人って、何かしら、”自分を構成している原点”という様な物があるよね。
例えると、性格を構成する大きな要素だったり、 今している仕事に向かって歩んで来た切っ掛けだったり。
細かくみると際限なく広がっていく物だけど、 代表的な物?をあげてくれないか?なんて言われると、
いくつかは簡単に紹介できる。
僕の場合の、その一つがラジオキット。
小学低学年の頃だったかな~ どうやって手に入れたのか?は今でも良く解らないのだけど、 科学という当時の学習雑誌があり、それのおまけ?いや実験教材として付いてきた。
幼少期より、家のテレビの修理に来たサービスマンが、図面広げて修理していて、テスターとか使っている姿に
格好良さを感じていて、それ故、 テレビが故障すると、何故か喜んだり?していたのも僕。 てへへ
今みたいな半導体の塊とは違い、当時は真空管なんかを使っていたので、球が駄目になると写らなくなったりするわけだが、 テレビの後ろにある排熱光からボ~ット見える、フィラメント、そして、ブラウン管に映し出される画像とのつながりが当時は全く理解できず、
何とも言えない不思議な気持ちで居たのは、明確に覚えている。
そんな僕にとって、科学雑誌のラジオキットというのは、とにかく光り輝く物で、箱を開けて中身を取り出したときは、心臓バクバク(笑)
*日本ラジオ博物館より 画像を拝借しております。
https://japanradio-museum.note.jp/
学校で習ったことは、”その日のうちに綺麗さっぱりと忘れる”僕ですけど、
当時の記憶と、 キットを組み上げた時の思い出は今でも鮮明に覚えていて、懐かしい~な~
箱を開けると、 まずはコイルの組み上げから開始。
木の枝みたいに等間隔で何本も出ているところに、エナメル線を互い違いに巻いていって造るのが受信コイル。
本体のベースはプラスチック製の台座見たな物で、 その上にダイオードが乗り、 手前にチューニング用のキャパシター(日本ではコンデンサーといいます)が載り、
まあ、バリコンなのですが、これはアルミの薄い板に透明の皮膜をコーティング(いや張り付けてあったかな?)した物がベース。
その上にアルミのほぼ同じサイズの板をピタリと載せて、それをスライドさせることで値を変えていた。
まあ、キャパシタンス調整をそれでやる事で、共振周波数を可変して、受信できる放送局を選択出来るという仕組みなんです。
殆どの配線はエナメル線で、 線に薄い絶縁皮膜があるので、 キットに付いてきた、小さな紙やすりでそれを擦り落とし、配線は手でネジって接続して、セロテープで絶縁した。
この絶縁の擦り落としが不十分だったり、 配線をネジって接続するのが適当だったりすると、当然音は出ない。
電池も電気も使わずに聞けるという構造から、最終段階の電気から物理的振動(音)への変換は、 ロッシエル塩の結晶をつかったクリスタルイヤホン。
https://yagi-lab.memo.wiki/d/%A5%ED%A5%C3%A5%B7%A5%A7%A5%EB%B1%F6%A4%CE%C5%C5%B5%A4%B2%BB%B6%C1%C5%AA%B1%FE%CD%D1%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6
まあ、目では見えない電界は自分たちの廻りを常に満たしていて、
その中から、必要な電波の周波数を、手巻きのコイルとアルミ板のバリコンという、粗末で極めて簡素、で有りながらもきちんと工学的に成り立つ回路にて選局が出来た。
https://www.rf-world.jp/dls/fujihira/pdf/Fujihira-radio-s01a.pdf
そのままだと高周波なので、それをゲルマニウムダイオードにて検波し、DCへと変換。
ダイオードの最低稼働電圧は当時 0.3V程度で、各部のロスを考えると、マグネティックイヤホンを稼働させるほどの電力は無いことから、クリスタルイヤホンだったんです。
心臓をバクバクさせながら、イヤホンを耳に挿し、 初めて向こうから聞こえてきた小さな音。
原理上、アンテナがあれば、接地をさせることで、安定と効率が格段に良くなり音は大きくなるでのすが、そんなことしなくても聞こえてくる音楽や人の声、CMや時報の音。
どういった原理でそうやって動くのか?は、 雑誌の中に書かれていたけどね、 6年生向けの記事を
低学年の僕が読み込むことは出来なくて、ただ、ひたすら嬉しかったことは今でもそのまま心の底に残っている。
この出来事が切っ掛けで、 自分は将来電気の道に進むのだと決め、 それが今の自分の仕事にも繋がっている。
自分は高校卒で、 大学付属の電気科に進み、 その3年間はとにかく楽しかったのを覚えている。
高校卒業後は小さな会社に入社し、 某大会社の下請けのその下請けとして出向。
そこで、 10年間にわたり、あらゆる工業技術の大半を学びつつ、同時に沢山の経験を積みかさね、それを資産にしてこれまで生きて来た。
その後は法律の勉強を5年間したな~ ウン
知識と実経験が深く、多くなるほど、上司も会社も誰一人指図をしなくなり、なんでも自分のやりやすいように出来て、すり減ることも無く、何時も心穏やかでここまで来れたのは、 元を正せばこのラジオキットとのふれあいがあったからこそ、
と、僕は思っている。