帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

家内の、至福の一時

2011年12月31日 | Weblog

今日は家内の至福の一時。  ハハ・・・

「たまには二人で、デートしたら?」という親の気持ち、「年末子供の面倒見てくれない?」という息子夫婦の親思いの気持ちが 偶々?一致。

そんでもって、お昼前に二人で日帰り温泉旅行&食事にでかけた二人。

先の肩脱臼騒ぎも、賢い嫁さんの優れた対応でなんら違和感もしこりも残さず、もちろん全面家内を信頼しての今日。

 

さて、朝から孫を自分だけの独占状態にすることが出来た家内は大喜び、ついでに冬休みで暇こいている娘までが一緒になって、ずっと孫をあやしている。

やたらと愛想のいい子でもあるため、に終始ニコニコで本当に手間がかからない子だ。

たまに泣くことといえばオムツにおしっこしたりウンチしたりを教えるのと、お腹がすいたときだけで、これまた飽きもせず家内と娘の面倒を見ている????

昼頃に、食事の買い物にと、これまた孫連れて家内と娘の3人で出かけ、でも僕は?といえば年末最後の日だというのに、ばたばたと作業なんかしていて、

結局僕は殆ど外にいたうえに、ろくにかまってやれなかったな~。 

 

3時頃に息子夫婦から電話が一度有り、5時頃には家に帰り着くとのことで、

さすがにこの時間になると、多少なりともぐずりが出てくるが、僕が時折現れては声をかける度に、にぎやかに笑い声を上げてくれる

のは嬉しいかぎり。

 

たった一日の事だけれど、はるか遠い昔に家内と二人きりだった頃を思い出し、こうした小さな幸せをもたらしてくれる息子夫婦には

ただただ感謝の一言しか出てこない。

特に孫が哺乳瓶からミルク飲む姿はまるでタイムマシンのように僕を過去にひっ張りこみ、一瞬で息子と娘の誕生から今までを走馬灯のように思い出させてくれたが、あえて僕は何も言葉にしなかった。

 

5時半頃息子夫婦が帰宅、すぐさま孫のところに駆け寄り交代で抱きしめている、まがいなりにも親らしくなってきたのが分る。

 

そんな二人の姿を魚に酒飲んでニコニコする僕だけれど、そのあと始まったどちらが子供を風呂入れるかのプチ夫婦喧嘩は、

犬も食わん。

 

「しかしね~」 子供が本当の母親&父親の前で見せる笑顔は、爺婆たる僕らでは到底勝ち目が無いものなのだと、

こぼれる孫の表情から悟らされたのも事実だ。

 

「人」、この素晴らしい生き物は幸福を追求し続けること、それが天から与えられた仕事なのだと思う僕なのです。

 


泥埃まみれ

2011年12月30日 | Weblog

すでに12年近く使い続けている、 朝日ソーラー の石油ボイラー

朝日ソーラーといえば、一時はマスコミに悪の権化みたいな扱われ方をされたせいで倒産まで持って行かれ、今は再生法?かなんかで立ち直って細々とやっている。

ここは、社長が 「太陽エネルギーは元気力エネルギー」、というフレーズで売り出し、現場では 拳骨エネルギー といわれる厳しい営業姿勢により一時は大企業となったのだけれど。

こうした営業で必ず出てくるのが老人や障害を持つ人を騙して搾取する営業マン。

会社自体は何ら悪くないのに、一人でもこうした人間が居ると、あっという間に会社は潰れてしまうわけです。

 

本来、この朝日ソーラーという会社の製品信頼性は異常と言ってよいほど良く(社長は品質にも厳しかった)、家の屋根に乗っているソーラーパネルは設置して15年ほど経過しているが、今年の夏にパネルとタンクを接続するホースを交換しただけでほぼメンテナンスフリーで快調に毎日働いている。

これに、少し遅れて設置した同社ボイラーは風呂、キッチンのコントローラーが一度ずつ故障したのみで、定期的な水抜きを行っていることもあるのか一度も故障は無い。

 

その前、新築時取り付けられていたガス湯沸かし器(ボイラー)は必ず冬になると凍結故障したり、定期的に基盤が壊れたり(3万ずつの出費)の繰り返しで最悪だった。

 

こんな感じで朝日ソーラーはとても良い製品なのだけど、不満があるとするなら旧式のために多少なりとも動作音が大きく、これに気を遣うことだ。

 

ただ、いい加減壊れてもおかしくない年月を消費しているため、新しいボイラーの設置準備に入ることに決めた。

といっても、新設のボイラーをまだ取り付けるわけではなく、その位置にまで必要な配管類を伸ばし、いつでもポンと切り替え可能なようにするだけ。

そうでないと、いざ故障した時に交換と判断されれば、見積もりから始まって業者が来て設置及び工事等々、平気で一週間は過ぎてしまう。

 

真冬にせよ真夏にせよ、お湯がその間無いというのは最悪で、何とか2,3日で済ませたいし、設置業者なんぞに頼んで

工事費払うほどバカらしい物はないで、当然の事ながら、全て自分で工事をやれる様にしておかなければならないわけだ。

予定では、現在の貯湯式ボイラーを長府製の直圧式へと変更。

本当は朝日ソーラーの物が欲しいのだけれど、高い・・・・

 

直圧式へと変更のために配管は4本で良く、風呂の循環(湯張り及び炊きあげ保温の回路)が1つで配管2本、

もう一つは水道水の入りと、給湯の出で計二本。

そして現在有る、減圧用の同圧配管は廃止なのでその分の配管は今回しない。

*いい加減で申し訳ないが一応ぽんち絵を写真でアップ。

 

新たなボイラー設置場所を決め、同時に古いボイラーはそのままにしておいて、新設場所は現在の位置と建物をはさんで反対側にする。

なんで現在位置で交換しないか?というなら、今ボイラーが有る位置は隣家の玄関先。

当然に灯油の燃えた匂いが残るわけで、また動作音が迷惑をかけているのが分かりきっているからだ。

その他に、場所的に狭いし、メンテナンスはやりづらいしと最悪なこともその理由。

建物反対側の方が広いスペースが有る。

 

そんでもって一番時間がかかる、新しい管を床下に通すのだけれど、これは古い鉄管や塩ビ管等を使用せず、曲面に柔軟対応して凍結に強い最新のさや管(ポリエチレン管)で当然クイックコネクタ仕様の物。 

今日はこれの10m物を4ロール買って床下を通した。

 

予め予想はしていたけれど、断熱材付のポリエチレン管は寒さでがち固くなっている上に、狭い床下を4ロールはわせるのは想像以上に大変で、

終わるころには頭からつま先までどろどろ、鼻の穴から口の中、目まで埃で真っ黒という有様。

オマケに配管取り回しているうちに床の断熱材(当時はまだグラスウール)を引っ掻いてウールの粉じん飛ぶし、自分一人で阿鼻叫喚状態。 

ほぼ1時間格闘してやっと床下点検口から出てきた僕を見て娘と息子が笑うけれど、 「あの~ 必死だったんだけれど・・・・」 笑 

 

その後は建物外側両サイドから管を引っ張り、床下のネジ曲がりや弛みを調整、同時に無駄を極力無くすようにして終了。

後は口金やらなにやら取り付けるわけだが、今日はいい加減疲れたので、「このまま風呂に直行でぃ!」 

 

ちなみに、実際の配管は、ぽんち絵と異なって、ただTジョイント付けて接続すりゃ~いいってものではないわけで、それなりに大変。

旧ボイラーの内部構造がよく分からないので、というか新しいボイラーと現在の物ではかけられる水圧がそもそも違うことから、水圧見て減圧&逆止弁を単なる逆止弁に

交換することも必要だし、直配するかも知れないし、当然その時には古いボイラーの配管外さねばならない等、かなり大変。

へたすりゃ古い配管を大々的に造り直すことになるかも知れないわけで、当然の事ながら、これがこうした配管工事の面倒なところだ。

 

 

 

 

 


新品のスマートホン

2011年12月29日 | 研究-教育・育児

少しでも無駄を減らすためにと、いつも僕のお下がりかヤフオクで買った中古白ROM電話しか娘に与えなかった僕。

「子供に不要な贅沢はいらぬ、特に女の子を育てるには絶対の条件。」

 

それが僕の考え方で、何故か?というなら、この先社会に出て結婚すれば、当然に収入少ない旦那の給料で暮らしていかねばならない。

単に、それに耐えられる心を育てるという目的だけだ。

 

時折、我が子かわいさに湯水のごとくお金を注ぎ込み、物質的豊かさに包み込む親が居て、しかしながらそれは唯々、将来娘を不幸にするだけという結果が待ち受ける。

心が豊かである子を育てる事と違い、単に与えるだけで構成される擬似的幸福感というのは、特に思春期気に入る小学校高学年から中学校卒業するくらいまでは猛毒でしか無く、

そうした環境に浸してしまうと高校生になってもそれを親に求め続け、それを親が満たせないと子供が判断すれば体を商品として販売することを容易にする娘となる。

親がお金でわが子の心を見たそうとした姿を、そのまま真似て子供は行動するわけだ。

 

難しいことだが、一番肝心なのはどうやって自分の欲をおさえ、我慢し、それでも自分の気持ちを抑えきれないと判断したときにその子がその力をどうやって正しい方向へ転換することが出来るかだが、そうしたことの事初めは幼い頃からの手伝いによる雑巾絞りから始まる。

真冬の朝に、窓を全開にし、凍るような水で雑巾を洗って絞る、そしてかじかむ手を息で温めながら拭き掃除をする。

まずは親が自ら率先して姿をみせ、そしてそれを娘に強制して手伝わせる。

 自主性なんか関係ない、完全なる強制。 そして子供が可愛そうだからとお湯などを決して使わせてはならない。

 

精神的強さはつねに小さな我慢の繰り返しのさきにあるもので、筋肉と同じように心は鍛えることができるものだからだ。

 

そうした訓練をへて、高校生くらいになって物への感謝と、質素な考え方、しかしながら物質的ではない心を豊かにするノウハウを身につけたとき、初めて良い物を買い与えることができる。

笑い話だが、今も娘の部屋には暖房機は無い、寒ければリビングに来れば良いことであって、勉強するには寒い方が頭に入る。

 

とそんな風に僕は考え育ててきた。

 

話は戻るが、結婚すれば思うようにいかないことの連続だ、経済的な面は特に若い夫婦に重い影を造ることがよくある。

それを耐え抜き、別の面で心豊かに家庭を引っ張る力なければ、家庭は簡単に崩壊する。

 

特に女性に比重が偏りがちな、そうした面での葛藤は当たり前のように上手くこなすことが出来ねばならない。

 

と、そんなわけで今まで来たわけだが、ついにこれまで使っていた娘の携帯電話が壊れ、しばらくは僕のお下がりを使わせていたのだが、それすらおかしくなり始め、「どうするか?」と悩む事になった。

 

中古でも一度買えば最低は2年使わねばならず、しかしながら時代はスマートホンに移りつつあり、とはいえ、ヤフオクに出てくるスマホはまだ高くて悩む。

ところが、たまたま家内が息子のお下がりスマホに換えたところ、他社からの乗り換えだと大きな割引が有ることがわかり。

ここにきて初めて真新しい携帯を娘に買うことにきめた。 ただしこの先当分は買い換えなどしない、し大学卒業まで使って貰わねば困る。

 

さて、そんなこんなで、娘にとっては初めて自分の好きなデザインや性能の携帯電話かスマホが手に入れられるわけで ルンルン状態。

 

でも、約2時間半・・・・・・・

 

うんざりしながら家内と娘をつれてdocomoショップで過ごした僕、真新しいスマートホンを嬉しそうに持っている姿を見ると

僕も嬉しくはなるが、「若い頃の不要な贅沢は将来、不幸になるぞ」と忘れず言葉をかける僕もそこにいたのは間違いない。

 

余談

実はこの他社乗換えに関してだけれど、このところ僕はソフトバンク携帯から身を置き始めている。

理由は簡単で、孫社長のここ最近の行動に目に余る物が有りすぎるからだ。

 

いろいろと問題はあるのだが、例えるなら震災直後に100億寄付すると大嘘をついて、それが終われば商機到来とばかりに太陽光発電で管総理に接近し、しかもその発注先が日本ならまだしも中国とは・・・・

 

これでは儲かるのはソフトバンクと中国だけで、一番活性化せねばならない国内産業に何らメリット無い上に、なんら景気回復の役にも立たず、ただただ資産が海外に流れるだけのこと。

 

日本の事などどうでもよく、中国共産党と韓国だけに良い顔したい民主党の体質をよく知っての接近なのだけど、それ以上に問題なのは、

”自分はこんなに素晴らしい人間”だと虚偽行為で外部宣伝し、正義と環境保護を詠ってさも自分とソフトバンクが優れた会社のように見せている姿。

その実は単なる自分の利益追求だけが目的で、しかもこれが震災という不幸な出来事を逆手にとっての商売なのだから、そこまでして・・・・という気持ちにもなる。

 

現在一つだけ残っているソフトバンク携帯だけれど、今年の五月に二年縛りが消えるので、これもdocomoに換える予定だ。

 


今年もあとわずか

2011年12月29日 | Weblog

今日は12月29日、 早い物で、もう一年が終わろうとしている。

僕に取っての5大出来事なんかを、一応書き出してみようか? 何て思いつつ、もうすでに書き始めているのだけれど (笑)

1番は何だかんだと色々あったけれど、やはり3月11日の東北大地震であることは間違いない。

ただの地震に留まらず、津波や原発の事故等々、現地の人たちはどれくらい苦しんだろう。

関東は?というなら、大騒ぎしたのは輪番停電とガソリンパニック等々。

被災地の大変さに比べればたいしたことは無いけれど、ガソリンなきゃ通勤不可能な僕と家族の面々にとっては長時間ならんででも確保しなければ

ならないものだった。

 

2番 ワールドカップ

17才の青春て、まさか世界で自分の娘がトップ5に入るとは誰が思ったろうか?

男女混合順位で世界第五位、女子では2位という結果は、僕と家内の目を潤ませてくれた。

日本代表チーム唯一の女子でいて、女子としては日本初の参加。

たったひとりで羽田から飛び、スイスまで行って戦って来た。

日本では極端に地味な扱いにされているヨットレースは、ヨーロッパやアメリカでは

扱い方が全く異なり、当然そうした環境で育ってきた子達はレベルが高く、そうした子達相手の戦い。

簡単に勝てないはずで、思い出だけ持って帰ってくれればOkだったのだけれど、おもわぬ付録がついてしまった。 

 

 

3番 孫の誕生

な~んで40代前半で爺ちゃんになるってか? と生まれるまではこの”爺ちゃん”という言葉にかなり抵抗したのだけれど、

いまでは、すっかり自分で自分を「ジイジイ」なんて言ったりして完全に自爆している。 

台風が来襲した日に生まれて、今でも家の豆台風となっている。

しかし、「おじいちゃん」という言葉は、自然に抵抗がなくなって受け入れられる物なのだとわかったけれど、孫のかわいさは半端ではない。

しかしこれは”責任がないから”なのではなくて、訳分からなかった我が子の時と違って先の手順と成長が分かっている経験と余裕が成す技というかなんというか・・・・ ハハ

 

 

4番 家の増築

「こりゃ~て~へんだ!」 と ほぼ5m四方有った庭に有った古い物置を息子とぶっ壊したのが今年の夏、そこに現在建築中の建物は総面積45㎡と

それなりにでかくて、一階が25㎡二階が20㎡ で2x4工法、故に軸組工法の既存建物とエクスパンション介して接合だけれど。

既存建物の総面積が85㎡程度なので合計130㎡になる。

現在のリビングが8畳~10畳程はあるので、接合される一階の新設リビングと合計すると23畳のリビングになる。

当然、こんなにでかいのは不要で、8畳の方は今後室内保管倉庫にする予定。 

ちなみに二階は娘の部屋で、天窓、出窓付の豪華な部屋となっている。

現在工事進行中で躯体工事都外壁及び屋根は終了 後は内装工事残すのみ。

 

5番 ダイエット

夏の健康診断でどういった案配か100の150だなんて血圧指摘され、

あわてて家庭用血圧計を買って計るも 82の128が平均値で一度たりとも100の150なんて出やしない。

なんで? と思うが、ホームセンターのお試しコーナー血圧計で片っ端から計るも、やはり上記の数値は出てこない。

と、これは別に標準範囲だから良いのだけれど、体重が69.5Kgになってしまい。

まあ、普通なら夏にガンガンウインドサーフィンやって落ちる体重が、今年はヨットメインでさらには風吹かず&天候不順その他諸々有まくりで

ほとんど体を動かせず。

これが原因なのか分からないけれど、やっぱり太ったよな~  

そこで開始したダイエット、ウエスト86cmから79へ 体重は69.5から現在63kg、 方法はバカ食いせず腹八分目に食事量を抑えて

後は運動。

現在体調は最高に良い

 

と大きな物はこんなものかな~?

細かい物を合わせると、とんでもなく書くことが多いので、5大? 出来ごとくらいが丁度よいのかな?

 

来年はどんな年になるやら・・・・・ 

 

 


叱るの 基本は 怒り

2011年12月23日 | 研究-教育・育児

子供を叱るということで多くの方達が悩まれています。

子供を叱る際に、冷静さを失った、感情的になってしまった等々。

そして後になってその時の自分の行動に嫌悪感を覚え、後悔し、「次は間違いがないようにしよう」そう心がけ、でも現実には又繰り返してしまう。

叱る事に自分の感情をこめてはいけないと、どこぞの誰かが言っていたから、偉い教育学者が言っていたから、教育評論家の先生がそういっていたから。

「だから自分は間違っているのだ」とですね。

 

しかしながら、これって甚だおかしな事で、人の原点、すなわち本能という数百万年厳しい自然界を生き抜いてきた力に問うなら、

叱るは怒りそのものであり、怒りない叱るは相手に心を届けられない、すなわち怒りを取り除こうとすればするほど、同じ叱るに対して伝わる物は少なくなる

ということです。

怒りを封殺し、冷静になって子を叱ろうとすればするほど、伝えるべき事は歪み、違った方向で伝わり、これでは何度でも同じ事を子供は繰り返す。

 

たいていの人達は、叱るということに対して自分の感情を封殺しようと試みます。

ところが、人がなぜ子を叱るのかという原点に回帰してみると、我が子の行動や言動に不快を覚えるからで。

何故不快を覚えるのかというなら、不快は怒りを引き起こすから。

怒り無ければ不快にならず、不快無ければ叱る事もなく、これが平穏

 

すなわち叱るに際し、怒りの感情を廃しようとすればするほど、根拠は薄れ、純粋な怒りを原点として伝えるべき事が薄まり、意味不明な親のストレスだけが

子供に伝達されていくということです。

 

親が我が子になにがしかを伝えんとする最大の感情表現が 怒り 故にコントロールが難しいわけですが、間違いを犯した我が子に向けて発せられる怒りは

ダイレクトに伝えねばならない物で、そこに不要なストレスがかかると、親はその怒りを自分に向けることになり、それによって自分に向けた怒りにまた自分が怒りを

感じて、最終的には親が自分自身で自分に怒りを向け、限度を超すとそれが子供に注がれていく。

 

生真面目で、一生懸命な母親ほど半虐待的な叱る になってしまうカラクリが此処にあるわけです。

 

行きすぎて叱ってしまうお母さん、ヒステリックになってしまうお母さん達に これを押さえる魔法の方法を教えます。

我が子を叱ることは、そこに問題が有るからで、 だから叱っているわけですから。

叱り始めたら、終わるまでの間、ずっとこの魔法の言葉を唱えて下さい。

とても簡単です、  「進歩しろ-!」と我が子の顔を見ながら、心の中で叫ぶ。

誰でも不思議な感覚を知る事が出来るかと思います、自分自身の本能を呼び起こす一つの方法だからです。


父親とは 男とは

2011年12月21日 | 研究-教育・育児

数日前のことだ。

少し疲れ気味だった僕は早々に就寝。

すると、リビングで大騒ぎが始まった。

「なんだ?なんだ?」と寝ぼけて起きたのだけれど、それが余にも続くので気になって部屋へ行ってみるなら、新米パパの息子が偉く動揺し、娘は孫の名を呼んで泣いている。 さらに家内が盛んに謝っている。

新米ママは、半泣き状態で行きつけの病院に電話しており、とにかく騒然としていて、わけが解らない。

当然、事は孫だろうとそちらを見ると、寝かされながら大泣きしており、 見た目元気だし ????? となるわけだが、そばで様子を見ていた娘に「どうした?」と聞くと、孫の左腕が動かなくなったと更に泣き出した。

「腕が動かない?」 と余計に訳が解らなくなったので、おたおたしている家内に聞くと、

左肩の関節が脱臼したみいとのことで、その原因が首の据わり始めた孫を抱っこしている途中、突然動いた孫がずり落ちそうになったところを”ハッ!” と腕をつかんだ瞬間になったらしい。

急激に泣き始めて左腕がダラントなってしまい、こうした経験が始めての息子は動揺し、そのせいで新米ママもおたおた、その余波くらって娘が泣き出したということらしい。

新米パパとママにしてみれば、子供の怪我は始めての洗礼でもあり、まあ良くある半分パニック状態。

 

やっといきさつが分った僕は、こりゃ「落ち着け」と言葉にしたところで駄目なのは分っており、まずは孫の観察、まがいなりにも訓練で基礎医学を学ばされている自分には一応の手順が解っているので、

孫には多少かわいそうだけれど、まだ脱臼しているのか、それとも亜脱臼? それもと捻挫状態になっているのかを確かめさせてもらった。

まず両肩のバランスを見て、その次に寝かせたまま両腕を色々移動させて、間接状態を見る。

もし外れていたらを考え、寝かせたまま腕を上のほうへ移動させて最後に肩のほうへまで持っていく処置を取り、

その際に旨く戻ったのか?は余にも小さい体なのではっきりしないが、診察した感じではすでに脱臼そのものは収まったようだ。

というか、実際は”脱臼しかかった”というほうが正解だと思う。

しばらく自分で腕を動かせなかったのは痛みからで、大人でも痛ければ動かす人はいない。

まあ、当然の事ながら痛いので大無きするが、徐々に収まるのは解っているので、そばで泣きながら見ていた娘に

「大丈夫だ」、「すぐ直るから心配するな」と一言。

するとそれを境に娘は泣のを止めて、落ち着き始めた。  「このまま朝まで様子を見ろ」と息子夫婦に対して口から出かかったが、

彼らの気持ちと万が一を考えると一応病院で診てもらうのが正しいし、息子夫婦もそのほうが落ち付くのは物事の道理。

 

さて、思いつくいくつかの病院に電話してみた息子夫婦だが、乳児という事と、電話で症状を伝える(殆ど大丈夫と判断するので)

と受け入れてくれる病院が無い。  その間に孫は痛みが消えて来たらしく泣かなくなってきた(当たり前だが子供は本来強い生き物だ)。

 

病院への電話連絡でらちが付かないらしく、救急車を呼ぶと言い出し(本当は消防署に問い合わせれば輪番の病院を教えてくれるのだけれど)呼んでしまった。

ガタガタ騒ぐ家族の状態をみて、「な~にやってるんだ? 脱臼くらいで」と 笑ってしまいたくなるなるような、なんともいえない気持ちになる僕だけれど、そうも言えないので「大丈夫だ」とだけと皆に告げる。

全体が落ち着き始め、後は病院に行って先生の診断受け、大丈夫と笑顔で帰ってくるのが分るので、僕はそのまま寝室に戻って寝てしまった。

ここで僕が動揺して騒げば、更に皆が不安になるからだ。

 

 

翌朝、起きてきた息子に一番初めに言い放った言葉は、「男は簡単に動揺するな、父親が動揺すれば家族全員が際限なく不安になって動揺する」 この一言だ。

これはとても重要だ、子供を持ち家庭を育んでいると、その道筋には幾多の困難や問題が待ち受けている。

想像もしない出来事、問題、事故や病気等々、あらかじめ想定できれば対処の使用もあるだろうにそうする事のできないことが多々ある。

こうした時に父親である男が先頭切って動揺すれば家庭は一気に不安となり、落ち着きをなくす。

動揺が大きければ大きいほど安定性も失われていく。

 

故に、

何時いかなるときも父親は落ち付き、石のように座っていなければ家族は安心することができない。

状況をよく分析し、次に取るべき手、やらねばならぬことを考え、迅速実行できねば、事は揺らぐだけに収まらず、家族が崩壊していく要因にすらなりえる。

一見強固に思える家族の平穏というのは思っているより脆く、それを真ん中でしっかりつなぎとめるのは父親の役割なのだ。

 

結局のところ、一番重要なのは芯の通った強い心と忍耐力、刃を食いしばりながら長時間を耐えきる力で。

これは腕力とは全く無縁、当然の事ながら学歴も何も関係なく、純粋に人間性の問題となるわけだ。

 

とはいえ、新米なりたてのパパにそれを期待するのは到底無理で、親というのは、はじめから親なのではなく、子供を育てながら供に成長していくもの。

ただ、このとき父親への成長の基礎となるのは、子供の頃に受けたあらゆる経験、すなわち友達同士の遊びから始まり、最後は自分を育ててくれた親の姿を学び、それを心の奥底の記憶として留めておくからこそ、父親になっていけるわけだ。

故に母子家庭で育った男の子は、自分が親になるとき本当に大変だと僕は思う。

 

父親は無駄に優しくあってはならず、ましてやおかしな親子平等を唱えたりやら友達親子やらであってはならない、怖くて近寄りがたくて、でも時々オチャメな一面が見え、それでいていざというとき山のように不動で冷静、これが父親であり、本来この国の歴史が育んだ日本の男の姿だ。

ところがやさしい子に育てるのだと言って、現実的に虚弱な心を育ててしまい、褒めて育てる迎合教育で男としても父親としても的確性に欠くやからが今の日本の社会には当たり前となってしまった。

草食系などといわれるタイプはまさにそれそのもので、こうした腑抜けが増えたからこそ、離婚率は上昇し、それどころか結婚をしない若者が増えた。

もっとも、自分が女性の立場であるなら、そんなのと結婚して将来不幸になるのが目に見えている以上、しないほうが良いとなるのは至極当然の事で実によく理解できる。

 

昔、甲斐の国に武田信玄という男がいた、旗印は 風林火山。   とても有名だ。

かれが率いた 武田騎馬隊が実質戦国最強の軍であり、三河流兵法持って逃げ出されて慌てた徳川家康が新しく取り入れたのがこの武田流。 

以降彼は野戦で相次ぐ勝利をおさめ、惨めで敗残ばかりだった人生を転換している。

 

その最大の特徴は本陣が戦場で容易に退かないという特徴。   これが賤ヶ岳の戦いや関が原などでの勝敗の要因であり故に天下をとれたわけだ。

 

 

ところで、この”らしさ”を否定しようとする男連中がいるらしい。

「らしくなければいけないのか?」というところが疑問の出発点で有るらしいのだけれど、僕から言わせてもらうとするなら。

こうした男は結婚して家庭を持とう等とは、初めから考えないほうがよい。

家庭を持つということは父親になるということであり、同時にその基礎である男としての資質を常時問われ続けるものだからだ。

 

 

 


カナダの脱退と温暖化詐欺

2011年12月14日 | Weblog

何度もこのブログに書いていますが、人間の輩出するCO2が原因という地球温暖化は明確な詐欺であることが

この数年の太陽活動、またIPCC内で行われたデータねつ造疑惑やら何やらがドンドン漏れ出してきて世紀の大嘘であることが

完全にバレてしまった。

 

それでも京都会議の牽引役で自ら自爆した日本はいまだぐずぐずしたまままだ温暖化だと言い張っているが。

地球の気温そのものは太陽活動のリズムに合わせて下がったりあがったりするのが当たり前で。

今から800年程前には現在の気候よりはるかに暖かくて温暖、グリーランドで平然と耕作が出来ていた時代があった。

このとき誰が人間の出したCO2で気温が上がったといっただろうか?

 

誰が証明したわけでもない、実験したわけでもない、「多分こうだろう!」これで莫大な違約金をヨーロッパやら後進国に払わされる

事自体がおかしなことだとは思わないだろうか?

 

COP2でカナダが脱退すると騒いで、日本も抜ければ大騒ぎだといっても、彼らは働かずにこの温暖化詐欺で莫大な

補償金がもらえるのだから官製デモだろうがなんだろうがやるのは当たり前。

 

はやくCOPなど抜けたほうがこの国の未来の為だ。

http://japanese.joins.com/article/452/146452.html?servcode=A00§code=A00

 


僕が子供に教えてきた事の片鱗   妬み

2011年12月11日 | 研究-教育・育児

生活をしていると、人は自分の持つあらゆる欲望に気がつくことがあります。

簡単な物なら買い物に行ってこんなカッコいい洋服があった、街を歩いていると最新型の車が止まっている。

僕だと 1400CC の 最新型Kawasaki 何て言うのがそうですね。 (笑) 

それ以外にも、高価でとてもではないが食べられない寿司や高級料理、 でかい土地に大きな家等々。

 

でも、別段そうした物は、そしてそれを持っている人を目にしても特段その人間に「いいな~」と思う程度の感情しかない。

その人間との距離があるからだ。

 

ところが・・・・・・、これが隣の家だったりすると、いきなり激しい嫉妬と妬みを生み出す人間というのがいる。

 

例を上げると、隣の家が真新しい車を買ったりしたとたんにこの行動を始める輩というのがいるわけだ。 

 

次のような事は割とどこでも当たり前のように有ることだと思うのだけど、相手が少しでも自分より良いと妬ましくて妬ましくて収まらないわけで。

新車買った隣人に対して素直に、「格好いい車だな~」と受け入れられず、そうした場合、たいてい妬む人間はその事とは全く関係ないことを引き合いに出しながら、

例えるなら、たまたま車の頭が駐車スペースから少しだけ道路に出ていたり、洗車のために車を多少出していたりしただけで。

公共の場を占拠しているだ、道路が汚れるだ、迷惑だと。   イチャモン付けてきたりする。

まあいうなれば自分は善人でお前は悪人だという、妬みの裏返しの、自分を相手より高い立場に置いて満足するという 擬せい行動を始めるわけで。

 

それでもって自分はどうかというなら、平然と道路に半分車だして洗車したり、供達の自転車がいく台も乱雑に駐めていてもほったらかし、

他にも自分の敷地に植えた木の枝が濛々と生い茂り隣家に伸び放題だろうがまったく気にしない。

 

こういう事っていうのは、割とあるもめ事の発端でもあるある訳だけど。

この場合イチャモン付けられている側が大人であれば、素直にすいませんと対処し、 こうした事がしばらく続いたとしても妬み側はそれにより何度か

優越感を得ていうるうちにだんだんと収まってくる。

ところが、イチャモン付けられている側が大人でないと大変な事になって、感情的になって互いに応酬しはじめると、自体は最悪な方向に進む。 

 

まあ、大抵は妬まれる側は、相手が一度そうした性癖をもっていることが分かると、先回りしてそれに応じた謙虚な行動をして出来る限り穏便に回避する物なのだけれど、

妬む側は自分の愚かさを分からずに、唯々自分の感情のままやっているわけですから、こうした関係は隣人同士という関係が解消され無い以上、ほぼサドンデス状態で、

何か新しい変化があるためにぶり返す。

 

こまるんだよね~ 

 

本当に みっともない事 のなのだけれど、こうした人間は第三者からみても極力不快を感じるわけで、当事者でなくても、妬む人間に対して次第に距離を置くようになる。

次は自分だとハッキリ分かるからだ。

 

こうした人間は会社ではどうなのか? というならほとんど出世とは無縁で、上司から駄目人間扱いされ、同僚から嫌がられ、部下からは嫌われる。

当たり前の事だけれど、こうした人間性は普段の生活にある、あらゆる出来事にも同じ行動を取るわけですから、

同僚が自分より早く昇進した、同じ会社で自分はつらい部署、同僚は楽(に見える)部署だったりと、妬む為のネタならふんだんにあり

特に会社組織ともなればいくらでもある。

 

この”人を妬む”という、人として 最も愚かで醜い気持ち” というを僕はほとんど持ったことが無い。

もちろん僕も人間ですから、幼い頃は立派に有ったとは思うが・・・・・

 

これは僕の親が僕自身をそう育ててくれたおかげであるのですが、物事をどうとらえ、どう明日の自分に対する糧に出来るということだと思う。

 

例えると、友達がフェラーリを持っていたとする、他にも知り合いが大型キャンピングカーを持っていたりする。

当然自分の持っている軽自動車やBクラスキャンパーでは差が有りすぎ、話にならない。

 

でも、僕には妬みというのが全く沸かない、それどころが素直にその差を認め、なおかつ積極的に話をして、どうやったら同じ事が出来るのか

どう努力したらなしえるのかを笑顔と軽いトーク、そしてどんな人なのかを学ばせて貰いながら、今の自分に持っていない何かを気づかせて

もらうようにしてる。

 

なぜなら、結局今存在している差は、僕の生き方とその人の生きたかの差にあり、差が有るのならその人のどこに優れた面があり、

どうすれば自分もそうした人間に近くなれるかを勉強させてもわうわけだ。

 

他にもそうした何かを成すために自分と場合により家族をギセイにしているのが分かったりする事もある(*この場合、学ぶ物は無いが)

 

人は生まれながらにその持ち有る能力に大差はない、差が有るとするなら、その差の分だけ相手の何かが優れているわけで、その違いを

よく研究しその差分を埋める努力をすれば、時間はかかろうとも必ずその立場になれるわけだ。

 

自分の中にある足らない部分を、優れた人から学びつつ、欠点を次々埋めていく事で自分を進歩させる。   これが僕の考え方だ。

 

妬んでも、何の進歩はなく、ただひたすら惨めなだけだということ。

 

そうしてこれまで生きてきた僕だけれど、この考え方は息子と娘を育てていく過程でしつこいほど繰り返して教えて受け継がせている。

息子の方は一時期こうした自分を厳しく制御せねばならない考え方を親の価値観の押しつけとして捕えた時もあったけれど(反抗期)、

今はしっかり理解をしてくれているようだ。

 

娘はほとんど抵抗もなく素直なこともあって、ほぼダイレクトに受け継いでいるので、その結果が今年の夏のワールドカップの結果だと思う。

 

何にせよ、妬み性の性分が直らない親に育てられてしまった子供は可愛そうだ。  いくら優れた能力があろうとも、どんなに高学歴であろうとも

人としての学習がほとんど出来ない以上、人間性に向上はないからだ。

優れた進歩のノウハウを得られず、余計なことに余計なエネルギーを消費するだけでそこから先には歩めない。

 

社会に出て、人を妬む人間、差を進歩に生かせる人間、未来にどんな差が出てくるかは誰にでも分かる事だと僕は思う。

 

 


大東亜戦争 (有色人種、植民地化&奴隷化からの解放戦争)

2011年12月08日 | Weblog

真珠湾-12月8日を記憶せよ(HD高画質ver)

*少し行き過ぎと、賛美が入っているのでアップしようか迷いましたが、一応動画を載せました

 

こちらの方がしっかりしています。 

大東亜戦争【不屈の武士道精神】

 

日本に対する世界の評価 (賞讃)  アジア諸国は親日だった

 

 

「どうやって直したんだ?」と、ノックもせずにドヤドヤと部屋に入り込んで来て、いきなりの質問。

「何もしていないさ、魔法だよ!」と冗談交じりに答えると、てんで勝手に話し始めて大笑いする彼ら。

 

「まったく・・・・・」    いつものことだ

 

僕はニコニコして、ただそんな彼らの姿を見つめる。

 

そういえば、今日は太平洋戦争が80年前に始まった日。

彼らのお爺さん、いやその一つ前の曾爺さんと、僕のすでに他界した爺ちゃんは太平洋を挟んで大きな戦いをした。

 

戦争に対して美化する気持ちもなく、ファシズム的思考が皆無な僕には、当時の日本が追い詰められた世界的状況と、あえて負ける戦争を始めた日本人の心というものを

幾分かは理解できていると思っている。

西から徐々に植民地化され、その矛先はついに日本を取り巻くように迫り、白人こそが最も優れ、故に有色人種は奴隷として搾取されていくのが当然なのだ。

そういった当時の常識に真っ向から立ち向かったのは、アジアの中でただ一つ、日本という国だけだった。

 

他のアジア諸国はただただ恐れ、 ヨーロッパの国々にひれ伏すのみ、という絶対的現実

技術力、工業力、資源、そのどれもがまだ未熟で、当時の経済力差で100対3という圧倒的不利を承知のうえでアメリカ率いる世界に戦いを挑んだ日本。

結果は当然といえる敗戦。

しかしながら、それがアジア各国の独立を生み、技術差で負けた日本はそれを精鋭化して工業製品とし、経済という平和な方法で世界と戦いをして勝ち続けてきた。

軍事的な戦いにこそ負けはしたが、この大戦で白人が絶対人種で無い事ははっきりと証明され、植民地支配という世界的常識は完全に崩壊した。

 

日本は戦争で負け、しかしながら最終的にそれによって世界を変えることに成功したと思っている。

いうなれば負けた姿こそ見せたが、実質的な勝者でもあるわけだ。

 

 

人懐っこい笑顔で「今日こそは俺達と昼に焼肉を食いに行こう!」と、やたら誘ってくる彼ら。

僕の息子と殆ど同じ年令の彼らだけれど、そのでかい体に似つかずみんな可愛い弟子みたいなものだ。

「弁当あるから」と穏便に答えると、「オーノー!」とまた皆で騒ぎだすわけだが、こんな関係も80年前の出来事があったからこそのものだ、と命を

燃やして戦ってくれた英霊達に心の中で感謝する。

 

二つの経済大国が友に手を取り、この先の未来、平和の為に力を合わせていけるのなら、

再度この国に悲劇は訪れないだろう。

 

少なくとも一度あれば、もう十分すぎるほど勉強できたはずなのだから。

 

 

 

 


僕の持っている工具達 その3   マキタ電子マルノコ  5710C

2011年12月08日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

今日紹介するのは僕の持っているマルノコの最後の一台。 

マキタ製の電子マルノコ 5710Cです。

定価で4万5千円くらい、売り出しで3万程度で。

当然、僕には新品なんか買えません。 (笑)

となれば当然Yahoo!のオークションで中古品を購入するわけですが、割と良品を約1万2千で手にすることが出来ました。

 

まず使って驚いたのはその静粛性、でかいですから日立のバッテリーマルノコ見たな静かさは有りませんが。

ボロのリョービの5分の1程度の騒音。    お~ ぱちぱちぱち!

圧倒的に静かです

またパワーが十分にあり、かといって危険性を感じさせるほどバカ力が有る訳ではない。

マルノコはパワーがありさえすれば良いというものではなく、材料に嚙んだ場合など適度に回転が止ってくれないと

跳ね返りの力でマルノコが吹っ飛び、足を怪我したり腕を痛めたりするのですね。

 

電子マルノコなのでソフトスタートがかかる上に回転数が定回転なので取り扱い性がよく、スパスパと切れるので

使うと気持ちが良い。 

 

この電子マルノコの性能を最大に発揮させるのは、回転刃で、レーザーカットチップソーという防振静粛性に優れた

刃を使う必要があり、これと組み合わせると異常な程切れるし静かだし、カット面が綺麗に仕上がる。

 

*刃の表面にS字状で刻まれているスリットに樹脂が組み合わさり防振と静穏製をもたせているわけです。

 

マルノコ全体の精度が高い為、1mm厚の薄板カットなんていうのも出来るし、本当に頼もしいのですが、

このマルノコは角度カットも出来るので、必要とする角度に設定可能で、実際綺麗に切れる。

ジグソー何ぞでカット角度変えられるのも有るが、大抵はカット中に刃が弓なりにゆがんでまともな切り口を

望むことは不可能だけど、これだと可能だ。

切りくずがびっしり張り付いているために見えませんが、黒いノブのところが角度決める部分で

大まかな角田が刻み込まれているのですが見えないな~。

 

このマルノコにはバッテリーマルノコと同様に切りくずを吸い込んで後ろに吐き出してくれる機能が付いていて、

黄色い矢印部分から吐き出してくれるので、常にカットするラインが見えることから綺麗なカットが出来る。

 

重量はさほどではなく、バッテリーマルノコと余り変わらない、バランスがよく使いやすいので、実際に

使用中に重さを感じることは無いのが嬉しい。

 

電子マルノコなので? やはりというか、カット部分を明るく照らしてくれる、LED照明が取り付けられており、

写真では見づらいのですが、カット部分を照らしてくれるので多少見えずらい線でもカット可能です。

 

刃の出は65mmくらいで、普通の作業ではなんら不満を感じさせないし、黒い防護カバーのところに

フレームとリンクしてどのくらい刃が出ているかおおよそで解る様になっており、メジャーなどでいちいち

測って調整する必要が無いので便利だ。

実はこの出幅調整がやたらと便利で、マルノコは常にカットするだけではなく、薄く切り込んでノミで飛ばしたり

するときや、材料に貼り付けた合板の、合板だけカットしたいときなど、やたらと使える。

 

まあ、価格が価格ゆえに一応はセミプロ様という位置付けるにあるマルノコだとは思うが、

これが家に着てから他のジグソーやら古いマルノコの出番は全く無くなってしまった。

 

性能というのはそこまで重要なものなのだと、思わされる一台です。

マキタ 165ミリ電子マルノコ 5732CW(白)
 
マキタ

 

取り扱い説明

http://www.makita.co.jp/product/files/882348B0_90727.pdf

 

 


僕が子供に教えてきた事の片鱗  レジにて

2011年12月06日 | 研究-教育・育児

子供を育てるって? いったい何をして、何を施して、どう育てていくか?

現実的、かつ具体的な方法は存在しない。

 

学校の成績なんぞはどうでもよい僕にとって、子供には 人としてどう有るべきか? 人格こそが子供を豊かな未来へ導くと信じて子供を育ててきたけれど。

多々ある自分の何気ない行動は、知らず知らずのうちに子供の体に染み込んでいることが時々見える。

 

親の背中とは? 特に父親の姿は、子供にとっては社会を見通す窓のようなもので、

愛情は母親、社会性は父親から、それが現実的男と女、そして夫婦が自然に担う業だ。

 

そんな中で気が付いたことをいくつか紹介していきたい。

今日はそのひとつ

 

 

時折、日曜大工に返信する僕は、大量の材料をホームセンター等で買い込むことがある。

特に長さの異なる木材など各種取り混ぜて、台車に載せてレジへ足を運べば、バーコードの無いそうした品々は

商品のバーコードを記録したクリアファイルなどに集められたブックのバーコードをスキャンさせるか、同時にレジの人は材料の長さなどを確かめて値段をスキャンするかして直接打ち込む。

故に本数を数えることからはじまり、どうしても時間がかかる。

当たり前の事だけれど、長い材木になればレジでいちいちメジャーを使って長さをはかり幅などをそのファイルに照合し、とうぜん、後ろに人が並ぶ。

 

そうした人たちの手を見れば、防水テープ一本、 木工ボンド1本、 軽い工作用木材数本なんていうことが多々ある。

こうした時僕はどうするか?

 

答えはとても簡単だ。 レジの途中で区切りを入れさせ、後ろに並んだそうした人たちのレジを先に通す。

今のレジ機は利口で、清算途中の結果を一度退避させ、後ろの人の清算を当然の様にすることができる。

だからだ。

 

こうしたことは特段珍しいものではなく、気が付けばやっている行動の一つ。

先にレジを通った人たちはみな「有難うございます」といってくれる。

 

何も言わずに通る人もいる。  その両方に「こちらこそ」と心で呼びかけている。

 

なぜこうしたことをするか?というなら、人は生きいている限り、自分の時間は自分だけ物でありながら、同時にパブリックなものでも有るからだ。

どうしても時間が無い場合は、そもそも、大量に物は買わに、必要最低限のものだけで済ます。

それが早いからだ。

 

人は生きている以上、絶対に他人との関わりを絶やすことは出来ない、自分が存在しているのは、自分だけが存在できるからではなく、

知らない間に数多くの人たちが共有しあう時間というものが有るからこそのもので、

そうであるなら、レジを何度も中断して先に後の人を通すことで減る自分の時間は、いうなれば社会に還元しているわけで、

これが偉いわけではなく、美しい行為でもなく、知らない間に多くの人たちからもらっている時を返しているだけの事だ。

又、人として至極当たり前の事だと思っているから。

 

そんな当然の事に対して、「ありがとう!」といってくれる人、特にその言葉に感謝するけれど、

 

こうした姿勢を娘も息子も見ながら成長してきた、社会に貢献するとは、莫大な寄付をすることではなく、お金をばら撒くことではない。

日常のほんの些細な一時の中にある。

 

人と人は、ちいさな気持ちのふれあいの中に幸せを感じる、それが互いに積み重って日常に溢れかえれば幸せという事であり、なくすほど心がすさむ。

 

子供達は理解してくれているようだ。

 

 

 

 


森高千里  風に吹かれて

2011年12月05日 | 僕という人間 その他

森高千里  風に吹かれて

 

 

 

澄み切った空をみていると、汚れた自分が洗われていく。

同時に、そんな自分に嫌気も感じる。

春の暖かい光、夏の刺すような日差し、秋の満たされる輝き、そして心が洗われる冬の空。

人はいつでも時間を遡れる、少なくとも心がピュアなうちは・・・・

 

そうした純粋さを失わないように時を消費し、時を積み重ねるけれど、

いったい自分は何者なのだろうか?

そう思うことが有る。

 

今の自分が本当の自分なのか?

本当は別の自分がいて、いまの自分は常に嘘をついていて、

そう思うと、何故か目頭が熱くなる。

 

どんなに頑張っても、どんなに誠実でも、限界は限りなく近く、指を伸ばしさえすれば

触れられる現実が無性に悔しい。

 

そんな自分の歩む道を振り返りながら、「もっと可能性が有るのだと」、

勝手に自分を信じながら明日を生きて行こうとする自分もそこにいる。

 

どれだけ自分に図々しいのだろう?        「僕は・・・」

 

木枯らしに身を任せ、空を見上げれば、

星達はいつもと同じ様に笑いかけてくれ、月明かりの光は心の矛盾を照らし出す。

 

太陽が七色の虹を煌めかせ、月が夢想的で純白の虹を海の彼方に渡すよう

 

自分は素直でありたい、少なくともこの星を覆う海の輝きのように。

 

詩 翔.I


脚立でひっくり返った

2011年12月03日 | Weblog

雨も上がり庭で脚立を使った作業をしていたところ。

ひっくり返りました 爆笑 

 

「なにをやっているんかね~?」と自分で笑ってしまうわけですが。

午前中、バカみたいに降った雨のせいで庭が完全グズグズ状態。

嫌な予感はしていたのですが、このときは材料もって体ねじ曲げるようにしてやる作業で、たまたま地面に開いていた穴に柔らかい土が重なったところに脚立の足一本が

架かっていた。

乗る時はそちらに力が余り加わらないので「そりゃ!」と乗れたのだけれど、上に立って作業し始めたら穴の所にズボッと入り込みそのまま後ろにひっくり返った。

 

「あひょ~!」 と言う感じでドカン 

脚立つの高さは1.2m位と、たいしたことは無く、更にグズグズの地面のおかげで背中が泥だらけになっただけで済んだ。

 

運が良いのか?悪いのか?  もしコンクリートなら背中ヤバカッタな~ 

しかしなんでこうも雨が多いんだろうか?今年は。

 

ここに来て太陽活動が正常化し、2008年夏に起きた悪夢のこくてん0個状態は、その後グズグズ燃焼する太陽と供に今年の春頃まで続いた。

まあ、これによって人間の排出する炭酸ガスが原因と騒がれた地球温暖化が単なるねつ造話であり、大嘘だというのがバレテしまった。

カナダは調査の結果、温暖化というのが完全に太陽活動影響をうけた自然のサイクルの一つで人間の活動とは何の関係もないことが分かってしまった事から

COPより脱退するとのこと。

なんで人間が原因で地球は温暖化している、というサギ話が出てきたかというなら、いまの欧州共同体すなわちEUの財政状態を見れば分かる事。

これはもう何年も前からこのBLOGにて書いているのだけれど、炭酸ガスの排出量取引の基点は日本が工業化しはじめた時点にぴたりと合わせられている。

その時すでに欧州は産業が発達し、一番出遅れた日本がまんま搾取の対象とされたわけで、温暖化というのがサギだと分かりきっているアメリカは参加する

つもりなど無いし、中国にいたっては協調性をちらつかせて、遙か先まで延命はかり、そのときがくれば反故にするつもりなのが見え見えだ。

このとき軍事大国になっているであろうこの国に従うことを言える国はアメリカだけしかないが・・・・。

 

地球温暖化という問題は、経済危機が到来する欧州に対し、いかにお金を合法的に貢がせるかという地球的規模のサギであり、太陽活動が弱体化した

事でカラクリがバレなければ、僕たちの世代、そして子供や孫の世代と未来永劫何の根拠もない支払いをさせられるという恐ろしい話だった。

排出量取引だと抜かして、空気の売り買いをさせ、それは日本の国が経済的に衰退することが有ろうが何だろうが、悪代官の年貢の取り立てのようにやってくる。

 

何にも考えないお馬鹿なこの国は京都会議でまんまと乗せられて船頭役を買って出るという見事な自爆をやらかした。

世界規模での経済取引をするには、膨大な調査と充実したデータを基に慎重に判断しなければならないはず。

それをろくに考えもせずにお祭り気分でサインした愚かさは、アメリカのような慎重さとカナダのような勇気とは全く異質の物で、

いったい何を考えているのか? と言いたくなるのだが、脚立つでひっくり返っている僕が、なにがし言える話でもね~か? 爆笑