帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

後もう少し?で歩くかな もうすぐ八ヶ月 

2012年04月30日 | 研究-教育・育児

後もう少しで八ヶ月になる孫、この一月の変化ですが、相変わらず昼寝の時間が極端に短い。

 

ここ数日でつかまり立ちし、こたつテーブルにつかまっている場合だと、そのままテーブルの上の欲しい物を取るために横へ移動していきます。

ハイハイはお手の物になってきていますので、広いリビングを自由に這い回っては手にする物全てに触れている。

 

他に絵本が大好きになり、特に音に関する単純なのが大好き。

もちろん絵本をさわったら音が出るような無機質な物ではなくて、僕が絵本の中に表現されている音を手と足、色々な小物をつかって再現するわけですが、

メチャメチャ喜びますので、何度でもやってしまう僕←バカじじい(笑)

 

僕が指で指す方向と物をすでに認識できており、それゆえ色々な物を指し示して名前をやたらメタラと教えますが、分かるはずもないだろう・・

なんて思いつつも、絵本もそうですが、分かろうが分かるまいがまったく関係なく、こっちが楽しいからやっているというか(笑)

 

そう言えば、だいぶ前から始まっていた人見知りは、相手を見て単なる泣くから、自分の仕草で相手がどんな顔をするかを見極めながらやっている段階に移行したようです。

*乳児ですから別に高度な目的を持ってやっているはず等ありません。

人の顔色から相手がどんな感情をもっているかという、人が社会生活を営んでいく上において絶対に欠かすことの出来ない読心訓練を本能がさせているという、

きちんとした(正常に育っている)証拠ですが、これが豊かな喜怒哀楽に結びつく。

 

親の顔色を常に見て育つことは何より大切で、特に叱られる際に向けられる親の顔に存在する心の中の怒り(怒り無く叱る事は、なんら読心訓練になりません)を通し、

何を考えているのか?感じているのか?を微細に読み取る訓練(教育)をきちんと受けて育たなかった子はかならず将来不幸になる。

六ヶ月から一〇ヶ月の間に必ず起こる人見知りはその為の基礎中の基礎をはぐくんでいく時期でもあるのですね。

 

ただ、この時期は自分に向けられる愛情だけしか学べません(当然です)ので、虐待を受けるような訳の分からない怒り(暴力)にさらされながらこの時期を過ぎると、

健全な精神はまったく育ちません。

 

人は、まずあたたかい心を含んだ笑顔とやさしさ、これが一番初めに学ぶべき事であり、その次に悲しみ、最後にもっとも難しい怒りを理解していくという段階を踏んで成長するわけです。

そのなかでももっとも大きな段が、まずは第一次反抗期、これにより怒りの存在という物を完全に認識し、以降さまざまな形のストレートな怒り表現に接しながら成長していく。

 

第二次反抗期は、一時反抗期との間で学んできた、人のもつ基本的な怒りの種類を総轄整理するために有る。

同時に、冷たい怒りや、隠された怒り、いわゆる面従腹背的怒りの様なさらに高度な怒りを学ぶために存在し、

これによって”人の持つ最も本能的”でありながらも大脳新皮質が織りなす非常に複雑になった感情 ”人間としての怒”を理解できるようになり、

またそれを上手にコントロール出来るようにもなる。

 

よく叱らない教育を推し進めているおかしな教育評論家や、学者、精神科医がいますが、

これは上記に書いた大切な心のトレーニング時間を奪うことそのものであり、こうして育てられてしまうと 人の心の中にある 怒りに際限ない恐怖を覚えるだけとなり。

初めは”すぐに切れる子”、そして結果としての 無気力や引きこもり となって現れる。

何ら難しくはなく、心の闇でも何でもなく、単に有るはずだったトレーニングを親がさせなかったというだけのことでしか有りません。

 

さて、余計な話は置いておいて、八ヶ月間近の子でも怒りの感情という物が存在しているんですよね。

ハイハイして自分の思う方向に行こうとするのを背中つかんで阻止すると泣いて怒る。

目の前におもちゃをおいて取りに行ってつかむ寸前にさっと取り上げる(意地悪なので一度限り)と、やはり泣いて怒る。

単純ながらも、泣きながら相手を叩いたりもする。

怒り=攻撃 ですから、これを上手にコントロール出来るように親は育てていくのですが、叩いたことを叩き返すような育て方は厳禁ですから、何度でも根気よく「駄目なんだよ」とさとしていくわけです。   

*上の例はこちらの悪戯でこちらが悪いよね 

でも、こうした教育は新米パパとママの仕事。

”僕は一切口を出しません”、というか、ジジイはどうも甘やかすだけになりそうでして、自分が子供達にやってきた当時の厳しさはどこえやら(爆笑)

 

 

 

 

 


感謝の招待

2012年04月29日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

増築もリフォームもほぼ全てが完了しましたので、親を家へ招待しました。

僕の親が家に来たのはもう10年以上前のことです。

年である事や、距離が遠い事もあって、こちらから向こうには行くのですが、向こうからこちらには

なかなか来られなかった。

 

今回の増築工事にて予算的支援(親心ですよね・・・・)をだいぶしてくれたこともあり、完成した物を見てもらうのと同時に、家族全員で手料理にて持てなす方法で、感謝の意を示しました。

「えらく喜んでくれた・・・・」

 

ただ、親父が長い時間の運転が出来ないので、僕が向こうの家まで電車で行って一泊し、今日の朝に

親を、親の車に乗せて家まで連れてきたのですが、帰りも高速道路の入口まで送りました。

ゴールデンウィークですから、渋滞を避ける為のルート設定と時刻読みが難しかったのですが、

予想通りになんら渋滞にかからずに家についたとのことで安心しました。

 

しかし・・・・・     いつまで経っても親は親なんですよね~。

 


シンプル イズ ベスト

2012年04月26日 | 僕という人間 その他

現在使用しているパソコンディスクです!

って、 足が無いでしょう!(笑) 

「浮かんでいるんですね~」というつまらない冗談は置いておいて、

 

以前有った、ラック利用のPCディスクは、今回の増築&リフォームに伴い廃止しました。

 

これはスペースの広がりによって一カ所に集約させる必要がなくなったからです。 あっさり

やたらと無駄なスペースを食う無線ルーターやらハブやらサーバーの類はリビングの天井角、根太間の空きスペースにまとめて集約し、稼働状態が一発で分るような配置にして、メンテナンスをやりやすくしています。

しかし・・・・・・・

ケーブルモデム、無線ルーター4台(メイン2、サブ1 AP専用1)、サーバー?台、ハブ2台ですので、結構な大所帯。

って、「配電盤に固定しているんかい?????」(爆笑)

 

実は、増築の際に容量が足らず、母屋のものを新しい配電盤に交換したのですが、その際に外した旧配電盤を最利用して増築建物の分電盤にしています。(新品で2万から3万しますので)

当たり前ですが、元々メインブレーカーが入っていた部分の穴がポッカリと開いていて、非常にみっともなかった・・・・

そこでその部分を塞ぐ化粧板を取り付け、ついで?にルーター類を取り付けてしまったという

結構いい加減な発想。

「まずいかな~」 (笑)

まあ、単なる穴カバーで取り付けた板の上に、さらに留まっているだけなので、なんら電気的結合は無く、問題はありませんが。

 

 

そして、普段ほとんど使われ無いくせにでかくて邪魔なプリンターは、寝室へ移動させ、

無線プリンタサーバーをネットワークに噛ませて全てのパソコンから使えるようにしています。

 

これまで使用されていた、例のさまざまな工夫を凝らしたラックですが、シンプルな扉つきカラーボックスへと戻り、普段つかわれないブランクDVD、ソフトウェアの箱や、ケーブル類等の細かい物を収納するボックスとなっています。

 

さて、この足が無い?PCディスクですが、壁に直接取り付けています。

体力壁を構成してる縦スタッドに75mmロングのコーススレッド8本打ち込んで固定しているので、20~30kg程度までは問題なく耐えます。

 

ディスプレイとノートPCを載せると残りの許容重量に余裕がなくて危ないのでは?という感じを持たれるかと思いますが。

実は一番重い 27インチ液晶モニターは このようにステンレスワイヤーによって、これまた壁のスタッドに取り付けた頑丈なホックに引っかけて釣り下げられているために、天板にはノートPCの重さしか加わっていません。

釣り下げた理由ですが、専門の壁取り付け金具だと価格が1万以上するうえに、フレームむき出して醜い。

釣り下げるだけならホックとワイヤーで千円もかからずに出来ます。

他にも、地震時に倒れないようにする意味もあります。

 

 

実はこのテーブル、横の出入りを多用する時など、邪魔な場合は簡単に下へ折り畳めるようになっておりまして、ノートPCを降ろし、テーブル下のレバーをポンと指で押すだけで折りたためるのですね。

これもあって、でかくて重いモニターをわざわざ降ろす必要がないように壁掛けにしているのです。

 

「え? 足がぶつかったら勝手に畳まれるのでは?」、「 って?」、

大丈夫です、この金物はアメリカ製で、折りたたむ為の引っかけを作動させるためには、天板をある程度持ち上げなければ

押せないようになっている。   二重ロック機構です。 

 

このあたりが、アメリカ製のよいところで、安全にできています。

 

まあ、一つのことをやるには色々考えてやるのですが、テーブルの足が無いと本当に扱いやすくて便利ですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


換気扇を 自動運転にしたよ~ん!

2012年04月24日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

 

キッチンを広げ、アイランド型にしたお陰で、収納力が増し、むき出しで溢れていた物が全て収納されてしまった事から 何ともガラ~ンとした感じになった我が家。

 

以前のゴチャゴチャがすっかり消失し、綺麗だけれど寂しいような、他に何となく寒い感じがしないでもない(笑)

初めはこんな感じだった・・・・

*人が写っているので一部画像加工しています。

 

ここはまだ多少の変更と改造要求がでるので、チョコチョコ手を加えていますが、今回は換気扇を自動運転する装置を設置しました。

 

というのは、時折換気扇を付け忘れて調理を始めるのが家のカミサン。

何故か知りませんが何度注意してもやるわけでして、油煙が上がって天井などが汚れるので「必ず!」と言っているのに忘れていることがある。

 

う~ん・・・・・・・・ 

「そんじゃ~レンジに火を付けたら自動で運転する装置を付けちまえ!」と、いうのが今回の工事。 

 

使用したのは三菱の温度センサー付きの換気扇コントローラーで、もちろんヤフオクにて1700円で購入。

早速内部を分解し、回路解析をすると、温度を感知しているのは、単純なサーミスタで、これを伸ばして換気扇フードの中へ持っていけばレンジの火の熱を感知して自動的に入り切りしてくれる。

基本的にこうした家電の改造は危険なのですが、そこは専門分野ですから、その他の回路をみて危険性が無いかを調べ、単にサーミスタ配線を伸ばす分にはなんら危険性が無いことを確認。 

 

取り付けですが、本来はそのままフードの中に取り付ければ一番簡単で良いのですが、当たり前の問題が起きてくる。

まずはレンジフード内はガスレンジの熱で非常に高温になりやすい。 

電子制御部品は基本的に熱に弱いですから、そうした環境に置くのは問題がある。

さらには、炒め物などの油煙が溜まったり流れる部分ですから、使っている間に油でべたべたになるわけで、これがやはり電子機器には良くない。

そして最後、フードの高所に取り付けたら、コントロール盤の操作が必要な度に脚立か踏み台を持って来なければならないわけで、自動化したのに余計な作業をさせられたのは たまった物ではない(笑)。

 

そんなわけで、操作盤は適度な位置に、温度を感知するセンサーだけを伸ばしてはフード内に取り付ける事にしました。

体をねじ曲げるようにしてサーミスタを取り付けますが、結構面倒くさい。

オマケに15年以上使っているフードは掃除しても内部が茶色いし・・・ 

場所としては換気扇を外して洗う際の取り外しに影響がないところで、なおかつ

熱の流れがあるところであって、さらに汚れにくい処じゃなくてはならず。

試行錯誤の結果、写真の位置にしました。

 

そしてコントローラですが、この位置

まだ下に配線が一部見えていますが、しばらく試運転?を行い、問題がないことを完全に確認したらカバーを付ける予定です。

 

現在取り付けから数日経過していますが、とにかく換気扇操作が不要なので家内から大好評。

感知して動き始めるフード内温度はコントローラーから簡単に設定できますから、季節に応じた調整ができる。

例えば35度に設定したとすると、冬だと気温が低いので、ガスに火を付けて換気扇が回り始めるのにかなり時間がかかる。

フード内の温度が上がるのにそれなりに時間がかかるからです。

そこで設定を25度にすると、ガスを付けて調理が本格的に開始される前に回り始めます。

同時に暖房の室内設定温度より少し低めにしておけば、不要なときに回らず、且つ適度な間隔で換気して室内空気を入れ換えてくれる。

一酸化炭素中毒の可能性が減る、一番いいのはCOセンサーとコンボにする方法ですが、

COセンサーの換気扇コントロール装置が無いし高い。

まあそれはないとして、普通の使用には困りませんから。

 

夏場ですが、室温が高くなるので、設定温度を35度くらいの高めに設定し、運転が開始される温度を上げて不要に回ることを防ぎます。

調整範囲が5度から45度ですから、かなり便利で、実際使ってみていいのは、調理後に換気扇が止まるまでにしばらく時間差がある。

普通、料理を終えると換気扇の消し忘れを恐れることもあって、割とすぐに止めてしまう事が多いのですが、この方法だと、調理後のキッチン内天井付近に溜まっていた水蒸気や油煙の汚れたエアを完全に吸い出して温度が下がるまで運転し続けますから、非常に都合がよい。

 

設定は基本的に温度コントロールモードですが、連続運転も可能で、換気扇の運転と停止を繰り返えさせたくない場合などに切り替えます。

 

と、非常に便利な自動換気扇コントロールなのですが、一つだけ問題があります。

それは、換気扇についているエアの逆流防止パタンがずっと開きっぱなしになること。

換気扇本体は常にスイッチが入った状態になっているということで、コントローラーは換気扇につながる電源の入り切りで回しています。

 

ゆえに換気扇が北側に向いていると、当然に冷たい北風が入りっぱなしになってしまい、南に向いていると、春の砂嵐がもろに吹き込むし、夏場は蚊が入ってくる。

家の場合は東向きで、隣家との間にあるので、風の吹き込み問題は殆ど無く、蚊は換気扇カバーを付けているので入ってこない。

 

本当なら、エアで押されてフリーで動くパタン、もしくは自動開閉するシャッターなんかを付けたら良いのですが、そんな複雑な事すると必ず機器は壊れるので、やらない。

 

問題があるときだけは、自動コントロールこそ効かなくなるが、換気扇本体の操作ひもを引いてしまえば良いだけの話ですから。

最後に全景写真

 

 

 

 

 


生・成 & 死 

2012年04月23日 | 世の中

「人という字は 人間同士が互いに支え合って人という字になるのです」と、金八先生がばらまいたおかげで、すっかり”人”という字がそういった成り立ちから来たという事に

になってしまったわけですが、これが結構頭痛(フルに自分一人だけですが)。

*この番組は初めこそおかしな思想も特別に無く、ある意味優良番組でもあったのですが、一時期ToS系お得意の左翼思想をそこいら中にちりばめた異様なドラマになってしまったことがあって、

ウンザリしたことが何度もありました。

特に給食費滞納をテーマとした時のシリーズ等は、そのバカさ加減に吐き気すら覚えた。

 

まあ、ねつ造が常の ○BSですから、原作者?脚本家?におかしな圧力でもかけたのか知りませんが、それがなければ本当に良かったのですがね・・・

一億洗脳計画でも画策してたんでしょうかね? 毎○は。

そういえば、毎○新聞の 発行比率は他社新聞との比較においてすでにメディアとしては終了しており、なんで発行しているのか分りませんね~ 恥さらしというか・・・・

 

さて、そんなどうでもいいメディアの事は放っておいて、本来は人の歩く姿をそのまま文字にしたのがこの人という字。

故に人は右方向を向いており、グラフなどの時間を表す目盛りのように未来へと歩み続ける文字となっている。

人と似た文字に入るというのがあるが、金八先生は人とほぼ同じ形をした入るという文字をどうやって生徒に説明するのだろうか(笑)

入るは、歌舞伎の上手 下手からくるもので、上手から下手へ、太陽の動きと同じく東から西へ”入る”方向を向いている。

人の歩く姿と方向で”人”と”入”るを分けているともいえ、どちらにしても前を向いて歩むことを意味している。

 

そういえば、同じく金八先生のドラマで、死という文字の上に生という文字を書いて、命と死を教えていたけれど、これそのものはさほど間違いではないが、

人の命という点から考えると、生と同時に”成”も教えねば不十分であると僕は思う。

 

何故なら生は単なる草木の成長が基になっており、成は人そのものの成長だからだ。

 

番組のなかでも、生は草木が育って生い茂る姿を現していると説明しており、これは本来、生まれてくるという意味ではなく、単に育つという意味に比重が高い。

 

しかし、成は ”うまれる” という意味を含んだ物で、同時に一つの事が成就することそのものを意味するけれど、これそのものがそれを境に新たに歩み出すという意味も兼ねている。

多分に、且つ極めて人間的な文字で、本来なら金八先生はこれをもって 命を語らねばならないと思うのだが、番組ではそれが欠けていましたよね~。 

そんでもって、なぜ人間的なのか?ですが、成という文字そのものが、”戊”と”丁”、そして”水”の組み合わせ文字で、

 

”、”」は水であり、生命の泉そのもの。

水は、昔の中国の古い物質論である陰陽五行説(古い思想?ん?考え方?ですね~)であるところの、胎内とそこで発生する命の霊的な意味を持ち季節は冬を表す。

 

”戊”は同様に 土性の陽 を指し示し、方位では中央であって”季節の変わり目”の象徴。

時刻としては五時前後くらいで朝と夜の間、この字は茂に通じていることから、植物が絶頂期であるという意味も持つし、万物を育て慈しむという意味も持つ。

 

”丁”は火性の陰、そしてこの文字そのものは何かを固定するという意味を持つ。

同時に植物が絶頂期に達するまでの”発芽から絶頂期の少し前(安定)”という意味を持って、夏の意味合いもある。

 

戊と丁の関係は五行相生(これまた古い・・・(笑))で、 火は土を生じ 土は金を生じるわけで。

その金が水を生じ、 更には水が木を生じさせ、それがさらに火につながり、永遠に繰り返すループとなっている。

 

ちなみに、成という文字に含まれていないのは金と木で、人は鉱物ではなく植物でもなく、この二つは人を表すに馴染まない、地中に埋もれ、地に固定される物だからだ。

 

故に、成という文字は、火と、土、水の三つを人の特徴と要素にしたうえで人間のもつ最大の特徴を象徴し、それは火を使いこなし、水と土から産する植物と生物のタンパク質を

摂取して命を保っている人間の姿そのものでもある。 うんうん

 

上記の意味を 成という文字は持つわけですが(訳分らないかもしれず、すいません 参考にしてもらいたい URL は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3)、全体としては十分に成熟し、生まれ出ることそのものであって、これが出産と始まりを意味している。

まとめるとに、この世に生を受け、死に至る全ての時間のあらゆる生命の成長(繰り返し)そのものを表しているということです。

例えるなら、成人式は 人が命をうけて成長し、20歳をもって新たな人生を歩み始める新たな出発点、という意味で、成人は熟して一番輝いている時をも表しているという事です。

完成、成長、等々の成がついた言葉は全てその先がある。 

 

さて、この文字にとても強く関連している文字があるのですが、それが死という字。

文字の形だけをそのまま見ると、成という字にあった”、” すなわち水はー(大地)の下の土中へ没し、夕という文字を形成。

朝に紅顔ありて夕べに白骨と化す、という教文の一言にある言葉そのものにあるように、命の終演。

 

命の絶頂期そのものである、成に通ずる ”戊”の字が変形し ー(大地)の上に飛び出てた生命は失われ、水(方位は北)も上に書いたとおり土中に固定され流れが無くなっています。

さらに根の部分(クロスしていたところ)は ヒ の字で ヒは七首の意味を持ち「亡くなる」という意味を持っているのですが、

なぜ亡くなるという意味なのかは、このヒが人が土中に埋葬する時の姿勢そのものであって、「變(変)ずるなり 到人に従う」と説文の初文。 人の死そのものを表しているからです。

七は水と同様に北を意味し(これは陰陽五行説の水の指し示す方角)、屍、尼 という文字にも使われている。

 

このように、死という文字は 大地を指し示すー そして時の夕、そして死を表す ヒ

そしてヒは七で 変化に従わざるを得ないという摂理を意味している。

 

総合して考えると、成の字にあった要素の 季節の変化を表す戊 は 朝、それが死では 夕 という文字になっている。

共通に存在する水 = ”、”は成では 大地=”ー” の上に有り、 ノにより川となって海へと注ぐ姿で描かれているが、

死では乾いた不毛の大地となり土中に深く埋没して 夕 という字をなしている。

成 では 大地=ーより上に植物(芽)が存在し、そのその根は大地=ーの下の 地中にしっかり張り巡らされて生き生きと描かれているが、

死では 人の埋葬された姿= ヒ(七)となって 摂理を意味している。

 

と、この二つの 成 及び 死 という漢字は全く正反対に存在しているわけで、漢字を構成している各パーツの意味を掘り下げると非常に面白い。

 

ゆえに、本来なら金八先生はこれを生徒に教えねば成らなかったはずで、ところが死の文字に生をのせて命を説明。

ただの植物が生える姿から来た文字と、命の躍動を象徴する成ではまったく異なり。

生を教えるなら成は欠かせないわけで、ドラマの中では国語の先生だったのはずなのですがね~・・・・ 、なんて思ってしまったりもするわけです。

 

そういえば金八先生シリーズも完全に終わってしまい、寂しい限りだな~なんて思ってしまったりもしています。(笑) 

 

 

 

 

 

 


同窓会

2012年04月22日 | 世の中

現在、朝の5時38分 上野は不忍池がわずかに見えるビジネスホテルなんぞにいます。

「雨降りそ~だな~」  ポツリ

 

すぐ裏通りに、「なんていかがわしい店が多いんだろう」、 と歩きながら昨晩は思ったわけですが、「え?」 いえいえ僕が泊まったのはれっきとしたところですから誤解されないようにお願いします(笑)

 

昨晩は25年ぶりに高校の同級生達に会った…

一年前の東北大震災がもたらしてくれた旧友との再会です。

自分自身はこうした同窓会が6年ほど前から行われていたのを知らず、まあ、卒業後すぐに結婚して、住居を2回も変えている上に、親も新しい家を建ててそちらに移っているのですから仕方ないといえばそうなるかな~ 

 

ほかにも僕の性格的なものがあって、ある場所を離れると、元の場所で構築されていた人間関係にまったく無執着なのもあります。

 

そんでもって、こちらの居場所なんぞ知る人もなくて、ある意味行方不明状態になっていたらしい(笑)

 

ところが、昨年の震災の時に影響を受けたであろう旧友が無性に心配になって、ぽそっと連絡を取ったところあれよと言う間に結びついた。

 

その後、時折メールをくれる付き合いだったのですが、「同窓会があるので来いよ!」とのお誘いで初参加。

しかし、年月は容姿を変えますよね~ はじめは 「あれ?誰だったっけ?」という感じだったりしたのですが。

すぐに 「あー!」 となって、まあ懐かしいわけですが、 行方不明?だった僕が来るということで、みんな楽しみにしてくれていたようです。 

 

いろいろ話をしていると、現在の友達達は大体三つの大きなグループに分かれており、ひとつは大企業で活躍している面々でこれが80%近く、次が会社社長(自営業含む)で15%くらい、残りは、あい変わらずの技術屋といったところで5%という感じ。

「その内訳は?」というなら、大きな企業の連中は高校時代に普通の成績だった友達で、はじめから東電や小田急電鉄等のでかいところに入った者はそのままだけど、零細に入った友達がステップアップを繰り返して大手電話会社の技術部門でそれなりに働いていたりして「へ~」と驚かされる。

次に、純粋に当時と同じく技術屋のままいて、単独で活躍できる友達はたいてい海外と何らかの関係を持っていることが多く、外資絡みだったり、日本企業の社員として海外を飛び回っていたりと、要は、英語を使って高度な仕事ができる者で、いわゆるエンジニア職。 

これは学年でトップだった一握り。

 

最後はクラスの問題児? 達だったグループで、これがなぜか会社を建ちあげて社長の椅子に座っていたり、自営業で割と零細だった親の会社を引きついて大きくしていたりと、経営側にまわっているのが殆ど。 

しかもそれぞれが何らかの形で結びついて、半グループ企業状態になっていたりと、「当時のグループ行動 そのままやんけー!!」と笑わせてくれたりもします。 

近況報告などを聞いて、自己紹介?交じりで色々と話をしてくれるのですが、顔と高校時代の行動がこうした職業的な分類となって結びついてくるので面白い。

それじゃ~自分はどうか?というなら、やはり上記のグループにしっかりと入っていたりなんかして(笑)

ほかに面白のが、今回の同窓会でやたらと元気で健康的な友達がみなバイク好きであること、何台も大型を持っていたり、現役でガンガン乗っている者ほどエネルギッシュ。

これは結構驚きでした。

 

まあいろいろな話を聞くわけですが、残念だったのが一人亡くなっていたこと。

少しお調子者だった彼が亡くなった原因は過労死とのことで、笑えないこの国の姿というのもあるわけです。

まあ、そんな感じで楽しいときをすごしたわけですが、上野から夜遅くに酔っ払ったまま田舎まで電車移動なんぞしたくない僕はビジネスホテルを予約し、

こうして「ぼ~」とした頭で貸し出しパソコン何ぞでブログを書いたりなんかしているわけです。

 

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キンピラゴボウ と 手造り料理

2012年04月20日 | 研究-教育・育児

だいぶ前の事ですが、娘がテレビを見ていて呆れていた。  ん???

 

「どうしたん?」と聞くと、なんでも番組に出ていた女の子(大体25歳位らしい)がキンピラゴボウを

造れず(作り方を知らない?)、スーパー等で惣菜を買ってくるとかなんとか? らしく、

それに対してピキピキ反応。    お~怖!

 

17歳の我が娘ですが、殆どの家庭料理はつくれ、最近ではもっと請った料理を研究したり、工夫したりするようになってます。

そういえば少し前に食べた、ほうれん草とホワイトソースをベースにしたパスタは「最高の味だっな~」 なんて思い返したりして(笑) 

 

娘は、どちらかというと料理の基本を僕の方から教わっています。

夫婦共働きの我が家であっても、”食事を作るのは女の仕事”という絶対に崩さない僕の基本姿勢のうえに家は成り立っておりますから、

普段僕がキッチンに立つことはありません。

ただ、家内が病気、旅行、仕事で遅くなる等、どうしても駄目な場合だけは僕が分担する。

 

女性というのは不思議なものでして、「なんで手伝わない?」と娘に文句を言うのに、やり出したらやり出したで面倒くさい?のと邪魔?なのかしれませんが、

不可解なことを結構やります    むむむ? (爆笑)

まあ、忙しいから手早く終わらせたいのもあるのでしょうが、手伝おうとするその姿勢だけで満足してしまうのか?は分りませんが、

どこの家庭でも話を聞くと似たようなものらしい・・・・

 

そんなわけで、僕が作る時は、割と時間に余裕をもってやっていた事もあって、娘を呼びつけては包丁を持たせつつ、調理の基礎を一つ一つ教えながら

一緒にやってましたね。 

と言っても、これはもちろん、親としての完全強制。

 

なぜなら、将来 子供と伴侶に旨い物を食べさせていなけばならない以上、幼い頃からこうして基礎を教え、

高校生になる頃には完全に出来るようになっていなければ、ただただ親として恥ずかしいからだ。   理由はそれ以外に無い。

 

その為に「女の仕事だと言って強制するのか?」と もしフェミニズム丸出しの男女同権団体なんぞから問われれば、「そのとおりです!」 ときっぱり答えます。

これはトイレ掃除、部屋の片付け、清掃、生活のすべてに共通するうちの子育てです。

 

娘に包丁を持たせ始めたのは小学校低学年の頃からですが、何度も指を切りつつも(僕は絆創膏貼らせてそのまま調理続行を強制します)次第に腕を上げていき、

今では家内がいないときの料理人?になってくれています。

 

故に娘は、男の料理&調理方から入り、そのあと(いっぱしに出来る様になってきた頃から)家内が細やかなことを教えるという、少し変わった方法で覚えている。 

高校生時代に飯場の飯炊きバイトをして基礎を叩き込まれて以降、さまざまな食事を子供たちに出していましたが、僕の造るのは材料がいちいちデカイし、

中身をガンガン入れて、見てくれより味とボリューム重視。

そんなわけで、娘は僕と家内の良いとこ取りという感じかな~。

 

こうした娘の姿をみて嬉しく思う時があります、それは外で(学校含む)なんらかの調理するようなことが事が有ったとき等ですが、

「同性の子が包丁をもっておたおた戸惑っている事が多いのに、自分は何の問題もなくスムーズにこなせる」、 という話。

友達から聞かれれば即座に教えるし、そうでなくて出来上がってしまった友達の料理を味見し、足らない部分が有れば即座に調整できる。

「そんな事が、そつなく出来てしまう」ということを話してくれた時など。

 

「でも、逆にそれで困ったことがあるだろう?」と聞くと、明らかに間違ったやり方をしていて、しかも、自分の話をなかなか聞いてくれずにやってしまった料理フォロー

というのが大変らしく、相手を傷つけない為に大変な神経を使うとも言っています。    女性は本当に面倒ですから・・・・

 

例えるなら、マッシュポテトを作る場合等ですが、これはまず先に皮をむき、出来るだけ細かく切って電子レンジ加熱するのが短時間で仕上げるコツなのですが、

友達はそのまま皮ごとお湯で茹でてしまったりして・・・・  「う~ん」

 

それだと茹で上がるのにやたらと時間がかかるのと、その後にあつあつ状態のジャガイモ皮を手で剥く事になってしまい、アッチチ!アッチチ!となり、

当然に少ない調理時間のなかでは間に合わない・・・

 

ジャガイモは皮をとるか残すかで風味が当然に変わって来るわけですが、オーブンなどで多少の焼き目をいれたポテトを肉料理などに添えて出す場合等には、

香ばしさとスパイスが重要なので皮は剥かない。

しかしながら、マッシュポテトの場合はそうしたことは全く不要なので、とにかく早く火を通し、熱々状態のまま適量なミルクをまぜつつ温度を落として行き、

同時に塩をベースに味付けしていく。

上にかけるソースの種類により、スパイスを変えるわけだが、友達はそうではなかった・・・・

 

でも一生懸命やっている友達の姿に、「間違っている!」と横槍をいれるのはいかがなものか?と

できるだけ、自然に悟ってもらえるように話を展開したりするらしいのですが、やっぱり難しいようでして・・・ 

 

他にも、後片付け等で、油物、それ以外の食器を全部混同して洗ってしまったり、二人作業でやる場合は片方が洗剤で汚れを落とし、

もう一人がすすいで、水を切っていくというのが出来ず、皆でゴチャゴチャになってやっていたり、と

 

そうした際には、途中からその仕事を自分で買って出て、友達が気が付くのをまってみたり(大抵は男の子のほうが効率のいい方法にすぐに気が付くそうです)。

「友達(とくに女の子)の持つ自尊心とプライドに触れることなく、分ってもらえるようにするのが本当に難しい」と、言ったりしています。

 

幼い頃より、人前にシャシャリ出るな、一歩下がったところから補佐しろ、偉ぶったり見せ付けるようなまねは厳禁。

そうしたポリシーで育ててきた娘は、相手にはっきり言うことを避けるために、ある面で大変なことが多いようです。

 

ただ、こうした事は、世の中に出て、見る人が見れば必ず分る。

 

能力の高い男性ほど、女性をよく見ていて、当然それに応じた相手を選ぶわけですから、最低限の気配りと出来ねばならないことが出来ないようでは、

その程度の男としか結ばれないわけです。

 

人間関係に理想という言葉は馴染まず、あるのは現実だけ。

父親として、”当たり前の事が、当たり前に出来るように強制し、社会という型にはめて子供を育てねばならない”、なぜならそれを基礎として型を破りつつ

さらには上手く利用しつつ、自分を伸ばすことができるようになるのですから。

 

「えっ?」、 「型にはめたり、強制してはいけません! だって?」、 バカを言うな、”何一つ出来ず、社会に適合できない非常識人間を育ててどうするというのだ!?” 

「そんなもの糞くらえだ!」

 

 

 

 

 

 

 


Days of Thunderbolt

2012年04月18日 | バイク

http://free-photo.gatag.net/2010/08/06/050000.html

 

カッ!!  「1、2、3、」 バリバリバリ!    「約一キロ先か」

パッ!!  「1、」  ドーン!!    「ふぅ~ 340m」

 

全身ずぶぬれ、雹が混じった雨は容赦なくライディングジャケットを叩きつつ、中へ浸透し始めている。

つらいのは最初の10分、それを過ぎれば諦めが来て、そしてすぐに何とも言いようの無い楽しさへと変化する。

春をはさんで、夏と冬が繰り広げる大空の戦い、それが ディズ・オブ・サンダーボルト 

大河のように流れる雨水は道路に大きな水溜りをつくり、それを避けるようにアクセルをコントロールする。

閃光がきらめくたびに、濡れて冷え切った手の甲が輝き、空は青白く弾ける。。

 

「あ~あ、巻き込まれちまったな・・・」 とポツリ思うが、こうして又夏に近づいていくのかと思うと嬉しくなる。

一段と激しさを増した雨に歯を食いしばると、自然の息吹に身を任せる。

雹が叩き散らし、雷の突風が創りあげた花びらのトルネードが突然目の前に出来上がり、そこへバイクをそのまま突っ込ませる。

冷たい風と生ぬるい風が頬を交互に撫でては後ろへと、飛んでいく。

 

その瞬間、ふと思う 「今日の夕焼けは綺麗だろうか・・・」

 

 

 

 

 

 


春、そしてバイク

2012年04月17日 | バイク

ギュ~ン! ク! ガツン!!  フォン!!!

 

フ~と思わずでるため息、 やっぱバイクは最高。

 

昨年の秋以来、通勤は殆ど車、ほぼ毎日何らかの材料を買っていましたからね。

 

何時の間にやら季節は春、そういえば今年はツクシを見つけられなかった・・・・

 

バイクだとすぐに分るのに、車だと気が付く事すらない。

鉄とガラスで囲まれ、空調の効果で寒くも無く暑くもなく、風が運んでくる土の香りや

水の匂いすら分らない。

 

自分はどうしてもこの四角い乗り物が好きになれない、太陽光の暖かさを肌で感じられる

バイクの方がはるかに好きだ。

 

やっと乗れるようになったから、嬉しくてたまらない。

 

 

そういえば、以前ブログに書いた、”廊下に放り投げられた桜の絵”とまったく同じ構図の写真を撮影したのでアップします。 自分の描いた絵はもう少し遠いアングルですが・・・

記憶の中に残っている絵はまさにこれですね。

全体を書くのではなく、キャンパス一面にこれを書いたわけです。

 

満開の桜は、ピンクだけじゃなく、濃かったり、赤みがかったり、木の枝は映え、

さまざまな色で構成されている。   本当に美しいです。

 


母屋のリフォーム  完成  その4(最終)

2012年04月15日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

昨年の9月より開始したプランニング、設計、施工、増築建物側の完成で一区切りして、最後は既存建物のりフォームと、ここまで続いてきた工事ですが。

すべて終わりました。 

 

残りはキッチン内部の一部改装と、ドアを引き戸にする工事ですが、これは後日になります。

 

「長かったな~」 と思うわけですが、思い返すと約7ヶ月という時間はあっという間に過ぎたように思います。

大変だったけど、充実もしていた。 

 

これが無くなってしまうというのは寂しいわけですが、反面当分はマルノコすら見たくないという

気持ちも、正直有る

 

数回に分けて紹介してきた母屋部分のリフォームですが、今回で最終です。

出来上がった写真をいくつか紹介して、終わらせたく思います。

 

まずはリビング室から見た9畳のキッチンルーム。

*アイランドキッチンのカウンター横のイスにだらしなく衣類がかけてあり、すいません。

部屋の全体的イメージとしては、船室をイメージしているので、それが下品にならない程度に雰囲気が出ているかと思います。

天井につってある、二つのウインドサーフィンボードは、息子と娘の、それぞれの思い出が一杯つまった宝物。

数多くのレースや大会、苦しい練習もこのボード達が片時も離れずに存在していました。

レースに盛んに出ていた娘はたくさんの入賞経験がありますが、レースに参加しない、しかしながらプロ並みの腕をもつ息子は割と地味で、双方の性格の差が出ています。

このボードは、現在使われる事が無く、ディスプレイをかねて、家族の思い出ということで展示してあります。

 

キッチンの真横には帆船の絵がドカンと飾られていますが、これは以前、家族でハワイに旅行した際に、フリーマーケットで、どこぞの画家が書いて売っていたものを買ってきたものです。

船の窓を意識させる効果を狙う為に、キッチンの真横で、常に人の通るところに設置しました。

 

各部屋の上にはそれぞれ、部屋の名前にちなんだ木製の魚ディスプレイやらが飾られ、どの部屋か?を分りやすくしています。

クローゼットルームはカジキ、僕の部屋は、ん?なんだっけこれ?(笑)、 リビングルームはワールドになっています。

 

ちなみにキッチンですが、100%完成になりました。 

 

リビングルーム約14畳との連絡は、前回書いたエクスパンションが完成。

キッチンルールと完全に接合し、既存建物と増築建物の境という概念がなくなりました。 故に

二階をさす場合どちらか分り難いのでややこしい。 

 

エクスパンション横には電話置きとレター挿し、その向こうには冷蔵庫が見えていますね~   

その隣には、バカをして一度塞いでしまった窓が元に戻っています。

 

リフォーム時に、人間工学に基づいた人の動線を考慮した例のオフセットドア周りはこんな風。

天井には新たにLEDのスポットライトが付き、陰になっていた部分を解消しました。

 

ドアですが、以前書いたように、引き戸に交換することになっていますが、これは後日行います。

 

さて帆船の絵の下は、高さ60cm、奥行き220cm巾150cmの巨大な収納。

ストーブやら空気清浄機、コタツ等々、季節物を収納するところで、掃除機などもしまわれています。

デザインはヨットなどの構造を基本にしており、

狭い船室内で横開きに出来ない場合の、折りたたみ縦開きがそのままそっくりここに再現されています。

またそれによって帆船の絵との整合を持たせてもいます。

 

続いて、僕の部屋。

ドアを開けると、まず工具箱が並んでいるのが目に付きます。

下が収納庫で、ベッドまでの段差が大きいですから、階段をつけるのが普通なのですが、

狭い部屋に更に階段なんか付ける気にもならず、こうして人が乗っても壊れることが無い

丈夫な工具箱をそのままステップ代わりにしています。

このほうがいざというとき広く使えるのもあります。

 

奥の白い壁は、収納庫に多くのものが詰まると、奥のものを取り出しにくくなるので、ここを開閉可能な様にしています。

色々と入れると、必ず奥のものがとれなくなるので、こうした構造は絶対必要です。

 

この扉はラッチでとまっており、アクセスする際には扉全体をポンと取り外す事にようになります。

 

ちなみに対面はクローゼット収納ですが、工具類が半分を占めてしまい、その上のほうに僕の衣類ダンスが載っています。

例の衣類専用クローゼットルームは家内と娘の専用になってしまいまして、僕の服は?というなら作業着と一緒にここへ放り込まれ、家庭内の勢力図というのがモロに出ています。(爆笑)

家では 工具=作業着=僕の衣類=バイク用ジャケット類= 同じ場所という式の様ですね~(笑)。

 

ちなみにこのクローゼット、有る意味初めて僕がもらえた収納スペースでもあり、

半分「おっしゃ~!」という感じで、ここにどう効率的な収納を構築してやろうか?と有る意味舌なめずりをしたりもしています。 

最後に、この部屋の壁ですが、ごさごさと家族の写真が飾ってあります。

 

今回の増築とリフォームで、あちらこちらにバラバラに飾られていた物を、一箇所に集めてきました。

他にも写真そのものは大量にあるのですが、切りが無いので、この程度の量にしています。

*枕が足元に有ったり、トレーナーが脱ぎ散らかしてあったりしていますが、見なかった事にしてください(笑)

 

 

 

僕の部屋を出て、ドア側からリビング側をみるとこんな感じ、テレビまで約10mあるので、少し遠い。

リビング入り口には彫金のレトロワールドマップが飾られています。

右の白いカラーボックスはお得意のニトリ製で、救急箱やら家内と娘のコスメ用品が入っている。

半分テンポラリー(応急)で置いているものですが、いずれ移動する予定です。

 

左側は食器棚で、旧キッチンルーム側はホワイトを基調にしておりますが、新しいアイランドキッチンの木製カウンター側は木目をベースにしています。

その為にカラーボックスが白というのがなんとなく変ですが、もともと違う場所に設置予定だったのと、白だと壁に溶け込んで出っ張り感があまり無いので、とりあえず置いています。

 

向こうに階段とテレビ、コタツが見えていますが、キッチンのメインシンク側からは、この三つが全部見えます。

リビングにいる人間の姿が自然に眼に入るようにはしていますが、その奥のでかい空間は全く見えませんので、モニターカメラでもつけるか~ (笑) 

 

階段は普通とは異なり、ケコミ部分にバリアをおかず、スルーにしてあります。

それによって、でかくて目障りな存在感を消滅させる効果と、海辺のログハウスの階段という冒険的テーマに沿うようにしています。

一見強度がないように思われるかもしれませんが、きちんと構造計算してあり、大人4人が階段に同時にのってもビクともしません。

およそ350kgに絶えるように設計しています。

 

階段の横の壁に貼られている絵は、僕の大好きな シム・シメール で、目覚めるアフリカという版画は有名ですが、僕にはお金が無いので、彼の有名作で、小さいのを二つほど飾っています。

 

食器棚は僕と家内が結婚した際の嫁入り道具の一つですが、一時期は娘の本棚になっていましたが、今回の増築で収納の問題が解決したこと、及び家族が2世帯になったことからカムバックしてきました。 

写真の一番左上の赤い筒状のものは、ガス式の瞬間消火器です。

使うことが無いことを祈ります。

 

次は

食器棚を横からとった写真ですが、上にはキッチンルーム専用のエアコンがあります。

以前はテンポラリーで設けた僕の部屋のエアコンでしたが、今は役目が変わっています。

安物のやかましいエアコンで、ぶっ壊れても惜しくは無いので、油煙などが上がるキッチンで使うには良いかもしれません。

この横には換気扇を設けてあります。

 

食器棚の横にミラーがかけてあり、別にここでなくても良かったのですが、この位置だとキッチンから死角になるリビングルームが見えるので、ここに設置しました。

キッチンを少し移動すると、死角部分が大抵は見えますので、孫が成長していく時に便利になると思います。

右の赤い矢印が、ジョイントエクスパンションで、実は、食器棚の下と同じ1x10の板を使っています。

 

何でこうしているかという言うなら、キッチンとリビングルームの境がたった一枚の色違いの板だとその部分だけ目立って変。

そこで、食器棚の下を同じ材質かつ同じ色の板でベース構成しながら横に引っ張ることで、エクスパンションの”いかにも”という感覚を軽減するわけです。

同時に「あれ?」という感じのダイナミックな雰囲気を演出することで部屋のボーダーを面白くしているわけですね。 

これが無いのとあるのでは大違いで、チョットしたことなのですが、視覚的には大きな効果があるのです。

さて、これで終わりですが、正直やりこのした事というのはいくつかあります。

これをこの先やるかどうかはわかりませんが、

とりあえずはしばらく休みたいとは思います、そろそろ海に行きたいし・・・

 

 

最後にコンクリートから始まって、5mちかい木材やら、合板、軽カルボード等々、約7ヶ月にわたり、黙々と資材を運び続けてくれた愛車、ダッジラム君に感謝です。

 

 

 


大地震に備える エクスパンション構造(建物の接合)

2012年04月14日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

増築を行う際に問題となるのが、既存建物と増築部分との接合。

増築した側が平屋建ての場合さほど問題とはならないのですが、二階建てで、さらに構造様式が異なる場合は大きな問題となります。

耐震という面においての、揺れ方が軸組み在来工法と2x4工法では全く違うからですね。

多分に漏れず、家も既存側は在来、新設側は2x4ですから、当然 密着させて互いを接合しようものなら大きな地震で簡単にぶっ壊れる。

強度的に在来工法のほうが弱いので、ぎっちり接合させると柱が折れるか、引き抜ける。

これは二階の重量が諸にかかる部分なので、柱が数本駄目になれば簡単に倒壊するわけで、増築したはいいがそんな危険な家では住めたものではない。

でもね~ こうした構造体の違う家同士を結構平気で接合しているのを見かけるんですよね・・・・

 

まあ、これには色々と理由があって、接合させないと、どうやって新旧建物をつなぐのだ?という、至極当たり前の疑問が出てくるし、そうでないのならどこ探したら上手く接合させる部材なんか置いてあるのだ?となる、第一その方法すらも不明。

お客さんがおかしな接合等したらクレーム付けてくるしね~

第一外壁そのものがモルタルだと、これそのものがコンクリートみたいなものである上に、サイディングも横方向に対する柔軟性なんて全く無い。

建物同士をつなぐ接合用品や建材、ゴム何ぞどこにも存在しないし、蛇腹式の接合ではみっともなくて話にならない。 

 

ゆえに現実的接合はどうするのだ?とこれが悩みの種なので、そんじゃ~僕はまったくお金をかけずにどう解決したかというなら、サイディングは 信越ポリマー製の ”ポリマパネル” を使い、内部接合部はスライド式防護破壊構造を取っています。

 

まず外壁ですが、

震災時に揺れる為物は相互に同じ方向に揺れるのではなく、建物全体がダンスを踊るようにして

動きます。

もしモルタルの接合なら、まったく柔軟性がないので必ず壊れますし、それ以外にも経年劣化で亀裂が入りって雨漏りやらなにやらのトラブルを起こします。

それ以外のサイディングの場合でも、接合は役物とシーリング材で行い、当然の事ながら

よこ張りであってもたて張りであっても、サイディングを横方向に押す力等には全く対応していない。

サイディングを真正面から押すだけなら有る程度の柔軟性はあるが、横方向に大きくスライドさせるような力に関しては全く考えられてはいませんから、これも建物相互が動けばまずシーリングが切れ、その次に役物が対応できずに壁そのものがぶっ壊れる。 

さらにここ最近は窯業系にしろアルミ、ガルバ鋼のいずれも厚さが12mmから18mmへと移行しており、頑丈さと引き換えに硬くなっていくのでますます柔軟性が無くなる。

 

今回の増築において、こうした接合に対する外壁の適応問題というのは非常に重要なわけです。

そこで全ての問題を解決する為の最高の外壁材として僕が選んだのが その ポリマパネル。

http://www.shinpoly.co.jp/product/construct/polypanel/index.html

 

このパネル、やたらと重量が軽くて、一枚のパネル(長さ約3.67m)を親指と人差し指でつまんでヒョイと持ち上げられる。 

パネルの重量がメチャメチャ軽い。

とうぜん建物全面にこれを張っても、殆ど構造体に負荷をかけない。

しかも、防火構造に対応し、無塗装で30年以上問題が出ないうえに、シーリングを使わない施工方法なことから、普通のサイディングでは約10年前後で始まる雨水の浸透トラブルが全く無い。

さらに材質そのものが、さびもせず、腐食もせず、保水もせず、湿気も帯びませんし、雨が振れば表面の汚れを洗い流して常に真新しい状態を保てるという夢のような外壁材なのですね。 

と良いことずくめのこれですが、唯一の弱点があります。 

それは外壁のデザインが限られてしまうということ。

構造的なものですので仕方ないわけですが、壁の塗り替えも無く、ずっと綺麗で、しかも耐震性に対して馬鹿みたいに優れている、とくりゃ、僕としてはデザインの制限などまったく問題ないわけです。

 

さて、この外壁材が、何故耐震性に優れているかというなら、

次の写真を見てください。

こんな風に力かけると簡単に曲がります。

さらに指で曲げてみると

こんな感じです。

さらに、特徴的なのが、

このサイディングを縦胴縁(支持材)に止める部分が、

横長の穴になっています。

人差し指に注目。

このパネルは、温度の差で伸縮するので、こうした横方向の細長い穴になっており、この穴を通して、パネルはネジで取り付けられます。

ところが、このときに留めるのはきっちり締めるのではなく、有る程度弛めて施工するようになっており、簡単に言うなら、パネルが左右に動けるように確認しながら施工するわけです。

実際に施工は、一つ一つネジを留めるごとに左右に動かしてスムーズに動くことを確認しながら工事を行います。

このスライドが地震に役立つわけです。 

さらに、もしこのスライド量をオーバーして建物が動いた場合、パネルはどうなるかというと、素晴らしいのひとこと。

下から上に積み上げられている普通のサイディングと異なって、ポリマパネルは、上のパネルが下のパネルを少しだけ引き上げるようにして施工されており、これにより勘合部が噛み合って防水を持つわけですが、実はこの部分がある程度の力が加わると外れるように出来ています。 

すなわち、左右の動きの範囲を超えてパネルに大きな力が加わると、勘合部が全部外れてパネル全体がフリーになるということ。

これだけでもすごいのですが、更に揺れがひどくなってフリーの状態でも突きあたりにぶつかったりすると、最後はパネルをとめている例の細長い穴が歪んで、留めネジからパネルを外れさせるわけです。  

しかしながら、外れるのは突き当たりの部分だけで、それ以外はきちんと保持していますから、

パネルが落ちることは無く、万が一落ちても軽いのでさほど危険性が無い。 

こうして、建物を守るわけですが。

何よりすごいのは、この後。

この外れたパネルは容易に留めに戻せ、尚且つ外れた勘合部も自分で簡単に再度はめ込みが出来る。

震災後に壊れた壁が全くお金をかけずに元のように戻せてしまうという夢のような構造。

これは ポリマパネル ならではの事で、普通のサイディングはこうした事は絶対に不可能です。

まあ、今回はたった一人の単独建築でもあった事から、偶々施工性の良いものを選んでいたところ、この製品の耐震性の素晴らしさに気が付いたわけです。

 

実際の突合せ部分は上の写真の様、になりますが、パネルを差し込んでいる部分が深いのがおわかりですよね。

コの字になっているところにパネルが差し込まれ、表側から雨風が吹き込んで裏側に水が回ったとて、最終的に裏側の縁に到達する前に移動エネルギーが0となって下に落下する。

水力発電所のペルトン水車のバケットを構造を解析した経験の有る人なら容易に分るのですが・・・・  って普通はそんな人いないか (爆笑) 

 

これは、上記の理由と、防水性からの事で、一見開いている様にみえる隙間ですが防水という点からは全く問題なく、隙間に入った水は全てきちんと下へと流れ落ちていく構造になっています。

もし水が入ったとしても、空気がサイディングと躯体との間を 縦横無尽に流れる構造である上、パネルの盛り上がっている下部分に等間隔で穴が開いており。

そこから全て流れ出ると同時に、この穴が通気を確保し、湿気を排除し、乾燥を促します。

水を100%遮断するのではなく、出来るだけ入らない構造でありながら、万が一進入した水は

圧倒的な速さで乾燥させながら外部へ放出させていく。

パネルが薄いのは、強い太陽光で一気に水分を蒸発させ、冬場であれば、弱い太陽光をできるだけ使って蒸発させ、尚且つ乾燥した空気がツーカーで通ることによって、持ち去ってもらうということです。

これが不要に分厚い断熱材入れた(外壁の断熱は???です) 防水サイディングでは夏場は もわっ とした状態、冬場は凍りついたまま。 ということですね。

ちなみに、普通のサイディングだと問題となるシーリングの劣化(早いもので5年くらいから)ですが、このパネルにシーリング処理というものが有りませんから、そうした問題はありません。

ちなみに、防水性の効果ですが、ついこの間の爆弾低気圧による台風並みの暴風雨後に点検しました、まったく水漏れはありませんでした。

付則として、普通のサイディングで駄目とされているハシゴをもたれかかれさせる等、ヘビーデューティーな作業にこのパネルは平然と耐えます。

アルミサイディングだと、ハシゴをかけて人が乗った瞬間に表面がへこんで戻らないのですが、ポリマパネルの場合、壁がたわんで衝撃と重量を上手く受け止め、まったく壁が壊れない(でも真冬だけ要注意)。

有る意味恐ろしい性能の、サイディングと言えるでしょう。

 

まあこんな感じで外壁の耐震性はクリアさせていますが、肝心な内部の問題。

これはスライド式防護破壊構造をとっています。

簡単に言うなら、二つの箱を組み合わせた構造で、片方を既存側、もう片方を増築側に取り付け、

双方は互いにフリーで動くようにするという極めて簡単な構造です。

 

見た感じはこんな風。

木枠のほうは既存建物にしっかり接合されており、下のほうは増築側の床の上に乗っかっているだけです。

*建物同士の床に高さの違いがあるので応急的に段差材で処理していますが、これも緩やかなスロープに変える予定です。

下の写真で指を挿しているところが耐震稼動部分。

 

この部分で、100mm以上、木枠と白い壁が互いに動いても、揺れを吸収します。

このすぐ右側の白い壁ですが、増築側の建物に取り付け固定されており、しかしながら9.5mmの軽カルボード単体で、しかも最低限の固定しかしていません。

故に有る程度の力で簡単に壊れるようになっています。

これは木枠も同じで、単独ではぐらぐら、しかしながらこれらが相互の建物にしっかり取り付けられることで初めて普通の生活で問題ない強度が出るようになっています。

地震の時には、建物は別々に動きますので、この接合部分も上下左右、右左と柔軟に動き(設計では震度6まで対応)、

それにもし耐えられないような大地震になると、白い軽カルボード壁がわざと壊れるように造ってあり、それでも更に揺れるようなら、最後に木枠が壊れるようにして有ります。

それにより建物相互の干渉が震度に合わせて無くなっていくことにより、構造体を守るようになっています。

極めて簡単な構造ですから、万が一壊れても数時間で作り直せますね。

 

本来あまり必要としないはずの木枠が上にまで回されている理由ですが。これは壊れた軽カルボードが下に落ちてこないようにしてあり、これは既存建物側からみてコの字型袋部分になったところに保持されるように適度な角度を設けてあります。

壊れた破片が手前に落ちるのではなく、袋構造になった部分に保持される構造にしてあるということ、ほんの僅かでも、人の頭の上に落ちてこないように設計しているわけです。

*丁度世界地図が張られている後ろ側がコの字型の袋になっています。

尚、上のカーテンレールは真冬時に暖房の熱を逃がさない為のバリアカーテン取り付け用です。

 

 

まあ、そんな感じで、設計的には大震災に十分対応できるように設計をしていますが。

東北大地震のような震度の地震が着たら、建物そのものが無傷でいられるかということのほうが

問題です。

増築部分と既存建物のどちらかでも残れば生活は出来ますが、出来るならこの先未来永劫

地震とは無縁でいたいものです。

 

ね!  へへへ 

 

 

 

 


キッチンリフォーム その2 アイランドキッチン ほぼ完成のデュアル仕様

2012年04月10日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

トコトコとやっていたキッチンリフォームですが、90%くらい出来上がり、ほぼ完成となりました。

目標は安く、美しく、高性能という条件を全て満たすことで、それなりに苦労?しましたがなんとか完成までこぎつけた (笑) 

 *すでに真横へ冷蔵庫を移動したので、一見狭く感じられます

キッチンのサイズは、横幅2700mm、奥行き1130mm 木製トップ側の横幅は1820mmです。

アイランドキッチンといっても、ぼくの造ったのは変則型(既存システムキッチンとの組み合わせ)、大きな特徴としてシンクとフォーセットをデュアル仕様にして仕上げています。 

もし同じ性能をもつアイランドキッチンを買えばおそらく100万オーバー?????(爆笑)

でも手造りなので総額3万円まで行くか行かないくらいです。  だはは 

*前回から買い足したのはフォーセット シャワーヘッド付きで3800円 と排水蛇腹ホース、給水の分岐金具とホースで1万円くらい。

 

ダブルシンクというのが日本にもありますが、実のところ殆ど普及していません。

その理由は実に簡単なことでして、シンクがダブルでも、フォーセット(蛇口)が一つしかない? という信じられないような欠陥。 

ダブルのよさは同時に二箇所、しかも双方が独立して使えることにあって、そうして初めてその能力をフルに発揮できるわけです。

*故にL型で離しておくのが良いのですが、アメリカのようなでかいスペースを望めるべく無い日本では並べているのが普通。

 

しかしながら日本のダブルシンクは、フォーセットが一つで、これでは結局一人がそれを支配すると、せっかく有るもう一つのシンクを誰も使用できない。

「だったらシングルシンクでいいじゃないか!」 と、当然なる。

他にもダブルシンクだと半分特殊仕様となって価格がバカみたいに高くなるのもある。 

そんな使うか使わんか分らん物にお金を払うくらいなら、「他の食器棚等にお金を使ったほうが増しだ!」となるのは当然で、これでは誰もダブルシンク仕様のキッチンなど買わないわけです。

そんでもって、今回はL型ではなく、多人数が使用出来るアイランド型への変更ですが、

基本的に上記と似たような使い勝手上の問題を解決する為、ダブルフォーセット仕様としました。

アイランド型のダブルシンクというのはとても便利ですが、これには条件があって、まずは二つのシンクを隣り合わせに配置しないこと、そしてまた平行になる方向に並べないこと。

なぜシンクを真横に設置しないかというなら、当然に人が並ぶことになるわけでして、台所における人の動線というものを考えるなら、その向こうのレンジへ行ったり来たりというのが普通ですよね~、

ところが真横に人がいれば、動く際に逐一避けて通らねばならず、それがストレスとなってだんだん邪魔になってくる・・・ 

故に真横に並べてシンクを配置してはいけないのです。

 

理想的な位置は対面側にあることですが、これも互いが完全真向かいに立たない様にしなければならない。

その理由はキッチン作業においてお互いの姿と手の動きがダイレクトに見えることは、はけして好ましくないからで、これは普通の家庭の主婦ならすぐに解ること。

かといって完全にずれてしまうと拒絶感に近い感覚が生まれ、このあたりの軸線の隔離感覚が設計上難しい・・・ 

キッチン関係のHPを見ていると、アイランド型のものは殆ど大きなテーブルトップが一枚ドカンと置かれています。

これは一見すっきりして良さげに見えますが、実のところ「ペケ!」、理由は簡単で、全面が同じ高さになると、下記のような問題が出てきます。

例えるなら、同じ高さのほうが便利に思われるのですが、メインで使用するのはアイランド型であっても特定範囲にとどまり、両面を使うことや、全面を使う事というのはさほど有りません。

故に、下手に大理石のホワイトトップなんかだと、始終使われる側の特定範囲だけに変色、汚れ、傷がドンドンと付いてきて、するとそれにつられて全体がだんだん薄汚くなっていく感覚へと陥る。

その点ステンレスの場合はもともと持っている殺菌効果が高く、もし汚れても金属タワシで洗ってしまえば一気に元に戻る(綺麗)になる。

故に汚れが出にくく、しかも汚れてもすぐに落とせるステンレスが好ましいわけですが、欠点としてはどうしても冷たい金属感覚が残ってしまう。

そんなこともあってホワイトの大理石トップなどが出てきた訳ですが、メインで使用するわけではなく、付帯的に作業する側はそうした要求に答える必要はありませんので、楽しんで作業できる温かみのあるトップにするほうがよいので。

しかしこれを同じ高さにして、安易に接合させると見掛けが変になる・・・・ 故にずらしてダイナミックに切り分ける感覚を持たせているわけです。

 

木製天板の良さは、万が一汚れが積み重なれば、古い面を研磨して再び美しい木目を取り返せるところ。

他にも木製がもたらすメリットというのが有り、簡単なテーブルとして食事をここで取れる事に違和感が発生しない事や、お酒を飲む簡易カウンターなんかとしても使える。

忙しい朝、娘のごはんをここで取らせたり、家内や娘が夕飯を造っている時に僕がこのカウンターでお酒を飲みつつ、一日の話をするなど、

木製のトップでしか出来ない事というのが有るわけです 

 

ところが、これがもし全面ステンレスだったり、大理石だったりでは、まるで台所の中で食事しているような気持ちにさせるし、その冷たい感覚はどうしても人間をはねつけてしまい、これが良いはずは無い。

まあそれが好きな人はべつですが・・・

半分が木製トップであることは、とてもメリットがあるわけで、双方の良い面を段差を取ることで生かしたハイブリッド仕様というか(笑)

 

こうして今回の工事では、既存の側と新たに設けた側で段差を意図的に造り出しています。

同じ高さにすることは特に難しくないのですが、意味あっての事ですね。

 

そのほかの理由としては、キッチンの水はねというのが結構激しく、そのためにアイランドキッチンでは高さ20cm程度の簡単なガラス製仕切りを設けてそれを防止しています。

ところが、そのバリアは目障りで、あまり上に出っ張らないほうが良い。 

フラットだから良いはずのアイランドにわざわざバリアを立てるのは、本来変で、こうして約7cmほどある段差は、それをつけた場合でも、不快感の軽減に役立つわけです。

他にキッチントップを全て同じ高さにしてしまうと、メインシンク側に深鍋やフライパン初めとした食器類等を入れた際に、どうしてもそれが視覚的に浮かび上がり、キッチン全体がだらしなく見えてしまう。 

そこで、有る程度の段差を設けることで囲い効果を創り出し、リビング側を初めとして外部から見えにくくしてしまう効果を持たせるのですね。

例えそれが僅かであったとしても、日常の使い勝手における効果というのは莫大なものがあるわけです。 

木製トップはリビングから常に見える位置にしてありますが、これによりステンレスシンクの冷たい金属感触を排除すると同時に、鏡面仕上げにした木目の美しいトップはシンクのどちら側にいても人に安らぎを与えます。

眼は冷たいものを避けて自然の温かみの有る側に行きますから、視線はメインシンクを本能的に避けて木製トップに行くので、これによってもメインシンク内の散らかりが気にならない。

今回はこうした人の心理的流れと言うものを、きっちり計算してあります。 

 

さらに、もっと上の効果を目指す為に、この工事ではすこしだけ照明に手を入れました(笑)

へへ 

以前はこの位置に蛍光灯が付いていたのですが、光が冷たい上、木製トップの良さが死んでしまうのと、食材が綺麗に見えない。

かといって、レール型スポットライトなんぞを付けると、器具価格だけで1万5千円は飛んでしまうおまけまで付いていて、それでさえ軽い財布に、更に穴を開けたような気持ちになる。 

そこでカウンター上部分に木製の桟を取り付け、880円のクリップライトを二つ取り付けました。

クリップなので取り付け位置の移動は自由。 配線を長いものに変えれば、端から端まで移動させることが出来ます。

そして、オンオフスイッチは簡単でオーソドックスなワイヤープルスイッチにして、両サイド及び廊下側のどこからでも点滅できます。

 

と、このキッチンを実際に使用開始しているわけですが、非常に使いやすい。 

 

たとえば家内がキッチンで洗い物している時に、哺乳瓶などをサブシンクで洗ったり、

メインシンクで調理している時に、サブシンクで麺の水切りをしたり、後片付けでは二人で二つのシンクがフル稼働したりと、それぞれが単独で使用可能であることのメリットがフルに出ています。

ものすごい効果です。 

ちなみにサブシンク側のフォーセットはシャワーヘッドが引き出せる仕様で、メインシンクを洗うのにも使えます。

 

最後に、キッチン全景の写真ですが、手前の食器乾燥機が邪魔ですね~  

 

 

 

 

話は変わって、前回の続きから仕上げまでの様子ですが、

 

大まかな加工が出来たトップを、塗装できるところに移動させ、普通の木工ウレタンニスを繰り返し塗って厚塗りにしています。

本当は二液性の物がよいのですが、売ってなかった・・・

 

ホルソーでシンクの穴を取り、マルノコでくりぬき、

 

そしてシンクがきっちり合うかを確認。誤差1mmの範囲に収めてぴたりとはまる様にします。

 

 

問題なかったので、仕上げの塗装。

一度塗って軽くサンドペーパーをかけ、又塗ってサンドペーパーをかけてと、

幾重にも塗装して防水性を持たせる鏡面状態にします。

 

 

 

キッチンサイドのワインラックや、小物置きも同じ仕上げで、綺麗に塗装。

 

出来上がった物を組み付けますが、例の子ごとく後のメンテナンスを考えて木ネジによる

固定以外はしていません。

 

 

 

まあそんなわけで、90%完成した、半手造りアイランドキッチン、あと10%は水漏れが無いかの最終確認と、ガランドウの収納内に物を移動させたりして終わりとなります。

 

*シンク下は水漏れの早期発見と、収納スペースを無駄にしないためにふさいでいません。

チョロチヨロと仕上げの材料なんかが見えているのが笑える。

ちなみに、扉の表面を防水かねてクリア塗装の同じく鏡面塗装にしようかと迷っていますが、これは様子を見てからにします。

さほど汚れるとは思えませんので。

 


父親が強くなければ子供は不幸になる。

2012年04月09日 | Weblog

Yahoo!のニュースからです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120408-00000557-san-soci

沈められた湯の中で「私が死ねば、大好きなお父ちゃんは楽になる」

という記事。

 

人にはいろんな人生がありますが、こうした話を聞くと、本当に胸が痛くなります。

この記事の中の父親を特定して批判するわけではないのですが、父親というのは強くなければ

ならない。

”強くなければ”というのは、忍耐力と孤独、そして悲しみに対してのことです。

 

元来女性というのは自分の子供以外を慈しんだり愛して育てるように出来てない。

 

弥勒菩薩様のような女性等存在せず、非常に現実的で、ただただ自分の子だけが最優先というのが女の本能。

こうしたことに西洋型心理学や精神解析などはどなんら役に立たず、唯一人の本能だけが事実を

教えてくれるわけですが、この差異というのは、猿の群れを見ていると良く分る。

 

オスは前ボスざるの地位にとって変わると、そのDNAを引き継いでいて、自ら逃げることの出来ない前ボス猿の子を全て殺傷する。

そして多数のメスと交配し、それぞれのメスに子供を生ませ、生まれてきた子供は母親がそれぞれ違えど、特例を除いて万遍なく面倒を見る。

ただし、その面倒の見方はベタベタとではなく有る程度の距離をおいてのことだ。

メスの持つ保護及び子育て本能に大半を任せて、オスは小猿が群れのルールを破ったような時だけ厳しい態度にでる。

人間の父親と同じで、社会性という面からの保護を中心としているわけです。

 

それでは、メス猿は?というなら、自分の子供をいつくしむが、他の子には比較対象としての興味以外はほとんど無く、ただただ我が子を他の子よりすぐれた子へ育てようとする。

 

時折、まだ子を持たないメスや、子を亡くしたメス等が、母親を失った孤独な小猿を自分の子のように育てる美談を聞くが、この現実は「自分に子供が出来るという事実を持って、そうした子を平然と捨て去る。

猿の場合は成長速度が速く、次の子を懐妊して生まれ出る間には、有る程度自分で生きていけるまでになるから良いのだが、人間の場合はそう行かない。

世の中を見渡してみると、子供の虐待はほぼ間違いなく連れ子に対して行われており、自分の子を粗末にして連れ子を可愛がった話など聞いた事が無い。

伴侶を失い、尚且つ子供が幼い場合に、不憫だと言って「新たな母親を・・・」と世の中はなりがちであるが、理性はあくまで本能の上に乗っかっている不安定なもので、その生活が豊かでなんら不満のないものであるなら、危ういバランスの上に家族の平穏はなんとか成り立つ。

しかしながらそうでない場合、本能が持つ生き残りのためのトリガーが働きっぱなしになることから、ほぼ100%虐待は起こる。

メディアをにぎわす虐待事件報道をみていると、ほぼ十中八九は父親が無職、もしくは収入があっても生活に貧窮している家庭ばかりである。

こうした、どうすることも出来ない危険性(人の本能)を誰も話さず、教えず、あたかもそうした話など、してはいけないのだというような眼に見えないルールのなか、

自分の能力を冷静に量ることもせずに、ただ安直に自分を信じて目の前にある性的欲望及び生活の至便、なにより忍耐が必要である子育てを新たな伴侶に任せることが、こうした悲劇のもとになる。

この父親がはたしてそこまで考えて相手を選んでいたのか? は文面を見るだけでは解らないが、継母の虐待を知って以降、我が子に対してとったこの父親の行動を見ている限りは、その可能性は無いように思えてしまう。

父親は強くなければならない、僅かに幸運が有ったとするなら、前妻が世を去った時に一番下の子はすでに5歳である。

一番大変な時期を通り越し、子ども自身が安定する年令ゆえに、あえて継母をもらう必要等は、本来はない。

この父親が不幸だったのは、この父親自身が子供の頃に両親と生き別れ、施設で育ったことで本来あるべき父親の姿を学ばずに育ってしまったことにあった事と、さらには結婚して子供を授かった後に、伴侶(妻)を失うという二つが重なったことだ。

それが無ければ、優しい父親という姿の元で、この3人の子供達は成長していけたであろう。

しかしながら、現実がこれを許さなかった・・・

 

こうした際に、”強い父親”、すなわち忍耐と孤独に耐える姿を見て育ってないと、人間関係の難しい関係を安定させることは難しくなる。

本来、”父親とはそうしたものなのだ”、という基底意識が出来ないと、普通よりもはるかに苦しむことにもなる。

これは、大変難しいことで、新たな家庭で起こりえる未来の事態を予測することを阻ませ、そうしておいて、現実に虐待というような現実が目の前におきるとパニックを起こし、どうしても在らぬ方向へ逃げを求めるようになる。

前妻の子供と、新たな我が子の事を思い、双方の間でもがき苦しむのは、父親であるなら当然の事だと思う。

継母の虐待が理由で容易に離婚をした場合、それは父親の心の中に、自分が育ってきた人生を思い起こさせるわけで、さらには、おそらく辛かったであろう経験をどちらかの側の”我が子”にもたらさねばならなくなるわけあって、そうした苦しみからアルコールに逃げを求めたというのは至極当然の事でもあるのですね。

 

ただ、男は強く、又非情でなければならない時が必ず求められる。

酒に身を投じたところで、現実の解決に等一切ならず、必要な判断を冷徹にこなし、悩むことなく判断をせねば、全てが崩れていく一方となり、ただただ混乱だけが拡大していくことになる。

もし、この父親の立場がに自分がいたとして話すが、この場合は至極当然に別居すべきであり、父親としては前妻の子とメインで暮らし、継母とは必要に応じて会うことにするだろう。

24時間顔を付き合わせれば上手くいかないことも、適度に間を置けば上手くいくことは多々有る。

しかしながらこの継母が、前妻の子を追い出し(施設などに預ける)て自分と同居することを求めてきたのなら、はっきりと離婚すべきである。

なぜなら、この継母はあらかじめ3人の子供がいることを承知の上で家庭に入ったわけだから、

その3人の子供に対し、”人として”の接し方や対応が到底出来無いのであれば、親としての最低の責務を放棄しているわけで、家庭を維持する事はできない。

結婚は互いが互いに課せられる責務を忠実に担うことで平穏な家庭が築かれる、

 

それをどちらかが一方的に担わない、担う気すら無いのなら、それはすでに家庭という形をなすことさえ不可能なわけで、そんな状態で未来を歩んでいくことは、家族全員が不幸になることを約束するようなものだ。

愛さえ有れば何とかなる、などというのはくだらない幻想であり、又それほど甘ったれたものは無い。

結婚生活は現実の塊以外の、何物でも無いからだ。

 

親として、子供達が健全に、そして心安らかに成長していけるようにすることは、その人間(親)の人生の中で最大のテーマに取り組むという事であり、一生と言う時間を費やして構築していくものでもあって、その重大な責務を完遂させて、子供達を世に中に羽ばたかせていけなければ、

人間として大きな失敗をした事になる。

 

逃げはなんらの解決をもたらさず、常に前を向いて戦うのが男であり、万が一その過程で敗北したり、崩れたとしても、そうした姿を見ていた子供達は、そこから多くの事を学び、とてつもなく素晴らしい勉強をもすることになる。

 

それが父親に課せられる生き方ではないか? そう僕は思うわけです。

最後に、この父親の母というのが、記事の最後に出てくるけれど、

男性というのは、基本的に母親の面影を常に追い続ける生き物で、我が子の死とその子供達

よりも歯医者の予約のほうが大事な女性である。

この話の父親は、継母として、そうした自分の母親に似た女性を知らない間に選んでしまったのではないか? そう僕にはおもえるわけだ。

だとすれば、それ自体に罪はないと言えるのかもしれないが・・・

 

 

 


韓国ドラマ 済衆院 (チェジュンウォン) を見終わりましたが ゴミでした・・・

2012年04月07日 | Weblog

はっきり言って駄作でした・・・・・ 

評価としては この物語は大きく二つに分けて考える必要が有るかと思います。

全ストーりーの4分の3まで、そして残りの4分の1。

身分がばれ、えん罪での打ち首シーンを通り越して父親の死までは非常に面白くて秀悦な作品、 

本当にすばらしいのですが、それ以降ははっきりいって最低の作品です。 

 

前半の物語の素晴らしさから、なんでこれが視聴率と高評価に結びつかないのか?という理由がはっきりしたのですが、

物語終わりに近づくにつれて、前半に見せた主人公の謙虚さと優しさは完全に失われ、ペクチョンという奴隷制度の

なかで苦しめられてきたはずが、平民となって以降は王の目指した体制維持(ストーリーのなかでは)をヤンバン達と

守る側に転身してしまっています。

 

あたかも自分が平民になったこと、そして医師となったことで増長しきった様に見え(思え)、それが物語後半の何となく冷たいしらけたような、姿になってしまってます。

自分を重ねてみていたから面白かったのが、だんだん嫌な部分が見え始め、それにつれて面白くも何ともなくなってくる。

 

主人公のみせたすばらしい人間性はこうして後ろに行くほど死んでしまうわけですが、挙げ句の果てには国を治すのだとそそのかされ(愚かそのもので、ライバルの方が有るかに優秀)義兵隊の隊長になったり、その理由展開がお粗末すぎて笑えない。 

彼がずっと目指してきた人を助ける姿というのは何処へやら・・・  国家とい大義名分を掲げて人殺しの側になってしまい、しかもその義兵の将軍たるや衣装からして明らかにヤンバンであって。 

日本がやめさせた身分制度によって、自分の友人含むドラマの中の人々は皆平等になったはずなのが、身分制度の保持という体制維持派(ヤンバン)の一員に組してしまい、自分が一番苦しめてきた社会システムを再生する側に廻るなど、”どこぞのバカだこいつは?” 挙げ句の果てには満州で抗日するのだと明らかに幼児なみの思考。 

しかも満州に逃げる?シーンでは、国家反逆罪で追われる身でありながら、これまた日本が築いた鉄道で堂々と駅から逃げ出すしまつ。

いい加減を通り越し、完全な駄作です。  おおおおおお・・・・

韓国ドラマはわりとストーリーが長くて、60話くらいまで行くのが多いのですが、36話で終わっている理由が何となく解ったような。

無理ありすぎですから。

 

物語初めからぽちぽちと見えていた日本の陰ですが、捏造は笑える範囲で、得に気になるという感じではなかったのが、最後の方にいたると ねつ造 しすぎによる不快の連続で。

それが現実と物語の乖離を生みすぎることから興ざめすること多く、実際の歴史と反対どころか、これまた歪曲しすぎで笑えないレベル。

同じように統治した台湾と朝鮮、片方は親日、片方は大戦後に戻ってきたヤンバン達による半日教育の賜である国家。

韓国はまだアメリカのおかげでまともですが、北朝鮮に至っては完全に以前の国に戻っている。

結局このドラマは、捏造と歪曲によってよって日本人を残虐非道な生き物と描き、唯々朝鮮の人々を蹂躙しただけの存在だと洗脳するための番組だったのだろうか?

とも思ってしまう。

最後の方は相当に我慢して見ていましたが、結局主人公が戦い続けてきた朝鮮の身分制度という後ろ盾がなくなってストーリが面白くないので、代わりに日本を持ってきたという、

あまりにも安直、完全な駄作です。

いや駄作ではなくゴミだなこりゃ・・・・

 

 

 


増築&リフォーム と二世帯同居の 床面積

2012年04月06日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

何時の間にやら中規模の住宅になっていた僕の家。 

ふだんの生活で使える有効床面積は合計で約170㎡になってました。 

以下内訳(大体)ですが、

3階(屋根裏) 大ストレージルーム 1つ 13畳 23.66

3階(屋根裏) 居室 1つ 10畳 18.2

計23.66+18.2=41.86

 

2階 居室 3つ 16畳 29.12

2階 押入れ 3つ 3畳 5.46

ストレージルーム 1つ 3畳 5.46

階段 3.3

計 29.12+5.46+5.46= 43.34

 

1階 キッチンルーム 9畳  16.38

1階クローゼットルーム 2.5畳 4.5

1階僕の部屋 5畳  9.1

1階 押入れ 1つ  0.75畳  1.23

その他上下のトイレや風呂等  11.29

計  16.38+4.5+9.1+1.23+11.29=42.5

 

増築二階 居室 9.1畳 16.27

クローゼット 1.5畳  2.73

計 16.27+2.73=19

 

増築一階 リビングルーム 13.75畳  25

計 25

 

家全体の間取りは 6LDK1C2S(居室6、キッチンルーム1リビングルーム1、衣類クローゼットルーム1、ストレージ専用ルーム2)

総合計171.34㎡ 

 

ふと思いついて計算してみたわけですが、こんなに広くなっていたのですね。 

 

とにかく部屋の中に物が溢れるのを心底嫌う僕、故に必ず収納面積大きくとる癖があり、物の上に物が積み上げられるという事が絶対に許せない。

子供の頃からそうで、二人の子供達にも だらしない状態が目に付くと怒鳴る! 事も有ってか? 収納以外は常に簡素にさせてきたせいか?は分りませんが、現在どの部屋もがらんとしていて広い。

そうしておいて、自分は倉庫みたいなところに寝ている  わけだけど、なんでこういった方針なのかというなら、子供の頃から床に物が落ちる音というのが大嫌いだからです。 

なぜか知りませんが、幼い頃から小さい音や高周波音が良く聞こえ、40代半近くでまだ2万ヘルツの音が聞こえる・・・・ 

特に物が落ちる事で出る鋭い音が駄目で、特に金属製の音になると最悪。

犬みたいだな・・・(爆笑)

 

その代わりと言ってよいのか? 子供の頃からど近眼で、特に小さい玉を使う野球やテニスなど球技系が全く駄目でした。

 

故に、常に部屋の中を片付けて整理し、体がぶつかっても絶対に物が落ちない状態でないと満足しない。

眼の高さより上に物があると目の敵にしてしまう(数日前の壁厚利用の棚写真も、知らないうちに棚下半分だけ物をいれた状態で写真を撮ってます)、殆ど使わない物は押入れなどの収納に一度いれ、半年ほど見て使わないようなら屋根裏に保管する。

そこで1年から3年の月日を見るのですが、それを過ぎれはまずその先も使うことはないので、大抵は捨てます。

実際これで困ったことは殆どありません。

 

まめに捨てれば、物は増えない、部屋が広い、= 快適な生活ということですね。 

 

収納をなくせばもっと広い部屋にすることはもちろん可能です。 でも・・・

これは好みですが、部屋の面積を大きくとって収納を余設けない人もいますが、これだと収納スペースに入るはずだった物が、結局部屋中に溢れかえる訳で、まあ家を建てたりする時にはどちらかを選択しなければならず、僕は収納を増やすほうを常に選んでいるわけです。

普段人が生活する共用空間は大きくとって広さと快適さを、でも僕自身が寝る部屋は、本当に寝るだけなので小さい空間にする。

ヨットのキャビンやキャンピングカーの様な、小さくて狭い空間に体をねじ込んで寝るのが好きというか良いのです。

またその方が良く寝られるな~  、 家内は余好きではないようですが(笑)。