帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

ZONE 笑顔日和 PV [HD]

2010年04月30日 | 研究-教育・育児
ZONE 笑顔日和 PV [HD]


相変わらず「海が好き!」と親の言うことなんか聞かない我が娘は昨日から合宿。

5月7日まで帰ってこないけれど、毎日笑顔で送れるだろうか?



何て考えたりもするのです。


ウインドサーフィンもヨットも、教えたのは僕。

輝ける季節は何をもたらしてくれるのだろうか?なんて考えもするけれど、

娘には僕より少しでも輝いた青春を送ってもらいたい、そう願うバカ親父です。



(^^)えへへ

僕と全く同意見、ウォール・ストリート・ジャーナルより

2010年04月29日 | Weblog
Yahoo!ニュースより

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100423-00000001-wsj-bus_all



【オピニオン】冷え込む米日関係 - ジャパン・バッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」
4月23日8時43分配信 ウォール・ストリート・ジャーナル

 50年以上にわたる米日同盟において、日本政府と米国政府は、互いに称賛し合ったり、非難し合ったり、無視し合ったりと、驚くほど多くのさまざまな局面を経てきた。そして互いに拒否し合っているのが、今だ。

 この米日関係のサイクルが始まったきっかけは、1970年代の「ニクソン・ショック」だ。ニクソン米大統領(当時)の中国訪問と変動為替相場制の開始によって、日本は政治的に不安定かつ経済的に弱い立場に追い込まれた。

 80年代から90代初頭にかけては、貿易摩擦が過熱化し、貿易戦争の脅威や制裁措置、保護主義の台頭によって両国関係は損なわれることとなった。日本が次の超大国と化すのではないかとのつかの間の脅威によって、『ザ・カミング・ウォーズ・ウィズ・ジャパン「第二次太平洋戦争」は不可避だ』といった、はらはらさせるような(しかし、完全に誤った認識の)タイトルの本が次々と出版された。日本人の間では、この時期は「ジャパン・バッシング(日本たたき)」の時代と呼ばれている。

 90年代に入ると、両国関係は「ジャパン・パッシング(日本外し)」の時代へと移行する。米国の強欲な視線は、日本を離れ、新たに超大国へと成長しつつある中国へと向けられるようになる。

 98年、当時のクリントン米大統領は中国を訪問し、9日間も滞在したにもかかわらず、東京には立ち寄ることさえしなかった。これによって、日本は、日本の時代が正式に終わったことをようやく理解した。政治家や世論形成者にとっては、多くの意味において、無視されていると認めることは、たたかれることよりもつらい。バッシングであれば、少なくとも反撃のチャンスはある。

 そして今、日本政府と米国政府は新たな時代に突入した。わたしは、この時代を「ジャパン・ディッシング(日本切り捨て)」と名付けたい。鳩山新政権は、自らの主要パートナーに対してさまざまな失策を犯し、一貫した政策を示すこともできず、オバマ政権から非難を買い、ますます無視されつつある。

 日本の政治エリートが、米政府の間で日本の評価がいかに下がっているかを知ったら、バッシングやパッシングの日々が懐かしく思えるかもしれない。日本は今、どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない「モートンの熊手」状態に陥っている。すなわち、米国に無視されるか、解決のしようがほとんどない問題とみなされるかの、いずれかだ。

 日本の政治家の多くは、こうした事態を招いたのは、06年に米日で交わした沖縄在日米軍の再編実施のロードマップを反故(ほご)にし、米政府が受け入れ可能な代替案を提示しない鳩山首相自身であることを理解している。さらに、オバマ大統領が鳩山首相に対する信頼感を失う上で最も決定的となったのは、鳩山首相はオバマ大統領に対して直接、問題を「解決する」と2回も約束していたことだ。

 鳩山首相は5月末までに代替案を提示するとしているが、日本でも、米国でも、誰もが満足できるような解決策を鳩山首相が突如見つけられるとは、ほとんど誰も思っていない。さらに、東アジア共同体の形成や気候変動問題で果たす日本の役割の拡大といった、鳩山首相が提唱する偉大な構想は、政治的な現実性のかけらもない。

 要するに、鳩山首相に対する信頼感はすっかりうせ、米政府高官はひそかに日本を見放す姿勢をますます強めている。米ワシントンDCで先週開催された核安全保障サミットでは、中国や韓国、シンガポール、マレーシアの各国首脳はオバマ大統領と親密で、実のある協議を行った。

 一方、鳩山首相は公式晩餐会でオバマ大統領の隣の席を確保したものの、政府高官筋によると両者の会話は順調に運ばなかった。その後、両国の官僚はいずれも良好な関係の維持を望んでいるとあわてて述べたが、オバマ政権の中には両国の関係がすぐに改善されると信じる者はほとんどいない。少なくとも鳩山首相が政権の座に就いている間は、あり得ない。

 ジャパン・ディッシングは、日本、米国、アジアのいずれにとっても好ましくない。アジア諸国は米国とその主要同盟国との関係を神経質に見守り、日米乖離(かいり)の兆しに鋭く反応している。

 一部の比較的小さな国は、鳩山首相が昨年提示した東アジア共同体構想に対して、とりわけ厳しい反応を示した。それが米国の排除を意図するものかのように見受けられたためだ。そうなれば将来的に、新たな多国間協定の合意において中国に圧倒的主導権を握られかねない。そうした事態を他のアジア諸国は警戒している。

 アジア各国が米国と日本の緊張の度合いを認識し始めていることを裏付けるかのように、わたしは先日、あるアジア主要国の首脳に直接、米国と日本の関係は実際どれほど悪化しているのかと聞かれた。

 両国関係の険悪化がこれほど気掛かりなのは、米国も日本も互いに協調する以外に現実的な解決策がないことだ。米国は、在日米軍なくして、アジア地域で確固たる軍事態勢を維持することは不可能だ。かといって、たとえ他のアジア諸国が米軍のアジア駐留をどんなに望んだとしても、代わりに米軍の受け入れを申し出る国があるとは思えない。

 そして日本はと言えば、第二次世界大戦から60年以上たった現在でも、いまだに米国以外の近隣諸国とは同盟を組めずにいる。米国との密接な関係が失われれば、日本は今以上に世界で孤立を深めかねない。それは、世界第2位の経済大国にとって健全なことではない。

 米日同盟の決裂は誰も望んでいない。だが、鳩山首相が事態を何とか一変させなければ、両国関係は確実に後方に追いやられてしまうだろう。これには、自らの政権の掌握と連立パートナーの抑制、沖縄県民との現実的な基本合意の形成を含め、政治的手腕が要求される。だが現在までのところ、鳩山首相はその手腕をまったく持ち合わせていないように見える。

 そうした政治的手腕が発揮されて初めて、鳩山首相は米政府と対等な協議ができる。だが、その時が来るまで、あるいは鳩山首相が辞任するまでは、数十年かけて築き上げられたアジアの安定と繁栄はジャパン・ディッシングによって脅かされ、既に多くの紛争に見舞われている世界にさらなる不透明さと緊張をもたらすことになりかねない。

(マイケル・オースリン氏は本紙のコラムニストで、アメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長)

俺はゴキブリってか? 笑

2010年04月28日 | 研究-教育・育児
最近ボーイフレンドが出来たらしい娘、まずお兄ちゃんとその彼女に話し、次に家内、最後に一番怖い僕へ話をしてきた。

「ん?」と思う物の、禁止するような考えもないし、特に介入しようなどとも考えないことから、いくつか基本的約束を提示してあっさりOKと返答。

ところが、今朝の話を聞いて大爆笑になったのは僕と娘。

自分のお弁当は自分で造るというのが娘の考えでして、起きてくるのが丁度自分が家を出る頃となりますが、今日は少し早い。

「ねえ聞いて!」、「変な夢見た~」とやってきたので、「どんな?」と聞き返すと、次のような内容でした。


気がつくと少し暗い体育館の中に自分(娘)と友達(女の子)そして見知らぬ男の子の3人がいたらしく、その体育館で何をしていたのかは知らないとのこと。

気がつくと床の隅に一坪ほど(畳二枚分)くらいの黒い固まりがあって、それが「ざざざ・・・」と移動している。

娘は「げ!」と思いながら近くによってみると、なんと”ゴキブリの大集団”らしく、気持ち悪くなって出口にから抜け出そうとしたら、なんとそのゴキブリ集団が素早く移動ながら自分達の行き先を塞ぐように動くらしく、簡単言うとブロックされている状態。

いくつかある出口を目指すも必ず先回りして出られない、そこでゴキブリを叩いて突破しようと試みたところ、全身にゴキブリが這い上がって「ぎゃ~!」となったところで朝だそうだ。

「なんでこんな夢見たんだろう?」と聞いてくる娘。

この時点で笑いをこらえきれなくなっていたのは僕、その顔をみて「???」という娘。

そこで、理由をそのまま教えると、そばにいた家内と一緒に大爆笑。

「はい!」 (^^)b

この夢ですが、占い云々何てことは関係なく、実に現実的な事から来ています。


まず体育館、これそのものは親という存在であり、保護そのものを表しています。
大きいので閉塞感は無い事が分かります。

薄暗いのはそこに心の落ち着気がある証拠。

本人以外の二人、そのうち一人の女の子は自分の中に隠された欲望で分身、もう一人の自分でそこに理想やら自分の嫌な面やら何やらがギッシリと詰まっている。

そして残りの男の子はボーイフレンドそのもの。

さて問題の黒い集団ですが、之は父親(僕)そのものでして、自分(娘)の行動にどういった反応(姿勢)を取るか分からない潜在的恐怖を表している。

ゴキブリで構成されているのは、本能的な物で自立を?阻む存在でもある。

「ゴキブリは俺だな!」と単刀直入に言った事が相当におかしかったらしく、しばらく笑っていましたが、まあ、僕自身も似て無いとも言い切れないし? 夢の分析結果が妙に現実的な的なのも有り思わず苦笑い。

さてこの分析、実は別の意味もあるのですが、朝にそれを話すほど時間もなく、僕は家を出てしまいましたが、次のことがとても重要なわけです。

ゴキブリの集団移動は常に自分についてまわる、社会常識や親の思いそのものでもあり、それが迫ってくると逃げるのは当然の事。
最後の方で叩いて突破を試みるのは自分への背徳心という側面を持ちこれでいいんだろうかという自分への問いかけ。

ゴキブリが体に這い上がってくるのは、自分が変化していくことに対する恐れでもあるわけです。

この這い上がってくるのは親ではないかと考える人も多いのですが、このゴキブリは単にブロックしていただけのことで、けして自ら襲いかからず、叩き初めてはじめて這い上がってきている。

そこに切り分け点があるわけです。

まあ、いずれにせよゴキブリの集団が僕であることには変わりないようでして・・・

(^^)ははは

ただこれが草原でゴキブリに追いかけられた夢でなくてよかったと僕はおもうわけです。


そういえばバスケット部の先輩生徒達からマネージャーやってくれないかと申し出があったらしく、断りたい気持ちと断りづらい気持ち、やりたい気持もあるしやりたくもないといろいろ混在して複雑な状態になっていたのも有るみたいなので、それ絡みかな?とも思いますが・・・

ゲゲゲの女房

2010年04月26日 | Weblog
みなさんご存じ、朝の連続ドラマですが、これが予想に反しておもしろい。

たいてい、夕飯前後にビデオに録画したのを家内が見始めるため、否応なしに見させられてしまうわけですが、第一話から予想を裏切る展開多数。

もともと、ゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるの奥さんの実話を元にしているのですが、最近の連ドラにありがちなわざとらしさや、妙に鼻へつく訳の分からない女性の(身勝手な)自立思想を無理やりすり込んでくることもない。

笑いあり、人情有りと、みているこちらをぐんぐん引き込むおもしろさがある。

この番組開始早々は最低の視聴率などといわれていたが、まあ番組タイトルの”ゲゲゲ”が軽んじられたのと、おかしな想像をかき立てたことからそうなったのだと思うけど・・・

最近のつまらないドラマの中で非常に輝ける一品だと思うので、まだみていない方は是非みてください。

本当におもしろいです。


15mの爆風と7.5

2010年04月25日 | 研究-教育・育児
今週も家族で海。

午前中はヨットの適風だった事から娘が出艇し盛んに練習、息子と彼女は風があがってくるまで大仏様なんてのを見に行ったりとのんびり。

ところが午後は、朝の冷え込みから午後はサーマルが入ると予測してはいたけれど、平均10mから13mのどん吹きと予想外。

強風に強い娘は喜んでましたが、さすがにトレーナーが危険と判断してあがってきました。

一方、それとほぼ同じくして息子は7.5のセイルを乗せたソニックで出艇、この頃から瞬間15mオーバーがバシバシ、へたすると17m?のブローまでが入る爆風状態となり、ほかのウインドサーファーはみな3.8から大きくて5.0のセイルサイズにウェイブボードという上級者だけの世界、

出て行く息子を「大丈夫かな~」と心配して見ている彼女(この子もウインドサーファーです)ですが、当の本人は悠然と疾走。

そうなのですね、家の息子はレーサー同等の腕を持っておりまして、某所では伝説となっています。
一時はプロへの道を考えたこともあるようですが、それで食べていけない現実を息子はよく知っており、安定こそが重要と大学に進学し、現在があるわけです。

しかしこれくらいの風になってくると、そこいら中からぶん殴られているようなもので、そんな中を平然とぶっ飛んでいる姿を見ると恐ろしい・・・   (@@);;汗タラタラ

自分(僕)なら恐ろしくて走れない様な条件下でも一向に平気なのですが、いくら能力の差が有るといえど、暴力的な風を何とも感じないほど軽い感覚で走れるというのは羨ましい限り。

見ていたこちらは何年たっても埋められないその差を力一杯味あわされたというか、
だいぶ追いつけただろうと自負していた我が身の甘さ、思いっきり味あわされました。

相変わらず息子にはかなわない  駄目親父→ (^^;)はは


自分の自分への責任

2010年04月24日 | Weblog
高校生になったばかりの娘、毎日が楽しくて仕方ない・・・(^^;)ったく

進学に当たり親は何一つ口を挟まず、すべて自分で選択させたわけですが、娘は幾度も入念な調査?をやってこの高校に決めました、

なんでも他の高校?に進学した中学時代の友達の大半はすでに、

「高校なんてつまらない・・・」

と盛んに言い出してるらしく、帰宅途中の電車に乗り合わせたりするとほぼ間違いなくそうした話になるそうです、

「本当にここを選んで良かった!」と友達の話を聞く度に家に帰って僕に言う。(^^;)

その友達達ですが、中学3年生の時に娘が選んだこの高校(当たり前ですが普通の私立高校なのですが、ただかなり特徴的ですからとにかく誤解が多い)を結構ケチョンケチョンに言っていたのは事実(娘の話)。

全国から様々な才能を持つ子や、親の考え方が家と似たような家庭の子が集まってくるという事もあるのですが、まあ少しでも肌色が違うと勝手に異端し扱いする傾向が有るのが世間という物でして、

親というのは”とにかく何の変哲もない普通?の高校”へ進んでくれれば安心なわけで、またそれが大半の家庭ですから、「変?なところに興味を持たれたら困る?」とばかりに想像で勝手に悪い方向へ解釈して子供に吹き込んだり、そうした話を元にして出来上がる友達同士の創作話に更なる尾ひれがついたりと(笑)、

一部例をあげるなら、引きこもりの子だけで構成されたの専門高校だとか(とにかく行動力と自発性を第一評価とするこの高校に引きこもりの子は問題外です)、

他にはこの学校は不良ばかりでみんな金髪やらピンク色にそめた生徒で、通学バスはタバコだらけ、駅で平然と喫煙しているの私服の子はその学校の生徒だとか(ここまで来ると大爆笑)と、まあ皆さん悪い方向にだけは想像力が豊かなでして・・・、

その結果、有りもしない話で心配して親切に家の娘を導いてくれようとした事も有りました。

ただ、「見に行ったの?」という娘の放つたった一言の問いかけに、みんな何も答えられずに撃沈されていたが・・・(娘談) 

   (^^)はは

僕は「人生に選択を迫られたときは、人の話を参考せよ”ただしそれは10%”に留め、あとの90%は自分の目で見て、自分の耳で聞いて、そして実際に肌で感じて判断しなさい、絶対に信用してはならないのがうわさ話で、それだけは信用するな」と常々教えて来ました。

友達のそうした創作話や噂のいい加減さと現実の狭間に存在する人の心というものを実体験(学習)できた高校受験だったのではないかと思います。

さて平日は朝一番のスクールバスに飛び乗り、帰りは友達とダベリングやら寄り道、お気に入りの制服をコーディネートし、時には私服で行ったり、自主参加授業や先輩達の企画に手伝い参加したりと、その他諸々やっているらしく、

平日は週末のヨットやウインドサーフィン練習が待ち遠しいと騒ぎ、週末になると今度は「早く月曜日こ~い、学校いきた~い」と之また騒いでいる。

この私立高校は土曜日に選択授業が行われ、基本的にそれを取らなくても何ら問題なく卒業できるし大学進学にも全く影響はない。

ところが、この選択授業がやたらと面白いとは娘の話。

これですが、様々な方面にわたって高度なこともやるらしく、種類も多くて、3年間の間に次々と選んで自発的に学べるようになっている訳ですが、ひましているのが大嫌いな娘がその授業を看過しているはずは有りませんから当然参加(通学)。

かってにどんどん授業へ参加 (^^)よくやるな~・・・・

今日は特殊体育だったらしく、普通の体育授業でやらない事を自分で目標設定してトライ出来るのですが、娘が目標(危ないのが大好きなので)に掲げて練習したのは、空中前方回転。

いわゆる空転というやつです。

さすがにこれをやっていたのは家の娘ともう一人の女の子だけで、同じく受講に来ている他の友達は安全なのを選んでいたそうです(笑)。

危険性があるので特殊なマットを使用している為に、ドカッと失敗しても怪我はありませんが(あっても当然自己責任という僕のポリシーをしっかり染みこませてあります)、

「今ひとつ回転仕切れなかった!」なんて歯ぎしりしながら帰宅してきました。

「数ヶ月中に空転、バック転、側転含めこなしてやる!」なんて張り切っていますが。

あれってやり過ぎると気持ち悪くなるんだよな~と 経験者は思うのです (^^)へへ
 

春の雨と傘

2010年04月21日 | 研究-教育・育児
昨日、娘が帰宅すると玄関でごそごそやっている、「なにやってんだ?」と聞くと、
家の物ではないから使わないで、と張り紙している。

理由を聞くと、雨に濡れて歩いていたところに後ろから自転車で来た見ず知らずの青年に「これ使いな!」と傘を渡されたらしいのです。

「ふ~ん」と顛末を聞いていた僕ですが、これまでの中学時代と違って高校生になればいろいろな事がありますね (^^)。

「ところでこの傘どうやって返すの?」と聞くと。 「そうなの~、どうしょう」と言っている。

あはは(^^)

相手は「返してもらうことなんか期待していないから、もし再びあうチャンスがあったら、
でいいんじゃないか?」と答えておきました。

そういえば、娘が女である以上、こうした男性からのなささやかな支援(この先”ささやか支援”と書きます)というのはこの先幾度もあるわけでして、
こうしたさまざまな場面でどう対応するかに関して、娘が幼い頃から僕は非常に力を入れてきました。

「ありがとう」、この言葉はあたりまえですが、今回のような事、自分が雨に濡れるのを分かっていながらも「なぜ男性が女性を助けようとするのか?」という事に関しても、男の持つ本能的行動という面からの心のあり方等も踏まえて教えてきました。

時折、こうしたささやか支援に対して「いいえいりません!」とかたくなに断る女性がいます。

会社等で重い荷物を持っていた時なんかそうですが、どうみても大変だろう?、というすなわち男同士でも助けるような状況、しかも全く見ず知らずの関係という訳でも無い場面においてもです。

どう教育されてきたのかはわかりませんが、こうした場合に、申し出を受けること自体を敗北と考えている様でして、本人は男女平等なのだから助けなどいらないと言いたいのか?非常に不思議(不愉快)な思いをする事があります。


こうしたささやか支援の場合、男としてはそこには別段深い意味は無く、純粋な気持ちで動いているのが世の中の男性99%だと思うわけですが、もちろんその背景として女性は男性より弱い存在であるという本能がしっかりと動いています。

こう書くと「ほら、やはり女は弱い存在と考えているのね!」、「馬鹿にしないで差別よ!」と、目くじらたてて騒ぐ一部女性もいますが、身体的構造含め現実はこうした考え方にNOを突きつけているわけで、それをどう受け止めて考えを処理できるかという人間性の問題そのものでもあるのです。

さしも深い意味を持たないささやか支援に対する女性のこうした態度ですが、どちらかというと高学歴のインテリ女性に多く、そこには”なぜ人間に性別が存在しているのか”という事を原点とした幅広い考え方が存在せずに、いわゆるフェミニズム(性差など本来無く、後の教育や常識などの外的要因で男女は差別化される)を常に頭へ置いていることが多くあります。
男女のことになると何かにつけてそれを頭に置いて考えるようになってしまっている。

誰も仕掛けてないのに、それを挑戦と受け取る不要な競争意識を中心とした、まあ信じられないくらい貧祖な物事判断ともいえます。

まあ、これだけならまだともかく、それが本人の将来に多くの意味でマイナス要因として降りかかってくるという現実は、それが他人の気持ちを推し量ることのすらできない、きわめて自己中心的思考を他人に押しつける事そのものだと気づかないという不幸でもあるのです。

僕が娘を育てて来た過程で、男子の本能を中心とした行動の仕組みや、それにどう対処するかという話をたくさんしてきましたが、それを上記のフェミニズム思考と対比させつつ今回の件を考えるなら次のようになります。

事は単なる雨天下の傘を巡る貸し借りですが

男性の側からこうしたささやか支援の申し出があった場合、必ず一度は断るようにと言ってあります。

まあ、普通そうだと思いますが・・・

ささやか支援を申し出ると、「待ってましたと!」とばかりの反応や「やってくれる?」と初めからかwelcome状態になる女性もいますが、相手が特に近い関係だと多いですが、

これはダイレクトなものですから悪くはないものの、こうした態度に恥じらいはありませんし、男の側からすれば”当然だ”という態度に見えるもので、ていよく利用されている意識へと直結するので好ましい物ではありません。

ささやか支援の申し出を受けたら、まず一度は断る、それは”奥ゆかしさ”になると同時に、”自分のために傘がなくなってはこまるのでは?”、”私なんかのために大変な思いをさせてしまっては”という気遣いの心を感じる物です。

実は女性が気づかないうち、これによって男性は本能が発動されるようになっています。

男の本能といえば、性欲に絡んだお粗末な衝動という三流週刊誌バリの思考で考えられると困るのですが、本来本能は人の持つ全ての行動を司る基本プログラムであり純粋な物で、汚れた物ではありません。

さて、こうした奥ゆかしさを感じると、男はそこに好意、簡単に言うならかわいい、保護をするべき対象を感じるわけです。

しかし問題は、一度本能が起動すると、はじめはささやか支援だけだったものがプライドに変化することで、それを守るように男の思考は変化していきます。

傘の例で言うなら「俺は自転車だしすぐ家につくから」とか、「撥水の服を着ているから自分は大丈夫」とか、半分本当で半分言い訳のような、よく分からない理由をつけて初志貫徹(プライド=本能)を守る行動を取ろうとします。

さて、このあたりまではよくあることですが、実はこの先に、女性がどういった態度を取るかと言うことが後に大きな影響を及ぼします。

娘には、こうした場合に明確な断りをせず、考えなさい(仕草含めて)といってます。
もちろんそれは傘を貸してもらえることを前提にするための演技ではなく、申し出をしてくれている相手の心を中心に置き、訳の分からない考えや虚栄心を入れずに純粋に応じる方法を考えなさいということです。

そうした女性の姿勢は男性から見ると、自分の心(プライド)を察してくれている姿勢にみえ、非常に好印象となります。

女性にこうした面のプライド思考というものは存在しないのですが、その分理解できませんから、先も書いた様なフェミニズム思考や差別意識を持っているとそれがむくりと首をもたげ、また見ず知らずの男性という警戒感が先に立つことから冒頭の「いりません」を無神経に言い放ったり、全く無視して歩き出したりする・・・

こうした際に幼い頃から父親とどう接してきたかということが出てくるわけですが、それは何を学んだかという事でもありとても大切なわけです。

男という物は、女性を保護するように本能がプログラムされているのですが、これはどう時代が変化しても、社会や常識が変わっても、けして消去することができない永遠不滅の物で、
こうしたささやか支援を申し出ている際の心は深い意図など無く、純粋な保護本能で動いているわけでして、差別等という意識すらないのですがね・・・


話を戻しますが、こうした場合、男はほぼ全員、再再度ささやか支援を申し出てきます。
「いいから傘持って行きなよ!」とですね
断られるとプライドがもたないというか、メンツが潰れるというか、足場が亡くなる(笑)


この場合、”素直にささやか支援を受け取りなさい”と僕は娘に言っています。
同時に素直な心で「ありがという」と傘を借りるということです。

傘を借りたら、返さなきゃならないので、後で困るという考えもありますが、

実は、男の側にすれば、そもそもが見ず知らずの娘に傘を渡すわけですから、戻ってくる可能性が無い事をはっきりと認識しています。

さらに一瞬の接触ですから、数日もすれば顔を忘れてしまいますし、タイミング良く通学もしくは通勤の時間が重なることはそうそうありません。

女性側からすれば、その借りても換えせるか分からない、困るという考え、そして先も書いたようなフェミニズム的思考があって、受け入れない人もいます。

まあ、差別だ、勝ち負けだ等としか受け止められない人には、ある意味男に勝ったと満足感を覚える人もいるかと思いますが。


では、こうした女子のとる二つの行動にたいして、その後男性はどう反応するかということですが、

まずはっきりと断られる場合、それは男の持つ保護本能を拒絶されることそのものですから、プライドを木っ端みじんにされることを意味します。

女性にとってどうでもよいプライドですが、男にとっては非常に重要な意味を持つ物で、それは社会的ポジションをかなり低くみられたか、男性として魅力のない存在(子供のように女性から保護される程度)という判子を押されるに等しい意味をもちます。

これを極端に男は恐れますので、それを守るためムキになったりと、無理にでも傘を貸そうとしたりしますが、その背景にはこうした心の動きがあるのですね。

男子の側からのささやか支援に対する女性の反応で、男は社会における自分の位置づけそのものをみていると言ってもよいわけです。

もちろんそれが100%正解というわけでは有りませんが、それが本能なのですから仕方がない。

よく勘違いしている女性がいて、こうした申し出にすぐ性的な物を絡めた考えをする人がいますが、男からすれば”思い上がりもいい加減にしてくれ”と言いたくなるのは間違い有りません。

さて、もう一度ささやか支援の申し出を受けた場合、その場合どうするかについて、快く傘を受け取り、必ず頭を下げてお礼を言いなさいと娘には言っていたことを書きましたが、

今回はそのままそれにそって対応してくれた様です。

話を聞くと、その若い男性はうれしそうな顔をしてそのまま雨に打たれながら、行ってしまったとのことです。

僕は話を聞きながら、雨に濡れる濡れないなんていうのは、こうした場合全く関係ないんだよと娘に説明。

おそらくその青年、濡れて家に帰り母親から「傘は?」なんて聞かれ、無くしたとか誰かに持って行かれたとか答えて。

「本当に馬鹿だねあんたは!」なんて言われているわけですが、「うるせー」とか答えつつも心の中は何ともいえない満たされた気持ちになっているわけです。

逆に女性に受け取ってもらえなかった場合ですが、これは女性が考えているより冷たい感情に支配されています。

こうした二つの選択肢を持つ対応はたいてい瞬間のことで、また小さな事ですが、事はおとこの本能を中心としたプライドやその他に大きく関わることですから、女性の思いとは別に
後日明確に影響を及ぼしてきます。
これは傘の例なので後にはさほど影響しませんが、会社などのような継続して接触が続く場合にはそうはいきません。

まず、そうした男のプライドと気持ちを理解できる対応がとれると判断された子。

そうした娘には、あの子は本当に気持ちの良い子だという評価がされ、みんなから大切にされると同時に全体でその子を守ろうとする目に見えない共通意識へ変化します。

しかし、その反対の子に対しては、当然のことながら相当に厳しい見方をするようになります。

身内だろうか感情をシャットアウトできるという男の持つ能力は、女性の持ち得ない能力であると同時に大きな違いですが、当然それが働き始めます。
簡単に言うなら女性として見なさなくなるわけで、場合により同僚や友達とも見なさなくなる。

というのは、躊躇無くプライドを壊すのだから、当然に俺より優れているという意識をもってている”やつ”と判断され、競争の激しい男とまったく同一に扱われるうえ、そこには仲間意識すらない視線で態度に応じたレベルのことを”やって見せてもらおうじゃないか?”となる。 

当然のことながらプライドを壊された男が助けるようなまねは、”弱者が強者”を助ける形と処理されているので一切の支援(ささやか支援すら)もしませんし、求められても平然かつ冷たく断るように男は出来ています。

一度足蹴にされた自分に助けを求めるような女性の姿勢は、自分の都合だけで人を使う最低の態度としか男の目には写らないからです。

男としてのプライドを壊されたショックというのは、女性が考えるほど甘いものではなく、その女性がなにかでつまずいたり大変な思いをしようが、一切助けようという気持ちは起きません。

とくに仕事という分野においては男世界が今でも基本であり、そこには社会形成本能にもとづく適度な間隔をおいた相互扶助の構図で仕事はこなされて行きますから、またそれがあるからこそ一つ一つのプロジェクトなり何なりをやり遂げられるわけです。

ところが、男の社会でも独りよがりや自分勝手な人間は誰の助けも受けられずに葬り去られていく以上は、女性とて全く同様であり、ましてやそれが上記のことを起点としているならなおさらです。

こうした性差と男性の持つ独特の本能を踏まえず単なる勝ち負け的思考で物事に当たれば全てがうまくいかなくなるわけですが、それをもって職場の差別だ等と訴えるおろかな女性がいます。

しかしそれで勝ったとてその女性が幸せなるわけでもなく、それどころがその先に人生においてそれが看板となり、あらゆるところでつまはじきにされ、誰も受け入れてなどくれません。

僕は娘にいろいろな考え方を教えてきてますが、その中にお茶をいれるということがあります。

お茶くみという言葉はまるでオフィスにおける女性差別の代表みたいな扱われ方をされてますが、これに関して家では当然やるべき物として育てています。

その理由は至極簡単、かつ明確で重要な意味があり、

たかがお茶、その一つに様々な意味が有るからで、またそれをも教えています。

石田三成の三献茶は有名な話ですが、お茶を入れることそのものは、単にお茶入れるという人の行動でしか有りません。

しかしながら、秀吉がなぜそのお茶入れを芸術にまで高めたのかというなら、そのたった一つの好意にどれだけ多くの心や形を込められるか?という事そのものであり、創意と工夫の集大成でもある。

「何で女性がお茶を入れなきゃならないのだ?」と不満たらたらやる子と、適切な雰囲気、適切な時間、そして必要な分量や茶菓子を判断して出せる娘では、それそのものが人間性であると見なされるからなのです。

残念ながら世の中は偏差値が高い人間だけが幸せになれるようには出来てません、人間性こそが幸せを確約するもっとも確実な物なのです。

たかがお茶、しかしながらそれをどう考えるかによって変わってくるのは、様々なところに及びますが、
例を挙げるならそれをきちんと評価できる人間性を持つ男は、不満たらたらやる子より、きちんと出来る娘を当然に選びます。

「そんなのどうでも良いことだ!」と考える男は、不満たらたらに興じている女性を選びます。 生真面目はつかれる、そんなの適当で良いんだよとですね。

しかしながら双方が家庭を持つとどうなるか?

お茶入れ一つをきちんと評価出来る男は、家庭における妻の働き一つ一つをきちんと理解できるということそのものであり、そこに自然な感謝が生まれ、それが家庭を円満にしていきます。

しかしお茶入れを馬鹿にする男は、そもそもが一つ一つの基礎的なことに関する理解力が無いと言うことですから、妻のやるすべてをいい加減に扱いますし、そこに感謝もありません。
粗暴にすらあつかいますが、感謝の存在しない夫婦がどういった毎日を送っていくかということは考えずとも分かるかと思います。

これは無関係に見えながらも冒頭から書いている傘の事へダイレクトにつながるものであり、その基本的部分(人の心をどう扱うか)に差異など全く無いわけです。

僕は常々娘にこう教えています、女性らしさを失うと言うこと、男性らしさを失わせること、それは人(本能)の魅力を歪曲させることそのものであり、それは自分で自分を人という存在ではなくする事なのだと・・・・

マリン一家

2010年04月18日 | Weblog
季節外れの冷たい風と雨に見舞われた一週間でしたが、久々の晴れ。

何故か一家全体暇人となり、そんじゃ~ヨット(ディンギー)でも乗るかと海へ出動。

波があればサーフィンでもやるかと息子は言ってたのですが、ついたら海面つるつる。


そこで息子とその彼女で1艇、娘もレーシングヨットでクルージングに出ました。

一方僕と家内は?というと、昨年末に店に取り置きしておいてもらってるスラロームレーシングのウインドサーフィンボードの代金払いと店舗移転おめでとうございますを言いに出発。

初めはまったりした風だったようですが、後にそれなりの風となり、みんなそれなりに楽しめたようです。

そろそろウインドサーフィンの季節、天気良い日は居ても立ってもいられない気持ちになりますが、今年は娘のヨットレースその他もろもろで6月頃にならないと乗れない。

「ん?」(ーー;)b    って「梅雨の季節じゃない!」 (^^;)汗

真夜中の畑作業ってか(笑)

2010年04月13日 | 研究-教育・育児
いつものように起床。

あくびなんかしながらリビングに降りると、息子の彼女(Sちゃん)の靴がなぜか部屋の中に置いてある。

ビニールを引いた上ですが、なんで (・・)?

と靴を持ち上げるとビニールが濡れている。

夜にめっぽう弱い僕は、昨晩も早々の就寝でしたから、「雨なんか降っていたかな~?」なんてのんきに考えてしまうわけです。 (^^;)

そういえば夕方5時頃にSちゃんを迎えにいくと息子が出かけたのは知ってましたが、夕飯は家で食べると言っていたものの帰ってこなかったな~ と思い出し、しかしそれが濡れている靴と結びつかない 

「どうしたんだろ~?」 (^^;;)

いつものように5時に家内を起こして朝食となるわけですが、その際に「これどうしたの?」と聞いたところ、理由を聞いた僕は思わず苦笑い。

こんな事があったのです。

Sちゃんを駅でひろって家に帰る途中、農道の横に手で腕を振ってる人がいたらしく、ただし暗いので運転しながらだとはっきり分からずに行きすぎてしまったらしいのですが、

Sちゃんが「あれって何か理由が有って呼んでいたんじゃない?」と一言。 

事故だと困るので急遽息子がUターンして戻ってみれば、あんれま車が畑の中で立ち往生している。

(@@;) 「ゲッ!」 ←息子

ショートカットするつもりだったのか分かりませんが、農道の、特に奥の方は軽トラでもずぶずぶ潜り込むような柔らかいところがあり、夜だったこともあってタイヤがのめり込んで動けなくなったらしいのです。

その方(仮名Kさん)が途方に暮れてたところに息子が通りかかったとのこと。

息子とそのKさんが何とかならないか?といろいろやり始めるも、相手が土の軟らかい畑じゃそう簡単にいくはずがない、

しばらく自力脱出を試みて悪戦苦闘するも容易に出ず、こうしたときは飛ぶように時間が過ぎるわけですが、そのKさんの助手席に彼女がいたらしく、なんでも門限が厳しいらしくて近くの駅まで送ってほしいと途中でKさんからお願いされた息子。

その時点で息子も、Sちゃんもドロドロ。

駅まで送ってくれれば後は何とかしますから、お礼をとその方は懐から財布を取り出したらしいのですが、息子は絶対に受け取らなかったそうです。

その後すぐに息子達はKさんの彼女をのせて無事に駅まで送りとどけ、それで終わりかと僕はおもったのですが、「そのまま捨て置けない」とは息子でして再び田んぼに戻ってレスキュー作業開始したそうです。

「やっぱりな~・・・」  (^^;)笑 家の息子だとそうなると思います。

一方Kさんは、彼女を駅まで送ってもらうので息子とSちゃんが出た後に友達へ電話して助けを求めたらしいのですが、みんな「都合つかない」とか「そんなの俺には無理だ」とか断られたらしく、Kさんにしてみればかなりショックだったでしょうね~これは・・・。

しかし、なんで家内が詳しく知っているの?と思ったら、いつまでも帰ってこないのを心配していたところに電話連絡してきて、この時点ですでに夜9時半くらいだったらしいのですが、家内にインターネットで近隣JAFやレスキュー可能なところを探してくれという要請だったらしく、そこでいろいろ聞いたところ様子が分かったらしいのです。

しばらくレスキュー作業をやっていたらしいのですが、「こりゃ~スコップやら何やらが必要」と判断した息子は一度家に戻ってきて、この時点でもすでに12時越え。

家内は戻って来た泥だらけの二人に驚いたみたいですが、にもかかわらず長靴に履き替えてスコップやら何やらダットサントラックに積み込んで、二人とも向かったとかで、なんというかその話を聞いた僕はさらに苦笑い

二人のために夕飯を用意していた家内ですが、何時になるか分からないのでテーブルの上に準備だけしてSちゃんに泊まってもらうようにして寝たとのことです。

そういえば真夜中の2時頃にボイラーの音がしていましたから(僕はなんでこの時間にボイラーと思いながら寝ぼけてました)、二人ともその時間には戻って来てはいたようです。

家内が寝てしまって、以降の顛末は聞けませんでしたが、最終的にはレスキュー会社が来て引き上げたとのことです(後日談)。

しかし、飯も食わずに真夜中まで通りがかりの人を助けるとは、いいんだか悪いんだか?

「困っている人、苦しんでいる人がいたら、自分のできる範囲でいいから助けなさい、ただし一切の見返りを求めてはいけない」、と幼い頃より繰り返し教えてきたけれど そのままその通りに育ったようでして  (^^)はは

しかし、泥がつくからとか、汚れるのが嫌だとか、口だけ出して手を出さずに見ているだけという女の子が多い昨今、ドロドロになりながら黙って息子を補助し続けたSちゃん、こんな娘は金のわらじを履いても見つかるものではありませんよ本当に。

中学生の時に自分だけが劣等生なのだとひねくれて荒れ、ナイフ持って喧嘩するような仲間と問題行動やりまくっていたのはこの息子。

当然に勉強など出来るはずもなくてアルファベットの大文字小文字の区別すらつかないようないわゆる落ちこぼれ以下?だったのも我が息子。

いわゆるよい子で優秀な成績、模範的生活を送る偏差値エリートとはまったく逆の人生を歩んできた息子ですが、某人たちと出会ったことから途中で思い立ち、以降大学を卒業するまでにした勉学に関する苦しさや苦労、荒れていた頃から学んだ人の心に関しての多くのことはその経験にみあう人間性として身についていると思いますが、

この先この人間性をどういかしていくのでしょうかね? 親としてはかなり興味がそそられる話ではあります。 



タイヤバルブがモゲ!

2010年04月11日 | Weblog
先週のことですが、昼休みにバイクを洗おうとバシャバシャ!

全体を洗い終わり、リアタイヤのホイールの汚れを落とそうとしたところ、指がエアバルブに当たり、突然モゲ!

バシュ~! (@@:;) おおお!

ここはチェンのグリスがついて汚れやすいのでごりごり拭き取るようにしていたのですが、
いくら力余って(突き指気味)に当たったとて、折れるなんて事ないでしょ・・・

って、有ったんですね~これが (ーー)b

中古で買った物ですから年式考えるとかなり危ないのは分かっていたもの、実際に折れると驚く。

しばし眺めるも、何か出てくる訳じゃないので、この日は同僚に家まで送ってもらいました。

翌日ドライバースタンドでタイヤの値段を調べると24000円とな、

「なんで?」と聞くも「時速300km対応だと最低でもこうなります」とのこと。

いやそんなに出さないから安いの無い?と聞くと、どこのメーカもほかに設定がないとか
ギャンギャンとハイパワーかかるのもあって、そうなんだろうな~

あちゃ~と思いつつ無ければ仕方ないけど、夏に替える予定だった数ヶ月の誤差は結構痛い。

そんでもって昨日家族にタイヤ付けたホイルと供に職場まで送ってもらい、帰りは新品タイヤの良さを満喫しながら帰ってきました。

最後にメーカーに一言、実際に300km出るとはいえ、そんな速度出さないのだから、200km対応程度のタイヤも造ってくれない? (^^)

我が家のノートパソコン達 最終

2010年04月10日 | Weblog

最後は息子のパソコンです。

これまで使っていたのはディスクトップのAthronXPって(このCPUばかりだな・・・・)の2200。

家に転がっていたボロの中古部品を寄せ集めて僕が造ったもので、途中でCPUを交換したこと以外はかれこれ6年くらいは使われていたでしょうか?

大学の卒論などもこれで作成した、息子には思い出深いものだと思います。

でも、その割にはあっさり新しい物へ変えたな・・・(^^;)はは

今度のパソコンはこの度就職でお祝い?代わり(卒業後1年間はアルバイトでしたから祝いとか有りなのだろうか?)のプレゼント。

これですが、当然に新品なんかじゃ~ありません、近くの店にふらりと立ち寄った際にみつけた中古品。

機種はHP のDV6500 Dual core のT7300で、 これくらいのパワーが有れば当分つかえます。

しかしな~・・・ この季節になると家電店で、10万円オーバーのパソコンを前に親子連れが店員に説明をうけているのを本当によく見かけますが、そんな高価な物がポンと買えるなんて本当にうらやましい限りです。

貧乏な家には一生無縁な話!ってくら (^^)

そんでもってこれの価格ですが、3万円きっかりとやたら破格で、

うむむ・・・・   あ、危ない・・・・  (ーー;)

「こうした価格には、ありがちな先天的欠陥製品ではないか?」と容易に推測できるわけですが、いろいろ調べたところ、製造上の問題によるバッテリートラブルが有ったらしく(すでにメーカー対策済み)、

さらにそれによって引き起こされるマザーボードの電源系故障が多いことが分かりました。

さらに購入時に選択できるグラフィックチップの種類によっても表示トラブルが起きるようでして、ただ今回のはそのいずれにも該当せず。

多分店の方はそうした細かいところまで分からずに、故障可能性が有るという事で値段を抑えたようです。

驚くほど傷がなく、デザインに優れているうえに静か、、家にあるノートPCのなかで一番まともです。

 

処理能力が高いことから、以前衝動買いして自分のノーパソに接続する予定のまま置き去りにされたI/O DATA製のUSBフルハイビジョンチューナを接続したところ全くストレス無く動く事が判明、当然?そのまま息子行きとなりました。

さらに現在、19インチのディスプレイと接続してデュアルディスプレイ仕様で使っています。

本来ならこれまで使ってきたパソコンの中身を入れ替えて終わりなのが家のパターンなのですが、就職先の関係でネイティブなみの英語力をやがて要求されるようになる事から、

最新の学習ソフトや辞書、特に発音の問題も有って持ち運べて学習に使える方が良いので、親として最後の出血?、いや出費?と考えての購入でした。

たんなる甘やかしに感じられなくもありますが、10年に一度くらいはこんな事も良いでしょう。

でも、「次は自分で買えよな~!」(^^;)

 

これで家にあるノートパソコンは終わりですが、そういえばもう一台、車載専用となっているのがありました、TOSHIBAの Satelite1800だったかな? PENⅢの800mhzで最大までメモリーを増設してワンセグ、DVD音楽、ネット接続して使用してます。ボロなので万一持って行かれても、痛くもかゆくもありませんが消費電力が少なく、十分に動くことから当分それは使うことになりそうです。


我が家のノートパソコン達 その2

2010年04月08日 | Weblog

今回は僕の使用しているサブ機です。

FujituのS8360でDual core のT8100で、ディスプレイ部の隅が落とされて粉砕し? さらに本体とばらばらになった経歴付きの、いわゆるジャンク。

インターネットで18000円にて購入。

 

僕の場合は職場に貸与されたパソコンが有り、家に専用機があるのですが、職場のパソコンはガチガチに制限のかけられた頑固者仕様(笑)になっているので、肝心なときに役立たずで使い物にならない。

頑固者と付き合っていると頭が痛くなるので、側に淑女をそえて2台を平行使用するのですが、これにはAthronXP1700積んだSHARPの薄型を使用していました。

ところがAUTOCADなんか動かすととたんに怠け者に変身する

あたりまえか (^^;)

使えないんじゃ仕方ないので、Yahooでそれを売り払い(15000円で購入して15000円で売り)、それにポケットに入っていた3000円を足してこのおんぼろを買いました。

はは (^^)

送られてきた物をみると、メモリーは違うの入っているし、液晶は割れてなかったものの(ラッキー!)ヒンジ金具は曲がっているは、コーナーは落とした衝撃で完全に粉砕されていて、二分割になってしまった際に配線はちぎれているし、

「こりゃだめか~?」 (ーー;)

なんて~思いつつ、そのまま外部ディスプレイを接続して立ち上げるとBIOSはきちんと出る。

そこで早速ジャンク屋でメモリーを買い叩いて、二枚1500円で2Gまでアップ。

そのままOS入れてみると全く何の問題もなくインストール完了してしまった。

起動後いろいろテストするも、全く問題はない。

「 おおー!」、「これでディスプレイ部直れば完璧じゃん!」と喜ぶも、肝心のディスプレイ部の一番重要なヒンジ部は木っ端みじん状態。

まず配線を修理し、ばらばらだった本体と接続した状態にて電源入れると「あれま!」 (@@)、きれいに写る。 

オマケにこの機種はバックライトにインバータ管ではない最新型のLED バックライトを使用しているために将来ライト切れする事が無く非常に色合いがよい。

問題は木っ端みじん部分だけど、まず板金屋になってヒンジの曲がりを修正。

木っ端みじん部に当ててみるとOK、しかしそれを止めて全体で支えるはずのプラスチック周りはすべてなくなっているうえに当然剥きだし。

ヤフオクでディスプレイ部を検索してみると、当然のように新しいモデルでしかもLED型なんか有るはずもない。

しばし考えた後に思いついたのが、この隅の部分を現在残ってる部分と結合しながら「一体形成しちゃえばいいじゃん!」という超いい加減?&乱暴者仕様。 

オラオラ~ (^^+)

早速、欠損部分にガムテープを張り、いわゆるフニャフニャ金型?みたいな物を形成(流し込むのは液体なので)、そこにFRPで使用するレジンプラスチックを流し込み、それが固まるとさらに形成部分をガムテープでつくって流し込みと、これを計3回繰り返し木っ端みじんだった部分全体を再生しました。

レジンはこの形成過程であちらこちらに流れ込み(全体的な補強もかねて)、当然のことですが、二度とディスプレイ部は分解できないようになってしまいます。

これ、バックライトが切れないLEDだからそこ出来たことで、普通のインバータ管だとこうしたことはできません。

後はヤスリとペーパーでそこそになるまで形をととのえ最後にウインドサーフィンのセイルリペアに使う丈夫なシート(水などではがれません)を形成部分に貼り付けてボロ隠しして完了です。

そんなわけで再生された僕のサブ機ですが、薄型軽量&高性能。

中古で7~9万が当たり前の人気機種を18000円+中古メモリ1500円+修理に使用したレジンプラスチック400円+ガムテープ1メートル+シート300円くらい、と格安にて修理完了となりました。

「あ!」 裏面のガムテープは本来そこに入っていたフィルターがなかったので、ボール紙で適当に囲いを造って入れ、これまた適当にガムテープ貼ったものです。

(^^;)おもいっきりいい加減さ(性格)がにじみ出ているな~ 


嫌われるのが親の仕事 その4

2010年04月07日 | Weblog
大人の本質というものが、自分たちが思い描いているほど高度なものなのか?

いや実は経験の差でしかなと言うことはこれまでの説明でおわかりかと思います。

それでは、どのあたり年齢がその大本になるかということですが、当然の事ながら幼児期や小学生低学年なはずなく、
というのは、この年齢では本能が自然に親へ従属することを当然の事として促している時期でもあり、従属思考である以上は自立思考の大人とは全く違う物の考え方というものがそこにあるわけです。

もう少し年齢を上に設定すると、次にくるのが第二次性徴期前の13歳くらい。

しかし、この年齢までは、本能がもたらす従属状態が継続され、これも不適。

それでは一気に20歳ではどうか?ということになるのですが、この年齢は法的に成人として認められる事をみても、現実的にも大人としての考え方で普段の生活を営めるようになっています。

そう考えると、上記に書いてきた年齢は14歳くらいから18歳くらいまでの間となるわけですが、この時期がぴったりと反抗期と重なります。

さて、その年齢の子供達をみると、非常におもしろい特徴があり、もちろんそれは反抗と共にやってくる物ですが、極端な拒絶と甘えを交互に繰り返すということで、

自立はそれまでの従属(親に保護してもらう本能的姿勢)から一つ一つのつながりを切り離して作業ですが、あらゆる事に対してそうなのではなく、まず本能が一番初めに従属から自立姿勢へと切り替わります。

それはある日スイッチが入るように行われ、一気にやってきます。

ただ親はそうした変化という物を明確に感じられる物ではなく、子供自身もいつそうなったのかという事は分かるものではありません。

もっともそれが分かれば、親も心構えという切り替えがうまくできますから、悩むことも無いでしょう。

さて、一気に本能が切り替わったとはいえ、それは動物の世界で言う、親離れとは異なる物で、人間そのものは遥かに高度化している上に、社会的相互接続が膨大な量ですから、そこが親から離れれば即自立になる他の動物たちと異なります。



その5へ続く



我が家のノートパソコン達 その1

2010年04月06日 | Weblog

Windows7 が発売され、欠陥だらけだったVistaを通り越してOS全体が代替りの時期へさしかかりつつあります。



XP自体は2014年までマイクロソフトがサポートするのと、その安定性の高さゆえにまだまだ一線の座を退いてませんが、
多分にもれず家にあるパソコン達もだいぶ老朽化を迎え、いつ壊れてもおかしくない状態になってます。

実際ハイビジョンテレビと連動させてあった&テレビ録画用パソコンAthronXP2400が一昨年にダウン。

そこで、それまで使用していた僕のメイン機をそのポジションへと降ろしてハイビジョン録画可能な新品を買ったのもこのとき。

以降、少しずつ新しい物へ移行させてきました、家には家族全員それ専用のパソコンが有ることから、2014年のサポート終了まで使って一気に全部変えようなんてやろうものなら、正直破産です。

時間をかけて手間かけ、お金かけずアップグレードしていくのが家族円満?のコツ。

なんちゃって えへへ (^^;) これまで変更してきたいくつかのパソコンを暇なので紹介したいと思います。

まずは家内が職場で使用するパソコン、支給されるなんて財力有り余ったところにいるわけではないので、同僚は全員個人財産たるパソコンを仕事に使っているわけでして。

 そんな家内が6年以上だったかな?使用してきたのが日立製のディスプレイ一体型のディスクトップPENⅢの900Mhz。

久々に持って帰ってきた中身はよくわからないまま使用している人共通の、知らない間にツールバーなど満載状態他よくわからない、
そこにきてウイルスバスターなんてのが入っているので、死ぬほど遅い・・・・・ 

(ーー;)う~ん

年式も古いしそろそろ交換と探したのが、ヒンジがぶっ壊れてガタガタ、ドライブ不良のうえにハードディスクがおかしい? さらにOSが変になっていたDELL Inspiron6400 Dual core T5500。

当然に新品なんか買えません。 (^^) このおんぼろを直して使います。

中古でも5―6万するのをボロ価格2万5千円で購入。

この機種、ヒンジに欠陥があり、必ず壊れてグラグラ・ガタガタになり、メーカではヒンジの金具を希望者に売ってくれるそうですが、
そもそも欠陥部分をなおした対策品ではないので、またすぐに壊れる、そこで、外観はおかしくなるが二度と壊れない仕様にしたいけどと家内に言うと、そくOK。

ディスプレイ部を分解して弱い部分をドリルで貫通させてさらにステンレスビスでがっちり固定、これで何万回開閉してもびくともしない仕様になりました。

写真をみれば分かりますが、隅の方に飛び出したネジの頭を逃がすための穴(2個組のねじ)が見えますが、これがそうです。

次に不良ドライブはレンズのクリーニングと接合接点の清掃および接点の完全密着作業であっさり完了。

OSはXPだったので、Windows7Premiumに変更し、OFFICE2007を入れました。 これまでのディスクトップと違って軽いし早いし、最低6年は使ってね!なんて思いながら家内に引き渡しました。