まずこのビデオを見てください、昨日の朝にテレビで報道されていた会見場面を見ていた僕ですが、かれから放たれた一言を聞いて「嘘だろ?!」と思ったわけです。
誰かがこの部分だけを再編集して解りやすくしてくれたようです。
国母和宏「ちっ、うっせーな・・・」
この選手、なぜ問題になっているかというなら、バンクーバーに旅立つ際の服装の乱れ、
髪型から始まって鼻ピアス、シャツの裾を外に出し、腰パンではいたズボン。
選手の服はすべて国民の思いが込められた税金によって選手にまかなわれた物だ。
これが18歳くらいまでの中高生なら「仕方ない」ですまされる事も有ろう、しかし彼の年齢は21歳、大学生であり、すでに社会人(家庭も持っている)でもある。
きわめて自分勝手な彼のこうした行動は今に始まったものではなく、これまで幾度も問題行動を繰り返しながら適当?に処理されて表に出てこないわけであるが、
こうした彼の人物像を文章にして一部記しているのが
ウィキペディア(信頼度は読み手に任されているネット百科事典)の、特に来歴にあり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E6%AF%8D%E5%92%8C%E5%AE%8F
注意:一部抜き出だし
高校在学中の2005年にFISワールドカップサースフェー大会( スイス)で初優勝。2006年、トリノオリンピック( イタリア)ハーフパイプ日本代表に選ばれたが、記者会見で同じハーフパイプ代表の成田童夢を馬鹿にした発言をしたり、チーム内で仲間外れにした上に[2]、選手村の壁を破るなど生活態度が悪く非難を浴びた。その上に肝心の本番も23位(予選落ち)に終わった[3]。
さらに
人物
2010年2月9日、スノーボード・ハーフパイプ日本代表としてバンクーバーに向かう際、日本選手団公式スーツを崩し、腰パン・ネクタイ緩め、またブレザーの前は閉めず、ドレスシャツの裾も出し、更にはドレッドヘアに鼻ピアス、サングラスという独特のスタイルで成田空港に現れ、「結果よりも内容。(滑りを見て)格好いいと思ってもらえればいい。最近のスノーボードはすげぇダセえから」と持論を展開し、そのままバンクーバーに向けて出国した[8][9]。公式ユニホームの着こなしに対し、日本オリンピック委員会(JOC)の日本選手団公式服装着用規定[10]を乱した上に、出国の様子を見た人々から全日本スキー連盟に抗議が殺到。JOCは日本代表選手団の橋本聖子団長を通じスノーボード萩原文和監督に厳重注意、國母は選手村入村式出席を自粛した[11][12][13]。2月10日、ハーフパイプ陣の記者会見にて「気持ちは何も変わっていない。自分にとって五輪はスノーボードの一部で、特別なものでない。」「自分の滑りをすることしか考えていない」と意気込みを語り、服装の乱れについても「反省してまーす。」と発言した[14][15]。しかしこの際に舌打ちしつつ「うっせーよ」と小さく呟いたのがマイクに拾われており[16]、反省の色は全く見られなかった。
國母の言動について、國母が在学している東海大学は2月12日に「國母選手に対する本学の見解について」で見解を示し、服装や記者会見について國保の言動に「誠に遺憾」とし、大学側として國保に対し日本代表として模範となる行動を取るべきであり、今後とも学生への教育・指導に努める所存という声明を出した[17]。
と書かれている。
非常に優れた才能と能力があるというのが彼も持つ最大の特徴であろうが、人格という面においては他の人間より遙かに劣る小学生程度のようだ。
もしこれが僕の息子なら、オリンピックをその場で辞退させた上で即帰宅させる、もちろん飛行機代はすべて私が払う。
選手村の入村式を自ら辞退した!と言うが、現実はふてくされて出なかったという方が正解だろうし、彼の反省していますという言葉は「俺の本音じゃねーよ! 言わされてんだよ!」というのが、見ているこちらからははっきり読みとれてしまう。
もう一言付け加えるのなら、インタビューで何を聞かれるのかという事はあらかじめ解っているのだから、本当に反省しているのなら鼻ピアスをははずすくらいの事は出来る事ではないか?とも自分は思うが・・・
礼という言葉を日本人は常に求める、それはその人物に能力が備わるほど求められるわけだが、この礼という言葉の持つ本当の意味は「相手を正しく評価する」というのが本来の意味だ。
空手や柔道で礼をするものこの一部です。
礼をとる(正しく評価する)相手は、自分に対する相手、すなわちそれは人間だけにとどまらず、自分を取り囲むあらゆる物をさし、彼の場合はスノーボードの板、雪、自然そのものであって、当然そこには衣服も含む。
自分に接するものすべてであり、対面において考えることの可能な対象をさす。
正しく評価とは、例えるなら服に込められている多くの人たちの思いと日本代表選手であるという事を、自分がどう捕らえ、どう判断し、それに対して「自分がどうあるべきなのか?」を見極める事に有り、これが礼だ。
かれが普段の私生活でシャツを出そうが半ケツまでズボンをズリ降ろそうが、礼を意識する必要等無いし、どんな格好をしようと問題はない。
しかし、オリンピックという場所に行く事はそうした日常とは全く異なる物であり、
彼が代表選手になるには、常に相手が相手が必要で、競い合いの上に選考に破れた選手は過去から現在まで数え切れないほどいる、どんなに行きたくてトレーニングを重ねてもまったく歯が立たなかった若者も大勢いるということだ、
そうした者達の気持ちを自分の成長につなげる思いへと変換すること、これも礼であるが、
こうした至極基本的な事に関する指向も彼には欠落しているようで、ダサイかどうかが特に大切な事のようだ。
彼を育ててくれた親は何を彼に望んでいるか? 金メダルを取る事ではなく、選手として、日本の代表として真剣に戦ってくれることではないだろうか?
人の心を考える事、それそのものも礼だ、
そう考えると、周り全てが自分のために回転している国母選手には礼という言葉は殆ど存在していないようで、これが日本を代表する21歳の若者なのかと思うと、日本の恥を世界に向けて公開しているようで有り、こうした選手を平然と選ぶJOCの考え方というものが「金メダルだけ取れさえすれば良いのだ」という方向にあるようにしか思えない。
彼の数々の発言に関してはここで逐一取り上げるのも文面の無駄なので、興味のある方はいろいろ調べてみてください、極めて自己中心的で非常におもしろいですから。