帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

僕が問題視するほめて育てるとは、肯定するほめて育てるとは 最終

2008年05月17日 | 研究-教育・育児

当然、友達に対しても育てられた方法そのままで(親の姿そのまま)で接する事になりますから、相手に対してそのまま自分の我儘と都合よい目的の為に相手を操作しようとする事が起きてくるわけです。


これがどんな事件を毎日のように起こしているかということは報道等でお分かりかと思います。


当たり前の事ですが、こうした接し方はあらゆる面でほかの子達とのギャップを生じさせ、学校生活を初めとして社会に出てもいじめられたり、仲間はずれにされる原因となり、最悪自殺や引きこもりの原因にもなります。


ほめられて育てられていますから、自分に非はまったくないと思い込んでいまし、上手く人付き合いが出来ない原因が(人付き合いは操作という認識で育っているためトラブルになる)理解できない上に、「自分に悪いところはないだろうか?」と考えるようには育てられていません(叱らない教育によりそうした能力が欠落)から、すべて他人が悪い、社会が悪いといった方向へ必ず進みます。


心を捻じ曲げて自分の我儘と目的のために育てた親の姿そのままのコピー人格がそこに出来上がるわけですが、


しかもほめて育てられているせいで根拠のないプライドが非常に高い人間性というおまけまで付いてきます。


僕ならこんな人間と付き合いたくないと、とはっきり言わせてもらいます。


とんでもないですよ、こんな人間。


最後に、叱るよりほめろという言い方をする者達もいますが、これは単に叱る事に勇気をもてなかったり二の足を踏んでいる親に対しての受けをよくするための商業的理論構築(本が売れるますから)からきているわけですが、


基本はほめて育てると叱らない教育です。


*ちなみにこうした事を進めている人間に根拠を聞くと例の大脳生理学やら行動認知学とやらを持ち出します。


この言葉にひきつけられる親は現実的に多く、

その本心は可愛そうだから子供を叱りたくない、叱る事により苦しい思い(親が)をしたくない、子供にいい顔をしていたいとい、という単なる親のわがままが根底にあります。


だからこそ三段論法的な結び付けを強引に行って、愛情を注ぐという名目の基に叱らないための誘導を始めたりする。


これでは子供の考える力を失わせ、親としての成長はなく、親の我儘と都合よい誘導をするだけで、
理解したように見える子供の頭の中あるのはすべて、親が与えた結論でしかないわけです。


算数を教えるのが親として考えるなら、叱ることは問題を解かせること。


答えは子ども自身が導き出して初めてさらに高度な問題が解けるようになるわけで、解き方と答え教えて得るものなど無いことくらい誰でもわかるかと思います。


子供は叱らずにほめれればとりあえず嬉しいですから親の誘導に従ってくれます。

ただ、自分で考え行動し進歩するという力は育ちませんから。

幼いうちは親に従順で問題なかった子が些細なきっかけ(たいていは友達とのいさかい)で突然豹変したようになる。

当たり前の事ですが、反抗期の年齢に近いほど思考も高度化し、自分で答えを導き出さねばならない時に、自分の感情を処理する事もできない苦しみが重なるわけですから想像もしなかった問題を起こすようになるわけです。


これはあたりまえですよね、親がそうしたわけですから。


自分で考え行動し、進歩できないということが、どんな恐ろしいことであるかということは、私の書いたものを全部読んでくれている皆さんにはお分かりでしょうから、ここではあえて書きません。


最後に、この叱るよりほめろという教育に絡んでもう一つ書いておきます。


よく女性が勘違いしている事の一つに、子供を抱きしめればそれが愛情伝達であると考えているところがあります。


教育評論家が雑誌の教育相談などでよく回答にしていることが多いのですが、
これは本能的に包み込まれる(保護)事で安らぎを感じる女性側からの一方的理論展開でして(故にこうしたアドバイスをするのは女性がほとんど)、


ところがこうした接触を本能的に“支配”と感じる男の子には不快となるために適しません。


せいぜい3歳くらいまでがいいところですが、それ以降も嫌がらないようであるなら、基礎的自立が出来ていないという事ですから相当の注意が必要です。


ほかに物を壊した子供や万引きをした子に一切叱らずに淡々と言い聞かせ(誘導)、最後に「今度は壊す前に結果を考えてやるようにしましょうね」といって、子供が「うん」とうなずけば、再びほめて抱きしめてあげる事で親の喜びをつたえるそうです。


これは単なる逃げ口実を親が作り出してくれただけに他ならず、子ども自身は嬉しくもありませんし、喜びもしません(顔だけはうまく逃げられたと笑顔になりますが)、当然に叱られませんので愛情不足となりますから、将来大きな問題をおこします。 

見かけだけよくても、親の自己陶酔と目的貫徹の為に子供はつき合わされているだけのことですから。

 

学校に行きたがらなくなく事はどこの家庭でも経験のあることかと思いますが、

そうしたとき、“玄関で親が子供をぎゅっと抱きしめて上げれば子供は安心して学校へ通うようになる”、そんなことを平然と語る者がいますが。


学校に行きたがらない事と、親の抱きしめるにはなんの関係もありません。


毎日学校へ通っていれば嫌なこともあるし、友達同士で喧嘩する事もあるでしょう、しかしそれは子ども自身が自分の力で解決しなければならない事です。


いくら親が抱きしめたとしても、根本である問題は一切解決しませんし、解決する力もつきません。

それどころかそうした親に逃げ口を求めてどんどん親に依存していく事を教えていると思ってください。


抱きしめたら子供が安心するなどという考えは、単に親が自己愛的に自分を満足させるだけの極めて自分勝手なことですから。


僕が問題視するほめて育てるとは、肯定するほめて育てるとは その2

2008年05月16日 | 研究-教育・育児

これを基にして、やたらと異常な?ほめて育てるを推奨するような真似はい
かがなものであろうか?と私は思うわけです。


さらに追い討ちをかけるようですが、ほめられて気持ちが良いからと大人の
感覚をそのまま子供の人格育成にそのまま当てはめるのは愚かで、

それは大人はすでに完成された人格、対して子供はこれから心(人格)が育
っていくわけで、それは喜怒哀楽の成長に伴って蓄積される多種多様な経験
が絡み合って構築されるものですから、大脳生理学や行動認知学でこういっ
てるからと、

叱ることを放棄したり、ほめることで叱ることの代用をする等というこ
とは非常にあやふやで危ないものでしかありません。

 

どうもこの国はやたらと難しい名前がついたり、何かしらの権威が表示され
ただけで完全に正しいと信じ込む傾向があるようです。


誰かがこうしたものを中心に持ってきて、「だからそれがいいんだ」と言え
ば、全体がそろって極端な方向へ進むことがこの国では起きるわけですが、


その代表格が、叱らねばならない事までもほめる事で代用しようとする教
育法
で、こうした子育てがいかに恐ろしい結末をもたらすかはこれまで
幾度も書かせていただきました。



こうした卓上理論で教育され、問題を起こすようになった子達を再び直して
歩かせる為の活動をしているところからの声というものは重要で、本来はそ
うしたところからの声という物が一番優先され考慮されねばならないはずで
すが、現実は無視されがちです。



現場の声には全て共通している点があります。



それが親の我儘と目的の為にほめるような教育を止めよ、叱るべき時は
きちん(正しく)と叱れという2点なのです。


さて、当たり前の事ですが、誰でもほめられれば嬉しいものですが、それが
自然な心から来ているのか、それともそうでないのかという事は、大人であ
れはすぐに分かるものです。

これは子供のころより正しくほめられ正しく叱られてきた人間ならなしえる
ものであり、間違ったほめられ方+叱られないで育ってきた人間にはこうし
た正常な判断が普通に出来ません。


これは私が学習させていただいている施設にも、ときおり上記の教育によっ
て全く人の心が分からなくなった子が入ってきます。


注意:ここはもともと普通の子だったのが、単に道を踏み外したことで連れ
てこられる子ばかりですが、時折こうした子も来ます。


普通なら分かる相手の心(感情)が、普通に理解できないのがあたりまえと
なってしまったわけですが(そう育てられてしまったわけですが)


これは将来社会生活を営む上で絶対に欠かすことの出来ない最低の人間関係
すら構築することが出来ない(生きていくことすら難しい)という事を意味
します。


それは何度も繰り返すように親の我儘と身勝手な目的の為にほめられる事
と、正しく叱る事を放棄して育てられた事で起きるわけですが、


たいていは次のようなステップをへて到達しています。




それはまず、乳飲み子の頃よりほめて育てるをされています。
自然な心でほめる事が消失し、単なる見栄やほかの子との比較から始まるば
かりか、まだ3歳なのにエリート教育、就学すれば親の視点は成績だけに注
がれ、いうなれば親の都合を満足させるための誘導的教育を幼いころから受
けてくるわけです。

これにより親から子供への正しい評価(礼)がまったくない無い状態が恒常
化する上に、親は自分勝手な目的の為に普通ならありえない解釈やおかしな
解釈で心を捻じ曲げつつ教育し、本来であれば叱らなければならない事まで
ほめて何とかしようとする。


心を傷つけるとか、暴力の連鎖がどうとか、いかにも正当に見える理屈をつ
けてはそうやるわけですが、そうして育てられれば、捻じ曲げた親の心その
ままをそっくり受け継いで育ちます。


当たり前の事ですよね。


これにより子供にもたらされるのは親の自然な姿(愛)も知らず、他人の自
然な評価(ほめられる)という事の意味をまともに知ず、また解釈できない
子として当然に成長するということ。


なぜなら、子供の人格を構成するにもっとも必要な親の喜怒哀楽の感情を、
こうしたほめる子育てというテクニックにて無理やり加工して伝えていると
いう、悪夢のような現実(問題)がそこにあるからです。


これではまともな心をもった人間など成長するはずもありません。


親の我儘と都合よい目的の為にほめられるということは、そこに親としての
喜びがないのにそう偽装されることであり、これは無感情のままほめられる
のと同等、



また親から嘘(加工された)の心を伝達されることでもあるという事を忘
れてはなりません。


こうした事が生じていながら、親は恐怖の教育書(ほめて育てる・叱らない
教育)のセオリーどおりに精一杯尽くします。

子供に愛を伝えていると思いこみながら、現実は単なる親の見栄や我儘、親
の都合に満ちており、実態は子供の進歩をなおざりにして自分の意図する方
向へ子供を操作する事にしかならないわけです。


子供はプログラムで動くロボットではない、まずこれが心に無いこうした異
常なほめて育てるなどという子育てを平然と行うようになるのですね。

こうした子育てをしていると親は自然な心を捻じ曲げて子に接しているわけ
ですから、親としてはこんなに精一杯やっているのに、こんなに考えてあ
げているのにという気持ちが起きてきます
、無理には苦痛と不快が伴いや
すいからです。


親は悶々とし、しかし所詮は中身のない操作ですから、伝えているように見
えていながら実は親の心(喜び)を全く受け取れないまま子供は成長するわ
けです。


まさに愛情の欠落したまま育つということ。


さらに自分の感情を友達等に伝達方法を親から学ばずに成長するということ
そのもをも意味します。


けして本心を表さず、直接的な会話をおそれていかようにも解釈可能な短文
メールに固執し、それにより自分と友達とつながっているのだと擬制して安
心を得る。


これも社会全体が子供を育てる再に叱る事を出来るだけ排除し、ほめて育て
ることだけで育てようとした結果生まれてきた一つの社会現象といえるでし
ょう。


僕が問題視するほめて育てるとは、肯定するほめて育てるとは。 その1

2008年05月15日 | 研究-教育・育児

 

僕はこのブログにおいて、“ほめて育てる事”に関して


強烈に問題視しているほめる、多いに肯定しているほめると二種類
ありま
す。


矛盾しているように見えるかと思いますが、この差は”ほめる”という行為
そのものに対する視点をどこにおいているか?という違いから来ています。


一つは人としての自然な心を基にしてほめる。

もう一つは、自分の我儘と身勝手な目的の為に子供をほめる場合です。


「ほめるとは本来どういったものなのか?」 という事を考えてみるなら、


親に「ほめよう!」という思いが生じたときであり、それはそのまま子供に
進歩(人格的成長)が見られた時でもあります。


身近な例をあげるなら、子供に家の手伝いを任せている場合等ですが。


単に親の言われてとおりにやることから一つ進歩して、掃除の方法を自分で
工夫したり、自主的に範囲を広げたりという時
などがまさにそうです。

これは子供の成長を願う親からしてみれば嬉しさそのものですから、その進
歩を賞賛したくなるのはあたりまえ。

ここで、ほめる(自然な心で)という行動がおきるわけです。


子供はその進歩や創意工夫、自主性の拡大に気付かずに行っていることもあ
りますし、分かっている時もる。


そこに親が正しく評価する(礼)ことによって、子供は親のなかに存在する
喜び、そしてそれに連なる多く”心”を学びます。


小さな事ですが、それが大人へと成長していく過程において幾千、幾万とい
う積み重ねられながら人格が成長するわけです。


これが古来からある“人としての自然なほめる”であり、当然に普通であ
ることや、当たり前の事をほめられることは有りませんでした。


勘違いしないでもらいたいのが、例えばそれが大人では当たり前にできる事
であったとしても、子供は日々成長しているという大きな違いがあること、

例えば一昨日と昨日が同じであればほめる必要などありませんが、これは出
来たことが当たり前となったからで、進歩が停滞したことを意味します。

 

しかし、昨日から今日にかけて新しい進歩があれば新たにほめる。

進歩を親が認識したときに礼をもって正しくほめることが一番正しいという
ことです。



さてこうした人としての自然なほめると全く対照的なのは、この15年
くらいの間に台頭してきた“ほめて育てる”という学者や教育評論家な
どが盛んに提唱する、親の我儘と都合よい目的の為に?ほめる行為で
す。

ほめられれば誰でも嬉しい、だからそれを上手に使って?“都合よく子
供の教育をしよう”というもので、最悪なものは叱る事にまでそれで代
用しようとするものですが、これは一見子供のためにという名目を被せ
た、子供の純真な心と感情を利用しただけの“親のための方法”でしか
有りません。



この根拠となるのが大脳生理学や認知行動学やらですが、これを全くあやま
って解釈している人たちがやたらと多く、実験で実証されているから良いと
薦めるわけですが。


そもそもこの大脳生理学や認知行動学自体が乳飲み子からはじまって成人ま
でにいたる人格的成長実験を何万件も行って実証した事実すらありえません
し、大脳と人間の行動を関連つけることは出来ても、人格そのものを育てる
事とは全く見当違いであることはほとんど知られていません。

書き始めるとやたらと難しくなるので辞めますが、成績を上げることは出来
ても人格を育てることとは無関係であるということです。

さらにほめると効果があるというデータが取れたとしても、同じほめるにお
いてそれを様々な種類にわけて乳飲み子の頃からデータを取ったわけでもな
く、最悪なのはほめる事の質(正しいほめる、間違ったほめる、親がほめる
場合と他人がほめる場合、等々まったく考慮されていません。

まとめると、大脳生理学や行動認知学は参考的一部分切りとりデータでしか
ないということです。

 

明日へ続く (^^)


自己紹介3 どうでも良いことですけれど・・・

2008年05月13日 | 僕という人間 その他
自己紹介3

親父に中途半端といわれる僕ですが(笑)、ざっと振り返るとこんな半端な生き方
なんですね。

工業技術系大学付属高校の電気科を卒業し、一時ふらり(ぷーたろう)していたこ
とがありました。
最後まで進学希望だったわけですが、貧乏だったし、いろいろあって諦めるしかな
かった・・・。

それを救ってくれたのが、たまたま(暇だった)遊びに行った?高校の先生。
小さな設備会社を紹介され就職、なぜか数日で訳も分らず超一流会社へ飛ばされ、
さらにすぐそこから特殊な環境の職場へ蹴飛ばされまして、
右を見ても左をみてもアメリカンなわけで、日本語通じなかった・・・

「なんでだろ~?」 (^^;) 悪いことしてないのに ハハ

そこで、まず与えられたのが膨大な学習時間、そして仕事、高度な技術を自分で学習することを求められ、ここで電子工学(コンピューター制御技術)、機械工学(メカトロニクス、自動車工学)、電気工学(パワーエレクトロニクス&発電設備&制御設備)をいやというほど叩き込まれました。

その技術を悪用しつつ? 仕事の後や休日にアルバイトなんぞしまして、車のエン
ジンやらバイクのエンジンなんかをチューニングしたりオーバーホールなんかをや
ったりもしましたが、このときが一番楽しかったです。 (^^)

最後は設計部署に移動しましたが、自分の設計(電気通信設備)した病院や建物
をいくつも造り、それがいまでも無事に稼働しているのを見ると嬉しいです。
このときに建築設計そのものも勉強しましたが、木造設計が出来る程度のレベルま
で終わったところで職場を失い失業。

この数年前から人間の心を知る事に興味を覚えて、それには知恵の集大成である法
律が一番面白いという事に気付き、かなり学んでいたことから、そのままその道へ
進みましたが、“お金 お金”とそればかりの世界にいいかげん嫌気がさしまし
て、辞表、再び半年のぷー生活を経て今の仕事へ就きました。

大脳生理学や教育論、本能論などに興味を持つ出来事があり、それ以降ずっと研究
をしてきています。

こんな人生を歩んで来たわけですが、こうして書き出してみると本当に中途半端だ
なー・・・・ (^^)

現在エンジニアというか技術を欧米の若者におしえる教官(マルチスキルエンジニ
ア)としての仕事が多く、昔(自分の子供の頃の)日本式?そのままでやっていま
す(教育とは人格育成を含むものですから)、当然摩擦が多発して口げんかみたい
になることも始終、でも終了後の彼らの笑顔が嬉しくて変わらない指導をしていま
す。

ウインドサーフィンが趣味ですが、はっきりいって下手、でかいダッジバンと下
手なサーファーがいたら僕ですよ~!

自己紹介2

2008年05月11日 | 僕という人間 その他
僕の専門分野&付属分野を紹介します。

まずは電子工学、電気工学で、この比重が大きく30%くらい、

次が機械工学(流体論含む)で20%、当たり前の事ながら電子制御の車から
キャブレターのバイクまで整備はお手のものです。

そして通訳(おー!英文書けないくせに技術書読むのと通訳だけは出来る)で
10%?

この三つが専門のメインです。

次が付属というか専門にやっていない(過去に専門だったの含む)のが、

まず法律(20%)でかなり専門的な事まで出来ます、簡単に表現するなら自分で
単独訴訟遂行可能です。

弁護士いりません、 ハイ! (^^)

そして木造建築技術(10%)

後はコンピュータ知識ですが、どちらかというとハードウェアの論理回路。

8%くらい。

最後に基礎医学2%くらいかな・・・・


親は、特に親父は「全部中途半端だ!」と私を叱ります、本当に親はよく見ている
と思います。

(^^;)でへへ

「あっ!そうそう」、これ以外に独学による研究として大脳生理学、本能論、教育論なんかがあります。


しかし本人もそうですが、余り役に立たないことばかりですね・・・・


週末はパー!

2008年05月11日 | ウインドサーフィン 
といっても、こればかりは自然現象。
気圧の変化があるからこそ楽しめるスポーツなわけでして・・・

やたらと熱のある人は風さえ有ればこんな雨でも行きますが、僕はそんな気になれません。

今週がダメなら来週に期待します。


正しく叱る方法 その7最終

2008年05月10日 | 研究-教育・育児

いずれこれに関しては書いてみたいとおもいますが、今日は短めにしておき
ます。


本来の愛情とは親の喜怒哀楽、すなわち“そのままの心”をふんだんに
子供へ注ぐということで、そしてその中でも特に正しい怒りの感情とい
うものが、他の何より重要なのです。


怒りは脳幹から直接発せられる極めて本能的もので、ゆえに本来自己防衛、
もしくは生存の為の攻撃(狩猟含む)を基にしていますから非常に破壊的な
行動
でもあります。


実は「それを自分に行使されることはどういったことか?」ということを子
供は本能的に知っています。

これは理屈ではなく、自分を破壊する危険性のある怒り(攻撃)を、親
心という愛情に包んで伝達してくれる正義、それがどれだけ自分の進
歩の為にあるかという事を子供はきちんと受け止められる(思春期前ま
で)ようにもできているということです。


注意:虐待を受けている子達は必ず共通して自分が悪いといいます、みんな
不思議がりますが、なぜかを解明した人はいません。

当たりの事ですが、本能によるものですから理屈で説明できる物ではないわ
けです。

他人なら攻撃、親なら自分の為と受け取る不思議な仕組みですが、これも二
次性徴期=反抗期(自立)の到来と供に失われます。

以降はそれまでの経験則がきびしい言葉を理解させるわけですが、ほめて育
てる・叱らない教育を受けてきた子はこうした経験則が有りませんから、親
や他人の厳しい言葉=自分にたいするただの破壊行為
となります。

それがどういった意味を持つかはもう散々書いているのでお分かりいただけ
るかと思います。

多くの人が経験していると思いますが、幼い頃に親に叱られた後、妙に心が
すっきり晴れ渡って、同時に甘ったるいような、いとおしいような感情に全
身が包まれたのを覚えていますでしょうか?


素直になって「ごめんなさい」と誤り、親が笑顔で頭を撫でてくれたその瞬
間に得られる無形の愛。


これも本能による伝達です、そしてまた、それがその子にとっての親の愛情
そのものなわけです。


ですから、子供を叱ると、やたらと付きまとって泣くか、しばらく離れた後
に親のもとへ戻ってきますので、

黙って頭を撫でてあげてください、余計な言葉はいりません、それだけで十
分です。


人の心とそれを構成する感情は太古の昔から現在にいたるまでなんら変るこ
とはありません。

余計な知識や情報など無く、喜怒哀楽を大切にした自然な心で子供を育てて
きた昔は引きこもり等と言う問題は皆無でした。


どんなに過去を調べても、引きこもり問題で国が大変な思いをしたという記
述は世界の歴史に全く皆無です。

ところがそんな歴史の中で唯一この国だけが膨大な数の不登校と引きこもり

そしてニート(合計600万人)を抱える事になってしまいました。

 これはとんでもなく恥ずべき事なわけですが、

それが恐怖の教育であるほめて育てる・叱らない教育の台頭と同時に異常
罪を犯す子供達と出現してきたという絶対事実
に、私達は気づかねば
ならないのです。


明日更新

2008年05月09日 | 研究-教育・育児
すいません、書き込みを編集しているデーターストアを職場に忘れてきてしまいました。
明日更新します。

このブログ開始から増え続けて、思った以上に見てくれている方が多いことに驚いています。

「ありがとうございます。」 

たいしたことは書けませんが、これからも暇なときに見てください。

(^^)


そういえばこんなことが有りました、僕はほぼ毎朝自分でトレーニングしています。 

理由は

まずウインドサーフィンと言うスポーツが激しい物であること。

バイクに楽しく乗りたいこと(280kgの車体を振り回す体力がないと楽しく
ありません)。

18,19歳くらいの若集が相手の仕事もあるのです、いざというときはり倒せる
パワーも維持せねばならない(実際やりませんが)。

なんていうものです。

トレーニングは、まず2.5kmのランニングではじまるので、当然職場で飼い始
めた犬を連れています。

半分くらいを走ったところで、その犬が草むらを転げ回りはじめ、何してるんだ?
と思うもそのまま走り続けていました。

しばらくして犬が来ると   「うお!」、「臭せー!」(ーΩー”)

なんだか知りませんが、体の横が”うんち?”らしき物で茶色く汚れています。

カラスだか、狸だか、猫だかは分りませんがついている・・・・

「このバカ!」と思いつつホースでジァバジャバ洗犬。

利口な犬ですが、こんなところもあったのです 

(ーー”)「この、アホが!」

(^^)


穴?

2008年05月07日 | 
ところで故障中のシェビー君、今日から工場が始まったので早速電話。
すると、電話の向こうでなんとなく弱気、まあ4トンもある車体を牽引するのは楽じゃない。
分からなくも有りませんが、「来てくれれば修理は可能だけど移動はレッカーに頼んでくれ・・・・」というお話。

それじゃレッカーで移動させるべくネットで調べると、当たり前というか、これが普通なのでしょうが、思っているより遥かに高い金額。
92年式なので燃料ポンプは1万2千円前後、途中にあるストレーナーが2千円くらい、牽引と工賃であわせて安くて4万、高くて8万もあれば終わると考えていたのが、レッカーなんぞ呼んだら10万からへたすりゃすりゃ15万コースと、とんでもない出費になりそうです。

だいたい、アメ車はこのポンプがよく壊れるので有名なくせに、なんで日本車みたいに床板はずして交換できるようになってないんだ「くぉらー!」 (ーー;)
と怒り心頭ですが、

「あ!」、「ぴろりーん!」

日本車には穴が有る、アメ車には穴が無い、それなら穴を造ればいいじゃん!

おおー! なんでこれに気が付かなかったんだ!

穴を開ける、自分で交換できる、今後のメンテナンスが異常に楽になる、おまけに修理費が15万から1万5千円になる。

あいた床板はFRPで蓋をつくり、シリコンシールすれば問題ないし、
うえには絨毯がかぶさるのでなんら問題は無い良い事ずくめじゃん!

さっそくやらねば (^^)フンフン・・・



正しく叱る方法 その6

2008年05月07日 | 研究-教育・育児

故にシンプル(誰にでも出来る、誰にでも可能である)ということは重要
で、”叱る”という心の伝達をしているさなかに、逐一難しいテクニックを
行使している時間等、本来は無いはずです。

実際、余計なことを頭の中でごちゃごちゃと考えて体裁をつく
ろったり恰好をつけている間に本来親が伝えねばならないことがぼかされて
行ってしまうことは多々あります。

 そして最後には「一体なんだったっけ?」という事になる。


故に本来の目的を外さず、単純で常に実行可能(誰にでも)でなくてはなら
ない故に「進歩しろ!」という言葉に集約させるわけです。


叱る言葉を発しても、親の心は子供の進歩のために置く、実質的にはこれが
人に出来る限界でもあるわけです。

進歩という言葉は、とても単純ですが、単純であるがゆえに子供に判りやす
いかたちで繰り返し伝える事にもなります。

心に持っているだけで、言葉にせずとも伝わる物で、その対岸に有るのが
「本当にこの子は馬鹿だ」、「こんなことも出来ないのか」と叱ること。

「進歩しろ!」と心に込められるのとでは、どちらが正しいのか?

そう考えればすぐに分かることです。

しつこく繰り返しますが(重要なので)、本来叱るという事は子供の成長が目
的であり
、それ以外のものは一切不要。

単純で明快、分かりやすくて目的をはずさない、進歩という言葉を常に心の
前に持ってくる。

それが正しい叱るという事です。

そうで無ければ、「子供は自分で答えを出しながら、自ら進歩(成長)
することは出来ませんから。

 

さて、叱られることにより子供は100%心がかき乱されます、しかし年齢
が幼いほど素直ですから理解も早くてすぐに落ち着いてきます。


*注意;思春期真っ只中だと数日、下手すると数週間は目も合わさず口数も
少なくなります。

当たり前ですが、年齢が増すにつれてきちんとその子なりの人格ができてく
るからで、親に笑顔を向けてくれるまで時間がかかるのは当然かつあたりま
えのことなのです。

ここで親が(特に母親)うろたえてご機嫌を取るような事をすれば、親が子
供に嘘をついた事になります。 子供は叱られることで苦しみます、だから
成長するわけですが、同時に自分の都合よい方向(逃げ口)を捜し求めてい
ます。


親のうろたえる姿は、子供の逃げ口実の明確な原因となり、ましてや母親が
父親の悪口を言えば、そうした逃げる為に他人を攻撃する姿をしっかり学び
ながら成長し、やがては結婚後に自分の伴侶相手に憂さ晴らしや八つ当たり
する人間(弱い人間)になります。

親としてそれが必要だからそこ叱ったわけですから、堂々としていればよ
く、ご機嫌を取る事は最低な行為だと覚えて置いてください。

ついでなので、家庭にありがちな事をもう一つあげておきます。

時々お父さんが子供を叱っている時に、母親が横槍をいれたり、離婚してや
るという言葉を吐く場面
もあります。

実はこれ、人生で最大かつもっとも重要な人間関係を、破壊する事をちらつ
かせて自分の思うとおりにしようとするもっとも汚くてひきような脅迫方法
を母親が手本として教える事
に他なりません。


結婚は一生を通じて築く信頼関係そのものです、相互の信頼が主軸にあり、
子供は親の信頼関係を学びながら成長します。

ところが、片方が常に自分の要求を通すために脅迫をしている姿をみせられ
ながら成長した子が、将来まともな子になる事は、まずありません。

こうした例はいくらでもありますから・・・

さて叱られた後の子供ですが、叱られるという行為をとおして親の愛情を受
け取りますので、
絶対に嫌いになるということはありません。


思春期の子供が問題を起こしているとよく愛情不足だといわれますが。


これは一般的教育相談などで言われる抱きしめてあげてくださいだとか、感
謝の言葉をかけてあげてくださいだとか、優しく接してあげる、大好きだと
いってあげる等々とは大きく異なるものである事を知ってください。


 

続きは明日 (^^)


新入り紹介って、おいおい!

2008年05月07日 | Weblog
僕の職場に新入りが・・・・
でも今回は人間じゃない、なんとスタッフォードブルテリアという種類の犬。
ネットで調べると「これって闘犬でどう猛な犬じゃん!」

「くそ~・・・」(ーー;)

何でも聴覚障害のために売り物にならず破棄?されるところを善意有る訓練士が
引き取り育てたものを、”もらってきた”そうだ・・・

「もらってきただー!」 (ーー”)って少し怒り 

例のごとく若さというか、勢いでもらってきたらしいのですが、「お前らがここを
卒業?したら誰が面倒見るんだ? おい?」

ってまったく人の話を聞いていないし・・・・(ーー;)「フー・・・・」

そんでもって仕方なしに放っておくと、信じられないくらいに訓練されているのが
分ります。

デカイのに2週間経っても一度も吠えず、悪ふざけもしないし、絶対服従で指一本で全て言うことを聞く、礼儀正しいし、分をわきまえている。

「かっ 可愛い・・・・」  (^^;)

「うお~!いかんいかん」  (ーー)

これでは若い衆の思うつぼだ・・・・ (・・)

しかしブラシなんぞ持っている俺は「何しているんだ~!」 (ーー;)


毎朝、たった一人で行っていた自主トレーニング(筋トレ)にも人なっこくついてくるし、けして側を離れないし邪魔もしない

どうしょうかこいつ・・・・  (ーー;)




穴?

2008年05月07日 | 

ところで故障中のシェビー君、今日から工場が始まったので早速電話。
すると、電話の向こうでなんとなく弱気、まあ4トンもある車体を牽引するのは楽じゃない。
分からなくも有りませんが、「来てくれれば修理は可能だけど移動はレッカーに頼んでくれ・・・・」というお話。

それじゃレッカーで移動させるべくネットで調べると、当たり前というか、これが普通なのでしょうが、思っているより遥かに高い金額。
92年式なので燃料ポンプは1万2千円前後、途中にあるストレーナーが2千円くらい、牽引と工賃であわせて安くて4万、高くて8万もあれば終わると考えていたのが、レッカーなんぞ呼んだら10万からへたすりゃすりゃ15万コースと、とんでもない出費になりそうです。

だいたい、アメ車はこのポンプがよく壊れるので有名なくせになんで日本車みたいに床板はずして交換できるようになってないんだくぉらー! (――;)
と怒り心頭ですが、

あ! ぴろりーん!

日本車には穴が有る、アメ車には穴が無い、それなら穴を造ればいいじゃん!

おおー! なんでこれに気が付かなかったんだ!

穴を開ける、自分で交換できる、今後のメンテナンスが異常に楽になる、おまけに修理費が15万から1万5千円になる。

あいた床板はFRPで蓋をつくり、シリコンシールすれば問題ないし、
うえには絨毯がかぶさるのでなんら問題は無い良い事ずくめじゃん!

さっそくやらねば (^^)フンフン・・・


ゴソゴソ

2008年05月06日 | 
さて故障した車、工場が開くまでまだあるので、とりあえず出来事はやる。

そんでもって職場から持ち出したマルチテスターを使って故障修理。

大方の予想は燃料ポンプ、アメリカ製の車はまず燃料ポンプ、プラグ、ディスビーと
ダメになるところが決まっていて、セオリー通りにイグニッションキーを回して燃料ポンプの動く音を確認します。

普通ならカチカチカチと音がするはずが、何か弱い・・・・

一応ポンプ動作用のリレーを外して確認して見るも異常は見られません。

そんじゃとスターターを回すとあっさりエンジンがかかってしまいました。

(ーー;)れれれ・・・

そんなに上手くいくはず有りませんから、しばらくアイドリングの状態を保ちます。

エンジンがかかったと言うことは点火系辺りに問題は無いと云うこと。

そんじゃとハンドブレーキをめいっぱい引いて、ATをDレンジにいれ負荷をかけてみます。

おりょりょ (ーー;)

これもパス。

でもやっぱり、「そんなに簡単なわけねーだろ!」と心で叫んで、
さらに様子をみる。

やがてぶるるというエンジンの震えが始まりすとんとエンスト。

ほら出た! (^^) と喜んでどーする。

スターターを回すもやはり始動しない。

そこで改めて燃料ポンプの音を聞くと無音です。

原因発見!と思うものの、もしかすると燃料ポンプリレーの可能性は捨てられませんので、
リレーのすぐ下にあるダイレクトコネクタ(シェビーはこれがついています)に
バッテリーから直接電圧をかけるとコン、コンと電圧をかけるたびにタンク辺りから音がする。

これにて一件落着! トラブルの原因はやはり燃料ポンプでした。
そんでもってタンクを外しての大作業になりますから。

自分でジャッキアップしてジリジットラック(馬)などかまして命がけの作業するなら
リフトのある整備工場におまかせ。
100L近い燃料が入ったままのタンクから燃料を抜き取るポンプやタンクがないのもありますし、
数万円で命をかけるつもりはありません。

なんで自分で故障診断をするかという言うなら、以前故障修理でだまされた経験があり、
それが嫌なのと機械工学、自動車工学は私の専門の一つですから自分が出来ねば話にならない、

出来ることはまず出来るだけやってみる、それが自分を成長させるとおもっていますので。

(^^;)えへへ



昨日のウインド

2008年05月05日 | ウインドサーフィン 
ゴールデンウィークとは無縁の僕は普通通りに土日しか休めません。
そんでもって昨日の朝から張り切りモードで車を出したところ、
家から200mくらいのところでエンジントラブル。

でかいシェビーバンが故障じゃ偉い騒ぎで、道路を封鎖状態。
何とか駐車場まで移動させたものの最後の段差に後輪が取られあがれない。
仕方なしに保険屋のレッカーを読んで何とか納めました。

7日以降しかやっていないであろう修理工場まちです。
自分で修理するかと思ってますが、原因はだいたい分ります。
走行距離と年式から燃料ポンプのトラブル。
そうなるとタンクを降ろしての作業ですから偉い騒ぎ、リフトなしでは出来ませんから、この場合は大人しく工場行きです。

なんだかんだと8時、仕方なしにパジェロミニに道具を積んで大渋滞にはまる、
8時を少し回った頃に出て、着いたのは12時半でした。

疲れる・・・・

シボレー故障

2008年05月05日 | 

昨日は偉い目にあいました、ウインドへ行く準備の為にでかいシボレーを移動していたところ、家のすぐ眼と鼻の先にある坂で突然のエンスト。
オートマですから、エンジン停止=トラブルなのです。

再度スタートするとなんかエンジンが変、吹け上り方がおかしい。
しばらく暖気すれば何とかなるかとおもっていたらまたエンジン停止。
以降二度とかからなくなりました。

こうなると4トン近い車体はお手上げ、坂だったのでとりあえずNレンジへいれてブレーキかけながら坂をバックで下ります。

しかし、変な体制で車はストップしてしまい、なんと完全道路封鎖状態。
あわてて家に帰り息子のダットラを持ち出して家内の協力を基に後ろに引っ張ったり前から牽引したりして何とか脱出。

そのまま駐車場まで引っ張っていきましたが、入り口でダットラがスリップ。
後輪が段差を越えられなかったのです。

こうなるとさすがに動かない、仕方無しに保険会社のロードサービスを呼んでウインチで駐車場にいれてもらいました。

この時点で7時50分、今日は三浦に行くのはよそうかと思っていたのですが、
どうしても娘が「行きたい!」とのたまわる。

仕方無しにパジェロに道具を積んで8時に出発、私の道具も積もうかと思いましたがルーフキャリアが狭くてどう考えても無理、仕方無しに娘のものだけにしました。

本当ならヒッチメンバをつけてトレーラーを引く事もできるのですが、まだ肝心の装置がついていないのではそれも無理なのですね。
「はやいとこ取り付けねば・・・・」

途中で大渋滞にまきこまれ、結局12時半に到着。
その後3時半くらいまでずっと楽しそうに娘だけが乗っていました。
途中で知り合いの国枝プロが現れて娘としばし一緒にプレーニング&バトル?
というか色々教えてくれたみたいです。
本当に感謝です。

私はというと、家内と2人で指をくわえて一日中写真だけ撮っていました。