産経さんの記事にジャーナリスト東谷 暁さんのコラムが載せられています。
相変わらず産経新聞さんは良い記事が多い・・・・
内容はあまりにもひどすぎる東電叩きに関するものですが、 実は僕もこの記事と全く同意見です。
この国の最高技術の結晶とも言える原子力発電は、特にろくな資源がないこの国にはどうしても必要なもの。
太陽光?風力? 波力? LNG? 正直なところ幻想です。
原子力に比べてはるかに短い寿命と高コスト。 でかい雹がふればパネル全壊、蒸し暑い梅雨の季節も夜、台風のときもエアコンはじめ
電化製品はアウト。
風力発電なんぞにいたっては、真夏の太平洋高気圧張り出しで大気は超安定、まったく発電しません。
あらゆる場所、病院はじめとして人のいるところ全てがエアコン無しの37度という蒸し風呂生活を毎日送る事になります。
波力はでかい台風(数年前にあった程度で)が一発来れば全壊、膨大な税金投入するか電気料金大幅値上げしての造り直しを要求されます。
LNG? 今年完成する中国空母の艦載機が威嚇飛行を繰り返す(対抗できる空母をこの国はもっていません)尖閣諸島という環境下にて小規模戦争覚悟の掘り出しと輸送、同時に新潟なども含め
輸送のために莫大な費用をかけ(凍結ガス輸送ですから半端じゃなく建造費がかかる)て、需要に見合う数の輸送船を建造しての採掘、
あたりまえですが完全凍結のそれは、そのままでの使用は全く出来ませんから、さらに膨大なエネルギーを消費してして凍結を強制的にほどいてやっとガス化、
発電するまでには目玉飛び出すほど莫大なコストを要求されます。
電気代が今の数倍になるのを覚悟し、そのための膨大な開発費用と維持費を、税および電気代として負担する覚悟があるなら、
これらも現在より幾分か増しになり、まともな発電設備としての能力を持たせられるでしょう。
僕自身に「お前はどうするか?」と問いかけられれば、其の負担に喜んで応じはするでしょうが、原発反対で騒いでいる人含め
ほとんどの国民にそうした覚悟が有るのでしょうか?
さらに日本は産業国ですが、最終的にはすべてコストに跳ね返りますから、日常品から始まってあらゆる物の値がすべて上がり、
価格の高くなったハイテク製品の海外競争力はさらに下落して売れなくなる。
それでさえ僅かな価格差で韓国製や中国製に市場を乗っ取られている現状をみれば 高性能=高くても売れ続ける という式など成り立たないのは少し考えれば分かる事。
これらはほんのわずかな例でしかありませんが、電力コストの上昇というのは、今現在の国民生活の全て、この国の経済全てに影響を及ぼしてくる、原発反対と簡単に言葉にしている方達はそうしたことまで考えの事でしょうか?
今回、原発そのものは震災発生と同時に完全停止しています、しかしながら炉には冷却というものが必要で、そのものを掌る電力が震災で失われ、
最後の頼みとする予備のディーゼル発電設備が津波によりダウン。
最悪なのは、爆発の直接引き金となった炉内圧力の放出作業を遅らせたのは民主党が管総理の視察を優先させた事。
東電側から11日夜にベント指示の決断を政府に仰いでいますが、きちんとその段階で行われていれば、放射性物質の放出そのものは起きたでしょうが爆破という最悪の事態は防げました。
ベントしろと指示したのに「連絡取れなかった」等と、 この夜のことをいとも簡単に、しかも原子炉に詳しいはずの管総理が答えていますが、なぜこの指示の時だけ連絡できなくなるのか? そんなはずないでしょうが・・・
幼児の嘘よろしく最悪な状態まで被害拡大となった最大の理由はこれです。
なぜもっと安全な設備をつくらなかったんだ?と東電が叩かれていますが、割と知られていないのは、こうした公共設備(原発は国策)に関して逐一国の干渉が入り込み、
税金の流入ありきという形で設計開発されているということ。
故に、必ず過剰設計という制限が付いて回る。
これは僕自身も経験しているものですが、信頼性をあげる為の設計をすると、それに対して当然お金が必要となる。
すると「これは過剰設計ではないか?」と向こうは言い出し、こちらは 何故?を踏まえていざというときに必要だと説得するわけですが。
最終的にはどこで判断されるかというなら、”学者がこういっている”、”専門化?がこういっている”と、それによりどんなに優れた設計をとろうとしても 不要!の烙印を押されてばっさり切り捨てられてしまう。
過剰は安全のための予備しろとして有るはずなのに ごみ(不要物)とされてしまうわけですね。
今回の震災における最も根本的な部分もそこにあり、原発の設計はマグニチュード9なんて想定していなかったと学者達は公言し、
それならどのくらいの安全係数をみこんでいたのかというならM8.2。
当然原発設備はそれにのっとり起きるであろう最大の津波と震度に応じた設計しかなされず。
これはどんなに東電を叩こうが、こういった判断基準で設計させ、そのためのお金しか出さなかったという、システム的な根本的部分に問題が有る訳です。
そもそも設計耐用年数をこえた炉を延長使用することを採決したのは民主党、そしてIAEAから津波に対する安全性の指摘をうけながら、其の為の対策費用を素人集団に仕分けさせたのも民主党。
例を挙げるなら、ボロのエンジンを積んだ車を、「まだ馬力出るからいいや!」と乗り続け、ブレーキ不良の可能性を整備士から指摘されているにもかかわらず、きちんとした予備ブレーキを設置するために必要だったお金を自分達の格好付け(人気取り)のためにばら撒いたわけです。
批判の矛先が間違っているように僕は思えますが、と、この辺はよしましょう・・・
それでもエンジニア達は、こうした制限と戦ってきたわけで、豊富に資金を注げば税金の無駄使いだと叩かれ、制限されれば苦悩しながら其の中で最良を目指す。
そして必ず起きる不具合と其の対策との追いかけっこ、 日本の技術者は正直なところ優秀です。
地球という天体で、プレートが複雑に絡み合うこの日本において、今回の震災まで大きな事故もなく維持してきた技術力と経営能力は本来賞賛されるべきもので、
それによる利益を当たり前のものとして享受してきた事を全く忘れたのごとく、一方的な批判と叩きを行う事に関して、僕自身の心からすればNOとしか言いようがないのですね。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n1.htm
ジャーナリスト・東谷暁 東電叩きによる「人災」
2011.4.29 03:04
もういいかげんに「東電叩(たた)き」をやめてはどうか。たしかに、今回の福島第1原発事故については東京電力にも責任があるだろう。しかし、そのことといま蔓延(まんえん)している陰湿な東電叩きとはほとんど関係がない。
まず、東電の「想定外」発言を批判して何から何まで「人災」だと言うのは、恐怖に煽(あお)られた短絡にすぎない。この世の危険には確率計算できるリスクと、計算できない不確実性があって、リスクについて東電はかなりの程度まで想定していた。
最終的に今回の事故の原因となった非常用ディーゼル発電機不起動の確率は1000分の1だったが、東電はこれを2台並列に設置して100万分の1の確率にまで低下させていた。しかも、非常用ディーゼル発電機は頑丈で津波にも拘(かか)わらず一旦は起動したが、この非常用ディーゼル発電機のサブ冷却系が津波にやられていたためオーバーヒートして途中で停(と)まったとの説は有力である。
なかには、巨大な津波が来ることは分かっていたのに、低い防潮堤しかなかったため事故が起こったのだから、東電が対策を怠ったことになるという人もいる。しかし、これまで14メートルを超えるような津波は三陸海岸のものであって、福島浜通りに来たという記録はない。また、最近おずおずと発言を始めた地震予知学者たちも、口を揃(そろ)えてマグニチュード9は想定していなかったという。それでどうして東電がマグニチュード9によって起こる巨大津波を想定できるのだろうか。
そもそも、たとえ東電が巨大津波を想定していたとしても、できる対策とできない対策がある。もし想定できることはすべて予防策の対象とすべきなら、岩手、宮城、福島3県の海岸に、巨大防潮堤を建設しなかった県および政府は、あれほど多くの被災者を、最初から見捨てていたことになるのではないのか。
私が東電叩きをやめろというのは、それが私たちにとって損だからでもある。東電叩きには、東電に責任があるから政府は援助をするなとか、東電を解体しろという主張すらある。しかし、これこそ、私たちに新たなリスクを負わせることになるだろう。
これまでも高度な技術をもった事業体を解体したさいには、巨大なリスクが生まれた。国鉄解体では組織内の技術が守られたかに見えたが、JR西日本では制御技術と技術者集団の継承性が損なわれて、福知山線事故という悲劇を生み出した。
また、JALについてはいま給与体系や親方日の丸体質ばかりが論じられるが、最終的に利用者の信用を失ったのは多発した事故だった。この場合も、半官半民から完全な民間企業への変身が強調されるあまり、整備という航空業のコアを外注してしまうことで、組織内に蓄積された安全技術が流出したからである。
原発という技術は、現代における最先端の技術の塊のようなものであり、ことに安全を確保するための制御技術は、設計者と使用者との間の連携が失われれば機能が低下してしまう。しかも、制御技術は組織そのものによって維持されている。これを東電叩きに乗じた怪しげな扇動によって解体してしまえば、新たな事故を招来しないともかぎらない。そうなってしまえば、今度こそ、東電叩きによる「人災」ということになるだろう。(ひがしたに さとし)