ここにきて、自分は未熟だなーと思います。
自分の思いを依然として相手に伝えることができません。
若いときには何かいえば必ず相手に伝わっていると思ってましたが、
年をとるにつれて、力の限界をひしひしと思い知るわけです。
私の場合、相手を説得するような場合、すべてこれ戦国時代に活躍したかずかずの先人たちの
手法のなかより、その状況に適したものを選びだして展開をしています。
ですから、相手が強固であれば、2年でも3年でも年月をかけます。
さまざまな手法をこらし、内部および外部の反応を見定めながら数ヶ月先、数年先を
見定めて取り囲むようにして説得していきます。
けして邪心などなく、きちんと自分の思いを伝えるためにそういった手法を用いるわけですが。
なんかひきようなことをしているのではないだろうか?と思うことも、やはり有ります。
ただディベートのような方法は私の最も嫌うことで、そんな小手先のことをしたところで、
あいてがよく考えればすぐにわかってしまう、きわめて相手を馬鹿にした方法だからです。
若いときのように何も恐れず、自分の考えを堂々と話していたころのほうが自分らしかったのでは、
と思う今日この頃です。
元々こうした方法を得ることになったきっかけは小学校の時にいじめられたことでした。
そのころの私はとにかく父親に似て話が下手、清くまっすぐな父親の姿は今の私の手本では
ありますが、同時に話すことにおいての不得手まで私に来てしまいました。
中学に入り、心理学の本やら、読心術のほんなどよみましたが、結局のところ表現力というものが
最終的に相手を動かすのだと思ったのが就職してからの事です。
歴史小説をふと手にしたことが今の私の始まりで、それからさまざまな資料や書籍から知識を得、
今の自分がいます。
不思議なのは、こうした歴史上にとられた先人の手法がアメリカ人にも通用することです。
私が肌の色、国、風習にとらわれることがないのはこの変にあります。
、日本人だろうが外国人だろうがまったく同じ人間で差などはありません。
然るにそこに違いが生じるのはやはり教育というものが大きいのではないかと
私は思うのです。
その教育が完全に崩壊した今の日本、このさきどうなっていくのでしょうか・・・・