帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

新しいキャンピングカーを検討中 その3

2024年12月31日 | Weblog

とうとう年の瀬、 今日で2024年も終わりです。

 

親父のことを始めとして、色々と有ったな~ と思いますが、来年はどうだろ・・・・

 

平穏であれば十分なわけですが、世の中に絶対安定何つ~物は無いわけで、良いときが有れば悪い時もある。

良いときは調子込まずに、でも良い時を楽しみ、つねに考えて質素に、かつ倹約して備える。

悪い時にはそれを乗り越えさえすれば良いわけだから、一に努力、二に工夫、三に希望。

焦らず慌てず諦めず。

上を向いて歩き続けねば、人は滑り落ちていくだけだから。

 

と与太話はそれくらいにしておいて、昨日の続き。

 

ダブルタイヤ

これがね~キャンピングカーの場合は結構重要で、出来ればダブルタイヤがベスト。

シングルタイヤでも何ら悪いことは無いのですが、 どうしても重量の有る車ですので、

万が一のことを考えるとダブルタイヤがベストなんです。

きちんと定期的にタイヤを交換してエア圧を監視するモニターを設ける等の注意を払っていると簡単に起きる物では無いですが、

普通車に比べて年間の走行距離がどうしても短いのが、キャンピングカー。

あっというまに年月が経過して、溝バリなので油断していると劣化が進み、ある日突然バーストしたりという事が起きる。

 

自分の経験ですけど、高速道路走行中にフロントタイヤがバーストしたことがあります。

このときはハンドルに異常な振動を覚え、速度を落として路肩に寄せた瞬間にドカン!

ほぼ停止寸前でしたから30キロくらいだったでしょうかね・・・

 

そんな経験があるので、フロントはダブルに出来ませんが、リアはダブルタイヤが良いんです。

 

ルーフ収納

居住空間を大きく取るキャンピングカーの場合、車体に出来る空間は、ほぼ余すこと無く収納に割り振られているものですが、

それでも限界というのが必ずやってきます。

その場合に、収納空間として後付け可能なのがヒッチキャリア、そしてもう一つはルーフキャリア。

二つとも屋外で使う物を入れることが多いのですが、ヒッチキャリアの場合はボックスを載せないと雨ざらしのまま。

比較的大型の収納を設けられるのがルーフボックス。

ただ、これが確実に取り付けられるか?というと、ルーフ形状に左右されることもあり、また取り付け場所の強度などが

大きく影響する。

軽量化を追求することから、ルーフは人が最低一人乗ってなんとか?大丈夫くらい・・・・で有ったりした場合、ボックスを取り付けて

そこに椅子やらテーブルやらを入れるとすぐに人一人分の重量にはなってしまう。

それを載せて走ると、空気抵抗やら左右に揺られる慣性モーメントがルーフに掛かり、だんだんと天井がグスグスになってくる場合も有る。

他にはそれでさえ重心が高くなりがちなキャンピングカーをさらに高くしてしまうことで、それが走行時に影響する場合もある。

初めからルーフに積載することを想定して設計されている車は良いとしても、そうで無い車の場合は注意が必要だ。

 

フックアップ

アメリカ大陸を何千キロもキャンピングカーで旅したことがある僕にとって、これが殆ど無い日本のキャンプ場は、

マジでお粗末に見えてしまうのだけど、狭い空間にテントぎっし張らせて、できる限りキャンパー達を押し込んで儲けたい以上は、

仕方の無いことでは有るけれど、

シーズン以外は殆ど人が来ない場所でもあるので、仕方ないかなとは思う。

 

電源装備のキャンピング場は、以前より大分増えているけど、電源と排水ライン&給水の三つ、いわゆるフルフックアップとなると、

かなり少ない。

日本のキャブコンで、このフルフックアップに対応した車種がどれくらいあるか分からないけど、そんなに多くは無いと思う。

フルフックアップはマジで快適で、水道が使いたい放題、電源有るのでエアコンは余計なことを考えずに使えるし、電子レンジもしかり。

 

排水が儲けられていると、洗い物はしっかりできるし、接続と同時にキャンピングカーは完全なる家になるわけで、

+きちっとした料理の出来るシンクやバーナーがあると、何ヶ月も暮らせてしまう。

 

アメリカのキャンプ場は当然のようにコンランドリーがあるし、 LPGガスのステーションも有り、

簡単にキャンピングカーのガスタンクを充電できるので、煮炊きの燃焼を心配する必要も無い。

ただ、大陸故、真横にコンビニエンスストアが有るわけでは無から、買い物は車で行くことになる。

 

その車はどうすんの?というと、キャンピングカーに牽引装置が取り付けられていて、小型車を引っ張っている。

トレーラーだと、キャビンを切り離せば、トラクター(頭)が独立して、これは普通の車(トラック)なので、そうしているのもかなり多く居る。

道路が広く、全米に信じられないほどあるフルフックアップのキャンプ場に、季節ごとに移動して残りの人生を謳歌する

リタイヤ夫婦が当たり前の様に居て、これも羨ましいかっぎり。

トレーラーは長さ12mとか平気であったりして、内部が半二階建てで、4LDKとか5LDKとか凄い。

*貧困層の人たちの家として使われることも多い。

 

隣との離隔距離が大きく、場内は綺麗に駆られた芝生で、隣近所さんとの関係を気にする必要は無く、何かあっても

違うキャンプ場へ移動すれば事は面倒にもならずに済む。

理想的なんですね。

 

しかし・・・・・一泊当たりの支払いが余りにも高すぎる。 日本のキャンプ場は。

上記のフルフックアップ、月単位の契約で、使いたい放題で二~三万円なんてのはざらで、自宅構えて生活するより遙かに安く済む。

日本もそうなってくれないかな~と長い年月思い続けているけど、無理だろなこりゃ!! たははは!

 

FFヒーター

車生活?で一番辛い季節は夏と冬。

夏はエアコン、冬はヒーターが有れば快適に過ごせるわけだけど、 日本製の高度な制御機能を持つエアコンは

実際にキャンピングカーでの生活を豊かにしてくれているのは間違いない。

問題はデカい室外機で、それを車体の一部分に組み込んでいる車、もう一つは車体下に横設置して、

キャビンのスペースを削ること無くエアコンを使うことを可能にしている車と、半分くらいに別れるだろうか。

この室外機横倒しを特許としてもつサプライヤーは日本に一つあり、その横倒し可能なエアコンの価格は35万円とか何とか。

それに取付けを頼むと70~100万。

ちなみに、そのサプライヤーと全く違う方式にて、横倒し取り付け可能なエアコン特許(特許庁登録済み)を僕は持っています。

*実用新案登録 実願2024-002745 号

 

話を戻しますが、エアコンは100Vの日本製が良いのですけど、昨今といっても5年くらい前からかな・・・・

DC12Vで駆動可能なエアコンが中国で造られ、それが最近のキャンピングカーに搭載されるようになってきている。

 

ただ、制御が単純で、造りも大雑把。

室外機は小型のファンで冷却する為に高回転となり、そのファン騒音はかなりうるさいです。

空間の熱を奪うのに必要な消費エネルギーというのは、100Vで有ろうがDC12Vで有ろうが計算上は余り変わりませんから、

DC12Vで冷やせると言っても消費電力は800W程度消費する。

DC12Vだと60Aくらいの電力を消費し、

当然、それに見合う大容量のバッテリーが要求されます。

一応、インバーター制御ですから、室内が冷えてきて、コンプレッサーの消費は少なくなるのですが、車内空間がコンパクトな小型の

キャンピングカー向けという感じで、それ以上の車だと日本製の100Vを使ったエアコンにはかないません。

コンプレッサーを作動させるためのインバーター損失初めとしてエアコン自体の効率が、日本製のエアコンの場合は遙かに良いので、

消費電力は600W程度。

 

ちなみに真夏の炎天下で、特にハイエースベースでDC12Vでキンキンに車を冷やす事は、初めから考えない方が良いかと思います。

基本的に断熱性に優れたキャブコンなら良いですけど

 

続く。

 

 

 

 

 

 


新しいキャンピングカーを検討中 その2

2024年12月30日 | Weblog

昨日の続きです。

 

大型収納ですが、これはできる限り大きい方が良く、今のキャンピングカーは本当に巨大な収納を持っていて、

特にリアのベッド下がその大空間に使われていたりします。

自転車とか2台詰めたりしてうらやましい限り。

 

実際にですが、キャンプ泊にて屋外で使う物を収納出来る容積というのは重要で、

具体的には テーブル、 椅子、 ガスバーナー バーベキューグリル、等々。

以外にスペース食うのが椅子で、 自分の場合は、傘みたいに細くなるタイプが嫌いで、

いわゆる折畳み椅子でないと、どうにも落ち着きません。

 

ただ、快適な分、ガサがあります。

上記の、デカい収納のある車は比較的年式の新しい車に多く、そうなると車両価格がとんでもない額となり、

そんな物を買う余力は有りません。

 

+α収納

これはほぼ絶対的に必要な物で、例えるとキャンプ泊などで出てくるゴミを置く場所とか。

一番使うのが春から秋なので、 特に夏は その匂いの問題がどうしても出てきます。 臭せ~~~~~!

愛車のマンボウ号は、外部にボックスを取り付けてあり、そうした物を納める事が出来るようになっていて、

ステンレス製なので、汚れれば洗い流して終わりと、ストレスが全くありません。

 

解決にはヒッチメンバーが有れば簡単で、そのヒッチを利用してホームセンターのプラボックスを

ゴミ収納ボックスとして置けばOK!

ただ、余り格好良くはありません。

 

サイクルキャリアが有れば、FIAMMAのウルトラボックスとかでその空間をつくれますが、

弱いんですよね~このボックス。 

すぐにひしゃげたり割れたり、価格が高い割に軟弱。

さらに言うと、ガバッと開口して、内部高さがかなり有って良いのですが、収納的にはそのボックスの下部分

しか使えず、空間を無駄にしないように中段を設けないと駄目。

ところが、材質が弱く薄くてヒヨヒヨしている構造なので、そんな物を内部に造ると今度はボックス全体が撓んだり・・・・

雨水も入るし。 

まあ、これは検討という事で。

 

ソーラーと冷蔵庫

絶対に欲しい!の一言。

冷蔵庫は 出来ればコンプレッサー式が良く、というのはマジでガンガン冷えるから。

ただ、価格が高くて、消費電力が大きい。

 

コンプレッサーが動いているときの消費電力は50W程度有るので、サブバッテリー100Ah

が二つ載せてあっても、 ソーラーパネルが無いとかなり厳しい。

 

特に真夏はコンプレッサーがほぼ廻りっぱなしに近くなるので、単純計算で、100Ahのサブバッテリーだと

80%位の時間稼働率で、約5Ahとして24時間。

200Aのサブバッテリーで 48時間。

連泊キャンプだと、冷蔵庫だけでこれだけ電気を喰うんですね。

 

ソーラーパネルは最低でも200w欲しくて、実際に使い物になる時間は夏で朝の8時から夕方6時くらいまで。

冬だと 10時くらいから3時くらいまで。=5時間

内、最高出力が出せるのは夏で10時から3時くらい=5時間、 冬で11時から2時くらいまで=3時間

 

200Wのパネルで実際に出力として取り出せるのは200/12=15~16Aで、 これに実用効率として

60%程度を掛けると10A程度。

 

夏のコアタイムの5時間で50Ah ー 冷蔵庫の消費電力= 25Ahとして この数値がバッテリー充電可能となる。

まあ、実際は朝の8時から10時くらいは 5Ah程度出力しているし、午後は3時から6時くらいまで5Ah程度

出るので、その時間合計5時間 25Ah。

全く発電しない夜中も冷蔵庫は廻っているので、24時間消費電力=100Ahから、上記のソーラー発電容量、 合計50Ahなので、 

コアタイムの充電が25Ahとして 100Ahのバッテリーで約4日。

200Ahだと約1週間と、ざっと計算できる。

冷蔵庫というのは本当に電力を使うんですね。

 

3WAY、2WAY式の冷蔵庫は水平停車という絶対条件が必要で、さらに冷却に使う為の燃焼ガスがどうしても必要になります。

ただし、電力消費が殆ど無く、冷却によってバッテリーに与える影響は極小になります。

 

熱交換を行う吸排気口のエアの流れの良し悪しが冷却に影響をもろに与えるので、 必要に応じて冷却(エア循環)ファンを

取り付けたりする必要が有りますが、エレクトロラックスやドメティック等の欧州冷蔵庫の冷えは今一で、

アメリカのNORCOLDみたいにガンガン冷えるという状態に持って行くのが難しいことも有ります。

纏めるとソーラーパネルが有り、サブバッテリーがデカいのならエンゲルなどのコンプレッサー式冷蔵庫が絶対的に良いです。

 

ガスレンジ

キャンピングカーのガスレンジの火力は大した事が有りません。

一寸した煮炊きならOkですが、火力を要する調理には現実的に不向き。

とはいえど、無いより有った方が良いことも事実。

カセットコンロで代用できますが、 以外とそれを出したり入れたりというのが面倒くさいんです。

 

ちなみに家のマンボウ号は ウインドサーフィンキャンプしか考えていないので、 車内料理はまったく無し。

外でツーバーナー使います。

アメリカ製のキャンピングカーに乗っていたことが有るのですが、アメ車のキッチンはマジで使いやすくて火力も凄く、

オーブンとかあるので、なんでも出来てしまう。

 

オーブンは無駄な空間に感じられてしまいますが、不要時は鍋などのコンパクトに収まるキャンプ鍋節と等、

調理器具をいれる収納としてつかえるので、凄く合理的なんですね。

ただ、これも車体幅が2.4m 車体長さが7mを超えるからこその物で、同じ能力を日本のキャブコンに求めるのは無理だんべ!

 

しかしながら、有るのに使えない程度の物じゃ~無い方が良いし、 有るならきちんと使用できるサイズと能力の物が欲しいです。

自分は普段の生活では全く料理せず、しかしながら殆どの料理が出来るので、キャンプに出かけたとき等は包丁を握ることから、

使いやすい方が良いです。

 

車内オーバーヘッド収納等

これって絶対に必要で、きる限り沢山あって、その容積も大きい方がGOOD! キャンピングカーにとって大きい=正義そのものなんです。

ただ、かといって余りにも大きすぎると走行中に中で物が跳んだり跳ねたり、あちこち転がりまくるわけで。

各種サイズの収納が設けて有るのがベスト。

ある程度大きくなると100均で適した箱を買ってくれば良いのですが、小さすぎると結局小物だけとなり、不便極まりないです。

 

電子レンジ

当然に有った方が良い設備! 爆笑!! 

ただ、電気をもろに喰いますので、デカいサブバッテリーが必要で、当然?ですが長時間料理は出来ません。

ただしこれも、発電機を搭載していればそんな事に関しての悩みが有りません。

ただ、この発電機を始動停止させるのが以外と面倒。

なので、リチウムイオンバッテリーの500Ahクラスが有ればベストかな~ 

次に続く

 

 


新しいキャンピングカーを検討中 その1

2024年12月29日 | Weblog

ここ数日、完全に冬真っ盛りですが、家の水道管が凍結寸前だったりして、早く春にならないかなと・・・・

と、いうわけで、現在新しいキャンピンカーを検討しています。 「なんのこっちゃ~!!」 

 

というか、正確にはすでに購入に片足を突っ込んでまして、ほぼ99%は買う事は間違いないのですけど、

問い合わせ中の車が、遠方から近くの店舗なので、そこから陸送されてきて、現車確認した後に最終決定するつもりなんです。

 

今、家には親父の施設送迎に使っていたハイエースのスーパーロング福祉車、工具や大工道具&材料満載で酷使されまくっている軽のエブリィ、

雨漏りで床の腐食が少しずつ進んでいる、キャンピングカーのおんぼろマンボウ号。 

 

他には家内のタント、娘夫婦のNーBOXがある。

 

ハイエースは、普段は家族全員でまとまって移動したり、大きな物を運んだりや、引っ越しお助け車?として大活躍。

福祉車ですから、リフトが有って重い荷物や車椅子を昇降可能なので、親父の為にと買った訳です。

今は母親の今後(遠い将来である事を心から願います)の事が有りますので、手放すことは有りませんし、車内にも全く手を付けません。

遠い将来、母親が居なくなった後は、自分で車内を改装して、マンボウの代替え車として、完全なるウインドカーにする予定でいます。

 

実はこのハイエースは、あらかじめマンボウ号の代替えとして考えていた事も有って、あえてデカいスーパーロング。

でなければ、軽の福祉車を買いますです、ハイ。

 

その、メーカー構造欠陥モリモリの漏水マンボウ号ですが、現在はほぼ完全にウインドサーフィン車でして、満載されている道具を降ろす気も無く、というか、

セイルやマスト等、凄い量なので降ろしたり積んだりしたくない事から、空にするのはシーズン前の清掃と道具類の総点検時くらい。

精々年に1、2度くらいでしょうかね。 汗

 

軽のエブリィ号は、自分でFFヒーターを搭載して、厳冬期にも暖かい出勤、普段の通勤から依頼リフォームまで、縦横無尽に駆け回る、本当に頼りにしている相棒です。

 

そんな僕の車構成なのですけど、ここに来て”なんでキャンピングカーをもう一台追加なの?”というと、色々理由が有りまして、

その様々な理由から二つをあげるとすると、

 

春に中二となる孫の関係。

花の一四歳、 現在T1リーグで頑張っている訳ですが、サッカーの試合等で、だんだんと関東以外の処まで行くようになってきている。

基本的移動は孫自身が一人、もしくはチームで移動して、宿泊もチームメイトと同じところ(合宿)なのですが、

そのサポートやらなにやら?で、息子夫婦も行かねばならないことが多いんです。

息子の車はキャンピング仕様のハイエースでして、移動や、夫婦二人が寝るには十分では有る物の、孫の体が大きくなって来たことで

寝るのが難しくっなって来ている。

他には、夜のトイレや、車内で簡単に調理したい場合等を踏まえると、けっして十分とは言えないわけです。

 

まあ、いくらハイエース(スーパーロングのハイルーフ)が大きいと言っても、載せる荷物はそれなりの量になりますので、どうしても狭い。

このクラスで「狭い!」なんて言うと、同車使ったキャンパーのオーナーさん達からもろに叱られてしまうかと思うのですが、

沢山のキャンピングカーを乗り継いできた僕の経験から正直に言わせてもらうと、

やはり狭いんです。 ・・・・・としか言い様がありません。

 

現実的に、夫婦二人が過ごすのが限界で、これに中学生の孫が居たら激狭になります。

なので、この先の息子夫婦が楽に過ごせる様に!? と新しいキャンピングカーを考えているわけです。

 

さらに、他の理由の一つとしては、今年の春に家族が一人加わったこと。

同居の娘夫婦の子ですが、僕にとっては孫。

あと一日で7ヶ月になりますが、 ハイハイで室内を移動しまくって、悪戯するし、つかまり立ちして色々とやらかすので目が離せない毎日。

んな状況の訳ですが、そんな孫も、すぐに歩き、走れる様になってきます。

 

自分の息子や娘が幼い頃、キャンピングカーであちこち連れて歩いていた僕としては、孫そして娘夫婦らとキャンプとかしたいわけで、

ただ、あちこち遊びに行きたいながらも、家内含めて一家5人で宿に泊まって歩こうでもしたら、一体どれだけの出費になるやら・・・・

 

結局、経済的な制限は、結局行動を制限させるわけでして、金銭的な負担が余り多くないキャンピングカーの利便性というのは、

計り知れない物があります。

 

デカいホテルや広い旅館、そして民宿、そこで得た記憶というのは、それはそれでとても良い物ですが、 

キャンピングカーの中で親たちが用意してくれるご飯の味。

車から降りて皆で銭湯に行く時の満面の星空、車外で食べる炭焼きの肉の香りと、暖房の効いた暖かい車内で迎える朝。

 

そうした思い出という物は子供達にとって一生忘れることの出来ない宝物になるんですね。

 

 

と、以上二つ三つ程理由をあげましたけど、自分的にも漏水マンボウ号はやがて廃車になる訳で、

その時はウインド道具はハイエースに移しますが、

 

それだけだと、今度はキャンピングカーが無くなってしまう事になり、”それ”に僕自身が耐えられないんです。

と、色々と理由付けをしていますが、最終的には”一番大好きな物を失いたくない!”というのは本心かな~ と自分で思います。

 

さて、話(言い訳)を切り替えで、 次の購入予定の車ですが、今のマンボウが極めて非力、といっても普通に乗るには十分ですが、

出来れば快適にクルーズできるパワーが欲しい。

談合坂で追い越し車線の一番左を、トラックに煽られながら走るのは肩身が狭い(笑)

 

エンジンは、燃料代が高騰する昨今、静粛性は高いけどガソリン車は財布に重すぎる故、燃費が良くて燃料費が安いディーゼル。

 

車の大きさですが、いくらマンボウが狭かったといっても、3人くらいまでなら問題なく、2人がベスト。

1人だと広すぎる感じですが、家族5人(内一人は幼児)が快適に寝て起きて、食事をしてとなると、最低5m車幅2mくらいは必要になります。

*最近のキャンピングカーは大体このサイズに収まる様になってます。

 

トイレ

これは絶対に必要。  何が何でも無ければならない!

夜に女性が一人でトイレに行くという問題(旦那が起こされて眠い目を擦って付き添うのが普通)の解決の為には、車内にトイレは必ず必要。

その恩恵はマジで凄く、一度使うと、高速道路のトイレに男性陣の皆が行っているのに、女性陣は車内トイレで済ますのが普通になってしまいます。 

車外に出て糞暑かったり寒かったりが無く、列ぶもしないし、ウルトラ衛生的なので当然と言えば当然です(笑)

+子供の「うんち~~~♪」は常に突然やってくる物ですが、 そんなときでも慌てる必要はありません。

 

水タンク

今乗っている漏水マンボウ号には それなりの容量をもつ水タンクが搭載されていて、とても便利です。

ただ、昨今のキャンピングカーではポリタンクしか載らないのが結構あって、ただ、10~20L程度の容量なんか、全く使い物にはなりません。 

キッチン設備でありながらも、キッチン設備では無くなってしまっているのですね。

 

マンボウは基本的に60L (たしか)位のタンクが有り、他には清水専用の10Lタンクを載せられるように僕が改造してあります。

 

きちんとした設備として使うには、最低でも60L 出来れば80Lは欲しいんです。

当然、その水量に見合う、グレータンクが必要で、排水はレバー一つで出来ねばならない。

アメリカ製のキャンピングカーはブラックタンクも排水できますが、 これだと流せる場所が限られてきます。

なので、トイレの排水タンクは脱着式で、処理しやすいタイプが必衰です。

 

他に、贅沢な装備として、できればエアコンと発電機があればベスト。

エアコンは家庭用エアコン、電源はリチウム電源が良いのですが、外国製のルーフエアコンでも、発電機があれば、どこでも快適です。

自分としては500Ah程度のリチウムバッテリーを並行搭載して、そこからインバーターで電子レンジやエアコンに電力供給が出来るようにしたいです。

エアコンは、山に行くときには不要ですが、海に行ったり平地だったりしたら真夏の車内はまさに地獄ですので、

出来る限り欲しい装備です。

 

シャワー

これをなくしたキャンピングカーは結構多くて、 また防水仕様になっていて、シャワー室として使える車も多く、

トイレは非常用にポータブルトイレを置く。

そのトイレを出して、マルチルームとして使えるというのが実に多いです。

ただ、マルチルームにしてしまうと、現実的にはただの収納庫と化してしまうので、トイレとして使えなくなるし、

やはり、シャワールームはトイレ一体型で、ポータブルトイレでは無くて、カセットと入れなどが良いんです。

 

 

 

そんな感じで、中古車情報とか見ていますが、今のキャンピングカーはとにかく高い・・・・・

最新型の車になると平気で1千万円とか超えてしまうし、中古でも600万円とかします。

 

皆お金持ちだよね~本当に 

 

まあ、そんなわけで、続く。

 

 

 


なぜ? 墓にこだわらないか?

2024年12月28日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親父が亡くなって、あっという間に2週間以上の時が流れた。

必要となる手続きもあらかた終了し、一昨日は家に届いた”親父”を持って実家へ。

手元供養の、遺骨が入ったケースを持って行った訳だけど、 それを見た母親は大感激。

 

貧素な位牌と全く違って、美しく、精巧に作られていて、シンプルだけども高級感に満ちたそれに驚いて、

まあ、これが位牌を兼ねた、そしてお墓みたいな物でもある。

自分は、いわゆる墓地にあるお墓という物に全く興味が無い、それどころかデカくて重厚な墓ほど疑問と白けた目線を

向けてしまう。

ただ、どんな墓であろうが、その家族や故人の考え方に沿った物なのだから、それはそれでいいんだろうな・・・とも、当然に思う。

 

何で手元供養?という方も居られるかと思うけど、これはあらゆる事を考えての結果だ。

これは後で書くとして、まず、自分の場合は親父が生きている時、親父の為に出来ることはすべてやってきて、 

いわゆる後で”こうすればよかった! できなかったのが心残りだ!”という類いの心残りが全くなく、

その時々で、自分が可能な事、出来る事は精一杯やってきた。

 

故に、親父が亡くなっても、余り悲しさは無く、それどころか心は穏やかで清々しい。

母親は、「お父さんも、こんなに息子に色々としてもらって、本当に予想外だったし、すべてに満足して逝けたと思う」

と一昨日も話してくれた。

 

この手元供養は位牌みたいな意味もあるのだけど、いったい位牌って何だろう?と思うのは、本来はお墓が遠方にあってそこに簡単に行けない昔の名残で、墓の代わりに位牌を手元に置いて魂を供養する物。

 

それは良いのだけど、49日までは白木の簡素な位牌で、納骨の時に黒い位牌と交換するわけだが、

自分にとって全く理解できないのは、そこでもまた坊さんが出てきて、お経を上げてボッタクル。

5~10万円なり~~~~~!!!

 

なんでお経をあげるのか?だけど、これは”入魂?”の為で、魂を仮の白木位牌から本位牌に移し替える作業?

 

はあ~~~????? 仏教の考え方では、魂は殻(体)を抜けたら、49日かけて天界にたどり着くんじゃ~なかったっけ???

地縛霊よろしく、亡くなった故人の魂を白木にぶっ込んで、今度は49日に本位牌にそれを移し替える??? 

霊が移る????

まったくもって自分には理解できない、天にいくはずの魂はどこにいったん? 

 

そして、お墓は何のためにある?という事になるのだけど、

故人を忘れないようにするとかなんとか、宗教界があとでこじつけた屁理屈はうんざりするほど沢山有って、 

その実は、単に法律上の最終処分場でしかない。

遺骨の処分をやりたい放題されると国としては困るし面倒なので、 葬儀と関連性が強い宗教界に任せることで処分場管理を行ってもらうというからくりで、故にそれを基にしてボッタクリの温床が生まれてきたわけだ。

 

宗教法人は非課税所得が多く、それによって保護されているから簡単に潰れないし倒産しないので、

行政的には一石二鳥という極めて政策的な物でしかない。

 

なら自宅での供養は違法なのか?というと、そんな法律はどこにも無いし、全くもって問題も無く、

手元供養も全然OK! 、それはすべて遺族の判断に完全に任せられている。

*かといって勝手に巻くと違法になるので注意。

 

遺骨は魂の抜けた、いわゆる故人が入っていた”入れ物”の残りであって、その入れ物の中に魂が有ったことで、成長し、子を産み育て、温かい血が流れ、感情も笑顔もそこにあった。

 

天に旅立った故人はすでにそこには無く、それをなぜ入魂の儀式とかするのか?が自分には全く理解できない。

自分の親の遺骨を”常識”という名の下に、何の疑問も持たずに処分場へ納めて、ついでに坊さんにボッタクられて、

それも一つの幸せであろう。

 

昨今の暗いニュースの中に、親が亡くなったけど、葬儀代を出すことが能わずにそのまま放置。

腐敗して異臭が発生し、近隣住民等からの通報でミイラ化した親、悲惨な状態の中で暮らす遺族の姿などが報道されているが、

なぜそうなってしまうのか?という理由の一つに、 葬儀に関しての、壮大な常識化ボッタクリがある。

 

お金が全くなくても、行政は最低限の支援をしてくれて、きちんと相談すれば、故人がまともに生きてきた者であったのなら、きちんと火葬して遺骨にまでできる支援をしてくれる。

 

それが有るのに、何も出来ない者が出てきてしまう理由の一つに、葬儀に関する意味不明な常識の押しつけと、

+何度も書くが葬儀に関する宗教絡みの壮大なボッタクリ構造がある。

 

それに怯えて身動きできなくなってしまうからで、

「こうしなければならない!」「 こうするべきだ!」「それじゃ~恥ずかしい!」「あ~みっともない!!」

と、遺族を拘束して鞭を打ち、見えないボッタクリ世界に遺族を強制的に導き、骨の髄までしゃぶる。

 

なんか、おかしく無いだろうか? 

墓なんか無くてもよく、戒名なんぞ無くてもよく、お経をあげる必要等も無い。

遺族として自分が出来る事を精一杯するのが葬儀であり、そこに思いが込められていれば何の問題も無いわけだ。

 

現実は、墓に埋葬しようとすると、儀式(49日等)にはうちの坊さん使ってもらわんと困る!

とシャシャリ出てくるし、それと違う事は拒絶してくるし、納骨そのものすら拒否される。

ボッタクリ構造だから。

 

今回、幸いなことに親父が残してくれた財産が少し有ったので、僕の方で色々と取捨選択をして儀式を執り行った。

当然、意味の無い支払い(ボッタクリ)と自分が思った物はすべて排除。 

 

母親、自分、親族の要望だけで事を進め、そして最後は手元供養となり、美しい容器に納められて実家に帰ってきた。

 

そのコンパクトに収まった親父の姿をみて、一番喜んだのは何を隠そう母親である。

肉体は無くなってしまったけど、遺骨となって自分のすぐ近くに居てくれることが何より嬉しいらしく、

94歳の母親にとっては、それが当たり前の感情だと思う。

 

故に冷たい墓に入れることは無いわけで、墓など不要の理由がここにある。

 

今は元気な母ではあるが、やがては亡くなるし、そのときはその手元供養の残り半分に母親の遺骨を納め、

僕が家に連れ帰る。

3回忌、もしくは7回忌の時に、改めて”埋葬”をおこなう。

もちろん冷たい墓石の下に封じ込めるのではなく、暖かい土とその上にいっぱいに咲き誇る花に包まれて自然に帰る、

樹木葬にて埋葬する予定だ。

 

これが墓にこだわらない、僕の考えかたである。

 

 

 

 

 

 

 

 


色々と有るな~・・・・・

2024年12月21日 | Weblog

親父が12月12日に亡くなって、もう1週間以上が経過した。

 

バタバタと葬儀をして、やっと落ち着いてきたとおもったら、今度は職場の敷地のボヤ。 

 

草刈り業者さんの乗っている機械からの発火で、車体の防火構造に問題があるようで、同じような火災が起きているとの事。

とは後の話。

 

出火から鎮圧まで約4時間。

初期消火を建物にあるありったけの消化器を持って行き、他に来ていたメンテナンス業者さんにも声を掛けてやったけど、

乾燥しきっている草はすぐに再出火するので、最終的には消防を呼ぶことになった。

 

施設責任者である自分にとって、それによる大ダメージが起きる事は避けねばならないわけだが、

この火事に絡んで、停止してはいけない物を停止させる判断が難しく、しかしながら停止せねば 消防士さんに影響が出かねない。

 

仕方の無い状況と判断し、自分の権限にて、全装置を強制停止させた。

そのまま再出火したときのことを踏まえて、翌朝まで朝までそのまま停止を維持。

 

この4時間の間に、関連部署含めてやんやと人が来るが、なんつ~か? 冷やかしだな!? おまえら! (笑) 

 

報告書を書かねばならないので、早朝には出勤し、問題ないことを確認し、測定器で各種特性をみて問題がないのを確認後に装置を再起動。

そして報告書を作成して本部に送って、一応終了。

 

もう少しすると、俺、正月明けまで休みなんだけど・・・・ とおもうが、若い衆は役に立たないし・・・・

 

まあ、大きな影響が何も無かった事は、不幸中の幸いであったと思う。

 

 


葬儀費用とボッタクリ

2024年12月19日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

いわゆる”ボッタクリ”が平然と横行するのが、冠婚葬祭。

ついこの間も テレビで200万円ボッタクリされた事が報道されていた。

 

数十万円が、終わってみたら200万円では、たまった物では無い・・・・・・。

 

有名人、親族多数、仕事の関係者多数等々、どうしても”仕事や様々な縁を持つ方達”がお別れに来なければならない様な故人はともかくも、

家族葬を謳って、”これだけ安く出来ます!”と大規模宣伝し、最終的にはバカにならない費用となる。

ちいさな何とかは、行政指導も受けていたりして、その悪質さがそこからも判るがかなりの注意が必要なことは間違いない。

 

当たり前だけど、人が亡くなられ、その方に関係していた方達に連絡をすれば、広がっていくのは当然。

家の親父みたいに、長生きしすぎて? 廻りが皆亡くなってしまっている場合は、余りそうした事が無い分、楽だ。

 

今回の葬儀だけど、あらゆる事を全て含めんで90万弱で収まった。

これには、いわゆるお墓を購入して?、墓石を押っ建て?、それに納め、49日の法要までの形を、

少し違うやり方でこなしている。

 

まず、葬儀会社関連は約64万円(税込み及び仮葬費込み)で、内訳は基本費用が約46万円(会員で割引)。

これは病院から安置所までの移送、安置と葬儀場代、葬儀、そして霊柩車で運んで、火葬の終わりまでにかかる一切を含んだ費用であり、又、ごく基本的に掛る物。

これは葬儀会社が24時間体制で対応しなければならない面を含んだ、施設維持費、暖房光熱費、会社として必要となる人件費を考えるなら特段高くは無い。

https://www.tokatsu-memory.com/

今回は、これに湯灌代の15万円が加算されて、他にドライアイス(3日分無料)の1日分11000円が加わっている。

湯灌代が少し高いが、元々お風呂が好きであった親父が、最後の一月に渡って全く入浴が出来なかったから

どうしても、最後にきれいににしてあげたかった。

面会に行くと、熱も有ったせいで、汗をかいていた姿が目に焼き付いているのもある。

 

ちなみに僕の選択した葬儀会社は、祭壇に生花を使用してくれて、”なんとかの葬儀”とか、”よりそう何とか”みたいに、

造花を使い回しするところでは無い。

この”祭壇の花”が造花であるかどうか・・・・・は葬儀会社の選択の重要なポイントだった。

理由は至極簡単で、その葬儀会社が葬儀自体をどう見ているか?がこれで判るからだ。

ちなみにこの生花は、普通より増量をお願いして、さらに親父が元々菊作りが上手だったこともあり、大半を菊にする手配をしてもらった。

 

格安葬儀社は、祭壇の花が”造花”なので、当然棺に納める花が無事から、ありとあらゆる口実?を付けて花を買わせようとしてボッタクル。

「こんなに綺麗なお花はどうですか?」とばかりに、高額なのを推し進めてくる。

 

今回、完全なる家族葬故、そんな高価な花は不要だし、準備したり等の手配は一切拒否。

祭壇にあるものだけで十分だからだ。

 

葬儀の方はそんな感じであったのだけど、次は ボッタクリキングのお布施。

 

お坊さんが絡んだ、壮大な常識的ボッタクリな訳だが、親父には、僕の名前を生まれた時に付けてくれたように、僕が親父に戒名を付けた。

 

”菊法社澄陽銀和院居士”という名で、 菊は親父が大好きだった菊創りから来て、法は晩年に検察審査会の組織員だった事に基づいている。

その次の”社”という文字だが、親父が菊を納めていたのが神社や公的機関等で、社会にわずかなりとも貢献していたので、

いわゆるどこぞのお寺の記号でもある ○○院などとは全く無関係。

故に社会という意味で菊法社になる。

 

*後日談(12月25日) 前の法と、後ろの院との兼ね合いが有る(二重になるらしいです)ので、

どちらかを消すのがベストで、法を無くしてもきちんと意味をなして全く問題は無いという、よく知る方からのお話があり、

最終的に、そちらをなくした名にすることになりました。

後で変更可能なのか?と思いましたが、 戒名は単にどこぞの宗派の、どこが経を上げ、どのくらいそのお寺に寄与したか?という

単なる記号的意味合いしか無いらしく、何の影響も無いらしいです。    

まあそんな物は分っていましたけど、改めて詳しくてお話を聞くと、ボッタクリだよな~と・・・・

本人はすでに天界に旅立っていて、その名を提示して天界の仏門に入る(仏弟子になる)とか何とかで、

元来が無宗教だし、 息子さんがお父さんに命名しても、仏様はまったく差別も区別もしないらしいです(笑)

故に変更も全然問題なしとの事でした。

 

 

次の”澄”という文字は、親父が自分に対して常に素直であったからであるが、逆にうちら家族は結構酷い目に遭ったりもした。(笑)

ただ、世に迷惑を掛けたわけでは無く、何時も自分に素直で純粋であった事と、菊の花は澄んだ水と温度管理が大切でそこからも来ている。

”陽”は、やはり菊に関連してるが、趣味の畑仕事が好きで、太陽光をいっぱい浴びた野菜を収穫しては、近所の家にただで配って歩いていた。

僕も家族も沢山の野菜をもらった。

 

太陽の”陽”を戒名に設けたのはそのためだ。

さらにその次の二文字は、親父の親父(ぼくにとって爺ちゃん)の名前から1文字、親父の名から1文字持ってきていて、銀は月をも意味して、和はあらゆる事に平穏をもたらす笑顔が元になっている。

 

そして最後の院居士は、基本的な戒名のルールに添って単に付け加えただけで、これ坊さんに頼んで最後に付けてもらうと、特に院がつくとお布施代は100万円を超える。

しかしながら、上記にあるように、戒名は僕が付けたので、無料=ただ である。

 

この、戒名程いい加減な物は無い、ごく個人的な偏見がかなり混ざっているが、縁もゆかりも無い、知らない坊さんに頼んで、

そいつが生前の親父の話なんぞを聞いて”適当”に名を付ける。

最後に何を付けるかで価格が大きく変わる。

なんで、そんな”つまらない物?”に、なんで?大枚を払わねばならないのか?が全くもって僕は理解できない。

 

爺ちゃんも、親父も僕も完全無宗教で、本来は経など一切要らないのだが、今回は母親の要望で頼んだ。

ただ、ネットにあるいい加減な”コンビニ坊さん派遣”では無くて正規のお坊さん。

戒名無しの俗名であげてくれる方を、葬儀会社の上の方から頼んでもらったわけだ。

 

当然、戒名が無いのだから、経は俗名で行われたが恥ずかしくもなんとも無い。

以上、これらの費用が10万円。

 

今回、完全なる家族葬であったことから、通夜は無しの告別式のみ。

ただ、告別式当日に遠方から子供達(幼児含む)が朝早く移動してきて、その後に家へ帰るのは大変なことから、

前日に駅前のビジネスホテル予約をして、そこで宿泊してもらった。 

この費用が約4万円(6名)

戒名に無駄な金を払うなら、そっちに使った方が遙かに良い。

 

同時に、告別式前の夕飯は、実家で皆が集まり、ブリしゃぶで親父をしのんで乾杯。

https://www.nissui.co.jp/recipe/00536.html

意味不明に暗くなっている必要は無いし、大往生で最後は苦しむことも無く安らかだったのだから、皆で明るく、

そして楽しい一時で親父を送り出してもらいたいからだ。

この費用がお酒代含んで約1万5千円

 

翌日、告別式はごく普通に行われ、火葬場へ移動し、11時から火葬なので、皆は控え室で一時を過ごした。

当然だが、火葬場待合室の糞高い食事用意等、バカバカしいので絶対にやらない。

その後、遺骨を持って実家に戻ると皆で私服に着替えてお昼を食べに。

 

回転寿司で皆お腹いっぱい食べてもらい、これが約1万8千円。

安くてやたら美味しいはま寿司だけど、人数が多い(といっても合計8人)ので、このくらいは当然。

以上、合計 84万4000円

 

この後だけど、 僕は親父を墓に入れるつもりは無く、将来的には樹木葬にするけど、今すぐにでは無い。

遺骨はすぐに手元供養の専門業者に送付したので、粉骨後に特殊な遺骨ケースに入れてくれ、そこに俗名と戒名を記してもらって、

これが位牌とお墓の代わりとなる。

母親のすぐ近くに、そして親父にとって安らぎの自宅に居させたいわけだ。

https://una-kuyou.jp/contact/

アライブという、2人が入る手元供養ケースを頼んだので、初めはそこに親父が入り、家の仏壇に位牌として置き、その後はやがて来るであろうその時の、母親の骨もそこに。

2人が亡くなったら、それを僕が自宅に持ち帰って、3回忌もしくは7回忌まで家に置いた後に、樹木葬で最終的に埋葬することにしている。

墓に入れるつもりは無い。

https://www.taijyunowa.org/tokorozawa/

以上は、すでに母も了解済み&心から納得済み。

この費用が約8万。   

樹木葬は 後に多分20~30万円。

 

いわゆる、お墓を買って、そこに納骨するという一般的な手法と僕とではやり方が全然違うわけだ。

位牌というのは、本来遠方に墓があったりして、そこに行けないから位牌をもって代用するのわけで、 

遺骨そのものがすぐ近くに有るのなら、位牌なんぞ一切不要。

 

さらに、僕がウーナでの粉骨を頼んだのは、 きちんと真空パッケージによって腐ることが無いから。

 

お墓というのは、当たり前だけど土の中に石で囲いを造り、そこにただの骨壺に納めた遺骨を置くだけ。

これ、どうなるか?というと、 あっさりと腐るんです骨壺の中で。

 

ジメジメとした空間、 骨壺内部が結露してカビが生えてきて、やがて腐敗する。

それが実際です。

 

骨壺の中でジクジクと親を腐らせていくのなら、樹木葬で自然に戻してあげる方が、ごく自然である、というのが僕の考えであり、

それに沿っている。

 

 

実は、実家のすぐ近くにお墓が有って(茨城県の守谷市にある某霊園)、これは親父と母が以前買った物なのですが、現在骨は一つも入ってない。

初め、自分的には不本意でありながらも、親が墓を自分達で購入したのなら、その意思に一応は報いようと考えていた。

 

無宗教故に、今回の親父の件でその霊園に出向き、(まだ臨終前)、戒名無しのお経だけをお願いをしようとしたところ、非常に不愉快な思いをさせられた事から、

このお墓は、しばらくしたら終いして取り壊し撤去する。

 

「日本の古くからの宗教(仏教)なら宗派問わずOK、納骨も好きなように出来ます!!」と遙か昔(今も)に募り、

それ見て親が買った訳だが、単なる納骨だけだと駄目!、お経上げをしてもらわねば困るとのたまわる、

そしてそれだけに止まらずに、葬儀の段階からうちの坊さん(宗派)を使ってもらわないと駄目!!という言い方しかしなかった。

「そこを頼みます」と頭を下げてお願いしても、頑として拒否された。

しかもその問答の時に、事務所からすぐ横の寺に電話をかけて、数十秒もかからずに来れるのに、坊さんは現われず、

事務員の、何も知らない若い女の子だけが連絡係よろしく、一方的に文言を伝えてきた。

それだけならまだ良いのだが。”絶対に戒名は必要!”と伝えてきて、その代金(お布施)も払え!と言われ、

完全に親は瞞されたわけですよ。

 

書類を見たら、初めに買ったときは条件無しだったのが、その後にこそっと規則改正(よりよい霊園のためにとか何とか)の書類が来て、

そこにしっかりと催事ごとは関連のお寺の坊さん使わにゃ~いかんとかかれていた。

 

母親に聞いたら、「そんなことが全く無いという事だから買ったんだけど・・・・」とのことで、 ここにも葬儀に絡んだ常識的?ボッタクリがあるわけだ。

悪いが、そんな信用ならない処に(霊園)に親の骨を納める気など、これっぽっちも僕は無い。

故に親父が家で過ごせるように、手元供養を選択したわけだ。

 

最後に49日だが、 実家で行い、お経は僕があげて終わりとなる。

 

以上が今回の葬儀から 納骨(手元供養)までの全費用で、安くは無いが、高くも無いと思う。

ただ一つ言えるのは、 意味不明な無駄支払いをしなかったという事になる。

 

沢山の人を呼んで、通夜から食事振る舞って式を執り行えば すぐに200~300万は飛んでしまう。

そこに来て、墓を買って石を置けばプラス300~500万。

合計500~800万円。

 

これが良いか悪いか?

等はという事は無いし、それぞれの家庭で、それぞれの葬儀の形があり、

どうやるのが正解というのが無いのが当然だけど、

 

僕が求めたのは、家の家族が”心から素晴らしい葬儀であった”と、後に笑顔で話せる物であって欲しい、

ただそれだけの思いでしか無い。

 

 

 

 

 

 

 

 


思うこと

2024年12月19日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親父が亡くなって、日曜日に葬儀も終了。

月曜日は母親を連れて、役所にて必要な手続きを完了。

 

火曜日には朝から実家の片付けを初めて、掃除、整理をして、お昼を母親に準備してから帰途に、

そして昨日から正常業務。

 

12月2日からリモートワーク、12日から忌引きということで、約2週間程職場を離れていた事も有り

多量の片付け(仕事)に丸一日追われたけど、大体それも落ち着いた。

 

親父はもうこの世に居なくなってしまったわけだけど、気持ち的にはとても落ち着いている。

よく聞く、 ”親が生きている間にもっと色々してあげたかった云々” という事は自分には無く、

というのは、この数年間、特に親父が脳梗塞を起こして右半身が不自由になった一昨年の年末からは、

できる限り実家に来ては、ホームに居る親父を連れ帰って過ごしつつ、自分なりにやれることは全部やった。

 

望むこと、出来ること、可能なこと全部だけど、 一番親父が嬉しそうだったのは何より、 

僕と会える事そのものであった・・・・・というのは、母親の話だ。

 

物では無く、贅沢でも無く、とても些細で単純な事だけど、親父にとっては母親と僕と、家で過ごすという、

何気ないことが一番良かったのでは無いかと思う。

 

葬儀は僕が全て仕切り、僕の思うとおりに進め、本当に家族だけで、静かに送ることが出来た。

 

慰問者が居て悪いという事は無いが、その分親父と最後に過ごす時間は短くなるし、不要に気を遣うし散るわけで、

余計なことにひたすら神経をすり減らす上に、後で来る経済的負担も多大な物となり、なんら良いことなど無い。

 

故に、僕は完全なる家族葬にした。

 

自分は、世間体など一切気にしない。

そんな物を気にする事ほどくだらない事?は無いと思っているし、見栄もなく、飾りもしない。

いわゆる世間の常識とやらに、不必要に揺すられたり、動かされたりという事が一切無い自分だから、

不要な物はできる限り排除し、その代わりに家族全員の心だけに包まれた空間を親父に提供できた。

 

家族だけで送ってあげるということが、本当に心地よい物だろうか?という迷いも初めには有ったけど、

想像以上に穏やかで幸せな一時で有った事実は間違いない。

 

by 翔

 

次の日記は 葬儀費用について書いてみたいと思います。

 

 

 

 


91年間の人生

2024年12月12日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

親父が、今朝永眠した。

91年+9ヶ月という長い人生、 後数ヶ月で92歳を迎えることができた訳だが、 こればかりは神様のみ知りうることで、

どうすることもできない物でもある。

 

最後の表情は本当に穏やかで、幸せな一生であったと思う。

「亡くなる(心臓が止まる)のは時間の問題です」ということで、昨日は家族の皆、親父からすると我が子(自分)と孫、そしてひ孫まで院の方へ来てくれて、

看取りの為に移された、個室にて対面。

 

昨日の早朝の段階で、いつ呼吸停止してもおかしくなかったことから、面会制限が一切ない部屋に移された訳ですが、 今にも止まりそうだった呼吸は、

皆が来てくれたおかげでなぜか強くなり、そう、皆がいた朝から夕方まで、ずっと安定していて。

 

本当に親父が居なくなってしまうのだろうか?と思ってしまうほど。

体は動かせないけど、瞳は見えていて、耳も聞こえていて、 なので面会室で家族皆の話とかが聞こえていたのがよく判るのは、

表情がわずかなりとも変化するから。

他にも涙をみせたり、年齢なりの惚けはあれど、認知症ではない親父は、家族皆の会話が楽しかったに違いない。

 

91=大往生、だから明るくて楽しく親父と最後の時を過ごしてもらいたいと、子供達には予め伝えてあって、そのことも有るだろうけど、

面会室は死ぬこととは全く無関係に思える、明るい声と笑い声に満ちていた。

 

時間が殆どないのなら、”皆で楽しく時を”、それが親父に対して自分ができた最後の孝行だった。

 

 

夕方に子供達皆が帰り、僕と母親だけが実家へ。

 

今朝の5時15分頃に電話あり。

病院に着いたときには、すでに臨終で、ほんの少しだけ間に合わなかった。

触れた体はまだ十分に暖かく、 医師の検死によって5時45分に死亡という書類となった。

 

葬儀会社に連絡して、遺体を安置してもらい、 その後にこの後のスケジュールなどを業者さんと打ち合わせ。

予め相談してどういった式にするかを決めてあり、その通りに行い、特段の追加もなく。

ただ、母親の希望にて、 完全なる家族だけの葬儀を執り行うことになっている。

 

世間体や、見栄とかいった物が此れっぽっちも存在していない僕故に、葬儀は”完全に親父のために家族で行う葬儀”となる。

故に香典もなく、お返しもなく、 意味不明で不要な物は無く、本当に家族だけで故人を偲びながら送りだす、 少しだけ変わった葬儀になるが、それでいいと僕は思っている。

ちなみにだ、歌を歌ったりとか、変な呪いごとをするみたいな、”異常な葬儀”ではなく、ごく普通の葬式であるけど、送り方と気持ちの込め方が少し違うわけだ。

 

なぜなら、もし自分が命を終える時が来たらば、 家族の皆に、”笑顔であの世に送り出してもらいたい”と思うからで、

その自分の思いを親父に重ねて、故に葬儀はそのスタイルで行くことにしている。

 

 

 


マジで最強かいな?

2024年12月09日 | 親爺と母と 介護や 孫ちゃんの話等

先月の10日から食事がとれなくなり、ほぼ一月。

 

どんだけ丈夫なんだいかいな!? 

 

投与されていた点滴は単に水分補給で、栄養成分はほぼ無し=カロリーなし とのことで、絶食に近いけど、それにより生き長らえていたわけですが、

点滴による全身の浮腫が著しくなり、28日にそれも不可能となって取り外されてしまった。

 

いわゆる水を飲まない状況と全く同じになったわけですが、浮腫による体内水分が沢山有ったおかげか、今朝の段階でまだ心臓は動いていて、

”11日間”も水分補給なしで生きている。

 

昨日の夕方に面会に行き、親父に声をかけたけど、ほとんど反応がなく。

一昨日は体調がよかったのか、顎の動きやその他から面会に来ている事が判っている状態であったのが、それが無かった。

 

ただ、瞼を指で開けて、瞬きさせながら、ひ孫のビデオを見せてあげると、画面を目で追うので、まだわずかに意識があることが判る。

 

後数ヶ月で92歳。

正月を乗り越え、誕生日までは元気で行けるだろうなと転院の際に思っていた自分にとって、つらい現実でもある。

 

介護院の看護師さんや、ヘルパーさん達がまめに面倒をみてくれ、姿勢も変えてくれるし、ひげそり、洗面、歯磨きなど、

食べられない飲めないこと以外は、すべてやっていただいているおかげで、人間らしい最後を迎えつつある。

 

顎呼吸が以前より著しくなり、”苦しくはないだろうか?”と見ていて思うが、脳内物質が放出されているらしく、本人は苦しみを感じてないとのことで、

そういった意味では安心するが、 ここまで来ると、正直言って早く楽にしてあげたいと思う事が多い。

 

老いて、全く動けなくなり、寝たきりになることを一番嫌がっていたのは親父自身だ。

ただ、現実はそうなってしまっていて、本人もそれを解っているだろう事から、それを知っている僕としてはかなり苦しい心持ちでもある。

 

主治医の話では、長くて2週間ということなので、 残っている時は3日程度となり、何もできずに死を待つことはかなり苦しいが、

上に書いた様に、楽にしてあげたいという思いもあり、 心中なんともいえない状態ではある。

 

今回、親父にもらった時間で、どこの葬儀屋さんでやり、どういう葬儀をあげるのかという事はすべて決めてあるので、その時間をくれた親父には感謝している。

突然の訃報だと心がパニックになるが、 これだけ長い時間をもらうと、余裕が有り、準備もできたし、心の整理もついた。

残っている時間は本当に少ないが、最後の瞬間に横で見送れたらと思っている。

 

 


人はこうして生まれてきて、 そしてやがては死を迎える

2024年12月06日 | Weblog

親父の死が近いんですけど、たまたま見つけた動画です。

すごい確率で生まれてきて、一生を終えて、最後は土に戻っていく。

地球に生まれて地球に帰る、 その繰り返しが莫大な時間を費やして、今の人がある。

不思議なものです。

受精から誕生(遠隔授業用)


強いな。親父・・・・再編集

2024年12月05日 | Weblog

12月2日の日記の上にかぶせて書いています。

今朝で7日となり、母親はディケアに行ったので、昨日の面会は僕一人でいったのですけど、

親父はほぼ無反応になった。

声をかけても顔を軽くたたいても、手の平を握っても駄目。

 

数日前なら口を開け、声は出ないながらも返事したり、手の掌を握ってくれたのが、

まったくなくなり、すでに意識混濁になっているのだろうか・・・・

と思えてしまう。

 

病室で親父の横に座り、独り言のように、二人のひ孫や家族の話とかを親父にするけど、

それは、耳は最後まで聞こえているという事がわかっているからですけど、少し前までなら眼球の動きから、ある程度起きているのだなとわかったのが、今日はそれも無い。

 

”そうだ!”と思いつき、 LINEで送られてきた、孫の捉まり立ちのシーンを探し、

まぶたを指で開けて、スマホで見せてみた。

約50%成功という感じで、懸命に立ち上がろうとするひ孫(親父にとって)、約1分程度の動画で、そのまま瞼を開けっぱなしだと痛いので、時々閉じさせてまた開くという感じで再生。

再生が終わる頃に、目を閉じさせようと指を離すと、そのまま開けていて、といっても半開きだけど、

僕が病室で親父に話しかけた時には閉じっぱなしだったが、動画を見られた証なのかは判りませんが、

開けている。

 

その後、しばらくはまた独り言のように僕が話をして、最後に「帰るね!」と言って手のひらを握った時にはまぶたは閉じられていた。

 

年齢なりの惚けはあるけど、認知ではない親父なので、耳が聞こえていて、少し前まで目が見えていたので、

おそらく全部分かってくれていると思う。

 

主治医の話では、点滴により体内の水分が過剰摂取気味で浮腫んでしまうことで、針を刺せなくなり、その状態で点滴外すと、早くて5日 大体1週間、 どんなに長くても2週間らしく。

今朝でほぼ7日間となり、体の浮腫が徐々に引いて、お年寄りらしい?ほっそりとした腕や手のひらになりつつある。

 

8月末に一度親父のことで病院で看取り含めての話をしたときは、 半分パニックになり、数日は思い出すと涙ぐむことも有ったけど、今はそうした心の動揺はなくなり、親父が寝たきりで全く動けない姿を見るにつけ、

できるだけ安らかに逝ってもらいたいという気持ちが強い。

 

老衰の最後は 顎呼吸、そして体温が上がり、死前喘鳴というたどり方をするみたいですが、

今日握った手のひらは左右とも、とても温かく、少し顎呼吸で、+死前喘鳴なのかいびきのような感じに聞こえる。

どのくらい親父に時間が残されているかは判らないけれど、可能な限り側にいてあげたいと思う翔です。

 

 

 

以下は 12月2日の日記です

11月10日から食事がとれなくなり、先週の木曜日の朝からから最後の頼みである点滴もできなくなった。

食事をとってない期間がもう3週間となり、点滴自体は基本の朝から的な栄養分がある程度含まれていたにしても、

まだ心臓は動いている。

点滴でむくみが著しくなり、針を刺せる血管が痩せ衰えてほぼなくなり、そしてそれを外せば頼みの綱の投与がなくなる事であり、生きるための水分はどんどんと減っていく。

普通の人で72時間がリミット。

体にむくみとして溜まっている水分があるにしても、今日で4日になる。

 

仕事休んで 先週の木曜日、土曜日、そして今日(月曜日)と面会に来たけど、

どんどんと反応は弱くなる一方で、声を出せるほどの体力が無いながらも、前は手を握り返してくれることで

ある程度の会話ができた。

 

ただ、今日はその握る力もほぼなく、親指だけが動くことで見舞いに来ている事がわかっているんだなと・・・

 

そんなに時間が無いことはわかっていることから、今日から有給をつかって、親父の最後を看取るために、

実家に泊まり込みになるけど、後のどのくらいの時間が残っているかはわからない。

 

息子として”最後にできることは何か無いだろうか?”と考えるも、意識酩酊が始まってきている親父に何ができるはずもなく、ただ、見守る事しかできない。

 

母親は、僕が家に来ていることもあって元気だけど、この後、自分が家に戻って一人きりになった時が怖い。

 

一気に惚けないだろうか?と思うけど、 かといって自分の家で一緒に生活することは母親自身が拒むので不可能。

 

まだ、自分一人で起きて、ご飯を作って食べ、畑仕仕事とかをやってお風呂に入れているが、

それもそう長くはないだろうと思う。

 

施設という言葉が頭の中をうろうろするが、 施設に入ったとたんに一気にできなくなる事が増えてしまうのは、親父を見てきたからよく知っている。

かといって、そのままにもしてはおけないという、どうにもならないジレンマ。

 

ベストは何か?という自分への問いかけは常に付き纏うもので、また課題であり。

どれが正しくて、どれが一番よい回答なのか?というものがない以上は、常に可能な限りを目指してやっていくしかないわけで、 ただしそれは、自分を育ててくれた親に対する当然の事だと思っている。