また娘のセイルを買ってしまいました。
何気なくホームページを見ていたら、3.3の中古セイルがなんと5000円
という破格値。
程度は上で、「おお!」とばかりに電話、そのまま注文してしまいました。
3.3と言えば大人が台風下で使うセイル、しかし娘には強風で丁度よいサイズだと思います。
しかし、親ばかというか甘いというか・・・・・
その一方娘と家内のギャアギャアは毎日の事ですが、昨日は夕飯の直前。
夕飯の支度を娘が手伝っていたのですが、上着の事で始まりまして・・・・
頂きますをして、テレビを見ながらだったので笑ってしまうシーンがあったのですが、シーンと食べている二人・・・・空気が重い・・・(^^:)
ふてくされた娘は食後そのまま二階へ、あーらら・・・
息子のときは私がよくぶつかりましたが、娘だと家内がぶつかっています。
反抗期=本能ですが、まことに面白いものです。
昨日大笑いしてしまうようなことがありました。
家内が娘の入学する中学校への説明会でいったのですが、なんとそこにいたのは息子が一番荒れていた当時の生徒指導の先生。
当然に息子の話となったそうです。
私もこの先生のところに何度も呼び出されていますので、
とても深い面識 (^^;) があります。
卒業後には縁が切れていたのですが、娘の中学入学に絡んで、再び縁がつながったという感じです。
高校の事から始まり、現在の息子の事までいろいろ話したようですが、
この先生の目が点になった(満面の笑顔だったようですが)のは、息子が教師を目指している、と言う話を聞いたときだそうです。
当たり前ですよね、手のつけられなかった生徒が、自分と同じ職をめざしているわけですから。
学校で問題を起こす生徒の気持ちを一番分かっている人間が先生になる、
エリートでもなく落ちこぼれの代表が先生になるわけですから、非常に面白いわけです。
教育実習はここへ行きますから、この先生と一緒に生徒指導するなんて事もありうる?
息子が問題を起こすたびに真剣に向き合ってくれたこの先生、そして何時も追いかけられては指導を受けていた、元問題児である息子がその先生と織り成すコラボレーション。
大丈夫なんかい?と、想像すると噴出してしまいます。
そういえば、この間あることで息子に完敗しました、その中で息子が「先生と教師の違いを簡潔に説明出来る」という質問をしてきました。
即答できずにいた私に息子が言ったのは、自分は教師を目指しているということ。 答えは先生は知識を授けるが、教師は生き様も授ける存在、だそうです。 更なる完敗でした m(--;)m ウムムム
昨日の花粉が嘘のように少なくなり、そんなわけでまだ無風の朝7時に窓全開。
娘をたたき起こして家の掃除、家内は昨日より職場の一泊旅行でいないために、二人で作業分担しながらやります。
そういえば昨日娘と反抗期の話をしました。 自分の経験でもありますが、
親と一緒に食事していると、なぜか親の口元を見ているだけでむかついていた記憶があります。
そこで娘にそんな事はないか?と聞いてみたところ、「何で分かるの?」とばかり少しびっくりして、それって「お母さんといるときじゃないの?」と再度聞きなおすと笑いだす娘。
誰しもがたどらねばならない本能の道、ときおり家内とギャアギャアやってますが、今のところ私には来ません。 ずっと昔から事あるごとに話をし相談に乗り、そう接してきたのがよかったのか、それともこれから本格的な山が来るのか、もっとも娘の感情の流れを先読みして笑い話にしてしまうので、もめないというか、対立状態にならないと言うか。
毎日成長する姿を見ていると確実に大人への思考が備わっていくのが手にとうようにわかります。
夕方、「髪を切って!」といってきた娘の前髪を少し切ってあげました。
ちなみに娘の髪方デザインは私がやっています。
テレビや雑誌に載せられていた物をみては最新のものを少し取り入れながらやっています。
パーマを併用すればもっと可愛く出来ますが、小学生ですから、清楚にという域は超えません。
「え、失敗した事はあるかですって?」、もちろんあります、ただそのときは適当に変化をつけてまとめあげ誤魔化しました(^^;) だはは
はっきり言って朝からひどい状態・・・・・(--;)
の花粉症。
しかーし!とバンパー交換に挑戦。
まあ挑戦というほどの作業ではありませんが、せっかく290円(又言ってます)で買ったのだから交換せねばもったいない。
腹立たしいほどに吹きまくる風の中コキコキと部品をはずして取り付け完了。
当初、微妙に色が違うために塗装をと考えていたのですが。
取り付けてみると気にするほどのものではない。
いいや!っな乗りで完了です。
しかしこの作業で一番苦労したのが鼻水。 多少バッチィ話で恐縮ですが。
どんどんと出てくる、かんだら次まで時間差のある風邪とは異なり。
くしゃみと鼻が絶え間なく襲ってくる。
顔が下向けば「たらー」、横向けば風にあおられたものが頬にぺた、下向けばくしゃみで飛んだのが再び顔に舞い降りてくると言うわけで、ほぼ30分の作業のうち半分はこれらの苦難と戦いでした。
ハアー・・・・・・・・・
そんなわけで午後からは無気力になってしまいゲームなんぞやって引きこもり状態だったのです。
昨日はHPにアクセスできないと言うトラブルがありました。
原因は上流回線の工事による回線停止。
まあ、個人のサーバーですから、こんなことは結構あります。
お金持ちならミラーサーバを置いて保障するのですが。
そこまでするほどアクセス数はないし。
「あれ?閉鎖か?」なんて思われるのも結構面白かったりして。
接続できなかった人はあせった?だろうか、それともやっぱりと思っただろうか? 当然だ!なんて人もいたりして?
なんていろいろどうでもよいような想像をしてフォッ!フォッ!フォ!とバルタン星人ように思ったりしている不謹慎な自分です。
さて、花粉の飛散も悲惨になり、今も痒くて仕方ない。
朝起きてこれじゃーたまらんのですが、早くこの季節が過ぎていくことを願います。
そんなわけで、今週末は息子が破壊(だいぶ前にぶつけて悲惨な)軽自動車の後ろバンパーを交換予定。 もちろん自分でやりますが、ウレタンの塗装をするのは本格的なコンプレッサーやガンを使わねばならないし(もってるのですが・・・)面倒。
ただのスプレーでいいかな?なんて横着を決め込もうとは思うのですが。
塗膜がうすくてパリパリ取れたりするのでそれも嫌だし。
290円で入手した中古純正バンパー。そのまま取りつけるか? 色違いもいいかな?なんて思うものの、なんか変?とも思うし。
へそ曲がりの私ですから、これまたへそ曲がりな取り付けして楽しもうかな・・・ (^^)V ピース
今年も暖かな季節が来ました。
私が春を感じるのはもちろん春一番の吹いたときですが、現実的な訪れを感じるのは、通勤時に水(春)の香りを受けたときです。
冬の寒さが緩むと、乾燥した空気に水分が乗り始め、それがなんともいえない土のにおいをともないながら鼻をくすぐり始めます。
気温差がなくなり、刺すような刺激が失われ、霜となって落ちない香りはそのままダイレクトに心へ届くのですね。
春を感じる朝でした
あるのですが、書けない・・・・・
一月の沖縄で娘が見聞きした様々な事がたくさんあります。
人間くさくて、悲しくて、辛くて、でも楽しくて、そんな話がたくさん
有ります。
しかし、これを書いてしまった場合、その子が卒業した後にそれを見たて、
良い方向でとってもらえればいいのですが、そうでなかったらどう思うか。
そう考えてしまうと書くことは出来ないのですね。
文章はあくまでも文章でしかなく、ある人間からほかの人間への情報伝達は
100分の1以下になってしまうのを自分は痛いほど経験しています。
文書ゆえの難しさは、想像の自由度と不安定であるかゆえでもあり、又それが文章の面白さでもあります。
スクールは合宿所という空間で全員が生活していますから、
なにやってるんだ?と思わず吹き出してしまう話もたくさん出てきます。
でも、その場に自分がいたらやっぱり同じ事をしているだろうな・・・
と、思ったりもするわけで。
ゆえに、自分だったらそれを伝え聞きした者の表現は気になるところ。
自分だったらと考えるほど難しくなるわけです、自分の利益を優先すれば、裏を返せば、相手等どうでもよければいくらでも書けるのですが。
そう考えるなら、意図的な文章と言うのは誰でもできるわけで、マスコミの報道でそれぞれの記述を読み込むと、その人物がどれだけ悩みながら書いているかということははいとも簡単に読み取れるわけです
今日はプレジデントディで休み、そろそろ暖かい風も吹き始めてウインドの虫がうずき始めています、今年もだいたい3月末頃からやる予定でいますが、娘の道具が一式4月までスクールにあるので(春休み期間中に自分で訓練を受けに行くのだそうです)、多分私一人だけ?利根川でブンブンと・・・・
と、ついに始まったかーという感じの本格的反抗期、そろそろ本格的なのが来てもおかしくないのですが・・・・・、と以前もこんな事を書いたような気がします。
子供によって反抗期の形が異なり、ときどきドカンと来てはすぐに納まり、またドカンと来るヒットアンドアウェイ型、ずるずると小出しに続くタイプ、がががと連続して続き有る期間が過ぎるととたんに納まるタイプ等々。
娘は一番初めのタイプじゃない?と家内は言っておりますが、確かにひとりひとり、始まる時期や長さ、程度等違うわけですが、その期間は「オー! マイガッド!」(@@;)、と、親の想定外が連続して続くわけですが、
上の子で一度経験している事から、どんな感じで流れていくのかはおよそ分かっているものの、「あの凄まじかった状態と同じのだけは勘弁してくれ~!」なんて思ったりはしているのです。
ただ、この思春期独特の行動は、単に親だけの問題ではなく、学校の先生や、それよりさらに大きな影響を与える友達等々、さまざまな要素が絡み合ってきます。
一時反抗期は母親からの独立、二時反抗期は家からの独立です。
そのかていで色々とやらかすのですが、そうした諸処の事に対して、どう考え、どう接して乗り越えていくのかという力をつけさせるために、親として出来る限りの事をしているわけです。
男の子はどん底まで落ちても何とかなります。 というのは、いくらでもやり直しが出来るうえに、そうした経験が逆に人間としての成長をもたらすからです。
しかし、女の子の場合、どうしても流れがその方向へ(本人にそうした意図が無くても)流れがちですから、非行くらいはともかく、それ以下にまで落ちてしまい一度ぼろぼろになってしまうと、まるで上から蓋をされたように元に戻ることが難しくなります。
これは女の子自体が、本能的に反社会的な行動へ走りにくいこと、また男性側の本能としてこうした女性を排除しがちなこと。
社会通念的にも許してくれないこと、立ち直るとしても、それこそ普通より桁違いの心の強さを要求されることなど、阻む物は沢山あるわけです。
私自身としては、若いときの様々な出来事は人間としての心の深さとなるものだとしていますから、色眼鏡などをかけて見ることはありませんが。
では自分の娘ならどうなのか?と聞かれれば、答えきれないところに自分の未熟さが現れてしまいます、もっと人間としての鍛錬を積まねばならない、そう思います。
山にでも籠もるか・・・・・・っとこれまた単純発想しか出来ない僕でした。
14日に帰宅した娘、それから数日。
「スクールに行きたい!」と毎日騒いでいます。 何というべきか・・・・(――;)
確かに多くの人間達が共にすごすところ、そして今ではなくなってしまった濃い人間関係が存在するところ。
自分から行けばとても楽しいところであって、無理矢理入れられれば耐え難く、それを他人が見れば虐待だという。
人の心とは非常に不思議なものです。
そんな家の娘ですが、どうしてもというので、再び春休みに行くことになりました。
特に変更無ければほとんど全部、帰宅の翌日は入学式となるかもしれません。
で目をこすりすぎて、駄目です。 やっとこさと言う感じで日記も書いていル状態で、あー痒い・・・・・
そういえば昨日の夜、娘がPCで何かしている・・・。
何をしているのかとおもったら、有名な学生ウインドサーファーの女の子と
コンタクトしてました。
相手は、娘が目標としている子(迷惑だといけないので、名前は書きません)です。
この子は非常に人間的に優れていて、やはりというか、ウインドをやり続けてきた人間に多い、強くて安定した精神力をもつ努力型。
メーカのスポンサーも付き、雑誌などでは当たり前のように出ていますし。
この間の大きな大会にて、アマチュア女子部門で優勝した子です。
出来ればこんな子(先輩)と付き合いを持ってもらいたいものだと思ってますが(親の我侭)、絵文字を散りばめた文章はやはり女の子。
バルカン(フリースタイルの高度な技)の練習を始めたという娘が、PCでやり取りする後姿を見ながら、「まあ好きなようにやれや・・・」と思ったりもしています。
しっかりと春一番をつれて帰ってきてくた、家の小町。
悪天候のために予定より約1時間遅れで到着。
真っ黒かと思いきや、日焼け止めをしっかりと塗っていた(校長先生の指示)
せいもあって割と普通。
もっともウエットスーツから出ている手の甲に光の証拠は残っています。
当たり前ですが、帰りの車の中はやたらとにぎやか、家内と二人だけの時とはまったく違う雰囲気。
いろいろな楽しい話を聞かせてくれましたが、いつの間にやら寝息が・・・
たった一月、されど一月。
「もう一月いたかった!」といって笑う娘の笑顔の中に、どんな思い出と成長をもたらしてくれたのかが読んで取れます。
途中で夕飯のために入ったレストラン、お父さんお母さんの言っていたことの意味が良く分かったという小話をくれました。
箸の持ち方から始まり、言葉使い、態度、皿洗い、掃除、等々、女の子の場合は生活するにおいての基礎はすべて中学生になるまでに大人並に(当たりまえとして)出来るよう、育てなければならないと私は思っています。
おかしな箸の持ち方をしていた娘の小さな手をいきなり叩いたり、座っている姿勢を見て「背中を丸めるな!」と叱り付けていた事など、とにかく叱られること多い中で娘は育ちました。
そうした厳しさは、娘(子供)には理解しがたいものです。
しかしながら、親から離れ、他人だけの中で過ごしていくと、自然とその意味が見えてきます。
親という存在や、言葉の意味というのものは、離れて初めて理解しうるものであって、常にそばにいる限りは見えてくるものではないからです。
ゆえに中学に入る前のひと時をスクールで過ごさせたわけです。
共同生活において自分の一挙一動は常に男の子の目にはいるわけであって、
出来て当然の事を迷ったり、右往左往する事ほどみっともない事はなく。
たとえて言うなら、りんごをもらったとして、それに大して自分から率先して皮を剥き、お皿の上に綺麗に並べて出せるまでの一通りのことがスムーズに出来なければならず。
男女平等だ等と言い出してみたり、りんご剥きすら出来ないことを屁理屈つけて隠してみたりしたとて。
それが社会でのあらゆる面での基礎となるわけであって、
当たり前のことが当たり前にかつスムーズに出来る人間に信頼が置かれ、高度な仕事や上の立場へと上げてもらえるのは当たり前のことなのですね。
ゆえに将来おとずれる可能性の高い男女共同参画社会において、どれだけ娘が幸せに暮らしていけるであろうかという面において、親が努力すのは当たり前のことなのだと私は思うのです。
獣医になると言う娘、本当になれるかはまったく未知数であるとして。
仕事に厳しく、しかし家庭では母親として自分に厳しくある。
そういった人間になってもらいたい。
それが娘を最終的に幸せにする力となるなら、親としてそうするのは当然。
学力ではなく、徳力をつけさせねばならない・・・・・
本格的な反抗期がもうすぐ来ます、その前に自分で自分を正せる姿勢を見につけさせることが出来たのなら、後は親が言わずとも自分で成長していける。
そう私はおもっているのですね。
水仙?の芽に変化が出ています、成長が早い。
今年は暖かいですから、特にこの一週間はやたらと伸びているような気がします。
さて昨日?も書きましたが娘が今晩帰宅、仕事を早々に終え、羽田空港まで迎えにいってきます。
私の住んでいるところは田舎ですから、渋滞を考えると空港までは長い道のりとなります。
3時間以上はかかるでしょうか・・・
そのあと帰宅途中でビックリドンキーで夕飯をとるつもりです。
え!なんでドンキー?と質問来そうですが、娘のリクエストです。
え!息子は? もちろん来ません、家内が夕飯を造っておいて置くか、
もしくはなんか適当に食べるでしょう、子供じゃないですから。
いろいろと話を聞いてきたいと思います、楽しい話などきけましたら、後にもまとめて、沖縄日誌に載せたいと思います。
もちろんプライベート情報は守りますのでご安心を。
さて来月は息子と娘の卒業式、さらにその翌月は二人とも入学式です。
息子はもう大学生ですから、親がついて行くというようなバカな真似はしません。
家では、マザコン息子を育てているわけじゃ有りませんから。
ゆえに娘が中心となりますが、それも家内中心で、父親たる私は平然かつ普通どおりに過ごします。
祝いの言葉こそ二人にかけますが、だからとて、成長という事を考えるなら当たり前のことでしかなく、こんなことくらいでは、動かざること山の如しでなければならないのですね。
まあ、こうした祝い事に関しての考え方にはそれぞれに考え方もありますから、反対意見をお持ちの方もたくさんいるとは思いますが、別に強制している訳でもありませんから、気に入らない方は無視してください。
といよいよ明日娘が帰ってきます。
幾度かべそをかいたようですが、それも心を成長させるには必要なこと。
なんでも味方してくれる親と離れてこそ見えてくるものは、たくさん有るわけです。
問題のある子ほど親とはなれて長い月日を思うようにならないところで過ごす。
こうしたことは昔からあってそれが昔の日本では当たり前のように用いられてきた。
ところが今はこうしたことが失われてしまったのですね
数日前の夕方、突然姪っ子から電話がありました。
「このバイク駄目ー!」という言葉、「えー!」と思った後、
整備の始まりから港までの移送まで、全開で記憶がよみがえります。
ぜったに問題ないように幾度も確認しての整備をしていますから、
そんなはずがない・・・・・(@@;)??????
電話向こうで半切れの姪っ子を落ち着かせながら話を聞いていくと、
「あれ?、もしかして・・・・」 と非常に地味な疑問がわいてくる。
「ガソリン入れたか?」と聞きなおす (’’)qモシモシ
電話の向こうで「あ?」という雰囲気が有ったのを察知、そのわずか後に、「満タンて言ってたじゃん!」と来た。
「そんなの知らないよー!」と言い出した段階で
どっと疲れが・・・・(--;)ウムム・・・手強いでごんす
「あのなー・・・・・・・バイクは燃料入れて走るわけ、お前車の免許もっているだろー・・・・」と思いつつも忍耐強い私は(本当か?) (^^;)
まだ興奮ぎみの(立場が逆だんべ)姪を落ち着かせ、どうすればよいか指示をして一件落着。
電話を切ってため息・・・・(-。-)フー
自分の娘なら、入れておいた取扱説明書をきちんと読んでいないことがバレバレですから、ガツンと叱り付けるところ。
しかしながら他人の子で、年齢が21ともなるとやりづらい。
そういえば入れておいた手作りの取り扱い説明書は、ワード作成して写真までいれながら作ったんだけど・・・・ と思いながら、
なんともいえない微妙な気持ち。
相手が男なら「テメー!」となるのが、女の子だといえない自分が可愛いと思うのは自分だけだろうか?
(*^・^*)私可愛い? (--;)アノナー・・・・
カントリーロード
この曲を知らない人はほとんどいないと思います、アニメでも紹介されましたので。
ところがこの映画の中での訳文ほど頭に来るものはありません。
本当歌詞の持つ美しさはこの映画では見事に?壊されてしまっているのですね。
そんなわけで、今日はこの曲の歌詞の本当の意味を日本語にして見たいと思います。
Almost heaven, West Virginia, Blue Ridge Mountains, Shenandoah River.
Life is old there, older than the trees, younger than the mountains, blowing like a breeze.
シェルナンドリバー、そしてブルーリッジマウンテン、それはウエストバージニア、そして楽園。
過ぎ去った日々は木々より古く、そして山より若く、風のように(記憶を)流れていく
*一番目の詩ですがこんな隠し意味があります、いつの世にも人がいて人生があり、歴史がある、人の一生は美しき自然の前では一吹きの風のよう
Country roads, take me home to the place I belong.
West Virginia, mountain momma, take me home, country roads.
カントリーロード、それはウエストバージニアの母なる山へと誘ってくれる、そうあの
(記憶の中の田舎道)。
All my memories gather round her, miner's lady, stranger to blue water.
Dark and dusty, painted on the sky, misty taste of moonshine, teardrop in my eye.
全ての思い出は彼女の周りにある、純粋な女性、狂おしいほどのブルーな水、暗くてほこりっぽくて、そして彩られていた空、魅惑的な月の輝き、それが目の中に飛び込んでくる。
*二番目の詩は二つの隠し意味を持ちます、一つ目は。
すべての思い出は、清らかなあの子の”瞳”(魅惑的なブルーの水)とともにあり。
砂嵐の空も、夕焼けの空も、たとえ様のないほどの美しき月あかりも、それはすべて私の涙の中に(思い出の中に)・・・・
*さらにもう一つの隠し意味は次の通りです。
自分にとめどない愛を注いでくれた、美しくて清らかだった彼女。
なのに僕は心を踏みにじってしまった、その涙は今も自分の目に焼き付いて離れない。
Country roads, take me home ・・・・・・take me home, country roads.
カントリーロード、それはウエストバージニアの母なる山へと誘ってくれる、そうあの道(記憶の中の田舎道)。
I hear her voice in the morning hour she calls me, the radio reminds me of my home far away.
And driving down the road I get a feeling that I should have been home yesterday, yesterday.
彼女の言葉を朝のラジオで聞いたぼくはとおい家を思いだした。
だから帰るための道に乗りだしたんだ昔のふるさとへ、昔へ
*これも隠し意味がもちろんあります。
朝のレディオ(ラジオ)で君の心(*この曲と彼女の声を重ね合わしています)を聞いた僕、それは自分がどうすべきかという道をくれた。
だから僕はもう一度旅に出たんだ、そうそれは君のもとへ、そして本当の自分の為に、純粋な昔の自分を取り戻すために・・・・
*第二の隠し意味、
レディオから聞こえてきた君の声は(おそらく彼女の名前と思い出のあるリクエスト曲)は忘れていた大切なもの(本当の愛が)が君であることを解らせてくれた。
だから僕は君を幸せにするための道に乗りだしたんだ、失われたものを取りもどすために。
君のために。
Country roads, take me home ・・・・・・take me home, country roads.
カントリーロード、それはウエストバージニアの母なる山へと誘ってくれる、そうあの道(記憶の中の田舎道)。
カントリーロードはこのように非常に深い意味を持つ歌詞で構成されています。 映画のちんけな訳とは似ても似つかないのですね。
映画では帰りたくても帰らないという役になっています。
しかしながら原文は朝彼女の声を聞いたとなっています、だからハンドルを握ったとなっており、これは帰宅=夕方=安らぎであって、彼女のもとに戻って生涯をともにという意味ですから、大変な誤訳ということになります。
いちばん最後の歌詞の終わり方が抽象的(新しい人生を歩み出すというような書き方でのあるために)こうした誤訳が生まれるわけですが、
この曲自体が本当はラブソングであることは、隠語をたどると分かるわけです。