V8エンジン、4WD、ターボチャージャー、スーパーチャージャ-、
400mを 10秒かからず走り抜けるホットロッド、 無用にデカいアメ車、 無骨なピックアップトラック、 ロータリエンジンを積むMADE IN JAPAN。
少し前まで、車には、沢山の夢があった。
幼き日に手にしたミニカーで、砂場で夢中になって遊んでいたあの頃。
プラモデルやミニ四駆を改造し、エンジン付きのラジコンをみて、羨ましかった。
やがて免許をとって、 ぼろの車をなんとか手にして、
ある奴はエンジンをいじくり回して 「六〇〇馬力だぜ!」 と吹いて、でもその実はいじくりすぎてノーマルの半分のパワーしか出ない。
レーサー気取りだった奴は、サスペンションを変えて、 これで峠のキングだぜ! と言って翌週はバンパーの修理。
また、あるやつは車をピカピカにドレスアップして、女にモテたくて必死。
で、落ち込んでいる彼に、「例の彼女は?」と聞くと BMWの新彼氏とデートしているのを見てしまったとか。
それぞれの青春、それぞれの思い出。
車は、自分の力を大きくしてくれる存在、 そして、いじくり回せる 大人だけが遊べる=大きな夢を載せたオモチャそのものだった。
よせばいいのにマフラー取り替えて、幼き日よろしくパトカーと追いかけゴッこ (爆!) な、やつも居たな~ 番外編?(笑)
熱き鉄の塊は、
何時も自分の傍らにいて、 何も言わず、 でもイグニッションキーを回せば、確実に心が踊った。
ところが・・・
今はどうだろう? 全くいじれない、糞面白くもなんともない、完璧な電子制御エンジン。
豪勢なパワーアシスト機構は、際限なく車の価格を高くし、 メーターのLEDがたった一つ点灯しないだけで10万の確実な支払いを要求してくる設計構造と、
車検システム。
余りにもてんこ盛りされた安全機構は、自ら危険を回避する感覚的能力を奪い去り、
イージーで簡単、理想的なシフトをしてくれるオートマは、失われたイグニッションキーの役割と供に
人が本来持っている 力を操る= 車を操る喜び を消し去った。
すでに立派な老人介護カーである、ハイブリッド車は モーターパワーで究極の省エネを奏でる為に、ノロノロ発進をメーター表示でドライバーにしつこいくらい薦めてくる。
そして、車に乗るのでは無く、車に操られる事になんら疑問を持たない”素直な者達”が、街の至る処に亀の集団を造り出す。
しかしながら、その現実は?というと、理想燃費の為のノロノロ発進で失われる社会的経済性は大量のCO2を逆に排出。
腐るほど取り付けられた沢山の機能は その生産のためにこれまたCo2を大量に消費している。
完璧で豪勢な空調と、一切記憶をしなくても目的地に連れて行ってくれるナビは、 人の環境適応性を削り取り、毎日脳細胞を消滅させていく。
どこか間違ってないだろうか?
車はママのお腹(子宮)では無い!
暖かくて優しくて、安全な揺りかごを車に求める企業姿勢は、正直なところ、いい加減うんざりする。
と、こんなことを思うのは多分僕くらい何だろうなと・・・・・ すこし変わり者だから僕は(笑)
人は、生まれたら最後、”命がつきるまで成長”し続けなければならない、 それは老いても全く同じで、
”自然に抗うからこそ”、杖をつかずに歩ける、箸で飯を食える、自分でトイレにも行ける。
その心を失ってしまえば、 人はどんどんと衰えていくだけになる。
オートでドアを閉めてもらうなら、自分の手で閉めよ、
少しの距離なら自分の足で歩き、安全アシストに頼らず周囲に気を配ってハンドルを握れ。、
イグニッションキーを自分で回してエンジンに喝を入れ、 走る楽しさを感じ取れや!
そう僕は思う。
ふ~~~~~~ 少しだけすっきりした だはははは!