今日は有給を申請していて、休みのはずが、出勤。
やんでなんかいられません、肝心な部分がおかしくなっており、
直さねばなら無いからです。
昼食後くらいには原因がほぼ判明。
私の職場の側ではなく、相手の側で、セッテイングをおかしくしていたための問題でした。
まだ100%わかったわけでは有りませんが、間違いないでしょう。
ところで、今日は少し時間があったので、ジャンクパソコンを修理しましたが、
途中で配線を間違えて、ボワッと煙が・・・・・・・
終わりました。
このところ、2500円と6500円でジャンク市で手に入れたノートパソコンの修理に続けて成功しており、油断していました。
あー技術者としては、まだまだ青二才ですねー
今日はクリスマスの振り替え休日で休みです。
のはずが仕事になってしましました。
というのは、先日ジャンクで手に入れたパソコンをばらして修理するために職場に行くと、なんか空気が・・・・・・
案の定トラブルが起きていました。
修理どころじゃなく、そのあとずっと原因探し。
結局わからずじまいで終わってしまいました。
今日、元教え子で、とても優秀だったW(名前を書けません)が来ました。
私の前に来ると、直立不動の姿勢のまま敬礼をし、「来月イラクへ行きます」と大きな声で告げてきました。
少しおっちょこちょいで、よくしゃべり、よく失敗するやつでしたが、彼は同僚の仲では飛びぬけて早く出世しました。
専制君主体制から、完璧な民主体制まで後ひとつのところまで来ているイラクは、いまもってテロが多発している国でもあります。
司令部だから大丈夫ですと笑う彼の笑顔の中に、別れの寂しさを感じます。
4ヶ月の赴任のあと、もうこの国へは戻りません。
世界中に広がるどこに転勤になるのかは機密であり、私が知る由はありません。
「頼むから命だけは失うな」と一言。
「イエッ、サー!」と再び言います。
力を入れて教え、トレーニングしても優秀なやつほど転勤していなくなっていきます。
なんのためにやっているのだろうか?
と考えると悲しい気持ちになるので、出来るだけ考えないようにします。
ピヨピヨと鳴く新人をぞろぞろと連れて現れ、簡単な説明をしながら受け渡して行きます。
ひよこ達は私を見ると目をそらしてまっすぐに見ようとしません。
ははあ、また何か吹き込んだな?と思いつつ。
未知との遭遇状態で固まった顔を一人一人見渡しながら。
一番でかいやつを見ながら、バットが必要だな・・・・・・
なんて思う私です。
非行と無気力という相反する状態だった息子も、高校2年生。
この子と、揉める様な事は、最近一度も有りません。
すっかり大人になった息子を見るたび、この先私にもしものことが何かあったとて、家の大黒柱として家内と娘を支えていけるだろうと思います。
自分の経験から、学力より、人間性が最大の武器である世の中において、礼儀から始まり、目上、目下の者と何ら問題なくやっていけるであろう。
そう、私が感じられるまで成長した姿をみていると、ほっとすると同時に、寂しさも感じます。
息子も娘も、とにかく私からビンタをもらいながら育ちました。
何が原因で非行に走っていたのか?、と聞いても「何でだかわからない?」という答えしか出てこない息子をみていると。
反抗期に絡む跳ね返り行動は避け得ない物であるが、親がを前にして逃げることなく接することは、なに物にも替えることが出来ないほど大切な物なのだと今更ながらに思うのです。
私が家において、子育てという面について、その主権を家内から取り戻したのは、息子が中学3年の時でした。
家と子供たちを再生する?、その一つの方針としての優れた人達の中で揉ませる強制は、私の考えていた以上に多くの勉強を息子にもたらしてくれました。
そして今、娘はすべて私の主導の元に育っています。
何回ビンタしたのだろう・・・・・・たくさんの体罰の元で、娘は元気に過ごしています
七面鳥のことです。
若い衆に七面鳥の漢字の意味を聞かれ、七つの顔を持つ鳥だと答えたことがあります。
案の定、面を食らって黙ってました。
七面鳥を食べる食習慣は日本にはありません、しかしながら七面鳥という名前は有ります。
なにが七面なのか私もさっぱりわかりませんが。
たぶん、この食べ物の堂々とした姿が、昔の日本人には信じられないほど、豊かな象徴でも有ったのでしょう。
半分アメリカ人の私には珍しい物ではありませんが、24日には4時間から6時間という長い時間をかけて焼き上げます。
冷凍で来た物を、4日かけて解凍しますので、食べるまではかなり時間のかかる食べ物ではあります。
家の家庭では、こんがりと焼き上がった七面鳥は父親のシンボルでもあります。
火加減が難しく、非常に手のかかる食べ物ではありますが。
子供達の心の思い出として、ほんのわずかに残る親の姿であることを祈りつつ、今年も焼きます。
失敗したらどうしょう・・・・・・
映画を見てから3日経ちました、もう一度みたいと思っていたのですが、
昨晩、家内との話しているときに、「もう一度みたいなー」と思わず言ったところ、家内も「私も見たい」というではありませんか。
私と家内の両方で、もう一度見たいなんていうことがなかったものですから、自分たちで驚いてしまいました。
よい映画です。
そういえば、うちの娘は5時おきして何かしています。
何をしているのかと思えば、学校でやってる版画の作品を仕上げています。
コンクールに行くのだと頑張っています。
いけるか行けないかは分りませんが、何をするのも積極的で、よくやります。
やがては訪れるであろう反抗期、どのように成長していくのかは分りませんが、「人としてまっすぐにあり続けよ」と願うのです。
夜、トイレに行ったところ、トイレが清掃されて、ピカピカになっていました。 あれ?と思い聞いてみると、娘が掃除したそうな。
そういえば、お茶汲みが差別だと問題になったという話を何度か
耳にしたことがあります。
このことについては、私は女性がお茶を汲むことに差別的なものを
持ち込むことに違和感を覚えています。
というのは、お茶を汲むことは非常に高度な事と、私は捉えているからです。
私の若い時代は、職場に女性はいませんでした。
そのため、それに類する仕事はもっぱらぺいぺいである私の仕事でもありました。
正直、初めはその仕事がいやでしたが、やがて、そこにさまざまな工夫があることに気がつきはじめました。
まあ、お茶ではなくほとんどがコーヒーだったのですが。
同じ作るにしても、粉の種類、入れ加減、温度、時間など、さまざまな工夫があり、それにより、普通の豆でさえも、うまく入れることが出来れば、
かなりの味になることなども繰り返すうちに学びました。
また、メーカーや、砂糖などのあるところを含めて、その周りを常に衛生的に保つことに面白さを見出し、誰もが安心して、かつ気持ちよくコーヒーを楽しめるように、工夫もこらしました。
言葉になど出すことがない、男所帯であっても、感謝されていることは空気で読むことは出来ました。
単にお茶を入れるというだけのことですが、それをバカバカしいものだとみなす姿勢は、その人間がいかに鈍感で愚で有るということを自分でさらすのと同じ事です。
差別ととる姿勢は、自分勝手な理屈しか通さない姿勢をあらわしてもいます。
お茶をいれること、その小さなことが、どれだけ重要ことかが分らない人間に、部下を使う能力など有りはしません。
部下の仕事を自分で勝手にランク付けするからです。
あの豊臣秀吉が、なぜ天下人となれたのだろうか?
彼が、単なるお茶汲みをなぜ芸術にまで育て上げたのか?
普段何気なくしていることの中にどれだけ心豊になれることが含まれているか?ということを悟るのは大切な事なのです。
黙ってトイレをきれいにした娘の、心の中はどのような気持ちで満たされていたのかを、覗いてみたい気持ちになる私でした。
レイトショーで見てきました。
感想は?と聞かれて、一言で言うなら、「最高にすばらしかった」という言葉を使わせていただきます。
正直、2時間半という短い時間で、長いストーリーをどこまでまとめて映画化出来るのだろうか?という懸念は有りました。
亡国のイージス、ローレライは的外れな映画(駄作?、単に娯楽作品とだけ考えてみればまあまあです)でしたが、今回は事実を基にして映画を作製しているだけあって矛盾点も無く、よい作品でした。
家内は映画の中で描かれている若い水平(年齢にして15歳から19歳くらい)と息子をダブらせてしまい、途中からずっと泣いていました。
私もたまらなくなるので、考えないようにしながら見ました。
映画館には、若い人より、私と同じくらいの年齢層の人たちが多く、夫婦で来ている人たちはみんな私達夫婦と同じだったようです。
ストーリーを語るような野暮なことはしませんが、この少年達の心の動きと現実を映画は追いかけています。
若くて弾んだ目ではじめてみる巨大な大和、厳しい訓練、親や恋人、初めての戦場と現実、やがて知る最後のとき、別れ。
最後の戦い、そして終焉。
この映画は、学校で教育教材として使える可能性を感じています。
今の若者と昔の若者との違いを伝え、今の若者がどれだけ恵まれているのかを悟らせ、また戦争の悲劇を現実の形として伝えるのに適した映画だと思います。
これから見られる方は、最後のエンディングの曲が終わるまで席を立たないで見てくださいね。 心に訴えるものがあるはずです。
今日は朝から来た風が吹きまくっています。
こんな日はウインドにでも行ってる、とこのHPを見ている人はおもうでしょう・・・・・・ふっふっふ・・・・・・
「寒いからイヤダー!!!!!!!!」とだけ言わせていただきます。
さすがにここまで寒くなると私はウインドに行きません。
また行きたくても、この風に適合するセイルを私は持っていません。
6.0が一番小さいセイルで、今日は4.2くらいがベストだとおもいます。
6.0で出てもよいのですが、そのまま帰って来れなくなります、軟弱な私はめげました。
スクール生みたいな忍耐力もありませんので・・・・・・。
今年のウインドは終わりでね、来年は4月位からでしょうか。
時折真冬でも乗る人がいますが、正直すごいことです。
この季節の寒さは、とにかく表現出来ないほどで、下手すれば肺炎にもなりかねません。 夏の後半から車をぶつけられたり、なかなか直らなかったり、直ったは良いが、週末になるたびに無風のマッタリ天気。
天は私に乗るなと言ってたのでしょうか?
そんなわけで、今日は年末でもあり、家の外回り清掃をしました。
二階の窓とサッシ、雨戸をすべてはずし、綺麗になるまで洗い流していきます。
水が頭からかぶるために、軍用ジャケットを着込みますが、足は長靴ではなくサンダルのままです。
うほー!というほど冷たい水をかけながら、一年の汚れを落としてきます。
途中昼食をはさみ、午後から再開、終了したのは2時半ころでした。
今日は本当に寒く、洗っているうちに、吹きさらしのところで水がどんどんと凍りつくのには驚きました。
網戸に付着していた水もその場で凍るほどの気温だったのです。
そういえば、近所で私だけ外に出て作業していましたね・・・へんな親父です。
先週約束を守れなかったことで、私に雷を落とされた娘ですが。
土曜日の夕方、私の目を見据えて真正面から話を切り出してきました。
「明日友達と電車で出かけたい」と言うのです。
前回、かなり強く叱られましたから、怖くて私に言わずに黙っていくことがある事をある程度予見していたのですが、真正面から来るとは思いませんでした。
続けて、理由から初まり色々と話をしましたが、その目的はもちろん友達と出かけることであるのは間違いありませんが、ほかに、もう一度きちんと見て欲しいという旨を伝えられました。
「はっきり言うなー・・・・」とは思いましたが、正面から来られれば、親としてはそれなりに尊重しなければ筋が通りません。
即時許可し、行動の計画を話させ、再度の連絡ミスが無いように、私の携帯を緊急連絡用に持たせました。
昼過ぎに出かけた後姿を思い出しては心配しつつも時間は流れ、夕方、時間通りに帰宅し、その日の行動と出来事をきちんと報告してきました。
うーん・・・・・・・
これでは、こちらも今後信用するしかありません。
娘には、「信頼は誰かがくれるものではなく、自分の力と行動で勝ち取るものであり、それは毎日の小さな出来事から積み重ねていくのだと。」
「そして蓄積した信頼の先に、開放された自由があるのだと言うことも話しました。」
また、今回は前の友達とは違う子達でしたから、「友達は選ぶものであって、単に同調する存在ではないのだと言うことも話しました。」
しかし、女の子ってこんなにも強いのだろうか・・・・・
|
||
娘の詩を載せたのはよいのですが、今朝、家内にそのことを話したら
「はずかしー」と一言。
何でだ?と思っていたら、漢字が・・・・・・。
昨晩アップする時点で原文を私は読みやすいように再度書き起こしています。
そのときは何にも考えていませんでした。
家内の話を聞いて、「あー!」と私も思いましたが、時遅し、いまさら消すのもかえって変なので、このまま掲載とあいなりました。
「空くらいは漢字で書けよなー、5年生なんだから」と一人でぶつぶつ言ってる私です。
昨日娘が書いた詩と絵をアップしました。
お粗末ですが、お時間が有るようでしたら、読んでみてください。
一番表ページの左フレームに「娘の詩」という題であります
私のPC環境がやっと正常に戻りました。
職場のPCもOK、自宅のPCもOKです。
職場のPCは、それまでのシステムを大幅に変更したために使用不可能になっていました。 兵ちゃんが入れ替えに失敗したまま「またくるぜー!」と言いながら帰ってしまったのです。 それから10日以上音信不通でした。
何しろのんきな連中の作業です。
「南部の連中はは少しおかしいんだぜ・・・・・だから俺は・・・・べらべら・・etc」、「オー! シィット!」、「アーハー!」、「がははは」と、とにかく、作業より話している時間が長い。 いーから早くやらんかい(怒)・・・・(ーー;)q ワナワナ
そんなわけで最新のシステムに入れ替わりました。
次は自宅のPCです。
前にも話しましたが、職場で日本語専用として動いていましたが、それを再び自宅に持ってきて、新しいタイプのエンコーダボードを入れ、さらにテレビ出力可能なビデオカードを入れて、ビデオレコーダにしました。
当然の事ですが、元がPCですから、インターネットにも当然接続できますし、録画予約が信じられないほど簡単、再生や録画したビデオの整理も容易です。 さらに最大の特徴は、録画したデーターを家庭内LANのを通してどのPCでも再生可能な事と、録画データーをipod等のデバイスで持ち出せ、外部のPCで再生可能な事です。 テープ式のデッキはオブジェになってしまいました。
メインPCは、ビデオカードを違うものに変更した際に、デバイスドライバの相性問題が出て、最悪なことに、古いドライバがなんとしてもはずれません。
こちらのPCにもエンコーダーカードがついていますので、どうしても古いドライバを消さなくてはならいのですが、どうしても消えません。
「なんでこんなに頑固なの・・・・・・(:ー;)。
というわけで無理にやっいているうちにおかしくなってしまいました。
まあ、とにかく普段ソフトを入れたり消したり、それ以外にいじくりまくっていますので、いくらXPとはいえ、そろそろおかしくなってきてはいたのですが・・・・・・・。
そんなわけでクリーンインストールを行いました。
くずソフトを消し、今絶好調です。
サーバー機にしようと考えていた、古いPCが一台有りますが、
動画配信をするには今ひとつスペックがたりません。
まあ、自宅の回線が上り2Mのスピードがでます(光接続以外は普通1M)ので、300kbpsで単純計算しても6人には配信可能ですが。
CPU自体がK6Ⅱの366MHzですから、クオリティが・・・・・
やはりセレロン500位は欲しいので、現在構築はストップしてしまいました。
ジャンク屋で5000円くらいで売ってるPCを再生して使おうか判断に迷います。
最後に、うちの家は3部屋にLANの配線が行ってますが、壁から配線が出ており、今ひとつ美しくないというわけで、モジュラーコネクタをもうけることにしました、あと、まだ配線の通っていない部屋等あり、年末にかけて天井裏をはい回ってケーブルを通す予定です。
しかし、何でこんなこと好きなんだろう・・・・・・はは
今日は娘を厳しく叱り飛ばしました。
理由は簡単です、約束を守らなかったということ、たったそれだけです。
今日は友達と一緒に映画を見に行っていたのですが、その映画を見た後、うろつきまわることなく帰宅することを約束していました。
大型の映画館があるこの町は、駅前にデパートやらトイザラスやら、さまざまな店が並び、その誘惑にこの年齢の女の子なら惹かれ始めるのが普通です。 新宿や渋谷などに比べれば、危険性はゼロに等しいところでもありますが、私は仲間とウロウロすることを禁じています。
年齢の上昇に伴う開放というものが必要だと考えているからです。
世間では、年齢が11歳、小学5年の女の子になれば、話して聞かせるだの、目線に立つだのというおかしな理論真っ盛りのころですが、私はそのようなやり方には真っ向から反対ですので、たとえ友達の家が許そうが許すまいが、私の家のルールを、絶対的なものとして適用しています。
しかし、娘が帰宅したの夜7時。
映画は12時半頃終わり、それから昼食を食べたとて、2時。 それからバスで帰るとして、3時半には家にいなくてはなりません。
私は帰宅した娘にビンタを食らわすと、怒鳴りつけました。
理由を聞くと、食事後トイレに言ってる間に、お別れする前にみんなが黙って行ってしまった、だから帰ることを告げるために探していたとの事です。
それも4時間近く?・・・・・
たとえそれが真実であろうがなかろうが、そんなことは関係ありません。
これが嘘で、友達とふらふら遊んでいたのかもしれません。
なぜ、帰宅しなかったのか? もし遅れるのなら、自宅に電話くらいはできるわけです。
嘘をつくことを極端に嫌う私は、絶対嘘を許しません。
ですから、それが嘘である事がわかれば、さらに激怒することがわかっている娘は何度聞いても、同じ事を言います。
友達は食事後にうちの娘だけ帰宅することを知っており、そのこともあったのか、行ってしまったのは間違いないようですが、友達にしてみれば、自分たちの行動とは別行動をとる娘に対しての、あてつけ的な物があったのかは分かりません。 これには私も経験があります、グループの中で、一人でも違う行動をとろうとすると、リーダー格の子が仲間はずれにしようとする行動です。
正しくないいじめといえばよいでしょうか? まあ、それが事実かどうかはわかりませんが、仮にもそれまで同じ行動をしていたのですから、「それじゃ!」「気をつけてね」といって別れの挨拶することは常識なのです。
それは娘にしても、娘の友達であっても最低限の礼儀としてなければいけません。
娘には、それをする事を礼儀のひとつとして育てていますから、何の連絡もなくいなくなった友達に、帰ることを伝えるために、本当に探したのか?
そのあたりの事実は、今だわかりません。
先も書きましたが、しかる理由は約束を守らなかったことです。
それが上記のような理由であったとしても、許可の絶対条件である、直帰は守らねばならず、それができない要素があるなら、その旨を電話するなりできたわけです。
娘の話では、夕方5時ころには合流できたようです。
このようなことがあった場合、話を聞いてあげる事は大切ですが、聞くのとしかる事は別物です。 話して聞かせればというのは、一見格好よく見えますが、実はとんでもないことです。
というのは、親は正しいトラウマを子供に持たせなければなりません。
同じ目線に立って話せば、とにかくその場は収まります、親も大変楽です。
しかしそれは、まだ子供が親より体格的に小さく、思考も幼いうちは成り立ちますが、やがて成長に伴い、嘘もうまくなり、親にしかられないよう、巧妙な細工もするようになります。
叱られずその場をすませることを繰り返すことは、子供は反省の気持ちより、「してやった」という気持ちが強くなり、それを蓄積させていきます。
そしてそのまま成長を続ければ、だんだんと自分の価値観や主張が表れ、親を超え始めます。 そうなれば、親など自分以下の存在としてしか見なさなくなり、言うことなど聞く必要等なくなるわけで、さらに、親という存在が絶対でない存在として育ってきていますから、初めから終わりまでなめてかかります。
それがやがて学校をなめ、社会をなめきる態度へと変化します。
親は子供が社会を見渡すための窓のような存在です。
親をみてそれを社会として育つのです。
娘の言っていることは真実かもしれません、そうであるなら、私がしかる事は単なる親の権力を暴走させていることになります。
ただ、ここで肝心なのは、私がしかりつけていることは約束を守らなかったという事に限定され、それを超えることはありません。
はじめから最後までそれに付いてだけなのです。
不理屈だろうがなんだろうが、まず約束を破ることによって自分にもたらされるものを心に叩き込む、これは理屈ではなく、約束を守らないと大変なことになるのだという、正しいトラウマを娘の心の中にしみこませるために親が品ければならない重要な仕事です。
やがて、娘が成長を遂げたとき、家族に対しても、友達に対しても、そして社会に対しても、約束を破ったときの怖さという漠然としたイメージとして残り、それは染み付いた習慣として生き続けます。
真実を話しても叱られる事は、自分の思い通りに行かないことに絶える訓練でもあり、学校や社会の矛盾をなんてことないものとしてやりすごす力になります。
ひとしきり怒鳴りつけたあと、私は耐えられずに風呂にはいってしまいました。 誰が好んで子供を叱るでしょう、娘の将来、人生を考えるがゆえに叱らねばならない。
その親の思いを汲める子になってもらいたい。
自分にもたらされるあらゆる誘惑を振り切り、自らの力で正しい道を選びながら歩く力を持ってもらいたい。
そのためには親もつらい思いをしなければならないのです。