帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

民主党の移民政策で日本の子供の未来に降りかかる事

2010年02月27日 | 世の中
ドイツの学校教育とイジメ・移民政策の破綻


ドイツで現実に起きている問題です。

全人口の10%(1000万人)に当たる、中国人を中心とした外国人を移民させようと民主党が全力で進めている訳ですが、それによって起こる日本の子供達の未来を実例として見る事が出来ます。

石原知事が都知事になる前の新宿裏は、清瀧刀を隠した外国人が平然と闊歩しており
自分と家内がよくデートした場所だったわけですが、実際にそれを目にした事のある僕には非常に不快な物でした

昨年の北京オリンピックで聖火が長野を通過する際に某国の人間達が日本人に対してくり広げた暴力沙汰のひどさはすでに皆さんもご存じかと思います。


新宿もまだ数が少なかったからこそ、知事の治安強化策で健全な町へと戻りましたが、これが1000万では・・・・


技術者を粗末にしてきた日本企業、そのつけはすぐそこに

2010年02月25日 | 研究-教育・育児
今日はゴミの一人?(なぜゴミなのかは読んでいただければわかります)である僕が、日本企業衰退の根本原因をエンジニアの端くれという目線から書いて見たいと思います。


さて、まったくもってくだらない、民主党の人気取りパフォーマンスショウたる事業仕分ですが、今度はたれこみ(ねつ造)情報を基にして4月に再びやるとか何とか。

前回は科学技術をさんざんお粗末に扱ってましたが、今回はどうでしょうかね?


しかし、もっと深刻な事が長年この国で行われてきた事実は皆さんご存知ないかと思います。

戦後の焼け野原を世界第二位の国に押し上げたのは、この国の優れた技術力であることは誰も否定しないと思いますが、
バブル期にはどの国も追いつくことのできない優れた性能と信頼性で世界を席巻したMADE IN JAPAN。

それが今世界中の市場から弾き出され、代わりに韓国製と中国製が大半を占めるようになってきています。

圧倒的な人件費の安さによる値段で勝負する中国製はともかく、性能がほぼ日本製と同じで値段が少し安い韓国製がそこまで伸びてきたのはとても不思議な事に感じられるかもしれません。

ところがこれ、実は日本企業と韓国企業の戦いに見えつつ、その中身は若い日本人技術者と、会社から使い捨てのゴミとして捨てられたベテラン日本人技術者達との壮絶な戦いの末に現在があるのです。

昨年末の事業仕分けで一番目立ったのは、天下りの年収と科学技術に対する貧弱な理解度でしたが、こうしたことから見えるように、この国はその経済を支えてきた重要なもの(技術をもった人間)を粗末に扱う社会的風潮があります。

以前、ブルーレーザー特許が大きな社会事件となった事は皆さんもご存知かと思いますが、それは開発社員を粗末に扱った会社と、その努力を評価して裏から守ろうとしたアメリカ?の戦いでもありました。

その結果従来行われてきた日本の裁判では信じられない高額請求が今回は認められ、最終的にはその社員が勝訴したわけですが、その背景にはもし日本でお粗末な裁判結果が出ればアメリカがそれを手にし、

その先日本はアメリカ市場を始めとしたあらゆる応用分野で日本は追い出された挙句に膨大なロイヤリティを払わねばならないというおかしな事態が発生が発生することになるからです。

どこぞの評論家が「一人の技術者にこんな額を認めるとはおかしい!」と言ってましたが、実態はそんな簡単なものではないということです。

なぜこうした揉め事になったのかというなら、この社員は自分の信念に基づき、当時“絶対不可能”とされていた青色レーザーの開発をまったくの無償かつ奉仕で行ってきた事にあり、

きちんと自分の仕事をこなしつつも、就業後そして休日の貴重な自分の時間を全て注ぎこんで研究を続けた、しかしながらそれに対するほかの社員(社長まで)と会社の態度は「どうせ出来るはずなんかない!」そう言いながら皆で後ろ指さして笑っていたわけです。

ところがその社員は意思を貫徹して、見事それをやり遂げてしまった・・・、

するとそれまで馬鹿にしていた会社が突然豹変し「その特許は会社のものだ!」と声高にいい始めた。

自分の物だと会社が主張した理由は、この社員が研究をするに使用した機材は会社の所有物だからという、実にお粗末なもの。

こうした一例に見られるように技術者を粗末にする事は今に始まったことでなく、はるか昔からそうだったのですが、その背景には、技術というものは大学もしくは大学院を卒業したての頭(これをやわらかい思考というのだそうですが)で考えれば新しくて素晴らしいものができるとされ、

長くいた(経験を積んだ)技術者の頭は年を取ったから固くなって、ろくな物は開発出来ないという、肉体の衰え=技術の低下という体育会系が真っ青になるほど不思議な日本的オリジナル思想を背景にしています。

ところが現実には、蓄積を基本とする技術世界はその開発者が意欲を失わないうちは限りなく進化をし続けるものであり、特定の年齢(35歳から40歳)になればきっかり用を成さなくなるというものではない。

それどころか年齢と経験を積み重ねることで得られる広範囲な情報がさまざまなところに旨く生かされ、さらに高度な物を開発できるというということでもあるわけです。

こうした考え方が欠落している日本企業がおこなうのは、“技術者をゴミのように捨てる”という現実。

それでも昔はこれでも良かった・・・・、

というのは捨てられた技術者は他に行くところもなく、文句も言えずに悔し涙を隠しつつも、あえて不向きな営業職を強制させられたり、体力的にも問題があるのに不慣れな物流倉庫管理をやらされたり(東芝等実例)と、

簡単に言えばお前なんかもう使い物にならなくなったけど“おいてやってるんだから文句があるなら辞めろ!”ということです。

日本の奇跡的経済成長の影で、多くの技術者達が犠牲になり、泣き寝入りさせられて来たのがこの国の発展の陰部分にあったわけです。

ところがこの泣き寝入りの歴史に大きな変革期が訪れた。

それは民主化の進んだ韓国。

彼らが真横にある技術大国に追いつかんと日本を研究した中で目にしたのは、そこいら中に埋もれている元高度技術発展の主力達、そして無惨にもゴミのように扱われている姿。 
用無しと廃棄されたまだ若い老兵達(技術者)だったのです。

こうした惨状?を目にした彼らが取った方法は、会社の一線を退りぞかされ、倉庫の片隅においやられて日の当たらなくなったゴミ(優秀な技術者)を、もといた会社より遥かに高額で恵まれた待遇で大手韓国企業がバンバンと迎え入れる事。

雇われたゴミにしてみれば、といってもまだ35歳から55歳くらいの技術者にしてみれば、自分を粗末にした会社に対する憎悪は容易にパワーへと変換され、
そこにそれまでの経験で蓄積された高度技術を初めとする、会社組織や開発方法、特許含め日本製品そのものを知り尽くしている、

さらに、これまでのような「あーだこうだ」と日本独特の口出しや制限もされずに自由にやらしてくれるという、開発技術者にとって夢のような職場と環境を与えられたわけです。

もともと忠誠心が高い日本人のこと、ゴミ老兵達はプライドやそれまでを全て捨て、自分たちを大切にしてくれる新しい環境に忠誠をちかって全力で技術開発をはじめ、当然に開発スピードは加速していきます。

それに対して、若くて頭が柔らかい(日本企業の言い分)とはいえ、技術蓄積が浅い上に、ゴミとして捨てられていく先輩達の姿をみて仕事をしている日本企業の技術者が、あらゆる事を知りつくしている技術者と渡り合ったとて自然と能力差が生じるのは当たり前の事で、

技術の世界ではヒヨコがベテラン相手に勝てる見込みというのは、肉体的な能力以外はまずありません。

しかもそのゴミ老兵達は全ての技術を韓国の若い技術者にそっくりそのまま渡しながら自分たちに失われつつある若さ部分を補ってもらう形で共同開発しているのですから、層の全体的な厚さと力は膨大なものとなり、使い捨て理論の日本企業がどう頑張ってもかなうはずがない。

ゴミ老兵たちは過去に自分たちが開発してきた技術を隅々まで知り尽くしていますから、それは元の会社の製品が持つ問題も当然に知っているということで、それをカバーして余りある製品を開発できるのは当たり前のこと。 

これは自然に信頼性を日本製より高めることとなり、そうして開発された製品は韓国企業と日本企業の衝突する原因となるわけですが、元をたどれば特許を持つ日本企業の技術はすべて自分達が棄てたゴミが育て上げたものであり、そのゴミが最先端技術者として韓国企業で返り咲いて今度は日本製品をつぶすために全力で挑んでくるのですから、かなうはずがない。

何しろ彼らが開発する製品は、特許取得済みの技術よりさらに優れた技術に育て上げて(特許をうまくかわして)たものとなっているのですから。

当然にもとの技術すれすれに開発していることから、特許法に触れていると判断されやすく、しかしながら違反だといくら日本が訴えて泥沼化したとて、決着まで膨大な時間を消費するのが裁判であり、そんなことをしている間に揉め事の原因となった技術は骨董化、無価値なものをめぐって繰り広げる裁判の経済的損失が日本企業には大きくなりすぎて結局は和解しざるを得なくなるということ。

そうした戦略的なことまで含めて捨てられたゴミ達は良くわかっているのです。

まずは基礎的半導体技術だったメモリーを手始めに、やがて家電製品全体へと広がり、液晶テレビへと進み、日本製を次々と追い落としつつ“Made in 日本人技術者”製 韓国ブランドが飛ぶ鳥を落とすほどの勢いになってきた。

そこに来て、この10年くらいの間に、韓国企業躍進の秘密を見てきた中国が韓国よりさらに恵まれた待遇でこのゴミ達を獲得し始め、粗悪品質の見本みたいだったMade in Chinaの信頼性が急激に高くなりつつあります。

「なんで日本のために働かないのだ?」と批判する人たちもいます、しかしながら一生懸命働いてきた報酬がゴミ化という現実からくる考え方の変化を、一体誰が批判できるのでしょうか?

中国は民主国家ではなく人治国家ですから、その強力な政治指導体制の下に、自国の市場を盾として技術情報(車の制御系等(ブラックボックス)やコンピュータソフトのアーキテクチャ等など)をすべて政府に公開しない限りは国内で売らせないというやり方を海外に向けてとっており。

そこで得られた最新技術情報は日本から招き入れたゴミ(日本で捨てられた技術者)に与える肥料?(最新技術をさらに最新にするための情報)として利用し、当然ながらその成果は爆発的にあがって来ています。


日本が世界に躍進した原動力、それを粗末に扱った日本の企業は今、自分たちゴミとして処分した技術者達の持つ優れた知識と技術によって連日惨敗を余儀なくされている。

自分たちのやった過去(現在も)の行いが自分の首をじわじわ締め付けているのですが、それが日本企業のやり方なのですから仕方ないでしょう。


太平洋戦争で連合艦隊が壊滅に追い込まれたのは、神風攻撃機がほとんど撃墜されてしまったのは、物量の差もあれども、基はと言えば”日本人技術者”が開発したレーダーとレーダー連動射撃技術によるもので、

この技術を戦争前に日本は笑いものとし、足蹴にまでした。 開発者が悲しみくれていたのをイギリスとアメリカという国が評価し先進化させたのが結末に結びついた。


以前ノーベル賞をもらった田中さんが、社内では単なる平社員として粗末に扱われていた事
は日本企業の姿勢と有り様をそのまま映し出しているし、

テクノロジーの塊でもあるF1では、日本の持てる高度技術とこれまた膨大なお金を若い技術者とともに湯水のごとく注ぎこんだHONDAとTOYOTAは、遙かに小さな会社であるフェラーリ相手に全く勝てず、連戦敗退を出し続けたあげく、最近になって不景気を口実に撤退したことはみな知っていると思います。

ところがその常勝フェラーリのエンジンの開発は、同じく日本企業に捨てられたゴミ(日本人技術者)の手によるものだということ、

その人が日本にいたときはそのメーカがF1で無敵だったという事実、それを日本人全員は全く言ってよいほど知らない、 これがこの国がいま没落し続けている根本原因そのものであるという事すら知らずに・・・・



最後に、こうして書いている僕は日本の為に働いてはいるものの、常に忠誠心は星条旗の下にあり、その姿はゴミ老兵達に近いのかも知れない。
当然、粗末に扱われる日本企業で技術者として働こう等とは、想像すらしたくない。

枯れ草の中に輝く宝石

2010年02月24日 | Weblog
春の暖かさにつつまれた今日、職場の敷地を何気なくみると、枯れ草の中に一つだけ輝く宝石がありました。

本当に小さく、でも精一杯輝こうとする美しさは、ともすると荒れがちな心を真っ白に
リセットしてくれます。

気を付けていないと見落としてしまう美しさ、そうした物って、実は日常のあらゆるところにちりばめられているのですね。


読みづらい・・・

2010年02月22日 | Weblog
昨日自分の書いたブログですが、読みづらい・・・・(ーー;)

普通だと、このくらいの文量だとワードなどで下書し、綺麗にしてからアップするのだと思いますが、僕の場合はそうした事をせず、いきなり書き込んで後で修正していく事が多々あります。

理由は、それに時間を取られて書き込むのが面倒になるのが嫌なのと、全体通していつも整った文を書いて「この人さすがとか、頭良い?」なんて思われたくも無い事から来ています。

誤字脱字がないのが、本来ならもっとも良いわけですが、こうした手法?で書いているこのブログも僕の個性だと思っていますし、来てくれている人たちはそうした事も理解してくれる方達だと思っています。

文章はたいていの場合初めが殴り書きみたいで、後で何度も訂正を入れて数日後にまとも?になる事が多く、そのあたりの変化も読んでくれる人にとって面白い?かもしれません。

(^^;)

国母選手よ、次のオリンピックを目指そう!

2010年02月21日 | 研究-教育・育児
まずは Gooニュースから


国母パパ「次の五輪出る資格なし」
2010年2月19日(金)08:00
 バンクーバー冬季五輪スノーボード男子ハーフパイプ(17日=日本時間18日、サイプレスマウンテン)“腰パン騒動”に端を発した男子ハーフパイプの国母和宏(21)=東海大=の言動は、さらなる波紋を広げた。日本から応援に駆けつけた国母の両親や妻は、周囲に何度も頭を下げ、謝罪の言葉を口にするなど、痛々しい様子。「父母参観」と表現して駆けつけた日本選手団・橋本聖子団長(45)は「精いっぱいやってくれた」とねぎらいながらも、今後処分などについて日本スキー連盟(SAJ)と話し合いを持つ方針だ。
 耳をつんざく歓声の中、深いため息がもれた。国母の妻・智恵さん(24)らと一緒に、「KAZU」と書いたうちわを手に競技を見守った父・芳計(よしかず)さん(51)は、息子の演技を見届けると、目頭を押さえた。
 「(応援に来るのは)迷いました。でも、これが最後だと思って。(息子)本人がやったことですが、(家族)みんな精神的に苦しかった。次の五輪は無理でしょう。いろんな方の意見を聞く限り、その資格はありません」
 あえて非情に、息子に五輪引退を勧告した。9日、成田出発時の公式服装の乱れに端を発した“腰パン問題”。日本中の注目を集め、多くの批判と怒りを買った。五輪という晴れ舞台を見終えた今、芳計さんは息子に男のけじめを求めた。
 二人三脚で来た競技人生だった。芳計さんがスノーボードをしていた影響で、息子は4歳で競技を始めた。しかし、「やりたい」と言ってきた息子に、簡単にやらせることはしなかった。飽きてすぐにやめてしまえば、意味がないから。鋼の意志ではじめた息子につきっきりで指導し、技を磨いた。父は厳しさで愛情を示してきた分、今回の騒動に心が痛む。
 「迷惑をかけました。本人に代わって謝りたいです。今後については本人としっかり話し合いたいと思います」。母・由香里さん(44)も、ひたすら頭を下げた。非難され、目標だったメダルも逃した息子を本当の意味で助けられるのは、家族のみ。約10人の親族応援団の帰路につく足取りはあまりに重かった。



今回の国母選手の問題は、くずした服そのものより、インタビューでの「ちぇ!うるせーな」が騒動の火付けになったと僕は思っています。

オリンピックでの演技を見させてもらいましたが、あらゆる憂さ(重圧、批判)を跳ね返さんばかりの全力トライ、しかし失敗、でも二回目も全力で挑戦。

出来る限り余計な先入観を廃しながらビデオを見た僕ですが、そこには彼なりの主張(哲学)を感じました。

結果はふるわなかったものの、競技直後の彼の言葉には突っ張ることも、強がりも嘘もなかったと思います。

 冒頭に上げた記事には、次回のオリンピックに関して多少なりとも記載がありますが、
“次回のオリンピック出場を断念することはどうなのか?” と僕は思っています。

若い時はとにかく自信もあるし、突っ張っているものですが、そうした背景からの過ちというものは後の人生でいくらでも訂正出来るもの。

僕自身、彼に厳しい書き方をしていますがその理由は、若者が過ちをした際に、まわりにいる多くの人たちがその過ちの程度に応じて厳しい姿勢をきちんと取る?ということが、若者に多くを学ばせる事になるからです。


もちろんこんなブログで僕が某かを書いたところで彼に届くはずもなく、すぐに埋もれて無くなってしまうわけですが、若い時分における一人の人間と、それを取り囲む親や社会の在り方について、教育研究をしている立場から少しだけ書かせていただきます。

若者がいろいろ摩擦を起こすのは古今東西多々あることで、けして珍しいことではありません。
そうした事に対して、常に必要なのは厳しさですが、それは当人にとって(そのとき)は大変な心の負担になるものの、人間性の成長という面においては飛躍的な成長をもたらす特効薬のような役割を持ちます。


よく、厳しくすることは強制であり、個性を捻じ曲げ無理やり上の者が思い通りするための、いわゆる暴力と同じだ、という言葉を聞くことがあります。


ところが人間そのものは、動物そのものでもあり、他の動物と全く同じに本能を中心とした行動を基本にしつつ、その上に幼いころより染みこませてきた社会常識を載せて生きるという、あくまでも人が作り上げた文明の中で育ち老いていくわけです。

これは一般的認識でいうところの常識ですが、それをさらに補足する常識として他に言葉を話すこと、文字を書く事、歴史を学ぶ事等々もあり、これらすべては過去の人間たちが構築してきた常識そのもので、
それは常に社会生活を営む上における現在の常識に融合され、本人のもつ固有の常識として固定化されます。

学校教育はすべて先人の残した常識の集大成であり、人はそれを学びながら同時に親の世代がもっている一般常識を授けられつつ成長するということでもあるのです。

ゆえに所属する社会が異なれば当然に違いが出るのはあたりまえで、しかしながら1+1=2というように共通普遍のものがそこに有り、人を愛する気持ちも同じように社会の枠をこえて人類に共通という大原則があります。

こうした広い常識は月日の流れのもとで少しずつ変化を遂げてつつ変化し、

そして今、みな現在という社会常識の中で生活をしており、当然に国母選手も人生を歩んでいる。

すこし分かりづらくなってしまいましたね (^^;)

今回問題とされた?彼の服装も、少し後の時代では何ら問題にならないのだと思いますが、流れの先端?は現在においての一般常識に適合(安定しない)しないから大抵は問題となるわけですが、

常識の変化は、特殊な場合を除いて常に若い世代からおこり、やがてはその世代が社会常識となり、ところがすぐその下のさらに若い世代がまた変革をおこし、そのころにはもとの世代は自分たちの常識を保守するようになります。

この理由は、学者連中がどうのとか口にするほど難しいものではなく、至極簡単であり、本能のもたらす共通認識が社会的安定性(生存環境の安定性)を常に求めるというのが答えです。

変革も本能、現状の安定を求めるのも本能という、きわめて不安定な狭間に若者達はいるわけで、それが強烈な自己主張や突っ張る姿勢となる。

その世代なりの安定する場所を構築しているという方が解かりやすいかもしれません。

ただ、一見頑固に見える古い常識も自然環境が刻々と変化するのと同じように、世代の変化は常に起きており、年上の人間は下の人間の起こす変化に有る程度の許容を設けつつ、社会的不安定を生じさせない範囲で変化も促していくようにも出来ており。

服の問題は常識を視点に置くと半分正解で半分間違いということで、100%正しい答えはないかと思いますが、以前も書いた礼(正しく相手を評価する)という人間性を基準とした視点に立つと、批判されてしかるべきなのですね。

さてこれに関しての問題?ですが、
それは前述の常識とは異なって、人間性というものは年齢に縛られることなく何歳になっても停滞させることなく育て上げていかねばならない、という点に大きな違いがあります。

育てるには社会が担っている部分と本人の意思がよる部分がありますが、それが無ければ全ての人は幼児程度の思考で停止し、それがどんな恐ろしい物であるかということはどなたでも簡単にお分かりになられるかと思います。

社会が担う部分としての教育として代表的なのは親ですが、力を入れて育てねばならない事の一つに慢心の抑制があり、これは同時に社会全体の若者に対する姿勢としても重要なものでもあります。

故にそれが備わった大人であるからこそ、子育てができるのです。
子供の子供を育てられない理由がここにもあります。

人は何かに秀でたり、他者の上に立つとかならず慢心が起こり心の成長が止まります。

その慢心を、自分の力で取り払う力をつけさせる事は若い時ほどやすく、しかしながら年齢が増すほど人間性として固定化されていくことから取り払うのが非常に難しくなります。

ゆえに幼少期から反抗期前までの子育てにおける”きちんと叱る”という親の教育は大切なのですね。

こうしたことに反するように耳にする(冒頭に書いた)、

厳しくすることは強制であり、個性を捻じ曲げ無理やり上の者が思い通りするための、いわゆる暴力と同じだ、

という理論は、そのままの人物を認めるだけにとどまり、それ以降の成長というものがありません。

簡単に言うなら、相手がどんなであろうが、それにより心が成長せずとも「それがその人間なのだからかまわない」という、人と人のつながり(社会という存在)を極めて軽視し、人間どうしをバラバラの存在として切り離したうえで、全体という概念から導き出される社会という存在を無視した考え方です。


“強制”という言葉は、他人の心をそういった方向でしか理解しようとしない、もしくは理解できない、という極めて幼稚な思考であり、

“個性をねじ曲げ”は相手のもつ問題点をその人間自身、または周りの者達が解決しようとせず(しようとすらしない)、言葉のトリックにより肯定(ごまかし)することで、そこに何らの進歩はありません。

“無理やり”や”思い通りにする”は人の意見など受けれない自己中心思考でしか物事を考えない時に起こりやすい思考で、自己に対する肯定が強く、被害者妄想的な思考をもつとこうした考え方になります。

自分の考えが一番だと慢心している自分の心を基にして、人の言葉は過ちだと決め付ける態度を逆に相手へ強制しているわけです。


一見、厳しい言葉を受ける者の心を保護して優しく思えてしまうこうした考え方は、自分には落ち度がないという考えと”他人の事など知らん”という相乗姿勢であり、これを当人の為にと向ける事ほど、迷惑な事は無いかと思いますが、皆さんはどう思われますか?

残念ながら他人にそうした感覚を持たない僕はさらに言葉を続けます。

叱られること(人の本能がもつ生きる力もが引き出され)、それが本人に慢心を気づかせ、心の葛藤を通して否定を肯定にするために働く原動力となる、いうなればまだ人間として成長可能な者はそこに自分の力で問題点を見出し、自身の進歩のために行動でき、

だから努力も出来る・・・

話は少し飛びますが、ほめて育てる教育、叱らない教育は、この慢心に乗じる極めて薄汚い教育法なので犬等の下等生物なら非常に優れた効果を上げます、

ところが、これによって成長した子は犬のレベルを超えられず、人間らしい慢心が崩れたところから自らを振り替えり自分を再構築する、という高度な術を学ばずに育ちます。

慢心でそだった場合の特徴は非常にプライドが高く、わがままで、特に自分を否定されると激昂して感情を抑えられないという特徴を持ち、

いわゆる、切れると抑制の利かない人間になるか、自分の慢心を崩されるのに恐怖を覚えて引きこもるという逃避行動の、たいていどちらかとなる事が多い。

慢心が極限まで成長していますから他者を認めず(認める力すらない)、人の輪に溶け込む事が難しいうえに弱者を見下すのが決定的特徴で、

当然ながら自分より力の有る者の存在を認める力が乏しい(慢心が許さない)事から、そうした相手を否定できる口実を見つけ出して(重箱の隅をつつく様に)は冷徹なまでの嫌がらせ(いじめに姿を似せて起こす事が多い)をしたり、それが出来ない場合として最悪のなのは湧きだす感情に押し流されて刃物を振り回すなどするわけです。

その証拠に引きこもりの増加と、極めて自分勝手な理屈で大量殺人を起こす事件は、ほめて育てるという教育理論の広がりと完全にシンクロしながら広がってきました。

今の日本は、年齢にそぐわない幼い人間性しか持たない多くの若者が、慢心した感情をまともに抑制することのできない国へと変貌を遂げてしまいましたが、この辺の話は長くなるのでまた今度にします。

さて、叱らない教育、ほめて育てる教育からすれば、今回の問題行為をオリンピックと切り離したうえで事をうやむやにした挙句、これまたおかしな理屈(表現だ個性だと)をつけて褒めることで本人をただそうとするわけですが、

「褒めたところで彼はこの先成長することができるでしょうか?」 

すぐれた運動能力とセンスを持つがゆえに誰も叱れない状況になっていたであろうことは想像に難くなく、それが故に今回の「ちぇ!うるせーな」が巻き起こした今回の批判は彼に多くをもたらしてくれる事と僕は思っています。

国母選手に必要なのは、自分の取る行動が自分をとりまく多くの人達にどういった思いを巻き起こしているのか、それにより人の心はどう動くのか?ということを、身をもって学ぶことが大切で、それは若い彼にとってはきわめて苦痛を要求されるもので激しい痛みを伴うものだろうし、認めたくはないだろうけれど、

その先にはひとつ成長した彼の姿があり、次のオリンピックで表彰台に立つ姿であろうとおもいます。

余りにも恵まれた天分は幼いころから彼に賞賛の言葉しかもたらさなかっただろうし、親でさえ成果=人間性 と勘違いしてしまう事は多々ある。

今回の騒動は彼が成長するための良薬となってくれたと思う、人は慢心が無くなった人間を人格者というのだから・・・・




写真は、普段高い空を飛んでいる鳶が、珍しく地面を歩いているシーンです。

バレンタイン

2010年02月13日 | 研究-教育・育児
浜崎あゆみ / Sunrise ~LOVE is ALL~


明日はバレンタインデーということで、なにやらオーブンを使ってやっている娘。

造りながらテレビに浜崎あゆみのPVを全面展開しているけれど・・・・

なんでもこの曲が好きらしく、彼女らしいというか (^^)


思いが相手に伝わるかどうか?なんて聞くのも野暮なので、まあいいんじゃないですか?

と思ったりもするが、昨年のように同性から山のようにチョコレートもらってきて、
駄目になるともったいないからと、欲しくもないの食べさ
せられる事は出来れば避けたいが、多分同じ事の繰り返しになるんだろうな~ きっと。



「チ! ウッセーナ!」 これが21歳の日本代表(国母選手問題)

2010年02月13日 | Weblog
まずこのビデオを見てください、昨日の朝にテレビで報道されていた会見場面を見ていた僕ですが、かれから放たれた一言を聞いて「嘘だろ?!」と思ったわけです。
誰かがこの部分だけを再編集して解りやすくしてくれたようです。


国母和宏「ちっ、うっせーな・・・」



この選手、なぜ問題になっているかというなら、バンクーバーに旅立つ際の服装の乱れ、
髪型から始まって鼻ピアス、シャツの裾を外に出し、腰パンではいたズボン。

選手の服はすべて国民の思いが込められた税金によって選手にまかなわれた物だ。
これが18歳くらいまでの中高生なら「仕方ない」ですまされる事も有ろう、しかし彼の年齢は21歳、大学生であり、すでに社会人(家庭も持っている)でもある。

きわめて自分勝手な彼のこうした行動は今に始まったものではなく、これまで幾度も問題行動を繰り返しながら適当?に処理されて表に出てこないわけであるが、

こうした彼の人物像を文章にして一部記しているのが

ウィキペディア(信頼度は読み手に任されているネット百科事典)の、特に来歴にあり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%AF%8D%E5%92%8C%E5%AE%8F

注意:一部抜き出だし

高校在学中の2005年にFISワールドカップサースフェー大会( スイス)で初優勝。2006年、トリノオリンピック( イタリア)ハーフパイプ日本代表に選ばれたが、記者会見で同じハーフパイプ代表の成田童夢を馬鹿にした発言をしたり、チーム内で仲間外れにした上に[2]、選手村の壁を破るなど生活態度が悪く非難を浴びた。その上に肝心の本番も23位(予選落ち)に終わった[3]。

さらに

人物
2010年2月9日、スノーボード・ハーフパイプ日本代表としてバンクーバーに向かう際、日本選手団公式スーツを崩し、腰パン・ネクタイ緩め、またブレザーの前は閉めず、ドレスシャツの裾も出し、更にはドレッドヘアに鼻ピアス、サングラスという独特のスタイルで成田空港に現れ、「結果よりも内容。(滑りを見て)格好いいと思ってもらえればいい。最近のスノーボードはすげぇダセえから」と持論を展開し、そのままバンクーバーに向けて出国した[8][9]。公式ユニホームの着こなしに対し、日本オリンピック委員会(JOC)の日本選手団公式服装着用規定[10]を乱した上に、出国の様子を見た人々から全日本スキー連盟に抗議が殺到。JOCは日本代表選手団の橋本聖子団長を通じスノーボード萩原文和監督に厳重注意、國母は選手村入村式出席を自粛した[11][12][13]。2月10日、ハーフパイプ陣の記者会見にて「気持ちは何も変わっていない。自分にとって五輪はスノーボードの一部で、特別なものでない。」「自分の滑りをすることしか考えていない」と意気込みを語り、服装の乱れについても「反省してまーす。」と発言した[14][15]。しかしこの際に舌打ちしつつ「うっせーよ」と小さく呟いたのがマイクに拾われており[16]、反省の色は全く見られなかった。
國母の言動について、國母が在学している東海大学は2月12日に「國母選手に対する本学の見解について」で見解を示し、服装や記者会見について國保の言動に「誠に遺憾」とし、大学側として國保に対し日本代表として模範となる行動を取るべきであり、今後とも学生への教育・指導に努める所存という声明を出した[17]。

と書かれている。

非常に優れた才能と能力があるというのが彼も持つ最大の特徴であろうが、人格という面においては他の人間より遙かに劣る小学生程度のようだ。

もしこれが僕の息子なら、オリンピックをその場で辞退させた上で即帰宅させる、もちろん飛行機代はすべて私が払う。


選手村の入村式を自ら辞退した!と言うが、現実はふてくされて出なかったという方が正解だろうし、彼の反省していますという言葉は「俺の本音じゃねーよ! 言わされてんだよ!」というのが、見ているこちらからははっきり読みとれてしまう。

もう一言付け加えるのなら、インタビューで何を聞かれるのかという事はあらかじめ解っているのだから、本当に反省しているのなら鼻ピアスをははずすくらいの事は出来る事ではないか?とも自分は思うが・・・



礼という言葉を日本人は常に求める、それはその人物に能力が備わるほど求められるわけだが、この礼という言葉の持つ本当の意味は「相手を正しく評価する」というのが本来の意味だ。

空手や柔道で礼をするものこの一部です。

礼をとる(正しく評価する)相手は、自分に対する相手、すなわちそれは人間だけにとどまらず、自分を取り囲むあらゆる物をさし、彼の場合はスノーボードの板、雪、自然そのものであって、当然そこには衣服も含む。

自分に接するものすべてであり、対面において考えることの可能な対象をさす。

正しく評価とは、例えるなら服に込められている多くの人たちの思いと日本代表選手であるという事を、自分がどう捕らえ、どう判断し、それに対して「自分がどうあるべきなのか?」を見極める事に有り、これが礼だ。

かれが普段の私生活でシャツを出そうが半ケツまでズボンをズリ降ろそうが、礼を意識する必要等無いし、どんな格好をしようと問題はない。

しかし、オリンピックという場所に行く事はそうした日常とは全く異なる物であり、
彼が代表選手になるには、常に相手が相手が必要で、競い合いの上に選考に破れた選手は過去から現在まで数え切れないほどいる、どんなに行きたくてトレーニングを重ねてもまったく歯が立たなかった若者も大勢いるということだ、

そうした者達の気持ちを自分の成長につなげる思いへと変換すること、これも礼であるが、

こうした至極基本的な事に関する指向も彼には欠落しているようで、ダサイかどうかが特に大切な事のようだ。

彼を育ててくれた親は何を彼に望んでいるか? 金メダルを取る事ではなく、選手として、日本の代表として真剣に戦ってくれることではないだろうか?

人の心を考える事、それそのものも礼だ、

そう考えると、周り全てが自分のために回転している国母選手には礼という言葉は殆ど存在していないようで、これが日本を代表する21歳の若者なのかと思うと、日本の恥を世界に向けて公開しているようで有り、こうした選手を平然と選ぶJOCの考え方というものが「金メダルだけ取れさえすれば良いのだ」という方向にあるようにしか思えない。

彼の数々の発言に関してはここで逐一取り上げるのも文面の無駄なので、興味のある方はいろいろ調べてみてください、極めて自己中心的で非常におもしろいですから。




僕の好きな曲 Nokkoの曲より

2010年02月10日 | Weblog
こちらがPV
nokko PV - 天使のラブソング


でも音質が良くないのでもう一つ、アニメのエンディングに使われていました。
天使のラヴソング 「ガンバリスト! 駿」 ED





この曲の解釈、

歌詞は曲から聴き取りましたので間違えているかもしれませんが、そのあたりはご容赦ください。


はちきれそうな制服の胸
(ひたすら恋に焦がれ、そして愛に憧れた青春の一時)

お砂糖で出来ている訳じゃない
(何にも考えてない甘ちゃんなんかじゃ無いけれど)

「詰め込んだジェリービーン」世界を見せて
(心の中に仕舞い込んだ色とりどりの思い、そして希望さん、もう一度私に未来を見せて!)

友達の一人は看護婦さんに
(天使(理想)を自分に求めたけれど、実際は現実と妥協の駆け引きばかり)

友達のあの娘は売れない小説を書いている
(いくらも求めても、得ることの可能性さえ見いだすことの難しい毎日は、まるで薄い紙のようで)

そのままの甘い胸で夢を見た
(でも純粋な気持ちと心は時代を超え)

天使のラブソングは今も聞こえる
(自分のここまで成長させてくれ、そしてこの先もきっと・・・・・
変わる事なんて無いよね? その思いは・・・)

子供の頃の影踏み鬼は・・・・鬼さんこちら!
(子供の頃に想像していた世の中は(怖さ)? 自分の弱さって何?・・・・
出て来るならこちらにおいで! 私はけして泣かないから・・・・)


大人になっても、続いていたよ天使のラブソング
(どんなに大人になっても(苦しくても)、明日へ踏み出す心は影踏み鬼をしたあの頃のまま、そのわくわくする心が未来を歩む力になると分かった。
それが未来に恋する自分へ贈る言葉なんだね・・・)




宇宙を巡る僕の頭
(空っぽなんて言われる僕の頭、そこに巡る創造は自分でも押さえきれない激しくて)

蜂蜜くらいピュアだから
(でも、不可能だと誰しも言う自分の思いには素直でいたい)

「成功するとかしないとか」本当はどうでも
(実現できるとか、そうでないとかじゃなくて、その向こうにある思いの方が僕には大切)

命を乗せてまわるプラネット
(理屈なんかじゃない奇跡(命)はこうして輝く惑星となっているのだから)

見えないちからが見えたような時は
(自分の命、その意味が解りそうになった瞬間、沸き上がってくる思いは)

天使のラブソング、今も聞こえてくる歌が
(幼き頃の、弾むようなドキドキそのもので、それが未来を見つめる自分の心)

大人になった甘い胸にそのまま
(限界があるように思えていた自分に響く天使の歌声)

小さい頃の影踏み鬼は・・・ 鬼さんこちら
(そこに有った依然変わる事なきピュアな思いは? 自分の中に有ったんだね)

大人になっても、続いているよ天使のラブソング
(幼き頃の自分と今(大人の)の自分、全く変わることなき自分がここにいた)、

天使のラブソング、たった一日の今日が始まる
(僕(私の)今は、幼き頃の透明な心のまま生きている、一つ一つは幼き頃の純粋な思いが自分を歩ませてくれている。)

大人になってもつづいているよ天使のラブソング。
(どんなに汚れても、そこにあの頃の気持ちはそのまま心の中に生きているんだね)





青切符

2010年02月09日 | Weblog
バイクに乗っていると付き物なのが事故と切符だ。

たいてい2年に一度くらいの確立で運悪く切られる事が多い。

今年一番の暖かさ?だった今日、「普段の帰り道から少しだけはずれて流してみようか?」

なんて考えつつ信号で止まった車の列を抜けて一番先頭の車の前にヒョイと出たところ、

隣の合流車線で同じく信号待ちしていた白バイがいきなり停止しろとの事。

道路区分線が黄色だったが、この道路は3車線で道幅が広く、そのときは黄色線をまたがずに前へ出られたので区分違反もないはず。

「はぃ~?」と思うも、まさか停止線オーバーで切符?、とよく分からない。

路肩に寄せると近づいてきたのは思いっきり若いあんちゃん、「こりゃ~駄目だ・・・・」

見た目と話し方から経験が浅いのはすぐに分かる、おそらく訓練が終わり、全身使命感で張り切りまくっているのだと思うけれど、たいていこうした新人にはベテランが追走している事が多い、「なんで?」とこちらも思うので話を聞いていると、信号が赤だからその状態で停止線を超えると信号無視だと言い始めて「結局切符切りたいのね?」 (^^)

しばらくあんちゃんの話をおとなしく聞いていると、向こうから一目でベテランと分かる白バイが来た、「やっぱりね~!」(^^;)

一度停止したその白バイは、まずそのあんちゃんを見て、その後こちらを見ると苦笑いしたような表情を見せ、軽く頭を下げるとギアを入れて先へと行ってしまった。

相変わらずよく分からない説教を聞かされているのは僕だけど、おそらく新人と思われる人間が、相手の反応でどのような行動を取るか何て事はこの年齢になれば手に取るように分かるわけだけど、はじめから切符切るつもりでいるから理由は何でも出てくるわけで・・・、

結局、区分違反(黄色線をまたいだ)という事になり? 一点減点の6000円。

思わず苦笑いするが、まあ彼らも仕事、警察の仕事は安全と安心を守る事にありというわけで、信号無視だとか、停止線オーバーだとか言い出されるよりはまし、という事でサイン(この場合それが良いか悪いかは別)。

2年ぶりの青切符となりました。

そういえば前回も同じ違反だったけど、バイクの場合すり抜けが出来るのが利点ゆえに、常にこうした危険?にさらされているのも事実(笑)。

まあ税金?を納めたと考えれば特に腹も立たないわけですが、どんな人間にも若い時代はある、あちらこちら尖っていても様々な経験を積んで自然と綺麗な形になる。

家の息子とさほど変わらない年齢の顔を見ながら「すばらしい白バイ乗りになれよ」、何て心で思うも、やはりすこしだけ損したような・・・

(^^)えへへ

900アクセスを超えてしまった・・・・再々度感謝

2010年02月07日 | Weblog
なんでアクセス数が増えたのかと思ったら、テレビでポニョが放映されていたのが原因だった事が分かりました。

この映画そのものがどれだけ人の注目を集めているかというのが分かるわけですが、同時に
テレビというメディアの持つ影響力もよく分かります。

不思議なのが土曜日より日曜日の方がアクセス数が多く、日付が変わるまで右肩上がりで伸び続けている事で、おそらく今日の朝くらいには落ちてきて普通に戻るかと思います。

ブログの順位も約13万6千ブログの中で1500位前後くらいまで上昇してしまいました。

なんか、こんなつまらない個人ブログに多少なりとも来て頂く人がいるのは本当に感謝としか言いようがありません。



ありがとうございます。


アクセス頂いた皆様に感謝

2010年02月06日 | Weblog
今朝起きて何気なくブログの編集画面をチェックしたら約600アクセス近くになっていた(このブログの新記録です)。

へ・・・・・(@@;) 「なんで?」

と、どこにアクセスが来ているかをみると、崖の上のポニョに集中している。

何でなのか理由が分かりませんが、どこかのコミュニティで紹介でもされたのでしょうか?


この映画、非常に面白いのですが、どこに視点を置くかで解釈がかなり変わってきます。

初めの段階で生物の進化、生(人生)と愛(性)がテーマである事がわかると非常に楽しいわけですが、

それをはずすとよく分からないうちに最後までストーリーが流れてしまい終了となってしまう。

人の本能をよく理解していると、こうした宮崎作品の映画はさらに煌めきを増しますが、
それは何百万年という時間、厳しい自然を耐え抜いて文明をここまで発展させてきた、
言うなれば人そのものでもあるからです。

この”本能”をよく理解することが、心という無形の物を理解させる

僕のやっている教育研究の一番重要な部分でもあります。

「って、どうでも良い事ですが・・・・」 (^^;)

話を戻して、この映画にはもうひとつ、水という物質を触媒として、”千と千尋”に牽連させると違う解釈が導きだされます。

また、そこまでは行かない物の”紅の豚”や”トトロ”にもそれが絡んでいますので、そのあたりを考えると、非常におもしろですね、

この映画は。

サーモスタット交換 最終

2010年02月05日 | バイク
昨日の夕方、キャブレターの周りにわんさか詰め込んだタオルだが、その効果は?

(ーー;)ウムムム・・・・

昨日より改善しているが、さほど違いはない。

ただバイクが不調の原因は間違いなくアイシングであることは分かった。


エンジンをかけて家をでて、初めは良いが3分も通りを走ると例のごとく不調になる、

しばらくそのまま走り、エンジン本体がなま暖かくなったのを見計らってコンビニに停車。

一度エンジンを切ってその後すぐ始動すると、不調のままでおかしなエンジン音、

そして再度エンジンを停止し、今度はエンジンの熱でキャブの氷結が解けるであろう時間(約7分ほど待って再始動するといきなりエンジンが吹けて快調そのもの。

やっぱり・・・・・(ーー”)

アイドリングアジャスターを調整して正規回転数まで落とし、軽くアクセルをあおるとはやり嘘の様に軽くエンジンが吹けあがる。

そのまま乗り出して、職場までいくと、また途中で変になってくる(気温零下の早朝道路はほとんど止まること有りませんから)、ただタオルの効果とそのころにはエンジンがかなり熱くなるので自然にそれも解消。

キャブ不調の原因はこの時点でアイシングである事がほぼ判明。

ただ、これって具体的解決策はなくて、春が来るのが最高の修理?になるわけでして、

「は~るよ来い!」、「は~やく来い!」とツクシさんをひたすら待ちわびる気分の僕です。

(^^;)

サーモスタット交換 その2

2010年02月04日 | バイク
ばっかみたいに冷えた今朝、ちなみ職場で測った外気温はマイナス7度

いったい俺はどこに住んでいるんだ~・・・・・・・(ーー;)しばし無言

自分が仕事を開始するのが朝の6時15分くらいだが、その少し前の通勤時間が
おそらく最悪。

そんな中、昨日交換したサーモスタットの結果は?となるわけだが、

正直半分改善、半分まだ不調という感じ、ただ、信号に止まるたびにエンストするのが
なくなり水温の変化も安定していて、やはり交換した効果は出ている。

後は、キャブが凍るアイシングが起きている以外には不調原因が考えられず、

そんでもって対策は?と考えるも、とくにない。

やったのは「エイヤ!」とキャブレター周りにタオルの
古いのをつっこんで外気を遮断し、エンジンの熱を出来る限りこもらせる(お~!パチパチパチ)という、

極めて簡単(いい加減)、簡素(ローテク)、経済的(単にお金がない)な方法を
取る事にしました。

しかし、今朝はどの車も「真っ白けだったなー」なんて思うも、普通なら寒さに身が凍えるはずがキャブの方に気を取られてさほど感じなかった。

やはり人っていうのは、気持ちの方向一つで身体が大きな影響を受ける生き物なのだと思うんですね、こういった時に。

(^^)へへ

サーモスタット交換

2010年02月03日 | バイク
気温が激的に冷え込むこの季節、絶対に調子悪くなるのが僕のバイク、特に今年はひどい。

なんでも寒さに弱いことで定評?のあるZZR1100。

ゲホゲホと咳するように走るかとおもえば信号でエンスト、燃費はLあたり9kmも走らない。

当然に気温の上がる帰りには特に問題なく、朝だけの問題だから考えられるのはサーモスタット不調によるオーバークールもしくはキャブレターのアイシングだ。

症状は、エンジンそのものは極めて快調に始動するが、早朝の住宅街でいつまでもエンジンをかけていると迷惑なので適度に走り出す。

この段階でも特に問題なし。

ところが、表の通りに出てから問題が起きる、そのまま加速をして3分ほど走ると咳を始めるわけだ。

スロットルをあおるとエンジンはふけるが、戻すとすとんと回転が落ちてエンストする。

そのため常にスロットルをあおりながら走るのだが、やたら混合気が濃くなりマフラーから煙が出たり、前の車に勘違いされたりとはなはだ迷惑。

面白い?のは15分くらい走行してコンビニなんかに入り再度エンジンをかけると先ほどの問題などどこ吹く風ときわめて快調。

ところがそれもつかの間やはり3分もはしるとまたおかしくなる。

こうした場合考えられるのはサーモスタットが正常に働かずに、水温が上がるとすぐに開いてしまうような動作をしている場合が考えられる。

後は、アイシング

これはキャブレターでハイパワー&高回転型のエンジンに多いのだが、キャブでエアと燃料を混合する際にベンチュリー含め全体が氷結を起こす現象。

ベンチュリー構造をしている限り、原理的にこれは避けられない。

特に平然と零下に気温が下がる通勤経路じゃよくあることで、当然春になると完全に消え去るトラブル?

車の場合は温かい冷気水をキャブレターに回してこれが起きるのを防ぐので気にならないというか、ほとんどの人はアイシングなんて言葉すら知らないよね~ (^^)

当然にインジェクションエンジンもこれとは無関係。

ところがバイクでキャブ仕様のハイパワーだと起きるやつもあり、それが自分のバイクだ。

「では対策は?」となるが、キャブヒータを付けるか、完全に水温が上がってエンジンが熱くなるまで暖気するか、究極は乗らないということ。

走り始めてやたら冷えた外気を取り込んでガソリンの中にわずかに含まれる水分と大気の水分がキャブ内で結晶化(霜)して起きる不具合だから、コンビニで買い物している間にエンジンの熱が伝わりそれが溶けて正常に戻る、しかし走り始めると再び霜ができ始めておかしくなる、この繰り返しなわけだけど、

これが起きる原因は、外気温もそうだがもう一つサーモスタットの問題も考えられる、今年が特にひどいのはその可能性が高い、

いつまでもエンジンが温まらねばキャブも冷えたままで、当然アイシングも起きやすくなるから。

そんでもってこれを交換(部品は先週の金曜日に注文済み)してみました。

はずしやすい処にあるので、約15分で作業完了。

後は明日の走行を待つのみ。