数日前のことだ。
少し疲れ気味だった僕は早々に就寝。
すると、リビングで大騒ぎが始まった。
「なんだ?なんだ?」と寝ぼけて起きたのだけれど、それが余にも続くので気になって部屋へ行ってみるなら、新米パパの息子が偉く動揺し、娘は孫の名を呼んで泣いている。 さらに家内が盛んに謝っている。
新米ママは、半泣き状態で行きつけの病院に電話しており、とにかく騒然としていて、わけが解らない。
当然、事は孫だろうとそちらを見ると、寝かされながら大泣きしており、 見た目元気だし ????? となるわけだが、そばで様子を見ていた娘に「どうした?」と聞くと、孫の左腕が動かなくなったと更に泣き出した。
「腕が動かない?」 と余計に訳が解らなくなったので、おたおたしている家内に聞くと、
左肩の関節が脱臼したみいとのことで、その原因が首の据わり始めた孫を抱っこしている途中、突然動いた孫がずり落ちそうになったところを”ハッ!” と腕をつかんだ瞬間になったらしい。
急激に泣き始めて左腕がダラントなってしまい、こうした経験が始めての息子は動揺し、そのせいで新米ママもおたおた、その余波くらって娘が泣き出したということらしい。
新米パパとママにしてみれば、子供の怪我は始めての洗礼でもあり、まあ良くある半分パニック状態。
やっといきさつが分った僕は、こりゃ「落ち着け」と言葉にしたところで駄目なのは分っており、まずは孫の観察、まがいなりにも訓練で基礎医学を学ばされている自分には一応の手順が解っているので、
孫には多少かわいそうだけれど、まだ脱臼しているのか、それとも亜脱臼? それもと捻挫状態になっているのかを確かめさせてもらった。
まず両肩のバランスを見て、その次に寝かせたまま両腕を色々移動させて、間接状態を見る。
もし外れていたらを考え、寝かせたまま腕を上のほうへ移動させて最後に肩のほうへまで持っていく処置を取り、
その際に旨く戻ったのか?は余にも小さい体なのではっきりしないが、診察した感じではすでに脱臼そのものは収まったようだ。
というか、実際は”脱臼しかかった”というほうが正解だと思う。
しばらく自分で腕を動かせなかったのは痛みからで、大人でも痛ければ動かす人はいない。
まあ、当然の事ながら痛いので大無きするが、徐々に収まるのは解っているので、そばで泣きながら見ていた娘に
「大丈夫だ」、「すぐ直るから心配するな」と一言。
するとそれを境に娘は泣のを止めて、落ち着き始めた。 「このまま朝まで様子を見ろ」と息子夫婦に対して口から出かかったが、
彼らの気持ちと万が一を考えると一応病院で診てもらうのが正しいし、息子夫婦もそのほうが落ち付くのは物事の道理。
さて、思いつくいくつかの病院に電話してみた息子夫婦だが、乳児という事と、電話で症状を伝える(殆ど大丈夫と判断するので)
と受け入れてくれる病院が無い。 その間に孫は痛みが消えて来たらしく泣かなくなってきた(当たり前だが子供は本来強い生き物だ)。
病院への電話連絡でらちが付かないらしく、救急車を呼ぶと言い出し(本当は消防署に問い合わせれば輪番の病院を教えてくれるのだけれど)呼んでしまった。
ガタガタ騒ぐ家族の状態をみて、「な~にやってるんだ? 脱臼くらいで」と 笑ってしまいたくなるなるような、なんともいえない気持ちになる僕だけれど、そうも言えないので「大丈夫だ」とだけと皆に告げる。
全体が落ち着き始め、後は病院に行って先生の診断受け、大丈夫と笑顔で帰ってくるのが分るので、僕はそのまま寝室に戻って寝てしまった。
ここで僕が動揺して騒げば、更に皆が不安になるからだ。
翌朝、起きてきた息子に一番初めに言い放った言葉は、「男は簡単に動揺するな、父親が動揺すれば家族全員が際限なく不安になって動揺する」 この一言だ。
これはとても重要だ、子供を持ち家庭を育んでいると、その道筋には幾多の困難や問題が待ち受けている。
想像もしない出来事、問題、事故や病気等々、あらかじめ想定できれば対処の使用もあるだろうにそうする事のできないことが多々ある。
こうした時に父親である男が先頭切って動揺すれば家庭は一気に不安となり、落ち着きをなくす。
動揺が大きければ大きいほど安定性も失われていく。
故に、
何時いかなるときも父親は落ち付き、石のように座っていなければ家族は安心することができない。
状況をよく分析し、次に取るべき手、やらねばならぬことを考え、迅速実行できねば、事は揺らぐだけに収まらず、家族が崩壊していく要因にすらなりえる。
一見強固に思える家族の平穏というのは思っているより脆く、それを真ん中でしっかりつなぎとめるのは父親の役割なのだ。
結局のところ、一番重要なのは芯の通った強い心と忍耐力、刃を食いしばりながら長時間を耐えきる力で。
これは腕力とは全く無縁、当然の事ながら学歴も何も関係なく、純粋に人間性の問題となるわけだ。
とはいえ、新米なりたてのパパにそれを期待するのは到底無理で、親というのは、はじめから親なのではなく、子供を育てながら供に成長していくもの。
ただ、このとき父親への成長の基礎となるのは、子供の頃に受けたあらゆる経験、すなわち友達同士の遊びから始まり、最後は自分を育ててくれた親の姿を学び、それを心の奥底の記憶として留めておくからこそ、父親になっていけるわけだ。
故に母子家庭で育った男の子は、自分が親になるとき本当に大変だと僕は思う。
父親は無駄に優しくあってはならず、ましてやおかしな親子平等を唱えたりやら友達親子やらであってはならない、怖くて近寄りがたくて、でも時々オチャメな一面が見え、それでいていざというとき山のように不動で冷静、これが父親であり、本来この国の歴史が育んだ日本の男の姿だ。
ところがやさしい子に育てるのだと言って、現実的に虚弱な心を育ててしまい、褒めて育てる迎合教育で男としても父親としても的確性に欠くやからが今の日本の社会には当たり前となってしまった。
草食系などといわれるタイプはまさにそれそのもので、こうした腑抜けが増えたからこそ、離婚率は上昇し、それどころか結婚をしない若者が増えた。
もっとも、自分が女性の立場であるなら、そんなのと結婚して将来不幸になるのが目に見えている以上、しないほうが良いとなるのは至極当然の事で実によく理解できる。
昔、甲斐の国に武田信玄という男がいた、旗印は 風林火山。 とても有名だ。
かれが率いた 武田騎馬隊が実質戦国最強の軍であり、三河流兵法持って逃げ出されて慌てた徳川家康が新しく取り入れたのがこの武田流。
以降彼は野戦で相次ぐ勝利をおさめ、惨めで敗残ばかりだった人生を転換している。
その最大の特徴は本陣が戦場で容易に退かないという特徴。 これが賤ヶ岳の戦いや関が原などでの勝敗の要因であり故に天下をとれたわけだ。
ところで、この”らしさ”を否定しようとする男連中がいるらしい。
「らしくなければいけないのか?」というところが疑問の出発点で有るらしいのだけれど、僕から言わせてもらうとするなら。
こうした男は結婚して家庭を持とう等とは、初めから考えないほうがよい。
家庭を持つということは父親になるということであり、同時にその基礎である男としての資質を常時問われ続けるものだからだ。