当然、友達に対しても育てられた方法そのままで(親の姿そのまま)で接する事になりますから、相手に対してそのまま自分の我儘と都合よい目的の為に相手を操作しようとする事が起きてくるわけです。
これがどんな事件を毎日のように起こしているかということは報道等でお分かりかと思います。
当たり前の事ですが、こうした接し方はあらゆる面でほかの子達とのギャップを生じさせ、学校生活を初めとして社会に出てもいじめられたり、仲間はずれにされる原因となり、最悪自殺や引きこもりの原因にもなります。
ほめられて育てられていますから、自分に非はまったくないと思い込んでいまし、上手く人付き合いが出来ない原因が(人付き合いは操作という認識で育っているためトラブルになる)理解できない上に、「自分に悪いところはないだろうか?」と考えるようには育てられていません(叱らない教育によりそうした能力が欠落)から、すべて他人が悪い、社会が悪いといった方向へ必ず進みます。
心を捻じ曲げて自分の我儘と目的のために育てた親の姿そのままのコピー人格がそこに出来上がるわけですが、
しかもほめて育てられているせいで根拠のないプライドが非常に高い人間性というおまけまで付いてきます。
僕ならこんな人間と付き合いたくないと、とはっきり言わせてもらいます。
とんでもないですよ、こんな人間。
最後に、叱るよりほめろという言い方をする者達もいますが、これは単に叱る事に勇気をもてなかったり二の足を踏んでいる親に対しての受けをよくするための商業的理論構築(本が売れるますから)からきているわけですが、
基本はほめて育てると叱らない教育です。
*ちなみにこうした事を進めている人間に根拠を聞くと例の大脳生理学やら行動認知学とやらを持ち出します。
この言葉にひきつけられる親は現実的に多く、
その本心は可愛そうだから子供を叱りたくない、叱る事により苦しい思い(親が)をしたくない、子供にいい顔をしていたいとい、という単なる親のわがままが根底にあります。
だからこそ三段論法的な結び付けを強引に行って、愛情を注ぐという名目の基に叱らないための誘導を始めたりする。
これでは子供の考える力を失わせ、親としての成長はなく、親の我儘と都合よい誘導をするだけで、理解したように見える子供の頭の中あるのはすべて、親が与えた結論でしかないわけです。
算数を教えるのが親として考えるなら、叱ることは問題を解かせること。
答えは子ども自身が導き出して初めてさらに高度な問題が解けるようになるわけで、解き方と答え教えて得るものなど無いことくらい誰でもわかるかと思います。
子供は叱らずにほめれればとりあえず嬉しいですから親の誘導に従ってくれます。
ただ、自分で考え行動し進歩するという力は育ちませんから。
幼いうちは親に従順で問題なかった子が些細なきっかけ(たいていは友達とのいさかい)で突然豹変したようになる。
当たり前の事ですが、反抗期の年齢に近いほど思考も高度化し、自分で答えを導き出さねばならない時に、自分の感情を処理する事もできない苦しみが重なるわけですから想像もしなかった問題を起こすようになるわけです。
これはあたりまえですよね、親がそうしたわけですから。
自分で考え行動し、進歩できないということが、どんな恐ろしいことであるかということは、私の書いたものを全部読んでくれている皆さんにはお分かりでしょうから、ここではあえて書きません。
最後に、この叱るよりほめろという教育に絡んでもう一つ書いておきます。
よく女性が勘違いしている事の一つに、子供を抱きしめればそれが愛情伝達であると考えているところがあります。
教育評論家が雑誌の教育相談などでよく回答にしていることが多いのですが、これは本能的に包み込まれる(保護)事で安らぎを感じる女性側からの一方的理論展開でして(故にこうしたアドバイスをするのは女性がほとんど)、
ところがこうした接触を本能的に“支配”と感じる男の子には不快となるために適しません。
せいぜい3歳くらいまでがいいところですが、それ以降も嫌がらないようであるなら、基礎的自立が出来ていないという事ですから相当の注意が必要です。
ほかに物を壊した子供や万引きをした子に一切叱らずに淡々と言い聞かせ(誘導)、最後に「今度は壊す前に結果を考えてやるようにしましょうね」といって、子供が「うん」とうなずけば、再びほめて抱きしめてあげる事で親の喜びをつたえるそうです。
これは単なる逃げ口実を親が作り出してくれただけに他ならず、子ども自身は嬉しくもありませんし、喜びもしません(顔だけはうまく逃げられたと笑顔になりますが)、当然に叱られませんので愛情不足となりますから、将来大きな問題をおこします。
見かけだけよくても、親の自己陶酔と目的貫徹の為に子供はつき合わされているだけのことですから。
学校に行きたがらなくなく事はどこの家庭でも経験のあることかと思いますが、
そうしたとき、“玄関で親が子供をぎゅっと抱きしめて上げれば子供は安心して学校へ通うようになる”、そんなことを平然と語る者がいますが。
学校に行きたがらない事と、親の抱きしめるにはなんの関係もありません。
毎日学校へ通っていれば嫌なこともあるし、友達同士で喧嘩する事もあるでしょう、しかしそれは子ども自身が自分の力で解決しなければならない事です。
いくら親が抱きしめたとしても、根本である問題は一切解決しませんし、解決する力もつきません。
抱きしめたら子供が安心するなどという考えは、単に親が自己愛的に自分を満足させるだけの極めて自分勝手なことですから。