帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

終えた時、今、そして少し先、もっと未来

2010年06月30日 | 研究-教育・育児
トイレの神様/植村花菜


今日はいつもと違う曲を紹介します。

どうしても自分と重なる部分が有る、なんて思ってしますわけですが、娘にトイレ掃除を教えたのは自分、そのときの言葉がこの動画と全く同じでした。

家の場合は娘が小学校五年生くらいからだと思いますが、ただただ素直な娘を前に、それが故に親として放つ一言々がどう娘の未来を変えてしまうだろうか?と、恐れていた事を思い出します。

この曲ではお婆ちゃんと暮らしていたとありますが、自分は常に子供の側にいるという考え方ですから、ある意味この曲の歌詞のようにあったと思うわけですが、それはある意味母親(家内)より長い時間かも知れません。

五目並べはしませんでしたが、二人で夏の森にクワガタを捕りに行き、二人揃って全身蚊に刺されたり、叱り飛ばした後で指切げんまん、泣いているのにウインドサーフィン教えたり・・・
そうした帰り道は、いつも二人でアイスクリームを買って食べていた。

「綺麗になるから」と、この曲みたいに娘に話しても、汚いという意識が常に先に立つのが普通ですから、洗剤付けたスポンジで便器の奥まで腕を突っ込んで洗う事を教えたこともありました、もちろん同じ事を娘に強制はしません、親の姿だけで十分だからです。

そういえば、それ以降ですかね、トイレ掃除を嫌がらずにしてくれるようになったのは・・・・  

子供は育つ過程でいろいろなことがある、そうほぼ確信めいて思うわけですが、何より大切なのは、自分(親として)に明らかな誤りがあったとき、そうしたときに親として子にどう謝れるかという事。

子に謝ると言うことは、ある意味難しいことでもあるのですが、その親の姿勢が子を大きく成長させるわけで、親が無意味な意地を通すようなら子の心は小さく育ち、親という人間をそのまま見せれば、多くを学ばせて人に好かれる人間に育つと言うことでしょうか?

中学生くらいに成長する頃から、当然のことですが子供は反抗期に入ります、そして高校生になれば親の元を離れていくのが人の本能です。

寄り添う対象が親ではなく、友達であり、好きな人であり、そうして親から少しずつ幸せになりつつ家族はバラバラになっていくわけで、それが普通であって成長なわけですが、今の普通は明日には普通でなくなり、やがてはウインドも行かなくなり、アイスクリームも一緒に食べてくれなくなるでしょう。

ささやかな瞬間にある幸せというのは、一瞬で消えていくもので、それが自立であれば、時としてそれは親にとって凄惨な残酷さを併せ持ちます。

しかしながらそれが無ければ親は子離れできず、それ以上に親離れ出来なかった場合の子供は苦痛にあえぐことになります。

親のつらさが多い分、子は楽に親離れ出来る物、そうではないでしょうか。

これは非対称なシーソーのようなもので、親の純粋な気持ちだけであれば、容易にバランスが取れるものを、”親の為の利益”をそこに少しでも織り込むと、それは何倍にも重さとなって子に跳ね返り、子は苦しまねばならない。

そうして自立が出来る余裕の無くなった子は非行や不良行動という形で親の我が儘から身を守ろうとする。

親というのは、わが子に接する以上に自分に厳しくあらねばならないと思うわけですが、現実というのは難しいですね。

やがては迎える子の独立、それと引き替えに親にもたらされる物は老いという現実です。 人は老いるために子を育て、老いるために生きているのではないではないか?

そう思うわけですが、それってとても幸せな事なのですね。

親元を離れた子は、やがて来る現実に必ず打ちのめされます、それは親が歩んできた道のりと同じ物であり、ゆえに親は一度羽ばたきはじめた翼をたたませるようなことが有ってはならない、

空を飛んでいる限りは目的地にたどり着くまで羽ばたき続けなくてはならず、途中で後ろを振り返れば木にぶつかり、羽根をやすませれば地に落ちる。

疲れて振り返る我が子の懐かしい表情に、親として甘えず、あえて厳しくなければならないこともある、それが親。

自分が娘の前から姿を消すのは、とりあえずまだ当分先のことだと思うのですが、
人は死んだ後に何を残したか?というのがとても大切で、それは有形の財産ではなく、かけがえのない思い出と、自分の思いを我が子が、その子へと伝えることの出来る思い出ではないだろうか?

見返りを求めては行けない、ただ子の心を育てるためにある、それが親で、たったそれだけの存在ではないだろうか。




雨の中を走る

2010年06月29日 | Weblog
6月はじめ頃の天気図では太平洋高気圧は存在しておらず、おまけに気流の流れが数年前の夏が無かった年に似ていることから、「今年も夏は無し!」なんて思っていたのですが、
いつの間にやらでかい太平洋高気圧ができあがり、入梅直後から前線をぐいぐいと押し上げている。

「おかげで空梅雨か?」なんて思わせられる天気が続いたりして、基本的に雨が嫌いな僕にはうれしい限りだったわけですが、ここに来てなんか降っている。

まあ当然なわけですが、実はこの季節の、この気温下での雨というのは辛くはなく、帰り道はルンルン気分だったりする。

嫌いなのにそれと相反する気持ちにさせてくれるのが、この季節の雨。

何でか?というと、純粋に気持ちが良いのですね。

体に当たって飛び散るしずくの一滴一滴が優しく、緑の輝きや命の香りを放つ草花や木々達。

それが雨を介して感覚の中に直接飛び込んでくるわけです。

そうした物達との境が無くなるというか、普段なら空気がそれらとの距離を自然に保たせているわけですが、雨が降ると自分と接続されたような感じになる。

こうした感覚は車に一切存在せず、バイクの持つ特有な物でもあると言えるのですが、しばらく走ると冷えてくる体に、体温を制御する体の機能が働き出し、下手すると信号で止まった体から湯気が立ち上がっていたりして、

又それが妙に面白くて、生き物っぽくて・・・・

バイクに乗っていると、積乱雲の下で雷雨に遭遇することがあり、そんなときにカッパなんか持っていてもわざと着ないまま目の前の豪雨に突入したりする。
雨のカーテンの中に突入する瞬間に時間を飛び越え、幼き日々に自分が帰っていることがある。

空の虫かごと網をもって、ずぶ濡れのまま友達と唄を歌いながら水たまりの道をバシャバシャと歩いた事、神社の境内に震えながら座り、雨の過ぎ去るのを待っていた僕たちの前に現われた大きな虹。

たったこれだけの事だけれど、それを通じて躍動する心がその時も今も、何ら変わっていないのだと思うと嬉しいような・・・・

あさ、昼、夕にそれぞれ降る雨は同じ一日でも全く異なり、嫌な物であるはずがこの季節の雨ほど楽しい物はない。


相手がいなけりゃ喧嘩にならない

2010年06月27日 | Weblog
よく、喧嘩したとか、不仲になったとか、近所つきあいもそうですが社会の一人として生きていれば全てのイザコザを避けて通るという事が難しくなります。

嫌なことではあれど、それを旨く立ち回って避通るのはなかなか出来ないし、自分が意図しないのにそうなることもある。

「はて?」 「本当に回避方法は無いのだろうか?」 なんて考えてみるに、もめ事や喧嘩というのは必ず相手がいて、そこに原因たるものが存在しているから起きるわけですが、突き詰めれば力関係が拮抗しているからこそ起きる物で、どちらかが一方的に強者であれば余り起きない。

発生する下地として存在するのは、互いの力を良く分っているか、もしくは全く分からないかの二種類が大半だけど、

全く分からない場合の代表格はネット掲示板等で、そこで行われるもめ事の幼稚さは例えようがない。

他には道を歩いていて互いの肩がぶつかったどうとかで、これ等は幼稚さを通り越してすでに猿並の世界と言える。

明らかに分っている場合の代表的な物は友達同士や近所、会社等であるが、組織の中では社長と平みたいに明らかな力の差がある場合を除いて直属の上司や同僚、違う部署で起きたりもする。

しかし、「こうしたもめ事はどこからくるのだろうか?」とわずかでも考えてみると、殆どが理解不足を発端としており、どちらか片方が頑固なまでの思い込みを抱えていたり、互いに相手を理解しようとしない場合に発生する。

どんな人間でもそうだけれど、自分は完全だ等と言えるはずもなく、自分の得てきた知識と経験だけの範囲でしか思考することが出来ないし、その時点ではそれを超えることは出来ない。

喧嘩やもめごとの原因というのは、大抵そうした互いの持つ現状能力限度の先にある物をどうとらえるかという事から起きているけれど、そこに謙虚な物事の考え方と相互理解を心がける姿勢が有ればもめ事は起きない物だ。

起きるのは、”自分は正しくて、相手が間違っている”という考えだけに傾くほど発生頻度を高めていき、これを互いにやればほぼ100%衝突する。

常に回避する方法は相手の考え方を理解するということだが、それそのものが、それを行う者の人間性とダイレクトに結びつている限り、そう簡単にはいかないのも現実。

人というのは常にプライドやメンツというくだらない物の優先順位が高いほど思考が硬直化し、同時に人間性もそれに比例しながら落ちていくわけだけど、そうした相手を受け止め、恭順出来る出来ないはともかく、相手が感情的になればなるほど、うまくそれを受け流すことが重要になる。

自分が生きてきた経験からすると、その場で結論を出さず、受け流す方法で(といっても完全無視ではない)ほぼ99%収まっている、何しろ自分が相手の挑発に応じない限りはもめ事も喧嘩も成り立たないものだからだ。

怒りに充ち満ちているというのは、自分をとにかく正しいという方向であくまでも押し通そうと全力で力んでいる状態そのものですが、まあこれを制御できるかどうかがその人間の能力であり、先も書いたが人間であるかぎりは100%正しいなんてことはまず無い。
ちなみにこうしたことは勉強が出来ることとは全く無関係だ。

互いに、どこかしらに過ちが100%あるわけだが、こうした場合に力の差が余りにも有れば自分の考え方の説得性に自ら疑問を持ち、自然に自分を自分自身で言い聞かせるような行動を取るのが人間。

例えるなら、人が100人いて、その全員が自分と違う考えだと言えば、まずその100人相手に拳を振り回しながらおまえ達が間違いだといえる人はほぼ皆無。

なぜなら、人は自分の心の中にある主張そのものが間違っている可能性を常に心の底において疑っている生き物だからだ。

これが人間らしさでもあるのだけど、しかしながら、そのたった一人の人間が100人相手に自分の考えを訴え続けられることが出来る状態というのは確実に存在している。

それは、その人間が主張している事に真理と事実という、絶対に動かすことの出来ない物がある場合で、ガリレオもそうした人物の一人だ。

話が飛んだので戻しますが、もめ事や喧嘩は力が拮抗している、もしくは全く見えない場合に、自分の要求もしくはちんけなプライドを基に相手をねじ伏せようとしているだけのことであり、ある意味究極のわがままを相手に要求しているに等しい。

こうした場合、当然の事でもあるが、相手が応じないと、もめ事も喧嘩も”発生すら出来ない”。

”時”は常に正しい、というのは僕の考え方であるが、相手が理性を失っている場合、だまってその場を後にすることとしている、その場は双方とも嫌な気分で終わる物で有ってもだ、時間が経過するに従って不思議な心の変化が訪れてくる。

これは人のもつ社会形成本能によって引き起こされるものだが、人というのは怒りを原動力とした思考を継続する事は非常に難しく(なぜならそれそのものが不快だからだ)、必ず自らの力で平穏へと導かれていくわけですが、その過程で怒りにより見えなくなっていた多くの物が浮き上がって見えようになる。

同時に怒りの対象物を自ら理解しようとする心理が働く様に出来ている、もめ事そのものが怒り=不快であるから、それを取り除こうという心理が働くからだ。

喧嘩の中身というのは大抵くだらないことであるけれど、当然それも時間の経過とともによく見えてくるようになる。

双方が衝突すると、どうでも良い面が理解を妨げる要因として出てくるが、衝突が無ければそうした要因そのものが無いわけで、冷静になる心の変化と共に自分の問題点も分ってくる事が多い。

子供時代は、互いの心が素直であり、そのままドスンバタンとやってもわかり合えるのだが、大人になると素直を押し通すことがきわめて難しくなり、こうした肉体のぶつかり合いというコミュニケーションを通して通じあうことが出来なくなる。

相手にしないというと簡単に聞こえるが、片方が拳し振り回している時に、その場を離れる事そのものがは逃げたと見なされ、おもしろおかしく見ている外部者に弱者扱いされることも多々あるが、あえてそうした行動を取ることは非常に勇気が必要だし、相当に心の強さを求められる物でもある。

時として敗者として扱われることもあるが、そこに本当の正しさがある限り、それは相手を含め多くの人の心へと染みこみ、時間は誤を正にしてくれる。

なぜなら、冒頭に書いたように人はその時点で持っている経験と知識でしか物事を考えることが出来ず、新たに得た物を頭の中で整理、理解するには時間のかかるものだからだ。

時間という物はそうしたもので、時を味方につけるというというのは最後に論点がきちんと整理されることであって、そこまで忍耐強く待ち続けるということだ。

1年2年、時には10年なんていう時間を消費しても、待つだけの価値の見いだせる物ではないだろうか・・・・ なんて思うのだけれど、常に現実は難しい。(^^)

あと、こうした思考は子育てに一切通用しない、なぜなら親子関係とは対等でも平等でもないからだ。







健康診断

2010年06月25日 | Weblog
に行ってきました。

特に問題なし!と言いたいところですが、体重が増えた・・・・(^^;)あはは

本当なら春先よりウインドサーフィンなわけですが、今年は色々あって殆ど行けずに

本来なら減るはずの物が減らなかったということ。 

ほんとか~(笑)。

つい最近もレーシックなんぞ受けて、一ヶ月はマリンスポーツ禁止だし、まあ、その分復活後にリベンジを果たしたいと思います。

「今年はガンガン行くぜ!」 とばかりに、後半戦を張り切っていますが、昨年までとは違って、土曜日にヨット、日曜日にウインドサーフィンてな具合でやるつもりでいますから、

そうなりゃ一気に脂肪も落ちる(多分)はず(汗)、 でいるのですが、どうでしょうか?

以前は土曜日もウインドに行くことが多かった我が家、現在は娘が高校生になり、土曜日に特別授業をガンガン入れてくるうえに文化祭でヒップホップをチームでやるんだとかで、その練習やら構想やら、夕方からは子供の頃からやっている民族舞踊だなんだとビッシリ。

そんでもって実質日曜日以外は行けない。

「自分だけで土曜日行けば良いじゃないか!」という意見もあるだろうけれど、家の場合はトレーラーを牽引したでかい車で移動する事から一回あたりのランニングコストがかかって仕方ない。

高速代、ガソリン代、駐車代ほか諸々で一回あたり1万円を撒き散らしていれば、学費の事も絡んで経済企画庁(家内)から当然文句が出てくるのでおいそれと出来ないし。

そんなこんなで暇もてあまし気味の土曜日ですが、娘がお世話になっているヨットクラブから出た中古ディンギーを4万円という破格値(それでも家には痛い出費)にしてもらい、やっと購入。
いま乗っているレーシング小型ヨットからいずれクルーザーヨットへ移行する為の中間点ですが、これだと3人は乗れるので(本当はトラピス艇欲しかった・・・・)自分も余裕。
何よりバイクでふらりと行けるからランニングコストがきわめて軽い。

子供の教育費というのは一生に一度の事で有れど、ヨットやウインドサーフィンの場合は一番大事な心の耐久性、忍耐を育てる事が出来る分、欠かすことが出来ない物とも考えている事から、「出来るなら・・・」という気持ちが自分はどんなボロ着ても娘のトレーニング費やその他もろもろをひねり出させているわけです。

まあ、そんなわけで、バイクだと高速もバイバスする(渋滞関係ないので使う必要がない)し燃費が良いためにたいした金額にもならない。

腕の方はすでに娘の方が遥かに上と言えるほど引き離されてしまったけど、体重分ハイクアウト出来るので多分直線は早い、予定(笑)

まあ、そんな感じでいます。

話を戻して、健康診断で気になるのが、血圧やその他ですが、
血圧は120の70と全く問題なし、当然糖尿もなく、目は両方とも2.0だし、耳も問題ない。
血液検査は全く問題無いと毎年来る。

健康であるのは何よりだけれど、とにかく海に行きたい・・・・









僕の人生を変えたもの

2010年06月23日 | Weblog
落陽


高校の夏、自分に嫌気がさしていた(バカだったですから)僕が一夏を過ごした飯場。
「てめえ、ばかやろ~・・・」なんて言いつつ、ふらり訪れた僕をバイトでやとって
くれた人。
帰りの船代も持たずに渡った先で僕の人生に多くの影響を及ぼしてくれた・・・

当時17歳、年齢は聞いても教えてくれなかったけど、元気にしているだろうか?


毎日下痢(ビールの飲み過ぎ)で、人を早起きさせ、飯炊き終わった頃にふらり現れ、無駄口叩かず料理の基本を徹底して教えてくれた。

たった一度だけの、たった一月の夏、僕にとっての宝物です。



ホタル

2010年06月22日 | Weblog
家の家の近くにはまだまだホタルが見られるところが沢山あります。

久しぶりに「そろそろかな?」なんて思いながら一番綺麗に見られるところまでバイクでひとっ走り、約15分くらい。

車が極端に少なくなった道を、1100CCのエンジンは飛ぶように登っていく。
初夏の香りをもらいながら幾つものコーナーを回り、路端にバイクを寄せてイグニッションキーをOFFにすれば、一気に世界は変化する。

ただ、沢の流れの音だけが聞こえ、わずかな風が揺らす木の葉の擦れ合う音に体が吸い込まれていく。

少し歩いて目的のところへ付くと、目をこらしてあたりを見つめてみるが、といってもまだ夕方の日が高い時間ですから飛んでるはずもない。

木漏れ日さす沢なんかのぞいたり、「ホ~タルさん♪」なんて思いながら葉っぱなんか裏返してみたりするのですが、そう都合良くいるはずがない。

しばし一人で苦笑・・・(^^;) えへへ


ここに来る途中、地元の老人がのんびりだべっていたので、今年はどうですか?
なんて聞いて見るも「今年は春に寒かったから少ないね~」なんて優しい顔でニコニコ。

毎年少しずつ数が減っているホタル。

まだ近くで見られるだけでも幸せなのかもしれない・・・

どうしてご飯をつくらなきゃいけないの?

2010年06月20日 | 研究-教育・育児
以前、どこぞのホームページだったか忘れましたが、ネットで有る女性が書き込んだのを見たことがあります。

その内容というのは、「何でご飯を私がつくらなきゃいけないの?」というもので、
その女性の主張とやらをまとめるならこうなります。

・自分は料理が苦手だ
・お総菜なんかいくらでもスーパー等で売っている
・旦那は文句言わない
・女性がご飯をつくらねばならないという意味が理解できない
・料理なんて楽しくないし、そんな時間があるなら他のことしたい

現在生じている具体的問題点として
・子供が泣きながらお母さんの手作りご飯が普通に食べたいと泣く


まあ、全体を通して悩むと言うより、そうした自分の姿にシンクロする者達が肯定してくるのを待って、自己肯定したいというのが至極簡単に見えてしまうわけです。

文の作成能力からそれなりの学歴はもっているようですが、
僕から見るなら幼稚園児並の心と思考能力しか持っていない可愛そうな女性、いや人間という事。

こうした主張が単なる我が儘であるかどうかというのは、現在のように便利な世の中になってくると、ある意味合理性と言う面からだけ見るなら妥当という側面もあって、

一概に自分勝手とも言うことは出来ない・・・・

しかし、この女性にとって不幸でならないのは、ご飯という物が持っている人の成長に欠かすことのできない無形の栄養であるという点を理解しようとせず、いや理解する事すら出来ない。

という、人間としての極基本的なものが欠けている事がたまらなく不幸でならない。

栄養がきちんと取れ、食事を毎日正常に取っていれば子供は普通に成長する、当たり前の事だけど、身体成長に必要な物質がきちんと体に取り込まれれば物理的に体は成長するわけだ。

しかし、これはあくまでも子供に物質を与えているだけに過ぎず、これはご飯ではない。

一番問題なのは、”物質が子供の心を育ててくれるわけでは無い”ということ。

体は物理的に成長しても、子供の心という物は、物質で育つのではなく、あくまでもご飯で育つものだからだ。

物質だけ与えてまともな人間性が育つというなら、母親はいらず機械にやってもらえれば素晴らしい人間がいくらでも育つことになる。


料理が苦手だ、だからやりたくない????

何でもそうだけれど、全ての人が全て上手に料理できるわけではない、学校のテストじゃ有るまいし、出来不出来が味の全てではなく、苦かろうが、味がおかしかろうが、それを食卓で食べた子が「うわー変な味」なんていいつつ、「やっぱり~?」「仕方ないから目玉焼きつくるからそれで食べてね・・・」なんて親子が交わす心のあり方が人間性を育てる。

人のつくるご飯は物質ではないからだ。

昔と異なり、食事の総菜はいくらでも、かつ簡単に手に入る世の中だけど、どうしても忙しいとき、手をかける時間の無いときにそれらの力を借りることに何ら問題ない。

「またかよ~」  「ごめんねこのところ忙しいから・・・我慢してね」 そこにご飯という物が出現する。


旦那は文句を言わないから、これで良いのだ、なぜなら自分は料理苦手だし、総菜買ってくりゃ問題ない????。


はて? 本当に旦那はこうした家庭のあり方に問題意識を持っていないのだろうか?

自分の伴侶がどう考えているか? また人の心をどう理解して読み込む力を持っているかという事がここにも現れていて、残念ながらこの女性は人生最大の人間関係である伴侶の心すら理解できないということらしい。

人は普段の生活において常に他人の心を推し量りつつ、適度な間隔を置きつつバランスをとって生活している、

それは夫婦とて全く同じ事であり、何も言わないから良いのだ、ではなく、本当は何を思っているのだろうか?、そして自分はどうあるべきか?という事を常に心の中心へ置くからこそ夫婦という物は一生添い遂げられるわけだ。

自分の伴侶が母親の手作り料理で育ってきたのなら、妻であるこの女性のあり方に常々疑問を持つのは当然のことで、しかしながらそこには”いつか解ってくれるだろう”という心がある。

何も言わないから良いわけではないのだ。

ご飯の意味は食事とは大きく異なる、食事は礼儀作法を含んだ形式的な物を多数含む、しかしご飯はそこに愛情の要素を多分に含み言葉そのものに暖かさをもつ。

子供はオギャーと生まれた後は、親の作るご飯で成長する、そこには単なる物質摂取ではなく、愛情接収という心の成長のために欠かせない栄養価があるのだ。

よく、「何で女が食事をつくらねばならないの?」という疑問を抱く女性が多いが、人間の歴史と本能というものを少しでも勉強すれば、それが大きな過ちであることに気づく。

これを無理にねじ曲げる事は、本能に違う不自然な精神状態を子供の心に作り上げることそのものでしかなく、間違った自由と平等で育った粗末な人間性に、”人の心を読み取れない自分勝手”が入るとこうした思考になる。

料理は歴史過程で男性が都合良く押しつけてきた業であり、女性はそれから解放されねばならない、というのがその根底に有るのだと思うが、そうした洗脳すら存在しない未開の地含め太古の生活を紐解けば、現実は常に女性がご飯をつくっている。

なぜなら、子供の肌色の変化一つ、鳴き声一つで健康状態が読み取れる能力は男性にはなく、それは右脳左脳を強力に接続している女性の脳機能そのものが子供を育てる女性の本能と共にご飯をつくる事へ結びつているからだ。

男性がご飯をつくっては駄目なのか? もちろんそんなことは無いし、時間があるならどんどんやれば良いと僕は思っているが、それを子供の肌色一つとリンクさせる能力がないうえに、忍耐を要求される毎日のご飯づくりには根本的に向かない。

生活のためという負荷がかかるとエンジン始動する様に男はできている訳だが、例を上げるなら素晴らしい料理を提供しているシェフはほぼ全員が男であるが、それは仕事における究極を求めるやはり男の本能の結果であり、ところがグルメ料理はご飯ではない。

本来向かない事への負荷を不要に強制すれば、そうした負荷をかけてこない女性へ自然に心が目が映っていくのも男の本能であり、伴侶の姿に自分の母親の姿を重ねてしまうのもこれまた男の素直な思考だ。

どうしてもそれをねじ曲げたい女性は、そうした男を見つければ良いだけのことで、しかしながら本来有るはずの自然な人の姿を自分の都合で押し通すような事をすれば、かならずどこかにその歪みは現れる。


一番顕著なのは子供の心に現れてくるが、子供という生き物はその幼少期に自分と自分の周りを取り囲む人間関係の基準が、同じ社会を構成している他人の家族と同じであることを極めて望むように出来ている。

当たり前のことだが、これは本能そのもので、それは自分の成長に必要な保護と環境(もちろん愛情含む)がまんべんなく整っているかを知らないうちに推し量り、あるときは求めながら生きているわけだ。

これに変化が訪れるのは思春期以降、言うなれば反抗期の到来で、このあたりから人と同じなのではなく、異なる自分を自分自身と社会に求めるようになる。

これが反抗期であり、また人類が世界中に広がってきた力の源になっている。

泣いてまでご飯をつくってと懇願する子の目には、他の家庭で普通に食べているお母さんの手づくりご飯がそこにあるわけで、そこに願うは、現在自分に注がれていない形の愛情を欲する心がダイレクトに現れており。

子供といのはそうした毎日の愛情を、毎日食べながら大人まで成長するもので、それは時に親の押し付けで有ったりすることもあるし、自分から要求したりもあったり。

そうしたごくわずかなやり取りの中に存在する親の心のあり方というものを多数経験するからそこ、人間として他人の心を正確に読み取れる力がつくわけだ。

もし、母親が人の心を読み取ることなく、そのまま努力もせず、子の心を自分の理屈で通そうとするなら、その相乗状態によって欠落してきた愛情を求める子供の心は、必ず思春期以降に別の形となって跳ね返して来るようになる。

父親の身勝手はさほど子供の精神に影響を及ぼさないが、ダイレクトに愛情という面で子どもの精神てき成長と結びつている母親の身勝手は、そこに愛情という価値を見出さない形で施してきた一切の所業は、本来ある筈のそれが欠落した子へと成長するのは当然で、その反動が将来あらゆる形となって、この母親のところへ”注がれ返してくる”ということだ。

この家庭の未来の姿が僕には見えすぎるほど見えてしまうわけだが、それを否定できる程の人間性というものを見出すことが母親の書き込みには無い。

この泣いている子が反抗期になって、初めてその欠落している部分どういったものなのか?を我が子の行動で思い知らされることになろうなどと、今は考えてはいないだろう。




輝く空へ

2010年06月17日 | Weblog




梅雨の谷間にある青い空、相変わらず学校大好き我が娘は今日も元気に通学。

「高校時代は人生でもっとも輝く若さが弾け、それが自然に空へ溶け込む季節でなくてはいけない。」

そう息子と娘に伝えてきた僕に取って、第一の季節は息子の青春時代、
そしていま第二の季節にいる。

なぜ季節なのかというなら、家族の全体は季節のように巡り。
あるときは冬、あるときは秋、優しい春もあり、そして太陽輝く夏もある。

辛いこともあれば嬉しい事もある、恵まれた季節だけではないのは当然で、冬をどう乗り切るかという事が親に求められ、勤めでもあるわけだ。

さて、そんな娘が好きな色はブラックとゴールド、同時にホワイトとブルーの組み合わせ。

なぜこれが好きなのかというなら、ブラックは星空、ゴールドは月と太陽、ホワイトは積乱雲でブルーは空と海のイメージカラー。

そういえば僕は若い頃から自分のシンボルマークを常に側へ置き、それと共に歩んできたけれど、娘は自分のシンボルマークをシャチ(キラーホエール)にしている。

親子は似るというけれど、見えないところでうり二つになっているのだろうか?

何て考えたりもするのです。




探査衛星ハヤブサと民主党

2010年06月14日 | Weblog
多少ユーモア混じりのYOUTUBE動画、しかしこの中で紹介されているのは現実であって寒気がするほど優れた日本の技術力。

同じ技術者の一人として鳥肌が立つほどの凄さをこの動画では極簡素に紹介してくれています。
しかし・・・・、これを民主党は人気取りパフォーマンスショウのネタとして仕分けちまった・・・・

今回世界初の仕事をなしえたハヤブサは無事帰還に成功、探査衛星の小さな機体に詰め込まれた超高度技術は民主党にとってくだらないお遊びに見えるらしい。

事務所費の領収書をかくして出さない疑惑の蓮何とかいう仕分け人がJAXAを仕分けた結果ハヤブサ2を開発する予算をたった3000万円までカット。

家一軒建てるくらいの値段でどうやって開発できるのか民主党に聞いてみたいが、間違いなく言えることはこれで日本の高度技術が又一つ失われたわけだ。

探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力‐ニコニコ動画より転載


さてそんな最先端技術を片っ端からつぶし、口蹄疫被害を拡大させた民主党。

実は鳩山政権が崩壊間際のどさくさに紛れ、5月末に駆け込みで1兆7000億円を中国へあげるという約束をやらかしてくれた。

とんでもない国民への背信行為だが、これも民主党のもつ本当の顔でもある。

管さんが首相になろうが、民主党であることには変わりない。

元々は鳩山イニシアチブでCO2対策云々で開発途上国にばらまく事を決めていた我らの血税だけど、どこにどれくらい配分するなんて元々決めていないこの莫大な金額、
どう使おうが非常に不明瞭になりがちで、けしてどこにいくらかと公開されないわけで、黄砂がどうとかという理由でいくらでも中国へばらまける。

この日本を支えてきた物を粗末にし、もう片方ではGDP世界第二位の中国へあげちまうという気前の良さ。

さすが社会主義政権たる民主党といえよう


ハヤブサのもう少し詳しい動画はこちら
前編
探査機「はやぶさ」の軌跡 舞-HaYABUSA ~Falcon of phoenix ~前編


そして後編
探査機「はやぶさ」の軌跡 舞-HaYABUSA ~Falcon of phoenix ~後篇

有りもしないメガネ

2010年06月12日 | Weblog


習慣というのは面白いもので、メガネを不要とする現在、つい癖で外そうしてしまう。

特にこうしたパソコンに向かって入力をしている時に多い。


たった一つの補助機器、それがどれだけ自分の生活と密接な関係にあったかというのを思い知らされるわけですが、

目の回復力というのは恐ろしいもので、手術をしたのが9日で、それから3日経過した現在痛みは全く無い。

まがいなりにも一番痛みを感じる部分である瞳をカットしているわけだから、これが腕や足の皮膚のような鈍感な
部分ならともかく、普通でいられるのは不思議な感じすら覚える。

さて視力の方ですが、現在2.0をオーバーしているのではないか?と思わせられてしまうほどで、先日よりさらに
遠くの細かい物が見えるようになってしまっている。

近視の戻りが必ず有るというのですが、どれくらいでそれが起きるのか解りませんが、正直もう少し落ちてくれた方が
良いのではないかと思ってしまう程。

鮮明に見えることに憧れが有ったはずなのに、現実にそうなると惑ってしまうというのは、
隣の芝生は青く見えるというのと同じ事なのか? なんて・・・・ 

でも、なんか例えが違うような気もするな~(笑) (^^)

何故に見えすぎると困るのかというなら、例の最大問題である老眼。

近視であった故の恩恵?として享受していた(と言ってもすでに近いところは見えなくなっていたが)ものが、
年齢に応じた見え方になっているわけなのですが、「およよ・・・」と動揺することが多々有る。

それも、術後の視力回復にきっちり比例しながら起きてくる。


こりゃ~良いのか、悪いのか? (ーー;) 笑


さて、他にメガネを外して他に何が不都合かというなら、メガネというのが普段、しかも知らない間にどれだけ目を保護
していてくれたか? というのがよく解った。

例えるなら、今日の午前中に行ったシーズン前のエアコン掃除。

まあ、ブラシなんか使いながら吹き出し口の奥の方に付いたホコリやらカビやらを洗浄洗い出しするわけですが、その際に
飛び散った汚れが目に入って慌てたり、仕上げのアルコール(カビ殲滅のため)をハンドスプレーでシュコシュコ吹き付けていた際に
目に入り「いてて」なんてなったり。

本当なら、術後一週間は防護メガネを使用する事になっているのですが、見えるようになるとどうしても外して作業してしまう、
それがいけないのですが・・・・ (^^;)

何気なく使っていたメガネが、実は同時に目の保護にかなり役立っていたなんて、はずして初めて認識させられました。


ただ、こうした何気ない感謝も、すぐに忘れさってしまうだろう、なんて思うわけですが、不燃物としてゴミに出す瞬間
しばらく手の中にあるメガネをみつめ、何とも言えない感謝、そして寂しさみたいな感覚を覚えてしまう僕なのですね。








レーシック手術 術後編

2010年06月10日 | Weblog
そんなわけで、昨日受けた手術。

朝起きてみると、目の痛み(しみる感覚)は殆ど無い、ただ時々ごろごろする感じが
しなくもないが、特に問題となるほどではない。

しかし・・・・・習慣というものは恐ろしい物で、目覚めてすぐ、めがねを探してごそごそ、ぼけた頭でやっているものだから、有る物とおもってしばらく探してしまった。

(^^)へへ

「あ!、そうか!」とぼけ頭が気付いて、目のカバーをかけたままリビングへと移動。

へばりついたテープを「痛ててて」なんて言いながらはずして驚いた。

昨日の段階でもかなり見えていた部屋の中が、今朝はさらに鮮明にみえる。

ただ、全体的にうっすらと霞がかかっている(ハロ・グレア)のはしばらくしないと無くならないのですが、それにしてもよく見える。

思わずうれしくなって、家内と娘に「見える見える」と盛んに言ってたら、もともと目の悪くない両方にとっては当然の事でして、しまいには煙たがられてしまった。

今日は翌日検診でそれで問題なければ殆ど大丈夫。

電車で病院へと向かうが、だんだん視力が落ち着いてくるし、さらに良くなってくるのが
分かる。

朝一番の予約で診察をうけると、視力は裸眼で1.5出ていて

 「おおー!」と感激。

角膜の状態をみて、非常にきれいですねといわれてさらに一安心。

その後、職場にそのまま出勤するが、不思議なのは、目の状態が安定するに従ってさらに視力が上がって来るのが分かることで、夕方までには2.0程度になっているのが明らかに自分でも分かる。

ふと思うのだけど、自分の場合、このところパソコンの使用が著しく、目が近眼のさらに仮性近視状態だったわけで、その状態だとめがねをかけている状態でも視力は落ちるわけで、それが週末に海へいくと戻ることの繰り返しで、

今回はこの近眼+仮性近視状態でレーシックを受けた為に、それが戻るにつれて視力が上がってしまったのではないかと思う。

いずれ落ちて安定するようだけど、現在は見えなくて良い物まで見えてしまうようで、良いのか悪いのか・・・・・

ただ、一つだけ問題が起きている、微妙な老眼が入っていたのは分かっていたが、
これは検査で明確となり、その前には暗いところで細かい物が見えなかったわけですが。

現在上記の通り視力オーバー気味であるせいか、手元が思っていたよりぼける。
目から20cm以内だと本当に見えない。

確かに医師から言われたとおりの状態そのものなわけだけど、いずれ老眼は進行してくるし、そんなことより日常生活で物が見えるうれしさの方が桁違いに大きく、昨日も書いたが本当にやって良かったと思う手術である。

ウインドサーフィンやヨットが乗れるのは完全に角膜が安定する一月後になるが、
いまから楽しみで仕方ない  (^^)V ピース!

レーシック手術 手術編

2010年06月09日 | Weblog
そんなわけで、今日は手術。

どんな手術をするかというなら、一台の機械で角膜を切って表面の膜(角膜上皮とボーマン膜と言うらしい)をめくり。

もう一台の機械で角膜の中(角膜実質層)に眼鏡のレンズでいうところの凹レンズをつくりこむというもの。

もちろん刃物で切るわけないし、二つともレーザーの力を借りて行うわけで、手術そのものは無痛とのこと。

「角膜切るのに無痛なわけないだろ~」(ーー;) なんて思いつつ、まずは再度の視力測定。

そこで現在微妙に入っている老眼との兼ね合いで、目標視力を2.0にするか
1.5にするかを決める。

2.0だと見栄すぎなのではないか? と思うのだが、実は手術後に必ず近視の戻りが起きるらしく、老眼が少し入り
始めた人の場合、1.5くらいで手術して、最終的には1.2くらいにするほうが良いらしい。

これを例の黒縁眼鏡に何枚もレンズを入れて強制する検査眼鏡で作り出し、実際目の前に細かい文字を置いて見え具合を
考えることになる。

といっても、誰しもが必ず老眼になることから、なおかつそれは進行することから、今は問題無いくらいに合わせても、
近い将来かならず見えなくなってくる物らしい。

そう考えると、さほど見えすぎず、困りもしない価と言うことで、1.5を選択(戻りがあって1.2となる価)した。

さて一度先生の処へ呼ばれて、その後手術待合室に呼ばれ、そこで麻酔と充血予防の目薬を3回ほど行って手術室へと向かう。

ドアをあけて部屋にはいると、そこは想像していたところとは異なり、整然と設置され、衛生的な部屋にSFに出てきそうな装置が
他にも数台有るが、自分に使用するのは二台だけ。

一見ハイテク部品なんかを製造している工場のようにも見えなくはない、多少圧倒されながら一台目の機械の寝台に横たわると。

まず目に輪っかみたいな物をはめられ(すでに麻酔が効いて痛くない)その上にドーム型のレーザ装置がおりてくる、
機械が目に近づくに連れ、視界の中に入ってくる赤い部分を見るように指示され、

やがてそのドームみたいな物がさらに降りて、まあ目に置いたリングそのものを押し下げるようになるわけだけど、そのあと
吸引されているような感じがする。

やがてカットが開始されるが、オペレータさんの時間測定の声と医師の言葉が聞こえるが専門用語で何を言っているのか意味は分からないし
やはりSFちっくだ。

こうして両目の瞳がぐるっとΩ型にカットされ、この時点で目の前に白い霞が掛かってよく見えない。

次にその寝台を起き上がると、隣の寝台へと案内されて、ただ、今回は頭が収まる(固定しやすい)バスケット上の物が付いている。

そこへ頭を落とすようにして、まあ安定させるわけです。

やがて、医師が準備を完了して。 「始めます」のことばで再開、先ほどと同じように赤い点を見るように指示され、
それを見ている間に機械の調整が行われる、やがてまつげが落ちないようにテープを
張られ、さらにまぶたが閉じないように目に器具が取り付けられる。

*一応参考までにここまでまったく痛みを感じることはない。

次に先ほどカット角膜表面膜を先生がめくりあげ、洗浄など行われますが、当然のことながら角膜表面をめくっているので明るいが
まったく焦点が合わずに物が見えない、故にどんな処置をしているのかは不明。

再び目を動かさないように指示され、レーザー照射が開始される。 65マイクロなんて言っていたので、削り込む深さのことだと思う。

レーザの照射が開始されるが、その時間はあっという間で、「50、100%、完了」ですなんて言葉が終わると、再び角膜洗浄やらが
行われ、最後に先ほどめくった角膜表面膜をもどし、最後に表面膜のしわ伸ばし?みたいなことをやって手術完了。

この時点で、視界に霞はあるものの、すでに視力は回復してるのがはっきりと分かる。

今右目を終わらせたので同じ行程で左目も処理され、はい終わりです、以上総時間二〇分程度、レーザー照射は一〇秒程度。
これで両目ともいきなり見えるようになっている。

「おおー!」なんて、内心感激&ほくそ笑んでいるがが、それを遮るように医師の確認の為に機械に座らされて検査。

いくつか医師に質問されて、痛みも違和感もなければこれで全行程終了。
お疲れ様でした!と看護婦さんに言われて、安静室へ移動。 約20分間そこで目を休ませれば終わり。

後はそのまま会計を済ませて帰宅となる。


さて、この手術中、痛かったかと聞かれれば、答えはNO

正直こんなんで視力がかわるのなら早くやるべきだったと変な方向で大変に反省。

さて、その後ですが、僕は自宅まで電車で2時間はかかり、
はじめは麻酔が効いていたので全く痛みはないが、だんだんとしみてくる。

この痛みはさすような痛みというより、タマネギをみじん切りしたときのようなしみ方と言う方が正解で、目を閉じていれば殆ど痛くないが、
あけて空気に触れるとしみてくる感じ。

防護用のめがねをもらえるのでそれをかけてとにかく目を開ける時間を減らして帰宅。

帰宅早々指示通りに目薬を差すと、こすり保護のカバーを目にテープでつけ、早々に就寝してしまいました。
ちなみに寝ている間に痛みで目を覚ますような事は全くありません。

途中で夕飯に一度置き、そのときにはだいぶ痛みは緩和していましたが、万事を考えて
そのまま朝までねむることにしました。


これからレーシック手術を受けようとする方は、帰りに家族の方などの迎えをお願いして家まで帰るのがベストです。







レーシック手術 検査編

2010年06月09日 | Weblog
予約時間にいくと早速検査開始。

だいたい9種類位の様々な機器による精密検査を受け、角膜のゆがみやら傷、厚さ、乱視度、老眼?度、近視度等々を調べてもらいましたが、

これが結構面白かった。

測定している方と途中から雑談なんかして、といっても賑やかなのは僕くらいでして、 (^^;) 他の患者さんはみんな静かに受けている。

「微妙に老眼入り始めていますね~」、なんて言われ、 

「うむむむむ」 (ーー;)  

面白かったのは老眼が進行した場合の物の見え方をシュミレーションして貰ったのですが、50代で結構見えなくなり、さらに60歳となると、手元がこんなに見えない物なのか・・・・・と、変なところで感心させられた。

現実、普通に年を重ねると誰しもがそうなるわけですが、かといってこの手術をしたから進行が早くなる物ではないとのこと、基に戻るというほうが正解。

近視の場合は元々近いところに焦点があるから、その分老眼の進行が遅く感じられるだけのことであって、進行そのものはその人それぞれの個体差に基づいて普通に進む物らしい。

他にはペンみたいな物で、目を開いたままで角膜の上からヒョイヒョイと押すやつが何とも言えない感触。 

角膜の厚さを測る物らしいのですが、もちろん麻酔をしているので全く痛みは無いものの、押された部分を中心に見える世界がゆがむ訳で、それが何とも言えない変な感覚。



さて、肝心の検査結果ですが、基本的に全く問題はなく、ただ自分の場合は瞳の盛り上がり部分(ドーム部分)にゆがみがあるらしくて、具体的には上の方が丘のように
なだらかで、下の方が山のように盛り上がっているとのこと。

まぶたの厚い人や堅い人にこうした事が現れやすいらしい。

ところが二度目の検査では何故か全く問題ない。

このゆがみが大きいと、当然手術は不可能らしく(時々あるらしい)、またそうしたゆがみが有る場合は特殊な病気の可能性があるようで、しかしながら他の検査から
それを疑う症状も兆候もない。

まぶたが生まれつき重く、特に組織がやたら堅いことは、18才の時に逆さまつげの手術をした時に医者に言われているので、

それを医師に告げると、「やはりそうでしたか」とのこと。

幾種類もの検査結果と二回目の結果を総合すると手術そのものは出来ますが、「どうしますか?」と聞かれ、もちろん僕は「お願いします」の一言。

そういえば一度目の検査前には待合室上方に取り付けられたテレビをずっと上目使い気味で見ていたけど、二回目の前は膝に置いた雑誌を読んでいたから、
黒目の上部分が押されていなかった、

なるほど・・・ゆがみが出るのも解らなくもない。 (^^)フムフム

医者の話では、そうしたまぶたにより発生するゆがみ?というのは結構あるらしく、黒目そのものは弾力性をもつ柔らかい物ですからとのこと。

その後もいろいろな話を聞かせていただき、最終的な決定をしました。

と、一度物事を始めると、タッタと終わらせねば気が済まない僕ですから、翌日(本日)の手術を早々に予約。

うざったい眼鏡と少しでも早くおさらばしたい事もあります。

しかし、検査後の帰り道、「検査でつかった瞳孔拡散薬がしばらく残ります」と聞いてはいたけれど、外がまぶしいのなんのって・・・・
車で検査しに来ないでくれという意味が実によく分かる。

目を細めながら歩く横断歩道の白線がこんなにまぶしい物だったとは・・・

夜行性動物になった気分の僕でした (^^)       「黄金バ~ット!」 ドコ、ドコ、 どこから来るのか 「黄金バ~ット!」 フンフン


レーシック

2010年06月08日 | Weblog
5月12日の日記にも書いたのですが、この間購入した眼鏡の違和感がどうしても取れず、

「どうしょうか?」 (ーー;)

と考えていたのですが、

とりあえず眼鏡屋の本社に連絡したところ、非常に気持ちの良い対応をいただきました。

今まで使ってきた眼鏡はもちろんここで買った物で、軽くてレンズも明るく、フレームも3年使ってびくともせず、非常に満足度は高かったわけですが、合わないのではどうすることもできない。

数日使用しても吐き気が出てしまうほどで、快く2度造り直してくれたにも関わらず全く駄目で、困ったのは依然と全く同じレンズに全く同じ度数、言うなればまったく同じ物なのに使えないと言うこと。

ここはHOYAのレンズを使用していることから、品質の問題もないし・・・・

自分の目にほとほと嫌気がさします。

結局返金となり(本当にここの対応には感謝しています)、そのお金握って他に安い眼鏡屋さんは?合う眼鏡はないか?と、近隣にある店に足を運ぶも、
自分みたいな度数だとレンズが薄型となって、しかも一昔前?の金属フルフレームだと値段が高い。

なんだかんだと、危なそーな店?で1万5千円くらい、少しまともなところだと2万5千円はするし、貧乏な僕に取っては結構痛い出費。


日常生活で手放せない物で有る以上、買わないわけには行かないし   (@@”) おおおおお・・・・・財布と頭が痛い!


そんなわけで、眼鏡探してフラフラネット検索なんかしていたわけですが、たまたま、レーシックのところへ目がいった。

???と興味を持ち値段等を調べていると自分が想像していたより遙かに安く、これで眼鏡とさらば出来るのなら惜しくない。

数日考えて、さらに詳しく調べると生命保険が使える可能性のあることが解った、


(・・9>  ピポパ! トゥルルルルr・・・・

僕「もしもし、レーシックに保険使えますか?」 

保険屋さん「ハイ!大丈夫です!」


「オオー!」 と思わずのけぞって感激する僕。

保険屋と言えば、乱暴な僕が骨折してお世話になるくらいの存在としてしか捕らえていなかったが、こんな事もあるのですねー!


かなりの保険を期間かけていたことや内容が以前の契約だったこともあるのだと思いますが、思っていたより出る。


「こりゃ~ めがね なんかかけている場合じゃね~だろ!」  (^^)b ピッ!

な~んて一人で興奮しながらさらに調べ、その勢いで思わず電話してレーシック手術のための検査予約をしてしまいました。

僕の場合、マリンスポーツが趣味ですが、手術を受けると最低一月は乗れない。 ヨットもウインドサーフィンも風が吹かなきゃやらないので、
手術を受けるなら梅雨に入る直前の今受ければ梅雨明け頃には

眼鏡のない世界になれるはず。    多分です (^^;)

思えば小学校の頃には1.5から下手すると2.0近い視力があったのに、高校生になる頃は0.7がやっと、就職して学習時間が増える度に
視力低下を続け、今では0.1もない。

ウインドサーフィンは眼鏡なんかかけて乗っていられない危険なスポーツですから、いつもボーっとした世界を走っているわけだけど、

今年の夏はクリアな視界で楽しめるだろうか?なんて思うわけですが、いかがなものだろうか?


思い立ったら吉日、本日検査を受けてきま~す!



検査の結果不適となって落ち込んで帰ってきたりして・・・・ (・・;)う~む





モーターサイクルと僕

2010年06月03日 | 僕という人間 その他
今日は一寸つまらない話かもしれませんが、僕とバイクの歴史。

自分がバイクと触れ合うようになったのは普通より遅い18歳になってからです、16から免許は取れるが、興味の無かった僕はその年齢まで乗らなかった。

まあ、家が貧乏だった事も有り、春休みや冬休みにアルバイトして貯められるお金ではそれが限界だった事もある。

就職に際して本当に必要なのは車の免許だが、そんな贅沢を親に言うことはできませんでした。

初めて自分のバイクを手にしたのは、就職して間もない頃で、当時としては高価だったGL400というHONDA、それを3年に渡って乗り続けた。


家内ともっぱら出かけたのは車ではなくこれで、でかくて重いバイクだったけど、故障もなく走り続けてくれた。

車の免許は割とすぐに取ったのだけれど、それでもバイクに乗り続けたのは、そこに外界と閉ざされた空間しか無い乗り物と、感覚の乗り物との違いを強く感じていたからかもしれない。

以降、そのバイクからハーレーのFXS1340に換え、途中から子供を乗せられるサイドカー仕様に変更してもらい、多くの思い出をもたらしてくれた訳だけど。

このバイクは一度走行すると必ずどこかが壊れる、記憶に残っているので一番笑えるのが、走行中にバッテリーが落下したことだ。

普通、日本車はバッテリーがシート下に収納されるようになっているのだけど、ハーレーは車体サイドに取り付けられていて、取り付けの鉄製ベルトが振動で緩んで走っている途中で落下したという物。 

後ろに乗っていた家内が「何か落ちているよ」(^^)ニコニコ

と暢気。 しかしそれを見た僕は大慌て   (@@)ゲゲ!

、これは今でも笑い話のねたになる。

他にはエンジン内部のバルブステムが摩耗してオイル下がりがひどくなり、最後には蒸気機関車みたいに信号で 「シュッポ シュッポ」、ツーリングは常に1QT(約1L)のオイルを持って行き、
向こうでオイルを足して帰ってくるなんてこともあった。

最悪だったのは、真冬に出かけた先であまりの寒さにバッテリーが弱り、スターターピニオンがアウト(元々設計上の欠陥品)。

1時間もキックレバーを踏み降ろしたなんて事もあった。

まあ、その頃にはエンジンのオーバーホールが平然とできる技術力にはなっていたので、困りはしなかったけど、設計上も部品も粗悪だったことから、直したところがすぐに壊れるなんてのが普通で、
何より部品一つに万単位の出費が何より痛い。

やがて子供も成長し、故障ばかりの乗り物では出かけられないし、当然のごとくカバーをかけたままの時間が多くなった。

ついには下の子を授かるにいたり、駐車場の片隅で眠ることになる。

その少し前には職が変わってスーツを着て銀行や裁判所、法務局なんかに始終行く事が多く、さびが浮き始めた車体を見ていられ無くなり泣く泣く手放すことに。


全く乗らないまま朽ちていくより、可愛がってくれる人にゆだねたかったからだ。


その後数年は車だけの生活、ところが人の醜い面ばかりを見続けねばならないという、くだらない仕事に嫌気が差し始め、切れて今の職へ転向したことから再びバイクとのつきあいが始まった。

本当は再びVツインエンジンが欲しかったけど、すでに子供が成長して維持費がかかるのは許されなかったし、何より、早朝からあの爆音はあまりにもまずい。

そこで、当時”不人気”で有名だったFJ1200に目がいき、これがUK(キングダム仕様)の135PS、好きな空冷だったこともあり購入。

約10年という月日をこれと過ごしました。


さすがにおんぼろとなり、たまたま同型の色違いを中古破格値(なんたって不人気~! フンフン♪)で購入、しかしこれは一月もしないうちにお釈迦~! (^^;)初心者のパニックブレーキに巻き込まれた・・・

そして最後は、いま乗っている150PSのボロZXR1100(ZZr1100)となる。


非常に乗りやすくて良いバイクだけれども、冬の朝に起きるアイシングだけはかなりのストレスになる。

次は175PS出る隼1300かKAWASAKIのZZR1400が欲しいけど、これからまだ下の子にお金かかるしな~ (^^)えへへ