11月14日に、親爺のリハビリに関する経過報告及び、”この先どうするか?”に関する話しで病院へ行って来ました。
脳の手術を受けた病院から、8月22日にリハビリ病院へ転院したのですが、当初はボ~とした感じと、
2ヶ月近い治療生活で身体機能の衰えが著しく、”どうなるのだろうか?”と正直心配してました。
転院して約3ヶ月近く経過した訳ですが、認知機能の方はほぼ全回復。
脳梗塞の影響で右半身の動きが悪かったのが、箸などを使うような繊細な動きは出来無いながらも、各指を動かす事は可能になり、ほぼ歩けなかった脚は”つかまり歩き”なら可能なレベルにまで戻った。
ここまで回復させてくれた病院のスタッフには唯々感謝しかありません。
面談までは、出来れば今月末には退院して、家に戻って母親とまた2人暮らしをしてもらいたい、というのが僕の希望でしたので、
この面談までは家に必要な物を取り付けたり(各所に手すり、門から玄関までのスロープの設置、親爺専用トイレの増設等々、色々とプランニングしていました。
ただ、自分の思いとは別に、担当の医師から伝えられた事実は残酷な物で、話を聞いていく過程で立てていた予定を破棄せざるを得なくなった。
何が問題なのかというのは、まずは、転倒した場合。
すぐ手の届く範囲に掴まれる物が有れば自分で立てるが、それが無い場合は自立して立ち上がることがまず不可能。
仮に母親が手助けしようにも、すでに92歳という高齢故、力が殆ど無い事から大変なのが容易に推測できる。
以前、駐車場で親爺が転倒した際に母親が引き起こそうとして大変だった話は僕も聞いていて、
それは部屋でも同じ事なんです。
次に、 排泄に関する問題がある。
すでに紙パンツを使用しているのですけど、 小便はときどき、稀にですが大便がトイレに行くまでに間に合わない事がある。
そうした際に、自分で風呂場まで行って処理できれば問題は無いのですが、それが難しいとはスタッフの話。
現段階ですでに自力での入浴が出来ない状態故、汚れた下半身を綺麗にすることもかなり難しく、となると、
それを母親がやらねばならなくなる。
シート等を敷き、親爺を寝かせると紙パンツを外し、下半身を綺麗にする処理をして、新しいパンツを履かせて立たせる。
これが92歳の母親にはどれだけ負担になるか?というのは容易に想像できる。
現実的には出来ない訳だ・・・
家で生活するに問題なのは、上記の二つしかなく、 後はベッドからの寝起きや着替え、食事等は問題が無い。
面談をしていく中で、 スタップと医師が話しかけたのは母親の方。
僕は同居しているわけでは無い事を知っているので、メインの判断は母親になるわけだ。
”どう判断するのだろうか?”と思っていたら、 母親の口からは施設への入居とはっきり出て、 多分その覚悟はもう出来ていたのだと思うけど、 余りにもはっきりとしているので、まだ頭が混乱している僕にとっては意外なほど。
ある意味冷たいとも思える程の判断ですが、これは自分の身体能力の衰えを一番判っているのが母親だからこその返答だとおもう。
真夏の炎天下でガンガン身体を動かしてスポーツできる自分と、 高齢の母親では違うわけだ。
面談を進めていく過程で、 いつまで病院に居られるのか? という話に流れたわけですが、 主治医の許可と各方面が問題無い事から、2月の半ば当たりまで入院可能とのこと。
後は、残された時間で、どの施設に入居するのか?をこちら側が進めていく事になる。
特段、胃ろうやや気管切開、インスリン注射などの必要が無い父親の場合、住宅型老人介護施設だろうということになる。
介護レベルからすると特別養護老人ホームも可能なのだが、 病院が遠く、 また一度入院すると簡単には外出が出来ないのが最大の問題。
親爺は身体の運動能力こそ衰えはしたが、看護すべき病気が有る訳では無く、なので、僕が実家に行く時などに比較的気軽に施設から家に連れて帰れなければならない。
子供の頃に散々親に心配と迷惑をかけた僕にとっては、 それくらいしか出来ない訳だ。
親爺が家に居ることは、母親に莫大な負担が掛るのは事実、それは可能な限り避けねばならないが、
施設への入居で良い面もあり、というのは親爺は極めて社交的なことがある。
これはリハビリ病院のスタッフを驚かせる程なのだけど、家に母親と2人で居ると、殆ど会話が無い状態になる。
母親の耳が遠くなって来ていることや、そもそもが話す話題が2人で違うし、母親の方は家事はじめとして庭の畑いじりなど、食事以外は殆どじっとしてないので、 どうしても親爺がぽつんとなりやすい。
脳梗塞で入院するまで通っていたディケア施設でも社交的で、 行くのを嫌がることも無く、 自分から進んで迎えのバスに乗ったりしていたので、 介護施設での色々なイベントや、 介護士さん初めとして様々な方達が常に近くに居るような状態の方が、親爺にとっては良いわけだ。
ただ、いくら親爺がそういった面が有るとしても、やはり定期的に家に帰って来たいことは間違いだろうし、
それが僕には解るからこそ、比較的実家から近距離で、帰宅もしやすい施設で無ければならない。
ほぼ1時間ほどの面談が終了して、 その後は3ヶ月ぶりに親爺と面談。
部屋に車椅子で来た親爺がすぐに見せたのは涙。
あんなに強くて、頑固なところがあって、子供の頃に何時も僕の頭に拳骨を落としていた親爺が、
僕の前で初めて見せた涙。
ポロポロとこぼれ落ちるそれが、どれだけ母親と会いたかったであろう事は想像に難くない。
初めは言葉が詰まり気味だった親爺も、だんだんと落ち着いてきたのか、スタッフ交えて母親と話す姿は、入院前の姿に戻っていった。
この先、僕は親爺に何が出来るであろうか?その姿を見ながら何度も頭の中で繰り返すが、
介添えが常に必要で、必要な介護もある親爺と同居も考えたことはあるが、現実的に難しい。
それは、まだ元気な母親がいる実家と、今住んでいる自分の家との距離の問題、
例えば、定期的に2人を会わそうとすると、どちらかが数時間車に乗らねばならず、母親は長時間車に乗ると背骨に負担が掛りすぎて後で痛みが発生したりする。
また、周りに知り合いが誰も無い、ある意味見知らぬところに転居することでもあり、親爺も母親もそれは前から否定していて、その気持ちを無視することは出来ないし、現実的に、自宅で24時間介護をするのは難しい。
認知機能の衰えが無いから、それによる痴呆症の問題は無いから良いのだけど、 僕としては、
日中の誰も居ない空間に、介添えの必要な親爺を1人でぽつんと置いていくわけにはいかない。
どういった選択をすれば、親爺にとって幸せであり、また母親にとっても同時に幸せで無ければならないか?を
色々と考え、 良い点悪い点、を付き合わせてどこまで問題点を減らせるか?
これは現実に向かい合うことになった息子である僕にとって課せられた課題となっている。
さすがに、最後の方は笑顔になり、涙が無くなった親爺。
社交的で、周りが賑やかな方が親爺には良いのなら、温かい介護のある施設をメインとして過ごしてもらい、
家には最低でも月に一回、出来れば3回ほど帰宅できることを楽しみにする生活の方がベストなのでは無いか?
同時に母親にとっても親爺が帰宅している間は僕がいるので、介護の負担が無く、 稀に帰宅する親爺と会えることを楽しみにする、 その生活の方がよいのではないか。
面談からもう4日経過したが、ほぼその考えで僕としての方針は固まりつつある。