例のごとく始まったバーベキュー、若い兵隊が食え食えと食べ物を持っては
部屋に来ます。
でも弁当を食べた私の胃袋は 「よしてくれー!」
手を付けないとへそ曲げるやからもいて、それが難しい。
代々受け継いできた、その家秘伝のたれに漬け込んだものや、自慢の腕をふるって調理してきたものなど、でかいテーブルの上に満載。
下手に手を付けないと、「俺の作ったのはまずいとても?」と思われかねないので、満遍なく食べるようにはしますが。
せめて前日に言ってくれれば、弁当無しでくるんだけど、
ふー・・・・ (--;)
私が帰宅すると、娘がPCを使っています、動画の編集もありますので
交代させると、暇なんでしょうねー、おしゃべりが始まります。
今日中にレポートをアップする予定ですが、
なかなか進みません (--;)
しかしながら子供のほうから話してくる場合、私はとにかくそれを最優先とします、どんなつまらない話でも最後まで付き合います。
どうして? どう思う? というのは以前と同じ、ところが最近は反抗期といこともあり、こちらの返答如何でへそを曲げてしまうことも多々あります。
話の内容によってですが、上下という物とは関係い、極めて感覚的なものを話の内容としている時等、つい親としての立場で話すしまいますが、そうすると大変 (^^;)汗
「そんなの解ってる!」「一々言わないで」といって膨れて、また話しをして、再度膨れての繰り返し。
「向こうへ行って!」というから、そんじゃと椅子を後ろに下げると、今度は「なんで離れるのと来る」
だんだんと家内に似てくるなー・・・ (--)
そんな中での日誌アップ。
うまくいくかな? (^^)b
22日の日記に書いたことですが、実はまだ話の続きがあるのですね。
朝娘を起こして、息子も降りてきて、食事しながらなんとなくたわいも無い話をして、でもどうしても昨晩の話になってしまいます。
というか、家族ですから自然と話がそうなっていくもので、
良いとか悪いとかというのはそこに無いのですが、なんとなく3人で言葉にするわけではなく、他の話や表情などを通じて別の回線でも設けたかのように暗黙の会話をするわけです。
家族だけが成しえるというか・・・ (^^;)
しばらくして、妹が昨日の事をきちんと受け止めているのを確認し、いつもと変らない事を確認したのでしょうかね、息子がまとめの言葉?
「俺は、親父みたいに子供をしかれるかな?・・・」と一言。
それを聞いた私は何とも答えようがありませんでした。
続けて、「なんか自分の子供は甘やかし放題にしちゃって昨日みたいに
叱れないかもしれない」と言います。
これも私は返答のし様がありません、あくまでも感覚的なものがそこには有るからです。
叱るという事は、あくまでもその子の将来というものを最優先とせねば出来ないということ。
その瞬間は「なんとかせねばならないという必死?」の思いが必要で、それがどこから来るものなのかというのは親という立場になり、またそうした年齢に
子供がならねば理解し得ない物だからです。
消費される膨大なエネルギーそして、すぐに襲ってくる「コレで良いのか?」という自責の念。
裏を返せばこれほどつらく嫌なものはないわけで、でもその思いを乗り越えねば伝えるべきものが伝わらない。
自分は果たしてどうであるか?という事を問いつつも、
親が弱いという事=子は不幸である、とだけは言えるのでないか?
叱る苦しさに負け、逃げ出し、世間体やていさいを守り、弱い自分をごまかす為に、ああだこうだと言い訳し、時間がたてばなんとかなるだろう、どこぞでこう言ってるから、偉い教育学者がこうだとか、カウンセラーがどうだとか・・・
その結果、子供は逃げ口実という武装をした親の幻影だけを呆然と見つめるだけとなり、その下にある人としての親心をその手で触る事が出来ないという事。
誰にでも平等である”時”という存在は、必要な時にそれを得られなければ、二度と戻らず永年に失われるという冷たさも併せ持つわけで。
だとするなら、親のすべき事は自分の心に素直になり、余計な知識を排除した心で接する事こそが、子供の未来へ残せる最高の財産ではないか・・
私はそう思うのです。
での最終ステージにて他の5人の子達と共に披露した民族舞踊。
300人近い人の前での踊り、素人にしてはまあまあだったのでは・・・
しかし、3回あるステージの間に約2時間くらいある暇な時間、
退屈というか、ほとんど送迎ドライバーだったわけですがなんかやたらと
疲れたのは何ででしょうか?
いつもの様に学校から帰宅してきた娘ですが、何故かご機嫌斜め。
まあそういったのはよく有るので、別に大した事ではありません。
しかし昨日はやたらと反抗が激しい・・・、というかやたらとつっかかって来るし、言っていることもめちゃくちゃで、どうひいき目に見ても甘ったれているとしか思えないわけです。
体育祭のことや、勉強、それ以外に友達の事など、この年齢は自分を取り巻くあらゆることを上手に整理しながら片づけていくことは難しいものです。
というかそれが中一の限界でもあり、やがてそうした経験を積み重ねた先に余力と処理能力が備わって来る物なのですね。
私は「なんだか荒れているなー」と思いつつも、嫌なことでも有ったのだろうと考えて、特に何も言いませんでした。
しかし昨晩はどうしたものか? 普段と異なりただ闇雲に反抗するのみで、しかも許容できる限度を超えており、そこで一波乱有りました。
事の始まりは日曜日に使用する舞台衣装(メキシコ民族舞踊)の調整を横着していた娘に、間に合わないからと家内が声をかけた事から始まりました。
二階に来て初め優しく諭していた物の、そのときの娘の受け答えが余りにもひどい。
誰でも限度はありますから、自然と声を荒げてくる家内。
私は寝ていたのですが、そのやりとりははっきりと聞こえてました。
「あれれ・・・」と思いつつ、また例のごとく始まったかくらいでいたのですが、今日はいつもよりひどい・・・
しばらくすると下に降りた家内、そしてそのすぐ後を追いかけるように降りていく娘、そして始まった親子の口喧嘩。
そして数分のやりとり後に、娘はバタンと玄関のドアをたたきつけて家を飛び出してしまいました。
「こりゃいかん・・」と思っていたところ、今度は二階の息子が下へ。
いつもとは違う雰囲気を息子も察知していたのですね。
こうした場合、父親は常につらい立場です、けして狼狽えたり動揺したりはならない、父親が弱気になれば、家庭全体が大きく揺らぐことになるからです。
状況を知っていてもやたらと動くことはできないのが父親というものです。
これにはきちんとした理由がありますが、長い文章となるのでいずれ別の形で
書いてみたいと思います
さて、家内からざっと経緯を聞くと娘を追って家を出た息子、娘を探しに行ってくれたのですね。
息子は中学時代に同じように家を飛び出したことが何度か有ります、故に娘の気持ちを一番分かっているのは息子かもしれません。
いうなれば昨日の自分を妹の中に見ていたわけです。
5分ほどして息子に連れられて戻ってきた娘、しかし、そのまま家内に謝るどころ二階へ上がってしまいました。
息子は二階に上がらずに、そのままリビングにとどまっています。
おそらくまた出て行こうとしたら止めるつもりだったのでしょう。
再び二階へ来る家内、今度は娘を強引下へに連れて行って注意するも、まったく聞く耳持たない娘。
それどころか、ますます言葉使いも態度もひどくなります。
ここまで来れば父親として黙っているわけにはいきません。
下に降りるとリビング奥にいる息子、そして睨み合う二人、部屋の雰囲気が荒れきっているのが肌で分かります。
私は家内を押しのけるとけっこうな力で2回ほど娘にビンタ、そのまま「反抗するなら、やるべきことをやってからにしろ!」と一喝。
娘は顔を両手でおさえてしゃがみ込み、「ハイ」と小さな声でひとこと。
すっかり静かになった家の中、そのまま私は黙って部屋に戻りました。
家内から今朝聞いた話では、そのあと娘は自分で針と糸を出して自分で舞台衣装の調整をやったそうです。
途中で分からなくなって素直に家内にやり方を教わり、その二人の姿を見た後、息子は二階へ上がったそうです。
私が娘を叩いたこと、それが正しいのかどうかということは、正直なところわかりません。
結果はすぐ出る物ではなく、娘が大人にならない限り答えなど出ないわけです、息子の時にもそれは同様でしたからまったく未来の予測はつきませんでした。
私が娘に伝えたかったのは、「ねばならないことは、やれ」ということ、人は生きていれば疲れもしますし、やりたくない時もあります。
しかしその時にせねばならない事はやらずに過ごしたり、いい加減にしたり、待って等くれないわけです。
特に子育てはそうです。
例えそれが今はたいしたことの無い物であっても、それがやがて万事へとつながり、未来の幸、不幸になっていきます。
結婚し、自分の子供をさずかり、しかしながら面倒だからと朝ご飯を作らない、疲れているからと夕飯は店屋物、インスタント物ばかりの食事と、やりたくないからと部屋は汚く散らかしっぱなし。
日常ありふれているその場でやらねばならないことを看過すれば、それが自分のみならず子供や伴侶にまで影響は及び、
最終的には大きなマイナスとなって自分に返ってくる。
親としてはそうした事を許す訳にはいきません、「ならぬものはならぬ」わけです。
そして静かな朝、仕事の関係で早出した家内、娘のためにしっかりと作られたお弁当がそこにはありました。
親自ら示す手本ですね。
家内と少し話をして見送った後、私は娘を起しながらベーコンエッグを作りました。
次に息子を呼びに娘をいかせ、その間にパンを焼きコーヒーをつくります。
穏やかな朝のひととき、いつものと変らない土曜日の朝。
時間となり、「頑張れよ!」と一声かけると、「えへへ」と笑いながら、娘は元気に体育祭へ飛び出していきました。
よく耳にする「子供をしかると可哀想」という言葉、そして「子供を叩くなんて最低」という言葉。
そう、最低で構いません、好かれようなんて思いません、そして恐れもしません。
その子が将来幸せになりさえすれば、私などいくら嫌われてもかまわないのですね。
子育ては親と子の感情がまっすぐにぶつかり合う物、それが子供を人として大きく成長させる。
そのためにはどんなにつらい思いでもさせます、心を鬼にしてです。
それが私の子育という物に対する考え方だからです。
いつもの様に学校から帰宅してきた娘ですが、何故かご機嫌斜め。
まあそういったのはよく有るので、別に大した事ではありません。
しかし昨日はやたらと反抗が激しい・・・、というかやたらとつっかかって来るし、言っていることもめちゃくちゃで、どうひいき目に見ても甘ったれているとしか思えないわけです。
体育祭のことや、勉強、それ以外に友達の事など、この年齢は自分を取り巻くあらゆることを上手に整理しながら片づけていくことは難しいものです。
というかそれが中一の限界でもあり、やがてそうした経験を積み重ねた先に余力と処理能力が備わって来る物なのですね。
私は「なんだか荒れているなー」と思いつつも、嫌なことでも有ったのだろうと考えて、特に何も言いませんでした。
しかし昨晩はどうしたものか? 普段と異なりただ闇雲に反抗するのみで、しかも許容できる限度を超えており、そこで一波乱有りました。
事の始まりは日曜日に使用する舞台衣装(メキシコ民族舞踊)の調整を横着していた娘に、間に合わないからと家内が声をかけた事から始まりました。
二階に来て初め優しく諭していた物の、そのときの娘の受け答えが余りにもひどい。
誰でも限度はありますから、自然と声を荒げてくる家内。
私は寝ていたのですが、そのやりとりははっきりと聞こえてました。
「あれれ・・・」と思いつつ、また例のごとく始まったかくらいでいたのですが、今日はいつもよりひどい・・・
しばらくすると下に降りた家内、そしてそのすぐ後を追いかけるように降りていく娘、そして始まった親子の口喧嘩。
そして数分のやりとり後に、娘はバタンと玄関のドアをたたきつけて家を飛び出してしまいました。
「こりゃいかん・・」と思っていたところ、今度は二階の息子が下へ。
いつもとは違う雰囲気を息子も察知していたのですね。
こうした場合、父親は常につらい立場です、けして狼狽えたり動揺したりはならない、父親が弱気になれば、家庭全体が大きく揺らぐことになるからです。
状況を知っていてもやたらと動くことはできないのが父親というものです。
これにはきちんとした理由がありますが、長い文章となるのでいずれ別の形で
書いてみたいと思います
さて、家内からざっと経緯を聞くと娘を追って家を出た息子、娘を探しに行ってくれたのですね。
息子は中学時代に同じように家を飛び出したことが何度か有ります、故に娘の気持ちを一番分かっているのは息子かもしれません。
いうなれば昨日の自分を妹の中に見ていたわけです。
5分ほどして息子に連れられて戻ってきた娘、しかし、そのまま家内に謝るどころ二階へ上がってしまいました。
息子は二階に上がらずに、そのままリビングにとどまっています。
おそらくまた出て行こうとしたら止めるつもりだったのでしょう。
再び二階へ来る家内、今度は娘を強引下へに連れて行って注意するも、まったく聞く耳持たない娘。
それどころか、ますます言葉使いも態度もひどくなります。
ここまで来れば父親として黙っているわけにはいきません。
下に降りるとリビング奥にいる息子、そして睨み合う二人、部屋の雰囲気が荒れきっているのが肌で分かります。
私は家内を押しのけるとけっこうな力で2回ほど娘にビンタ、そのまま「反抗するなら、やるべきことをやってからにしろ!」と一喝。
娘は顔を両手でおさえてしゃがみ込み、「ハイ」と小さな声でひとこと。
すっかり静かになった家の中、そのまま私は黙って部屋に戻りました。
家内から今朝聞いた話では、そのあと娘は自分で針と糸を出して自分で舞台衣装の調整をやったそうです。
途中で分からなくなって素直に家内にやり方を教わり、その二人の姿を見た後、息子は二階へ上がったそうです。
私が娘を叩いたこと、それが正しいのかどうかということは、正直なところわかりません。
結果はすぐ出る物ではなく、娘が大人にならない限り答えなど出ないわけです、息子の時にもそれは同様でしたからまったく未来の予測はつきませんでした。
私が娘に伝えたかったのは、「ねばならないことは、やれ」ということ、人は生きていれば疲れもしますし、やりたくない時もあります。
しかしその時にせねばならない事はやらずに過ごしたり、いい加減にしたり、待って等くれないわけです。
特に子育てはそうです。
例えそれが今はたいしたことの無い物であっても、それがやがて万事へとつながり、未来の幸、不幸になっていきます。
結婚し、自分の子供をさずかり、しかしながら面倒だからと朝ご飯を作らない、疲れているからと夕飯は店屋物、インスタント物ばかりの食事と、やりたくないからと部屋は汚く散らかしっぱなし。
日常ありふれているその場でやらねばならないことを看過すれば、それが自分のみならず子供や伴侶にまで影響は及び、
最終的には大きなマイナスとなって自分に返ってくる。
親としてはそうした事を許す訳にはいきません、「ならぬものはならぬ」わけです。
そして静かな朝、仕事の関係で早出した家内、娘のためにしっかりと作られたお弁当がそこにはありました。
親自ら示す手本ですね。
家内と少し話をして見送った後、私は娘を起しながらベーコンエッグを作りました。
次に息子を呼びに娘をいかせ、その間にパンを焼きコーヒーをつくります。
穏やかな朝のひととき、いつものと変らない土曜日の朝。
時間となり、「頑張れよ!」と一声かけると、「えへへ」と笑いながら、娘は元気に体育祭へ飛び出していきました。
よく耳にする「子供をしかると可哀想」という言葉、そして「子供を叩くなんて最低」という言葉。
そう、最低で構いません、好かれようなんて思いません、そして恐れもしません。
その子が将来幸せになりさえすれば、私などいくら嫌われてもかまわないのですね。
子育ては親と子の感情がまっすぐにぶつかり合う物、それが子供を人として大きく成長させる。
そのためにはどんなにつらい思いでもさせます、心を鬼にしてです。
それが私の子育という物に対する考え方だからです。
と、いつもの秋がやってきつつあります。
しかし、なぜか再びやってきた夏。
でも私の仕事部屋はすでに秋を知らせる可愛い虫達が侵入しては
コロコロコロと、到来を知らせてくれています。
そういえば、9月もこのくらいになるとTシャツ一枚の通勤は厳しく、トレーナーを着たりするのですが、なぜがまだ平気。
夏が長ければウインドの季節も長いわけで、その分うれしい。
そうえばますます反抗期の娘、とにかく難しいですねー (^^;)はは。
この世に完璧な子育て等あるはずも無い、それは分かっていますが、なんとかしたいのが親。
まあ、力を入れずに、でも力を入れてやらねば!
そういえば、知り合いの家が今大変で・・・
この子、中学高校と成績優秀でスポーツ抜群、いうなれば模範的な子だったわけですが、大学へいって突然爆発。
あえて書こうとは思いませんが、この年齢ではじまるとまあ収集がつかいない・・・・・
やっぱり反抗期は早く来たほうが、早く収まりますから、その分大人になるまでの時間を子供自身が充実させられるわけで。
どちらが良いかと言われれれば、やっぱり早いほうがいいよなー・・・
と娘を見ながら思う(自分に言い聞かせる)わけで (--;)フー
頭痛がします、というのは週末のウインド、娘が3本目のマストをブレーク。
浜にはかなり大きな波が来ておりまして、そこから上がろうとしてセイルが波に巻かれてマストがボキン。
けして安くは無いので、それで頭痛というわけです。
波の力はけしてバカになりません、いくらカーボンで出来たマストとて、砕ける波にもみくちゃにされれば容易に折れます。
というか私も娘もそんな条件下でやっているわけですが、ただの海水浴場ならとっくに赤旗たっているわけで・・・
まあ、折れたのは事故?みたいなものですからしかたありません。
現在標準マストを使用しておりますが、娘のはベンド率がよく、軽くて折れないスキニーマストに変更せねばこちらの財布がもたないぞー!
(--;)というわけで、程度の良い中古を探さねば・・・
書き込んだ日記が飛んでしまいました(原因不明)。
そんでもって再度書き込み直しですが、もう一度同じ文を書く気にならないために、昨日とはすこし違った書き方をします。
レースにエントリーしていた娘ですが、残念な事に惨敗でした。
無理もありませんねー (^^;)
まずは、出場してた者はみんなアップウインド用(専用)のボード、ところが娘はダウンウインド用、まずはそれだけでも駄目(無理だろー!)です。
「あえて挑戦!」と娘は笑ってましたが・・・
次にここ数日の良風でうねりが多少強く、幅52cmしかない細身のレーシングボードでは、タックの成功率など望むべくはずがありません。
そんでもってセイルを落としてしまいますので、小柄な娘には6.0のセイルを何度も上げるのは大変。
当然に軽い5.0に変えざるを得なくなりましたので、当たり前ですがさらに風上に上がれなくなります。
最後に、海上スタートに不慣れな事(というか上記の問題で)、スタートタイミングが全く取れない。
まあ、勝てる要素ゼロが、そのまま結果として出たということです。
と書いていますが、実は私、このレースを一切見ていませんでしたので(理由はあとで)、家内からの話をもとにそのまま書いています。
私は最近購入したばかりの新しいボードを乗りこなす事が最優先課題でして、もう中学生となった娘の行動にいちいち感知したくは無いというのもあります。
自分の意思で参加したレースですから、勝とうが負けようが基本的には親に関係が無い訳ですね。
強いて言わせてもらえるとするなら、敗北して惨めな思いを眼一杯受け取り、それを明日の為に生かしてくれるなら、惨敗から反省をしながら元気に立ち上がっていけるのなら、それで十分に良いわけです。
その心の成長過程に親が顔をだすいわれなど何一つありませんからね。
元々娘にウインドをさせてきたきっかけは、もちろん上の子の影響が大きいのですが、恥や惨めさ、つらさや悔しさ等など、世に出れば当たり前のようにあるものを乗り越えるための基礎的な精神力をつけさせる為です。
今はそれをもらって有り余り、自分から積極的に乗って楽しめる様になりましたので、親としてはそれ以上何かをさせての自己満足は望んでいません。
昨年まではいろいろなレースに出ていたわけですが、今年に入ってまったく出ていないのは、親という立場からの勧め(半強制)というものは小学生で終わらせるべきものであり、中学に入れば”こうしたことは自分の意思でやってこそ意味の有るもの”という私自身の強い考えがあります。
中学に入れば、そこには必ず反抗期が存在します。
その一つ一つを見極めつつ親の強制を徐々に解除していかねばならないわけですね。
そうでないと、たとえレースで勝っても、負けても、これすべて”親にやらされている(干渉)”という意識の解釈を子供はしますから、
勝ってもそれ以上を目指す意識を持たせるのが難しく、負ければ「自分はやりたくないのに親がうるさいから仕方なしにやってんだ・・・本当はやりたくない・・・」という逃げの思考から抜け得ません。
中学時代はいうなれば親からの自立そのものですから、”自分から進んで”かつ”できるだけ多くの失敗をする事”にこそ本当の意味があり、そのためにはそれに適した本人の姿勢をなんとかして作り出さねばならないのです。
だから親は思い悩んで苦労するのですが・・・
誰も娘にプロになってくれ等というだいそれた事は思いませんから(ウインドの世界におけるプロの現実は、安定した別収入が無ければまったく成り立たちません)、自分の楽しめる範囲にて思いっきり出来るだけでよいのですね。
それ以上を望む事は、単に親の我儘を押し付けることでしかなく、さらには自立を阻害する事になります。
さて、そんな調子で娘が苦戦中のところ、私はレースとはまったく離れたところで新しいボードを乗りこなす事に夢中でした。
せっかく最新ボードを手に入れたのに、なぜか調子が(技量不足?)今ひとつのだった為です。
悶々としていても仕方ないので、ここは素直になるのが一番利口ですから、娘の新しいマストを取りに行った際、店にいた国枝プロに「何でやろ?」と聞いてアドバイスを受けました。
そこで「なんとー!」、思いもしなかったことが判明。
まったくセッティングが間違っていたのですね。
これまで乗っていたのはノーズが長くて細身の重い、さらに古い設計のフリーライドボード、対して新しいのは最新のテクノロジー満載の、幅が広くて全長の短い、いうなればピュアレーシングボードです。
以前のボードに適したセッテイングでは乗り方も大きく違うために、今回のボードにはまったく通用しない(マッチしない)というわけなのですね。
以前のボードによるセッテイング&乗り方の概念から逃れられなかった私は、無理にそれを新しいボードでやっていたわけで、
これではまともに乗れるはずが無い・・・(--;)
そんじゃとばかり、アドバイス通りにセイルのセッテイングをはがらりと変更。
ブームの高さを肩の上くらいから、頭の上あたりまで高くし、それに応じてハーネスラインの位置を10cmは後ろへ移動、そして長さはやはり以前より10cmくらい長く。
セイルのアウトはテロテロにゆるめ、風が入るとセイルがブームについてしまう(レーシングセイルの場合)くらいにし、もちろんダウンはきっちり引く。
ジョイントのポジションは真ん中より少し前。
他にもありますが、おおすぎるのでこれ位にします。
そのチューニングで出てみると、それまで乗りづらく感じていたボードがまるで嘘のように走ります。
一番分かりやすく言うなら、ディーゼルのトラックからポルシェになったというくらいでしょうか。
トップギアにいれて加速し、さらにニトロでもかましたのかと思うくらいの加速力とスピードです。
ボードが海面から容易にリフトするし、恐ろしい・・・ (@@)怖えー!!
たまたま前方を走っていたJナンバー(レーサー)をぶち抜く快挙までおまけにくれましたが。 その後に見せられたジャンプとジャイブに圧倒される私。
実力の違いです (ーー”)ス、スゴイ!
しかし風がさらに上がればそのチューニングがパーになるのがウインドサーフィンの難しいところ。
そんでもって再チューニングするも、すぐにセイルサイズオーバー。
浜に有った家内の6.5をチューニングしなおして出てみるも、すこしサイズ不足、2時に風が上がってジャスト、3時に風が弱すぎとなり、4時に再びジャストになるも、そのときにはすでに疲労困憊で体の方が持ちませんでした。
朝の9時から昼ごはんの30分を除いて4時までのあいだ、6時間近くをずっと激しい運動のしっぱなしですから・・・・
さて、午前中にレースを終了した娘ですが、午後からは上がりコースがあるわけでもない、普通のダウンウインドコンディションでの走りとなれば生き生きとするのが当たり前、プレーニングしながらガンガン海面を飛ばしていきます。
初心者スクールの生徒が海面に花を散らすように浮いているのをレイル・トウ・レイルで右左にかわしながら沖までぶっ飛んで行きますが、ときおりレイルジャイブに挑んでは吹っ飛んでいます・・・(^^)ははは、
それもご愛嬌ですね。
しかし、メッカといわれる三浦でも中学生の女子はたった一人だけしかいません。
ほかに娘と同じくらいの女の子がここにいてくれたら・・・と心から思ってしまいます。
最後に家内ですが、うねりにびびり、一度出ただけで終わりました。
4時半には撤収、風のそよぐ星の一日が終わりました。
自然の力で遊ばせてもらう、それがどれだけ幸せな事かは、つねに疲れ切った体に満ち溢れる充実感と共に有ります。
自然への感謝、その言葉を胸に渋滞の国道へ車を乗り出す私でした。
今日は帰宅が早かったのですが、よせばいいのに半分飲みながらはじめたHP更新。
酔っ払いながらレポート編集。
すると娘が酒のつまみを用意してくれました、空腹で飲むと体に悪いということを家内から教わっていたのを知ってはいましたが・・
なんかキッチンでごそごそやっているな?と思っていた矢先でした。
おもわず涙ぐんだりして・・
をしていたらしい息子、私が起きた時に部屋の電気がついていました。
少し遅れて部屋から出てきた息子の眼にはヒグマが・・・
えっ?面白くないって?
(^^) 「やっぱり?、だはは、気にしない気にしない」
顔を出した息子に「どうした?」と聞くと、「勉強」と一言、すぐに上へ行ってしまいました。
なんで徹夜してまで勉強しているのだと思ってしまう私。
まだ夏休み開けまで3週間近くあります、新学期早々テストでもあるのだろうか? それとも追試かー?
(^^:)だはは ざまーみろ!(冗談ですよ)
なんて思ったりします。
大学の経験が無い私には、この辺の詳しい事がさっぱり分かりません。
一方、夏休み明けの数学試験でトップクラスの成績だった娘は意気揚々。
まぐれがいつまで続くか・・・・・
ちなみに私ですが、成績のなんてどうでもよい事なので、いちいち感知しませんよ、そんなこと。
「それより、週末の風のほうが気になって仕方がないぞ!」(^^)V
天気予報では土曜日は曇り時々晴れ、日曜日はというとなんか今ひとつだな。
また駄目か? (--;) クソー・・・
三浦アップウインドシリーズ第5戦で大人のレースに初参加の娘、惨敗のほうが惨めさを味わいますから、その悔しさが後の成長を娘にくれるはず。
どうなんだろうなー、勝ってもらいたいようなそうでないような・・・・
有るのだろうか? 私はそう思います。
少なくとも私の記憶にそうした言葉がぴったりとあてはまるシーンがありません。
スクールを卒業して帰宅した息子は、確かに大きく成長していました。
しかしながら今にいたるまで、まったく何の問題も無く来たのだろうかと考えるとそうでもありません。
もっとも家の場合は、前の状態が相当なものでしたから、それと比較すれば
平穏に感じられるといえば、そのような感じもすしますし・・・・
普通の家庭?なら、おそらく大騒ぎとなるような事も、我が家では穏やかな部類というべきか?なんて思ってしまったりもします。
それではヨットスクールは何を息子にくれたのだろうか?と思われる方も多いかと思いますが、スクールが我が子にくれたのは、社会性が80%、そして親に対しての理解が20%、そう思っています。
当たり前のことですが、子供の人格においての基礎はすべて親にあり、親の姿そのままが子供の基礎になります。
そして反抗期頃から子供は自分が得た経験から基礎の上に一人の人格を創り上げていくのですね。
ゆえに親という物はとても大切です、子供の基礎を造るべき親が子にどう接するかという事が大きな影響を与えるからですね。
難しいのは、親の心の届け方であり、親の気持ちと子供の受け取り方には少なからずギャップが存在していますから、そこに親の遠慮や恰好つけなど、本来無くても良いような不純物が心に有れば有るほど、それが大きくなるという事です。
さらは母親と父親でも大きな差が存在します。
母親は基本的愛情と家庭のあり方を受け継がせ、父親は社会性の基礎を受け継がせます。
それぞれに任された部分が異なるわけです。
家の家庭は本能に逆らいませんから、娘、息子とも社会性という面では家内に求めません、反対に家庭での愛情という面では私の出る幕はありません。
親の育て方がどうのとかいうのではなく、こどもが自然に切り分けているのですね。
私はそれが当然だと思ってますし、そこにおかしな恰好付け理論(人権や男女平等)を持ち込み、本能を捻じ曲げたり押し殺すような教育をしよう等という気持ちは一切ありません。
本能が求めるものをそのまま素直に与える、ただそれだけです。
男の子である息子には、強さと忍耐、努力、希望に向かって舞い進する事を求め、娘には愛らしさと将来子供を育てるに必要な強さと優しさ、そして当然のように家庭的な事が出来る事を求めます。
子供は外部からつけられてくる不要な知識と洗脳が邪魔をしますから、さらには当然のように自分の考えがありますから、親の言葉に抵抗をします。
そこに親とのすれ違いが生じる。
さらに付け加えるなら、怠慢や我儘もそこに入っています。
しかしながらそれが当たり前。
ゆえに叱るときはガツンとやります。
「それのどこが悪い、そして何が問題なのだ?」というのが私の考えです。
ただ、成長にともない、親として受け継がせねばならない事が一つ一つ無事に受け継がれている事を確認できた瞬間、私はそれ以降はそれに関する理解の程度にに疑問をもったとて、黙ってみています。
まずは信頼という手本も見せねばならないからですね。
こうして育ててくれば、年齢の上昇と共に当然に出来るべきことがことが当たり前のようにできるようになりますから、受け継がせるべき事も少なくなってきます。
現在上の子にほとんど言うべき事は無く、一番最後に叱り飛ばしたのは、大学合格後に気が緩み、高校の提出レポートをさぼって溜め込んだときでしょうか。
気の緩みと、ねばなら無い事を怠慢にすることがコンビネーションとなっているのを、”親として許す”事は、将来必ずその子を不幸にしてしまいます。
これは恰好つけて話し合い出で解決すべきものではなく、心に正しいトラウマとして強く残さねばならないわけで、そのためには親として鬼のように、そして真剣に立ち向かわねばならないわけです。
怒り狂う私はそれをそのまま爆発させましたから、それをみていた娘は家内の背後に逃げ込んで震えてました(あとで娘から聞いた話)。
以降息子が上記の怠慢をすることは無いようです、少なくとも今の大学生活からは一切感じません。
娘は、小学校3年位からよく私にビンタされていました、何度も言い聞かせ、時には一緒にやり、それでも分からねば叩きました。
女性得々の頑固さ、そして人の言う事を聞かない特性が出てくる二次生徴期前までに片付けねばならない重要な課題だからです。
その一つ一つは難しい事ではなく、心の持ち方、考え方、さらには自分の持ち物管理(将来の財産管理)、金銭的物欲制御の方法から初まり、かたずけ、掃除、料理、そして手伝いというような基礎的なもので、今思えば何もそこまで・・・と自分で思ってしまうことまでありました。
早くに厳しくしたせいか、今はほとんど叱る事が無くなってしまい、最後にガツンとやったのはこの間の中間テストでで怠慢だったときくらいかな?
このままほとんど叱ることなく大きくなってしまうのだろうか? と、今はなんか寂しいような不思議な感じがします。
叱る事、褒める事、そのバランスはとても難しい、それが今の私の思いですが、校長先生の言葉どおり、本能を大切にして、感情のままにしかり、そして褒めてきた。
これから先は娘が最も難しい年齢へ入っていきます、大丈夫だろうか?
そんな不安もありますが、自分を信じねば、その親としての不安な姿勢が娘へ伝わります。
胸を張って心のままに、そして愛情をもって・・・・
家の地区は定期的に廃品回収をしています。
小学校や中学校の父兄と先生、そして生徒が協力して行うわけですが。
天気が良くて熱いのなんの・・・・・(--;)
私はドライバーもかねていますので、家の前に出された新聞紙やらダンボールやらをトラックに満載しては何度も持ち込み先の校庭まで運びます。
校庭に着くと中学生がわっと来てどんどん持っていってくれます。(^^)
と!書きたいのですが、なんかだらだら・・・・(--”)
元気よく走ってきて、どんどんと持って行く生徒もいますが、そうでない子もいて、大半は自分の持つものをえり好みしています。
おいおい、終わらんぞ・・・と思いつつ、手当たり次第に渡していくと、
空き缶の入った袋を思いっきり嫌な顔でうけとる女の子、わずかのダンボールをもってそしらぬ顔でさっさと離れる男の子。
重いものを渡すと、女の子運びするでかい男子。
かと思えば自分からくださいと積極的に来る子、もちきれないほど抱えて運ぶ子。
ふと見ると雑誌コンテナのところでおちた漫画を読んでいる非行少年?
(^^;) あのなー・・・
なんか頼りになるような、ならないような連中・・・・(--;)
でもみんな可愛い子達ばかり。(^^)
やがて彼らからおじさん、おじいさんと呼ばれるようになって、
そのときこの国はどうなっているのだろうか?
そんな事を考えてしまったりもするのですね。
台風も通り過ぎ、朝からピーカン予報。
そんでもって利根川は多分泥水&激流。
三浦は波高し?だろう・・・ということで、
今日は本栖湖へ出陣。
ところが富士樹海あたりを走っていると風で木が揺れる事揺れる事、これじゃ家内が乗れないというわけで、急遽西湖へと変更。
車を降りて風をみるとガスティながらブローはまあまあ、
先に来ていたサーファーに「今吹き始めたんですか?」と聞くと、
南の風が入り込んできたところだから、もっと来るとおもうよ」と温かい?
お返事。
急いで道具を出して乗り出すと、ブローはOK、でも風の切れ間が不定期に来ては無風に近いという状態。
でも、まあまあのコンディション。
急ぎ飛び出した私をおって娘と家内が出艇。
私は、新しいボードがうまく乗れずに何度も下ってしまうは、プレーニングが今ひとつだはとやたらと四苦八苦。
一方娘は? というと、ぶっ飛んでいるのなんのって元気良すぎて又マストを折ってくれました。
バッキリと折れたマストをみて、「おまえなー、今年二本目だべ!」というと、「しょうがないじゃん」の一言。
確かにそうだ・・・・(--;)
仕方ないので家内の6.5を使って再度ぶっ飛んでもらい、家内は4.8の小さなセイルをセット(風もあがってきたし)
私はセッテイングを終えると再び出て、娘の後を追います。
ところが追いつかない、追いつけない、何度やってもどんどんと引きはなされていきます。
ほとんど惨敗の様をていしてたとこで昼飯。
その後は娘の相手をせず(勝てないから?(^^;))に、なぜか今ひとつ乗りこなせないボードのセッティングをあれこれやってました。
乗り方が悪いのかなー?、道具がわるいんだべ!、と道具のせいにしながら、4時には終了。
100点満点とは言いませんが、80点の満足度、これまでプレーニング出来なかった分は一日ですっきりしました。
というわけで、なんか直撃の気配満々。
いつも行ってる利根川のゲレンデは、この数年大きな台風が無かったことから、水深が浅すぎ。
そんでもってフィンが川底を引っかいてボードごとぶっ飛んだりするんだけど、でかい台風が一発来ると砂が流されて丁度よくなるわけです。
大雨を期待すると必ず災害も起きる為に、不謹慎に喜べるはずもありませんが、自分がぶっ飛ぶ災害???を考えると、
大雨来てくれねーかな・・・と願ってしまうのですね