本能を活性化し我慢忍耐努力を実経験として学ばせること。
たったそれだけで解決します、現にスクールがやっているのですから。
ところが、こうした余りにも明確に結果がでてしまうものは、逆にトリックでも有りはしないかと疑われることもあり、なかなか受け入れられません。
複雑で難しいとした言った方が親の受けがいいからですね。
その心理的理由はまた次の機会にでも・・・
数日前に家内が帰宅したとたんワーと泣き出しまして、リビングで勉強中だった娘と私はビックリ。
しばらくして落ち着いたので理由を聞くと、自分のよく知ってた青年が自殺したそうです。
中学時代に成績優秀、ハンサムで温和な性格、部活に熱心だった子だったそうでで、自殺にいたったのは高校に進学して不登校になり、引きこもりへ、そして通院、そして今回の事になったわけです。
不登校になったことで高校を退学したもの、年を越して春には新たな気持ちで高校を受験するはずだったと聞いていたそうです・・・
私にはこの子とこの子の親の気持ちを思うと胸を掻き毟られる様な何ともいえない思いが広がります、また同時にこらえきれないほど悲しみが沸いて来ます。
あまりにも短すぎる人生、まだこれからだというのに・・・
この青年の冥福をお祈りしたいと思います。
ということで、私の子育ての総決算ということになり、これを境として、私と息子は、基本的に同等の立場という事になります。
子供から大人へなったわけですから。
まあ、基本的に親子という関係には変化が無いわけですが、こちらは一人の大人として接しなければなりません。
息子には、20年という年月の間にたくさんの素晴しい思い出をもらいました。
普通でなかったからこそ普通でない経験をすることができた、普通は普通であり、それはとても素晴しい事ではありますが、それ以上にはけしてならないわけです。
普通でないということは、得難い経験もそこに有るということ。
どちらが良いとはいいませんが、私と家族はこの経験をかけがえの無いものとして考えており、それは懐かしくてきらめく思い出の数々になってます。
時折、昔の話をしてみんなで大笑いすることがありますが、それも今があってのこと。
こうした紆余曲折を歩んできた息子はこれでやっと社会の入り口に立ったわけですが、この先は自分の力で歩んでいかねばなりません。
さて成人式からハカマで帰宅した息子、思いのほか似合う姿に思わずみんなで記念撮影。
照れ屋?の息子は滅多に家族写真を撮らせてくれないわけですが、故に家としては大変珍しい?記念写真となりました。
息子はその後、衣服をスーツに着替え、夕方から同窓会へ参加。
思えば息子は中学3年の一番大事な時期を学校からハズレ、卒業式には参加していません。
後に、「卒業式に出たかったな・・・」という言葉を聞く事は幾度かありましたが、親を恨む言葉は一つもありませんでした。
一年遅れで高校へ進学し、そして現在は大学生。
あらゆる事に反発し、対人関係で悩み、不良仲間以外のあらゆる者は全て敵として学校や大人、社会?に無謀な戦いを挑んで苦しみ続けた彼ですが、いまは教員を目指して歩んでいます。
勉強の出来ない子、非行や不良、いじめられる子、いじめる子、学校のルールを守らない子、家出を平然とする子、親を憎む子、そうした子達はもちろんの事、親の持つ思いや苦しみまでを、その全てを凝縮したような短い時間のなかで一通り経験し学んできた息子は、いうなれば問題をもつ子達の心を全て知り尽くしている人物であると私は思っています。
そして優れた方達と出会った経験から、立ちなおる苦しさとつらさ、メンタルの持ち方、考え方と努力・忍耐・我慢の全てを学んできたのも彼。
故に現実対応能力は極めて優れているとおもうのは
親の欲目でしょうかね・・・ (^^;)えへへ 親ばか丸出しです。
聞くところによると、現教員採用試験は成績優秀者(人格優先ではなく偏差値エリートでよい子として学生時代を過ごした者)だけが合格しているのが事実らしく(私の友人の教師達は口々にそういいます)、それがゆえに問題のある子の気持ち、その子達の親の気持も全く理解できないし解決もできない、更にはすぐに精神疾患をかかえてしまう程度の心の耐性しかない先生を現場に送り出していると聞きます。
単に学力だけを見るなら一流大学の学生ではない息子には採用試験のハードルが高くて大変な事だと思います。
でも、もし教員になれたなら、その経験から子供たちの心と親の心を知る暖かい先生となってくれるのではないか・・・そう親としての欲目も入りつつ思うわけです。
そして同時に親としては、たとえそれがかなわぬものだったとしても、常にトライする心を持ち続けてくれたらと、私はそれ以上を望むことはありません。
昨日の雨とは打って変わり快晴の一日、しかし風がつよい、というかほとんど嵐しだなこりゃ・・・(――;)。
こういった天候の後は、たいてい遭難報道のラッシュとなります。
自然をなめてかかっている者達が余りにも多いからですね。
前にも書きましたが、私は真冬にウインドをしません。
ウインド関係の雑誌には“冬こそウインドだ”見たいな事を書いている時もありますが、自然の恐ろしさは用心しすぎるくらいしてもまだ足らないくらいですから・・・。
いくら素材の進化でドライスーツが暖かくなったとはいえ、それはあくまでも運動し続けている体から発する熱でバランスが保たれるということ。
万が一身体が動けない状態となれば、約2時間で体温はきけんなレベルになります。
プロレベルの人でさえその苦痛と危険性(冷えが身体へ及ぼす影響含む)から真冬に海へ入るのを避ける人もいます。
ましてや素人が単なる根性勝負で沖に出れば、何かおきたときに即他界ということです。