「どうしょうか・・・・・」 と思っていたけど、後二つばかり、例の東先生のエピソードを紹介します。
まずはその一つ目。
毎度、バカバカしいと思うのですが、これはこれは花瓶が割れた事件をめぐっての事です。
そのとき、先生の机の近くに立って、座っていた友達と話していた僕、あれは3時間目と4時間目の間の休み時間だったかな~、たしか。
僅かな時間ですが、外に行ってる友達、廊下にる友達、そして教室の中をふざけて走り回っていた友達等々、
普通の学級で普通に見られるこうした光景ですが、運が悪かったというか・・・
僕のすぐ横を、追いかけっこした友達が走り抜けた瞬間、追いかけていた子が教壇に当たり、机の上の花瓶がグラリ!
「あっ!」と思って瞬間的に腕を伸ばしたけど、間に合わなかった・・・
静まり返る教室、そしてそのすぐ後におこる、よくある出来事。
ふざけて追いかけっこしていたのは、クラスで人気者の二人で、この二人が「あ~らら! XXがお~とした!」と僕の名前を連呼し始めた。 責任のなすりつけってやつです。
初めに言い出したのは前の逃げていたやつ、後ろの教壇にあたった奴は、自分でやったのを知っている?はずなのに
少し遅れて一緒に言い始めた。
完全な冤罪ですが、こうした小学生程度の年代では、クラスの人気者とやらが言い出したことが常に正しくなる傾向がありますよね。
ご他聞に漏れず、落とした本人が二人そろって「僕のせいだ!」と言い出せば、当然他の子はそれに応呼し、無責任にんに面白おかしくはやし立て始める。
「落としたのはおまえだろー!」と僕が言い返すと、「俺はXX(僕)が落としたのを見た!」と、追って口にするこの二人。
そして、丁度その時に教室へ例の先生が入ってきた。
ここから始まったのが、初めから有罪ありきの単独裁判。
何が悲しいかと言うなら、全く僕の言葉を信用せずに、初めから自白のみを求められていたこと。
はやし立てられ、そんなクラスの子達の言葉を聞いただけで、すっかり犯人にされた僕に、先生は容赦無く叱る言葉を降り注いだ。
そんな剣幕と、クラス全体の僕に対する有罪視線に逆らうようになるのが怖かったのだろうと思うけれど、
僕と話をしていた友達はまったく事の真相を話してくれなかった。
「違います!」その言葉を僕は何度も繰り返したが、その先生はあきれ果て、最後には「何故嘘をつくのか?」と言い始めた。
だれも弁護してくれず、相手は先生であって大人、小学生の分際でしかない子供が一方的に攻撃されればどうすることも出来ない。
尚且つ、花瓶を割った本人達は涼しい顔で知らんふりしているのだから、さらにどうにもならない。
自分ではないと言い張る僕にしびれを切らした先生は「それでは誰かこの花瓶を落としたのを見た人はいますか?」とクラスに向かって問うたが、皆沈黙。 誰も見て等いないからだ。
その後に、例の人気者が「僕が落としたのを見ました」と手を上げて言い出した。 あ~・・・・
そうなれば、その後の展開はわかりきっている。
みんな落ちた後に誰かが言い出したからそれにあわせただけで、勇気や責任感という言葉がほとんど皆無なこの年令で、教室全体が僕が犯人だという空気の上に乗っかっている以上、流れは明白となる。
誰かが「XX(僕)くんです」と言い出せば、完全に犯人として確定されてしまうのは当然のこと。
その言葉に、先生も僕が犯人だ、と(誤った)確信をし、だんだん言葉尻が強くなるけれど、絶対に僕は認めなかった。
押し問答のあげく、授業に時間が食い込んでいたことも有ってか、先生は「後で職員室に来なさい」といって、僕に割れた花瓶の処理とこぼれた水をバケツでふき取れとるように指示。
「またか・・・・」、そう思う僕だが、どうすることも出来ない現実をだまって受け入れる以外に方法はない。
やがて授業が終わり、職員室に行った僕を待っていたのは、人間性を否定する言葉達。
以前からの確執もあって 歪んだ人間だと思われている事から結構きつい言葉が並んだ。
僕は、”嘘はいけない”と言うが、「やってもいないことをやりました}、と言う嘘はどうなのだ?と思いながら話を聞いていた。
最後に、「そうですか、もういいです!」といって僕は教室へ返された、歪んだ人間性を持った子だという判決をこの先生はくだしたわけです。
「なんでだろうね?」
やっと開放された僕は、そう思ったわけだけれど、例のごとく悲しくも腹立たしくも無く、諦めと言うか? そんな気持ちでそのあとをすごした。
人間と言うのは、一度目はつらくとも二度目三度目になると、それを上手く処理できるようになる。
それから多くの時間がながれ、僕が法律の猛勉強を始めたのは、思えばこれが強烈な思い出として染み込んでいたからなのかもしれない。
抗する手段がなんら無くば、こうして一方的な圧力に屈しなければならない。
普段から相手よりはるかに高い能力と知識を身につけ、理不尽と無責任なやからに対しては、常に反撃手法と手立てを確立しておけば、こうした矛盾を簡単に撃破出来るし、更にそれを逆手にとって相手を完膚なきまで叩き潰すことも可能だ。
やがて法律事務所に勤め始め、しかしながら、そこで見たのは、ただただ、お金の事ばかり。
その世界に嫌気が差し、そこを去ったのだけど、理由は僕の本来目指していた方向とは180度異なる世界だったからだ。
今は、全くこうしたどろどろの汚さと無縁の仕事をしているが、このほうが僕には合っているのだと思う。
その2
これは卒業間近のことだ。 この先生との最後の出来事です。
もう二度とこの顔を見なくて済むのかと、卒業式の日は晴れ晴れしたな~ (笑)
卒業制作で何か造ろうか?という話は必ず出てくるものだけれど、その時はベニアの型枠の中に石膏を流し込んで作る大きな遊具だった。
カタツムリやイルカのかたち等、6年生が総出でやる作業で、でも作業の中身はいとも簡単なもので、
石膏を水で溶いて、固まらないうちに型枠へドンドン流し込むだけの作業。
好きな友達どうして班を組んでの作業で、結構楽しく、ただ、小学生ですから、みんな作業中に他の班のところへ行ったり、チョッカイ出したりなんかして、途中で何度も消えては現れての繰り返し。
まじめ?だった僕は特に他へ行くことも無く、どんどんと石膏を溶いて流しこんでいた。
よせばよかったのだけれど、班の友達の一人が、お前も他を見てこいよ!と言ってくれたので、こねるのを任せてどんな感じで皆が進んでいるのかを見て回った。
時間にして大した事は無かったのだけど、その時だった。
「おい!お前のせいで石膏固まっちゃったじゃないか!」という声がした、それまで自分がいた班とは違う班の友達で、その言葉は僕に向けていた。
振り向いて見ると、その面々は普段からあまり仲の良い子達ではなかった。
「何のこと?」と思い、「俺、あっちの班だけれど・・・」というと、さらに声を大きくして僕のせいにし始めた。
いい加減にやっていて、石膏が固まってパニック! たまたま近くにいた、しかも歪んだ人間性?ゆえに先生から眼の敵?にされている僕に、照準を合わせたのだと思う。
押し問答しているうちに、その班の一人が走って先生を呼びに行き、例の 先生が現れた。
「あ~これでまた罪を、おっかぶせられるんだろうな~」と即座に思うが、それとほぼ同時くらいに、「またあなたですか!?」の声。 やっぱり・・・・
丁度、位置的に先生の後ろ側になった、その友達?達は、ニタニタしながら、訳もなく叱られている僕の横で、「どうしたらいいんですか?」等と聞いたりして、いい子ぶっている。
その後の顛末はその1とほぼ同じだけれど、石膏が固まってしまってバケツ一つが駄目になったのと、学校で買った石膏の量が予定より足らなくてあせっていたのだろうが(先生の話の筋から)、いつもより遥かにひどい剣幕で叱られた。
とても悲しかったのですが、それ以上に辛かったのは初めから一緒に班を組んでいた友達が誰も僕を助けてくれなかったこと。
学年全体でやっていた上に、好きなもの同士が寄り集まって班を組んでいたこともあって、自分の属していた班は、叱られているこの場所から50mくらい離れたところにいた。
卒業制作造りの喧噪も有って、班の友達は、”なんで僕が叱られているか?”が分らなかったのも有ったのだろうけれど、何度かこちらを見ることが有っても、来てはくれない。
もっとも叱られている友達のところにわざわざ来て、自ら事に巻き込まれようなんていう輩はまず居ない。
本来班から離れてはいけないことになっているのだから・・・・
当たり前の事だけれど、先生は目のまえにいる責任なすり付け班の子達と僕が一緒にやっていると思い込んでいるうえに、叱られている理由が数人の共通した言葉であるなら、僕の言葉等は毛頭聞くはずが無い。
上にも書いたが、 歪んだ人間だという先例がすでに何度も下されているのだから。
「僕はあっちの班です!」、といっても、責任逃れの言い訳にしか聞こえないだろうし、嘘つき人間であるという烙印をも先生が自ら率先して押している以上、どうにもならない。
少し離れたところに連れて行かれ、延々と説教を聞かされ、それに対して僕はただただ耐える以外には無かった。
10分くらいの時間だったろうと思うが、やっと開放され、元の班に戻り、でもやる気などおきるはずも無く、ボーっとしていたところ。
再び先生が登場し、何でこの班にいるのだと再びその場で叱られた。
XX君はこの班ですと誰かが言ってくれれば助かっただろうけれど、先の事もあり結構強烈に叱られている状況にしりごみしたのだと思うが、友達は黙っているだけだった。
このブログを読んでくれている人達もこんな経験がないだろうか?
友達と小さないたずらをして、それがばれた際、「俺帰らなくちゃ」とか言いながら、調子よくその場からするする逃げてていく友達の姿。
何度も何度も繰り返しこうした経験をつんでいた僕には、今回の様な出来事は「またか」という程度のものだったけれど、バカ正直だった僕は、友達が叱られると、逃げもせずに僕もやりましたと言って、共に叱られることが多かった。
責任を他人に押し付けて、調子よく逃げるような行為が大嫌いだったこともある
こうして散々な目にあった卒業記念作品造りだったけれど、今から2年ほど前だろうか?
たまたま近くを通る事があって、バイクを停めて校庭をフェンス越しに見たところ、例の卒業記念は、すでに取り壊され、失われていた。
失敬ながら、それによって、なんとなくすっきりした気持ちになったのを僕は覚えている。
こうした経験が多々ある僕だけど、そのせいか解らないが、とりあえず何か問題が起きると、不愉快な思いをさせたとして、まず相手に頭を下げる事が多い。
低姿勢で不快を取り除こうとする行動が、反射的に出てしまう。
自分の思いに反しながら頭を下げるという事に慣れているというか、全く抵抗がないというか。
プライドなんていうくだらない物は、とっくの昔に消滅しているし、僕が不快な思いをすることで物事が解決するなら、そうすることにしている。
ただ、限度を越えた冤罪や理不尽な責任の押し付けに対しては、絶対に屈することは無い。
最終的には相手を張り倒してでも白黒つけるが、それは やられっぱなしの自分 が流す涙というものを、二度と味わいたく無いからだ。
とにかく、ひたすら相手より遙かに高度で優れた能力、卓越した力と教養さえ有れば、自分は黙して何も語らずとも、周りから伝わって相手に染み渡り、向こうが勝手に低姿勢になってくる。
こちらは、上に立とうなんてこれっぽっちも考えていないから、常に稲穂のように頭を垂れ続けた姿勢を保ち続けることで、物事を全部自分の思うとおりに動かし、同時に円滑な人間関係を崩さずに維持し続ける事が出来る。
というのは、僕の経験が持たせてくれた処世術でもある。
出世には使えないが・・・(爆笑)
最後に、この先生が担任をしていた2年間、自分が一番耐えられなかったのは、学校に呼ばれた母親が、散々な言い方をされていたことだ。
思い出す度に、爆発的怒りを心に引き起こす。
よほど辛かったのだろう、僕が当時の事を聞いても、口ごもって殆ど語ってくれない。
何しろ家庭訪問の際に、僕の目の前で、この子は協調性がない、人と上手くやれない、問題行動が多すぎる、心配だ?等々、 明らかに人間性に問題があると言いたげな言葉を羅列していたくらいなのだから。
ましてや母が面をつき合わせた際に言われたことは相当に辛辣なものであったことは疑う余地もない。
一方的な決め付けと、それによる偏見、それが如何につらくて厳しいものかということを僅か11、2歳で逐一ねじ込まれ続けていたのだから、たまったものではない。
皆さんご存知かは知らないが、ちなみに小学校のこうした生徒の人物評価というのは、中学校へそのまま渡されている。
大問題抱えた最低の子がクラスに入ってくるのだと、中学校の担任先生は頭を抱えていたことと思う。
いくら隠そうとしても、それは入学して間もないのに、僕と他の子では明らかに接する態度が違う事から読み取れた。
先生に対する警戒感と不信感ははちきれるくらいまで膨らんで、つねにセンシティブになっていたからだ。
実際に、今の僕に存在している何人もの教員友達は、そうした書類が回されてくることを教えてくれたし、遥か以前の学校は問題児という札までつけてつけてくるようなまねをしていたのだから
追記:
僕は人の本能を中心とした独自の教育研究をしていますが、その原点は、すべて当時に回帰しています。
それは、今もって解決しえない多々の経験が、何故なのか?と満足する様な結論を導き出さんとsきて僕にやらせているように思えます。
結局、西洋型の心理学はゴミそのもので全く役に立たず、解決の糸口になったのは本能論。
ほぼ99%確信している原因?は推測出来ているのですが(先生の名誉もあるので、ここでは書けません)、結局本人に確かめてみないことには100%にはならない。
いずれにしても、顔を突合せでもした途端に罵声を浴びせるであろう事を僕自身がわかっている以上、完全な答えは一生得られそうにありません。
でも、それでいいんでしょうね、きっと。